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95.掻乱(前)

「全部ぶち壊しだ、クソ野郎」

 ジョシュアの目の前に立ったヴィネアが、ふとそんな事をいった。こんな状況だというのに、その顔には堪え切れなかったような笑みが浮かんでいる。

 そして、おもむろに両手を合わせたかと思うと、ヴィネアはひと言、祝詞のような言葉を呟いた。そこに妙な力の気配を感じたジョシュアは、慌てて飛び退くと距離を取った。何をしようとしているのか、ヴィネアの意図が読めなかった。

「クロ」
「……本当にそれでいいんだな?」
「馬鹿か。このままじゃこっちもジリ貧だろうが。主人《あるじ》様はもう大分回復なさっている。親衛隊をここへ――」

 そうヴィネアが何かを言いかけたその時だ。ジョシュアの真横を何かが猛スピードで通り過ぎていくのを感じた。まるでつむじ風でも吹いたような感覚で、ジョシュアの目では何も捉えることができなかった。



 そして気付けば、ヴィネアの目前で二つの影が取っ組み合い睨み合っている様子がその目に映った。彼ら二人を除き、その場に居た誰もがそれに反応すらできなかった。

「主人《あるじ》様……!」
(ミライア!)

 ヴィネアを狙ったミライアの腕を、魔王なる男が捕らえてその動きを封じたらしかった。互いに何の感情も浮かべず、ただジッと観察するように至近距離で睨み合っている。

(ミライアのアレを見切って防いだってのか……! やっぱりあの男、正真正銘……)

 背筋が冷える感覚を覚えながら、ジョシュアは気を落ち着かせようとサッと周囲に目をやった。ヴィネアは未だ呆然としているし、吸血鬼の黒助も分かりにくいが、多少はその目を大きくしているようだった。ジョシュアの後ろに立つ味方もまた言わずもがな。

(俺に条件突き付けておいて妨害するのか……一体どうしろと――)

 そんな事を思いながら再び彼らに目をやると、ふと魔王と目が合った気がした。その目が――ジョシュアを見たその目がみるみる内に細められ、挑戦的な笑みにも似た形へと変化した。明らかにジョシュアが見ている事を意識したようなものだった。それに驚くのと同時に、ジョシュアは気が付いてしまった。きっとこの男はこう言っているのだ。
 親《ミライア》の力など借りずに自分だけでやってみせろと。
 そんな殺生な、なんて思ってはいても、ジョシュアは既に魔王と約束を交わしてしまっているし、既にジョシュアには対価が与えられている。後戻りはもうできないのだ。

 他者との約束――契約は魔術的に重要な意味をもつ。特に魔族にとっては、契約魔術という特殊な魔術を使おうが使うまいが縛りとなるのだ。破れば、一生付きまとう呪いとしてその力を蝕んでいく。口約束程度の軽い契約だろうが、破り続ければ何重にも絡まる鎖としてその者の力を弱体化させていくのである。
 例えそういう事情をジョシュアが知らなかったとしても、感覚的になんとなくは理解している。約束を違う事はできない。直感でわかった。

(マジでか……俺だけで、ヴィネアからあの箱を奪ってこの手でその心臓を――)

 考えただけでげんなりとした。手に汗がにじむ。
 だがここまで来てしまったらやらねばならない。ジョシュアだって覚悟はもう決まっているのだ。

(……やるか。ミライアが本気で行ったんだ、俺も足踏みしている場合じゃないな)

 そう思って腹をくくった。
 自分の中にある魔力をかき集めて体中を巡らせる。部分的に行ういつものそれとは違って、念入りに全身を覆った。強化、柔軟、と唱えながら準備を整えてそして、ジョシュアもまた彼らの中へと突っ込んで行った。



 ギョッとしたようなヴィネアの表情が見えたが、ジョシュアはお構いなしだった。相手が死なぬのならばもう一度ぶち抜いて動きを止めるまで。加減もなく、ジョシュアは驚くヴィネアの胸元へとその腕を素早く突き出した。

