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99.我が身は死人の世界
ジョシュアの身体は考えずとも自然に動いてくれた。
こう攻められた時にはどう身体を動かせばよい、そして反撃のときにはカウンターからの突きがよい、なんて無心で戦いに身を投じることができるほどだった。
何ともいえぬ不思議な心地だった。
ずっとそばに彼女がついてくれているような。
いつだったか、イライアスやミライアはジョシュアに説明したことがあった。人の血液を飲み干す事で、その者の魂を自分の中で生かすことができるのだと。その言葉の意味を今ジョシュアは実感している。
ジョシュアの中ではエレナが生きている。
だからこうして今、ジョシュアは彼女と共に戦っているのである。
男の攻撃は威力の高いものが多かった。通常の剣戟に魔術を乗せて飛ばしたり、剣そのものに魔術を纏わせたりと、激しい爆発を伴うものも多かった。躱すのはそう難しい事ではなかったが、イライアスやヴィネア達を巻き込まないようにするのに少しばかり苦労した。
(ハンターギルドの局長直々にエレナを越えると言わせた程だ、流石に技の切り替えや剣速も速い。が、彼女程洗練されてる訳じゃない。魔術との組み合わせだってこんなに雑じゃなかった。……俺は認めない。エレナの方が絶対すごい)
身内贔屓だのと言われようが何だろうが、ジョシュアにとってはエレナが一番なのである。エレナの技でこの男を叩き潰せば、エレナの強さが証明される。そう考えるとますます力が入った。
剣戟がジョシュアを逸れて天井や壁にぶち当たるたび、部屋全体が振動で揺れた。一撃でも食らえば終わり、なんてのは火を見るよりも明らかだったが、当たらなければどうということもない。
時折、男の仲間から魔術の援護射撃もあって多少は鬱陶しかったが、ヴェロニカどころか、男の剣戟スピードにも劣る人間の魔術が今のジョシュアに届くはずもなかった。
ジョシュアは男との距離を徐々に詰めていった。
常人には真似できないような、左右上下に空間全体を使った動きで翻弄する。
男の攻撃パターンが崩れるのはあっという間だった。接近してからは気の赴くまま、エレナがそうするように剣を振るった。
男のような派手な剣戟は飛ばさない。そんな攻撃をせずとも十分だからだ。まるでエレナのそれを見せ付けるように、剣先で男の攻撃をいなした。
時折魔術を込めた突きをお見舞いすると、苦しそうな表情が見えた。
ミライアにさえ強いと言わしめるくせ、同類の剣士との戦い、特に駆け引きには慣れていないのだろう、ジョシュアの目にはそう映った。
こういう点が劣っているのは、男がこの世界の人間ではないせいではないだろうか。なんて、ジョシュアは勘ぐってしまったりした。
例えば人間が吸血鬼になって突然力を得た場合、初期の頃は当然、同族との戦いにおける経験が少なかったりする。吸血鬼になったばかりの頃のイライアスがそうであったというように、まともに親から教わらなかった者には、そういう者特有の欠点が見られるのだそうだ。全てが感覚による我流で、同族への対処の仕方をまるで知らない。
今の男がまさにそうだった。剣の道も魔導の道も、じっくりと向き合ってきたエレナが側についているジョシュアとは違って。
男が、歯を食いしばりながらジョシュアの剣戟を受け止めていた。ギリギリと耳触りな音を立て、魔導剣同士が悲鳴を上げている。
ジョシュアは吸血鬼特有の怪力を身体ごと剣に乗せていた。ただの人間にそれが容易く振り払えるわけがない。押し返せないよう、ジョシュアがあえてそうしていた。
「アンタは魔導剣士、だよな?」
ジョシュアはその至近距離で男に聞いた。目の前の男と落ち着いて話をするには、こうするしかないと思ったからだった。
