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94.再逢

 暗闇の中を走る。
 二度目の道中は幾分かスムーズだった。道がある程度分かっているというのもあるだろうが、何よりも、仲間が側にいるというのは大きいのかもしれなかった。

「なるほど、確かに一切の魔力が感じられん。これは梃子摺るはずだな。向こうも条件は同じはずなんだが……何か、この中で魔術を使用するための条件でもあるのか。この状況を見るに、人間を操る事はできんのだろうな。敵が一人も見当たらん」

 走りながら、ミライアはそう語った。

「あ奴の魅了もまた、魔力による作用の一つとして考えていいだろう。魔術もない訳ではないが、魔力作用の方が手間が少なく副作用も少ない。どちらにせよ、ここが中心部だとするならば腹心以外の者は入れんはずだ。例え、魅了効果が残ったとしても、いつか必ずその効果は切れる。そうなれば余程でない限り離脱される。常には置いておけんはずだ」
「俺が途中で誰にも遭遇しなかったのはそのせい……」
「ああ。奴ら以外の者は居らんとそう考えて良いだろう。心置きなくヤり合える訳だ」
「……そりゃ好機だな」
「……」

 そう言ったジョシュアの言葉に、ミライアからの返事はなかった。ジョシュア自身、思ってもいない事を言った。

(魔王とは絶対に戦いたくない。ミライアがいたとしてもだ。勝てるイメージが全くわかないんだよな……)

 ジョシュアが約束さえ守れば敵対する事はなさそうだけれど。確実に守れる自信がないのだ。土壇場でもし、ジョシュアが怖気付いたその時は――

 目的の地へと近付くにつれ、トンネルの中に明かりが灯り始めた。暗闇で目がきかないからと、ラザールはアンセルムに、セナはイライアスに(とても煩く喚いていたが)、ヴェロニカはミライアによって背中に担がれる形となった。
 明かりが見えた所で彼らを地に下ろし、全員で静かに歩き始める。ここからは敵地の腹の中だ。何が起こるかは予測もつかない。彼らがジョシュアの脱走に気付いている可能性も十分にあって、一行は黙ったまま進んだ。

 この結界の中で魔術の使えないヴェロニカには、先に宿へ帰るようにと説得も試みられたが、彼女にあっさりと断られてしまった。

「あら、たかが体外放出型の魔術が使えないというだけで魔術師は使えないと思われるのは心外ですわ。わたくしを誰だとお思いなのかしら? やり方など如何様にもありますもの。それに、未知の魔術だなんてわくわくするじゃない――」

 そう言って笑った彼女の表情はいつもと変わらなかった。その目に不安などは微塵もなく、どこか楽しそうにも見えた。
 まるで、ジョシュアのよく知るあの人《エレナ》のように。彼女とヴェロニカが並ぶと本当の姉妹のように見えた事を思い出す。ジョシュアですら短くない年月を共に過ごしたのだ。彼女達が本当の家族のようだと言われても不思議ではない気がしていた。

 歩いてしばらく行くと、見覚えのある通路へと出た。少し先に行った所に、あのヴィネアの私室があった付近だ。夜這いの如く忍び込んだその時を思い出して、ジョシュアは思いっきり顔を顰めた。まとわりつくような、あの時の嫌な気配がハッキリと思い出されていた。

「めっちゃ顔顰めてるじゃん……何かあった?」

 ボソボソとジョシュアの耳元で声がした。ハッとして振り返りながら見上げると、思っていたよりすぐ近くににイライアスの顔があった。
 目敏くもジョシュアの表情に気付いたようで、少しだけ緊張したような彼の表情が窺えた。この男ですらこんな顔をするのか、とジョシュアは少々面食らった。いつもケロリとしているイライアスの様子に、ジョシュアはますます引き締まるような思いだった。
 答えるのを一瞬躊躇してから、ジョシュアはボソリと言った。

「この先にアイツ――ヴィネアの私室のような部屋があった。……ほとんど何もない、だだっ広い部屋だった」
「……ふぅん?」
「まるで、ずっとそこに閉じ込められているような――」