 だが、それは途中で軌道を逸らされてしまった。まさしく横槍が入ったのだ。
 ジョシュアの腕が、伸びてきた誰かの腕に突かれて軌道が逸れた。同時にヴィネアの身体は引っ張られて横にずれる。空を切った腕に引っ張られてジョシュアの体勢が崩れ、隙が生まれた。だが追撃はなかった。

「クロっ!」

 ジョシュアがひらりとその場から飛び退いて離れていくと同時に、ヴィネアの焦ったような声が聞こえた。あともう少しだったのに。不意打ちに失敗したジョシュアは、軽く舌打ちをしながらその間男の姿を目に留めた。
 ジョシュアだけでは到底敵わないヴィネアのボディーガード。ミライアとも並ぶような吸血鬼の男に、忌々し気な視線をやってしまった。

「気をつけろ。やるのなら早くやれ」
「〜〜ッ言われなくてもわかってる! 多少時間がいる、術を行使する間はお前が守るんだぞ」
「ああ」

 そういうやり取りがあってから黒助はもう、一歩もヴィネアの前から離れなかった。その場で構えて周囲の動きを警戒している。その後ろで、ヴィネアは再び何かの祝詞を囁き始めた。秘匿されるものなのか、それとも術の種類を特定されないためなのか、その口元を手で覆い隠している。

「何かやらかす気満々だね、アレは」

 急にジョシュアの背後から声が聞こえた。驚きはしたがこんな状況だ、ジョシュアは振り向きもせずに言葉を返した。

「“赤毛”。あの“黒い奴”……お前でもどうにかできるか?」

 そうであってほしい、なんて願望を胸に抱きながらジョシュアは聞いた。

「できる――って言いたいところだけど……正直キッツイ。いくら狡猾だっても“姐さん”から逃げきれるような奴だよ? 俺と君、あとはあの“画家”ともう一人吸血鬼加えて五分、って所じゃないかな」

 “画家”とはもちろんアンセルムの事だ。味方内ならまだしも、敵の前では偽名ですら呼ばない。

「……そんなにか」
「そんなにだねぇ。……だって“姐さん”を基準に考えてみなよ。吸血鬼が束になったところで勝てると思う?」
「……」
「俺が二人……いや三人いればまぁ足止めくらいは何とか、って感じじゃん?」
「……がんばるか」
「そうだねぇ……別にやっつけるってワケでもないし。足止めなら少しくらい――ねぇそこの! 愛人にめった刺しにされた“画家”! 手伝って!」
「言い方――!」

 話の中、唐突に大声でアンセルムを呼び出したイライアスに、ジョシュアは顔を思いっ切り引きつらせた。その呼び方は嫌がらせ以外の何物でもない。渋々手伝いに来てくれているアンセルムに対して酷いってものではない。
 そういうイライアスの態度に戸惑いながら、慌てて飛んできたアンセルムに目をやった。思わず憐れみの眼差しを向けてしまうのは仕方のないことだろう。

「藪から棒に何なんだい君、その不名誉な呼び方は。……嫌がらせかい?」
「事実じゃん」
「……こんな時に皆前で言わなくてもいいんじゃないかな」
「ほとんどみんな知ってるから大丈夫でしょ」
「……」
「……おい、頼むからこんな所で喧嘩はするなよ」

 慌てて間に割って入り、ジョシュアは二人を宥めるようにして言った。どうしてこんなにイライアスの当たりがキツイのかイマイチ理由が分からなかったのだが。まさか、宿の部屋割りが未だにジョシュアと同じ事を根に持っているのだろうか、なんて冷や冷やしながら二人の様子を見守っていると。
 ふと、イライアスが目を細めながら言った。不機嫌そうにしているアンセルムに向かって、まるで忠告するかのように。

「初めて口にする吸血鬼の血は、おいしかったかい?」

 低く怪しげな声音にさしものジョシュアですら震えた。
 その眼差しを正面から受け止めているアンセルムなんて、ひゅっと息を詰まらせている。見ればその額には汗が滲みだし、怯えの表情が薄らと見えた。