彼は怪訝な表情をしながら、しかしどうしようもなく投げやりに言葉を返してくる。
「っ、だから何だ!」
「魔導剣士になろうとする者は少ない。多くの者がどっちつかずで中途半端に終わるからだ。S級ハンターにまでなったのは、エレナが史上初だった。なのに、突然現れたアンタは魔導剣士だという。……なぜ魔導剣士になったんだ? どうやってここまでの剣士になった? アンタのような者は今まで噂に聞いたことさえなかった」
「!」
ミライアから聞いた話が本当かどうか確かめたかった。本当に そ う であれば、ジョシュアとこの男は戦う必要などないはずだ。
それに、エレナを越えるような剣士が世に現れたとて、その者が勇者だからという理由であればジョシュアだって納得ができるかもしれない。身内故の対抗心のようなものでさえあった。己でも子供じみているのは分かっている。けれどこれだけは譲れそうになかった。彼女の努力を、ジョシュアは昔から知っていたから。
「なんで今そんなこと……」
不思議そうに言う男の声に、ジョシュアは静かに答えた。
「アンタが――アンタら4人が、元々この世界の人間ではないのではと疑っているからだ」
「!」
「アンタらの文化はこの世界には存在しないとそこのミライアが言っていた。魔術に使用する言語や戦い方が違うと。……本当のところはどうなんだ? アンタらが、この世界ではない所から召喚されて来たというのは本当か?」
ジョシュアがズバリ指摘してやると、男はハッと息を呑むような仕草をしてみせた。表情こそ大した変化はなかったが、動揺しているのはすぐに分かった。
ジョシュアは構わず指摘を続けた。咎めるような口調だったかもしれなかったが、今更止められはしなかった。
「魔王が存在している、というのはアンタも聞いていただろう? ヴェロニカが話したはずだ。だが、勇者が現れたという話は聞かない。伽噺《とぎばなし》と同じだというなら、人間の勇者もいないとおかしいだろう? アンタらがそうだったりしないか?」
「……」
「アンタらは妙にこの件に首を突っ込んできたしな。方方で似たような事をしているとも聞いた。……だからと言って、魔王を始末した俺達に突っかかるのは迷惑でしかないが」
言いながら、咎めるように強く剣を押し込んでやると、悔しそうに顔が歪んだ。早く認めればいいものを、なんて、少しだけ苛立ちながらジョシュアは男の返答を待った。
ジョシュア達からほんの少し離れた所では、ミライアが鷹目の男をねじ伏せている。肌を傷付けられた仕返しなのか、邪悪な笑みを浮かべながら何故だか固め技を披露していた。もう殺し合いでも何でもなくなっている。苦痛に歪んだ彼の顔が、ひどく哀れだとジョシュアは頭の片隅に思った。
「――だ」
「?」
「ああそうだ」
とうとう男が白状した。
「君の言う通り、俺達は皆別の世界から勇者としてこの世界に招かれた。女神様が……凶暴な魔族を滅しなさい、と戦う力をくれて。それが生き返る代償だと言って」
「凶暴な魔族……女神様……」
魔王だの悪魔だの女神だの。伝説とさえ言われた吸血鬼になって様々な経験を経た今、ジョシュアは多少の事ではそう驚かない。魔王や勇者がいるのならまあ、女神様もいるだろう、なんて。ごくごく自然に受け止めてしまった。
聖教会ではなかったな、と当てが外れた事を少しだけ残念に思いながら、ジョシュアは男の話の続きに耳を傾けた。
敵意が徐々に薄くなっていくのを感じる。ジョシュアはそれとなく、剣に乗せていた力を少しずつ抜いていった。
「そうだ。だから……君らがヴェロニカさん達の仲間だと聞いて戸惑っていた。だが、魔族は狡猾で魅了の力を使う。……お前らが彼女を騙して従わせているんだろ? だから俺は――」
「阿呆な事を言うな、 あ の ヴェロニカにそんなのが効くわけないだろ。ハンターの中でも特に、魔族殺しのエキスパートだって言われてるんだぞ? ……それに、騙したらヴェロニカに殺される」
「……」
ジョシュアが慌てて否定するように言うと、男は怪訝というよりも引きつったような顔をした。
ヴェロニカの恐ろしさは、ジョシュアの方が大変よく存じている。彼女は、突然現れた魔族《ヴィネア》に向かって戸惑いもなく禁術をぶっ放そうとするような女なのだ。伊達に肝は据わっていない。吸血鬼になった今だって、ジョシュアは絶対に敵には回したくないと思っている。
そういうジョシュアの本気を伝えると、男は不思議とおとなしくなった。考えていたよりも話は通じる。愚直で素直な熱血漢。正義感に溢れた男らを止めるには、下手な嘘を吐くよりも、本当のことを話して感情に訴えかけた方が早いのかもしれない。穏便にコトを収めるにはもうひと押しだと、いっそ腹をくくるような心持ちでジョシュアは言った。
「俺は吸血鬼だ。元人間で――ヴェロニカ達とは生前からの仲でもある」
「
」
「他の人間には絶対言うなよ。面倒になる」
「……それを信じる証拠は――あ、ヴェロニカさんに聞けばすぐか……」
「ああ。ニコラスも、だな」
「……」
「今俺達がここで争う理由はないだろう? 凶暴な魔族を従わせる魔王は死んだ。魔族にだって、俺ら吸血鬼みたいな平和主義はいるし、少なくとも、アンタの言ったその凶暴な魔族とやらには当たらないはずだ。だからこうして危険を犯してまで、人間を守ろうと表に出てきた。吸血鬼の引き起こした不始末は身内の中でケリをつける、今の吸血鬼はそういう魔族なんだ。
アンタらに与えられた使命とやらについては理解したが、ここは一度引いてくれると助かる。……それに俺は、そこのミライアみたいにねじ伏せるのは趣味じゃないんだ」
言いながら、すぐそこで関節技をキメている彼女にチラリと視線をやる。ジョシュアの視線の先を辿ってその光景を見てしまった男は、途端にひどく嫌そうな顔をした。
「人間には知られたくない俺の秘密まで話した。だからここは、怪我をする前に大人しく引いてくれ。今回の一件をやらかした魔族についても俺達が始末をつける。今後は俺ら吸血鬼が何もさせない」
「……」
だから頼む、と懇願しながら、徐々に剣から力を抜いてゆけば、男はそれ以上攻撃してくる様子を見せなかった。
そのまま完全に剣を引き、ジョシュアは男の元から離れるようにゆっくりと後退した。そうして手に魔力を込め、魔導剣を元あった場所へと返す。
突然自分の持っていた剣が消え、そして同じように返されただろうセナは、二度目ともなればもう声も上げなかったようだった。
気がつけばいつの間にか周囲は静かになっている。ヴェロニカ達の方も片が付いたようで、チラリとジョシュアが目をやると、そのヴェロニカが積み上がる気を失った魔族らの身体の上に片脚を乗せ、満足そうな表情をしているのがちょうど目に入った。セナとニコラスが引いている。見なかった事にした。
ジョシュアが剣を仕舞う様子を見ていた男もまた、それに倣うように手にしていた剣を鞘へと戻した。
途端、緊張していた空気が一気に緩み、少し離れた所にいた彼らの側の魔術師ら2人が、ホッと息を吐き出す音をジョシュアは聞いた。
「……アンタ、名前は?」
そうして互いの視線が絡み合ったその時、ふと目の前の男がジョシュアに聞いた。先ほどとは違って敵意はなさそうだ。
その問いかけにほんの少し驚いて、けれどジョシュアは首を横に振りながら言った。
「俺もアンタらの言う魔族なんだ、名前は勘弁してくれ」
「えっ……けど、何て呼んだらいいか……」
「好きに呼んでくれ。また次会うかも分からないが」
「どうしてそんな寂しい事……」
「……俺が吸血鬼だからだ。表向きには吸血鬼は滅んだ事になってる。これからもそれは変わらないし、変えるつもりもきっとない。それに俺は一度死んでるんだ。死人が堂々と表を歩いていたらおかしいだろうが」