 とっくにバレていた。
 未だに抜けきらないアンセルムにかけられた魅了魔術。その後遺症治療の意味もあって、ジョシュアが定期的にアンセルムに血を分けてやっている事を、イライアスはきっと知っていたのだ。

「俺もあんま心の狭い奴、って思われたくないんだけどさぁ……後ろめたい、ってぇのはダメじゃない? 二人ともだよ」

 にい、とイライアスの顔が笑みを模っている。ただ淡々といつもの口調で言っているだけなのに、強い口調で怒られるより何倍も恐ろしく感じられた。
 こんな時にこんな場所で。ジョシュアは冷や汗をかきながら、イライアスの表情から目を逸らすことができなかった。
 ごくりと自分の喉が鳴ったのがわかった。

「ぜーんぶ終わったら覚悟しておいてね。……二人ともお仕置きだよ」

 そう言ってイライアスが二人から目を逸らすと、ジョシュアもアンセルムもようやく体が自由に動くようになった。これも、ある種魅了の力なのかもしれなかったが、ジョシュアにはその原理なんてわかるはずもなかった。チラリとアンセルムの方を見れば、彼もまた同じようにジョシュアを見返した。非常に気まずそうな顔をしている。

 終わったらお仕置き。一体何をするつもりなのか全く見当もつかない。が、こんな事を今考えている場合ではない。と、ジョシュアは気持ちを切り替えるようにして再び彼らに目をやった。

 黒助は相変わらずヴィネアの前で盾となるように立ち塞がり、戦闘体勢でジョシュア達が突っ込んでくるのを待ち構えている。
 ヴィネアは先ほどからずっと何かをブツブツと呟いていて、その周囲から何かの気配が立ち昇っている。微かに魔力の気配がすることからも、ジョシュア達も知らない何かをするつもりなのは確かだった。
 ミライアと魔王は、数歩離れた状態でにらみ合ったまま、その場所から動こうとしない。何か話しているのかもしれなかったが、ジョシュア達では聞き取ることができなかった。
 そして、先程の場所に取り残された3人の人間達はというと。脚を踏み入れたその場から動かず、全体の様子を窺っているようだった。

「――彼らには下手に動くなと伝えてあるから安心するといい」

 ジョシュアの視線に気づいたのか、アンセルムが耳打ちするように言った。

「いくらランクが上位だなんだとはいえ、吸血鬼同士の戦いに巻き込まれて無事だとは思えないからね。今は魔術だって使えない。あのちっさい子の使う魔導剣てのも同様だと思うよ。魔術に近いものだろう」
「助かる」
「ラザールがいるんだ、ついでだよ」
 
 相変わらずのアンセルムに少しばかり笑ってから、ジョシュアは間もなく思考を切り替えた。再び黒助たちの方へと目をやる。先ほどからその場から一歩も動いていない。
 そんな時にふと、イライアスがぼそりと言った。

「あれさぁ、結界どうにかして味方でも呼ぶ気だよね、きっと」
「そうだろうな」
「俺らもこの結界、壊してもらった方が実はありがたいんだよねぇ。そうすれば、後ろの人らも魔術が使える」
「このまま待つか?」
「うーん……力押しでどうにかなる相手ではないし……ただ、向こうの手の内も気になる。絶対、ここを突破された場合の奥の手くらい用意してるっしょ」
「……“画家”は何か聞いてないのか?」
「僕かい? 何も、聞いていないさ。魅了に囚われただけの者に話してくれるほど優しくないだろう、あの方は。ここに気付けたのは僕の特殊能力があったからに過ぎない。ただのヒトには気付けない」
「だろうねぇ……ちょっかいくらいはかけてみる? きっとアレ、あの場から動かないよ、今なら」
「なら、三方同時攻撃か?」
「俺らって連携攻撃なんてしたことあったっけ」
「「……」」
「……いつも通り、適当にやろうか」

 そういう相談事を終えると。ジョシュア達は3人で一斉に駆けだした。きっとただの人間達には追い付けない、化け物同士の戦いを挑むために。






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