「でも今は違うじゃないか」
「今回が特殊だっただけだ。それが終われば、死人は元の物言わぬ死人に戻る。それに、俺の本名を知る人間がいなくなるまでは表立って動けない」
「名前による縛り、ってやつか」
「ああ。神が罰を与えたなんて言われてるが……さっきの話を聞くと、その女神様による呪いなんじゃないかって気がしてくる」
「うん、俺もそれは思っていた。……魔族とか魔術とか、最初に聞いた時はなんか、すごい異世界感強くて興奮したの覚えてる」
「は?」
「あっ、いやいやごめん、こっちの話……そういやさ、思ったんだけど。一度死んでるという意味では俺ら四人も同じ訳なんだよね」
「え」
「だからさ、教えてくれないだろうか? 君の名前。同じく死んだ者同士のよしみとして」
目の前に立つ男が、ニコニコと笑みを浮かべながらジョシュアへと迫ってくる。自分より背も小さくて、先程まではジョシュアが圧倒していたはずなのに。どうしてだか急に、圧迫感を感じ始めたのだ。
「俺達は皆、この世界には知り合いが少ないんだ。考え方が少し違うせいか、あまり馴染めなくてね。ずっと四人でばかり話してた」
気圧されて、ジョシュアは心持ち及び腰になる。これが勇者のオーラというやつか、なんて、ちょっとだけ現実逃避をしながら首をひたすら横に振り続けた。
「君、俺達の友人になってくれないかい? 君とは話が合いそうな気がするんだ。ああそうだ! 異世界の知識に興味はない? 吸血鬼とか夢魔とか悪魔とか、そういうのは俺達の世界にも思想としてならあったし。なんなら学問も俺達の方が――」
そうペラペラと喋り出した勇者はやけに諦めが悪かった。首を振り続けるジョシュアに向かって、友人になるメリットをこれでもかと訴えかけてくるのだ。何がこの男の琴線に触れたのかは分からなかったが、何が何でも、という執念のようなものが見えた。
それでも屈するものか、とジョシュアはひたすらに無言で首を横に振り続けた。まるでそういうおもちゃのように。
しばらくの間――四半刻程だろうか。そんなような攻防が二人の間で続いた。
圧力にも屈せず、もうそろそろ首を横に振るのも疲れてきたなぁ、なんてジョシュアが思い始めたそんな頃だった。
突然、ジョシュアの耳が妙な音を拾った。
ほんの僅かに、ミシミシ、なんて音が、遥か上の方から聞こえてくるのだ。
おや、と思って顔を顰めて天井の方を見ると、つられたように勇者もまた上を見上げた。
先程勇者と戦ったその名残りが、その一帯の天井やら壁やらに傷痕として生々しく残されている。中には深く奥を抉るような凹みまであって。
察したジョシュアは途端、嫌な予感に顔の皺を濃くした。
「……なぁこれ、ヤバいんじゃないのか」
「君が俺の攻撃を避けるからだ」
「人のせいにするな。まんま、アンタの魔導剣のせいだろ。力いっぱいやりやがって」
「君も同罪だよ」
「……冗談言ってないで逃げるか」
「間に合うだろうか」
「んな事言ってないで早く、全員を広間から逃がせッ!」
天井が崩れる。
そう察したジョシュア達は、その場から駆け出しながら大声で叫んだ。
「全員ここから逃げろ! 天井が崩れる!」
「早く早く! 抱えられるだけ人を抱えて通路へ走るんだ――ッ
」
皆が慌てて通路の方へと駆け、ついでにジョシュアが、気絶したままのイライアスとアンセルム達を回収し終える頃。
祭壇の広間の天井が一部、轟音を立てて崩れ落ちたのだった。
真夜中に起こったガルディ市街地郊外の地下崩落の報は、未知の遺跡発見と合わせて一大ニュースとして取り上げられ、瞬く間に全国に広まる事となった。
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