 口にしながらその部屋の光景を思い出す。家具も小物も最小限、およそ嗜好品と呼ばれる類いのものが一切ない部屋。唯一見つかったものといえば、子供が喜ぶような玩具ばかりだ。すっかり成人した者が所持している物としては奇妙でしかない。
 と、そんな事を考えたせいだろうか。ジョシュアは突然、ある考えに辿り着いてしまった。
 気付かない方が絶対に良かったはずなのに、ジョシュアの頭の中でその可能性に行き着いてしまった。

 ジョシュアが皆と合流した時、夢の中でジョシュアは啜り泣く幼な子の声を聞いた。誰もいない、皆どこへ行ってしまったの、寂しい、そう言って泣く子供の声だ。
 その声は、最後にこう叫んでいた。
『あるじさまっ――!』
 主人《あるじ》様。
 誰かをそう呼ぶ者は、ジョシュアの知る限り一人しかいなかった。

「あの子供……ヴィネアだったのか」
「ん?」
「いや……こっちの話だ、気にするな」

 部屋で、ヴィネアにまとわり付くあの妙な気配を感じてしまったせいもあるかもしれない。もしくは、あの魔王があえてジョシュアに見せた夢だったのかもしれない。約束を違うなとジョシュアの決意を促すために。

 気分は最悪だった。
 あんなに、この手でやっつけてやると意気込んでいたのに。
 子供の頃からたった一人取り残され、いつ目覚めるかも分からない魔王のためにと、この土地に縛り付けられ続けた一族の末裔に、同情している自分がいた。
 きっと、これまでの騒動さえ皆魔王のためのもの。魔王以外は何もわからずその一生を魔王のためだけに捧げる。操るだけ人を操り、自分自身は気付かず延々と孤独のままに。

 アレをジョシュアに見せたのが本当に魔王なのであれば、効果は覿面《てきめん》だったようだ。

「クソ魔王……」

 らしからぬ呟きに、イライアスが隣で絶句するのが分かった。すっかり苦々しい気分になってしまった。その先ジョシュアはムスッと黙り込んだまま行く先を先導した。


 道の先にこうこうと明かりが灯るのを見て、ジョシュアはハッとして歩く速度を緩めた。右手を横に突き出して全員に合図を送る。背後からはぐ、と緊張したような空気が漂ってきて、同時に皆の足音がほとんど聞こえなくなった。ジョシュアもまた心臓が大きく鼓動しているのを感じ、自分を落ち着かせるようにゆっくりと深呼吸をした。

 皆を引き連れ、あの時見付けておいた通路を塞ぐ壁を突破し、長々と歩いてとうとうここまで辿り着いてしまった。不思議なほど邪魔さえ入らず、気味の悪いほど順調な道のりだった。

 ジョシュアの記憶が正しければ、この先にあるのはジョシュアが最初に連れて来られた、あのだだっぴろい広間のような空間が広がっているはずだった。
 その暗がりの奥にはまるで祭祀場のような壇が設けられ、その壇上に石櫃《せきひつ》のようなものが置かれていた。

 それが恐らくは王の墓所だろう、とミライアはジョシュアに教えたし、ジョシュア自身もまたそうに違いないと考えていた。どう見ても、ここ最近――数十年か数百年程度のものだとは思えなかった。エレナ達と共に、各地を見て回ったジョシュアだからこそ分かる。
 この地下道は、古代遺跡にも似たような空気を内包していた。街、と言っても差し支えないかもしれない。ただ街と言っても、ジョシュアの知る街とは大きく異なっていた。

 薄暗がりの中、うろ穴のようにぽっかりと開いた真っ黒い穴が、あちこちで大きく口を開いている。その奥はどれもが空で、打ち捨てられた家財道具だったらしきものの木片が床には散らばっているだけだった。
 ふと何かの気配を感じてハッと振り返っても、しかしそこには誰もいないような。うろ穴の中はそういう不気味さで満ち満ちていた。

 空気が澱んでいる。滞留した大昔の空気がその場に留まっているとか、そういうものではない。もっと別の、どろどろと歪んだ何かだ。呪詛だとか邪気だとか、そういうものにも似た負の気配で“場”が乱れている。

 そう感じたのは多分、ジョシュアだけでなかっただろう。壁の奥に隠されていたその一画に入ってからというもの、誰一人として口を開く事はなかった。

 敵がいるのはこの先だ。ここからはもう一瞬たりとも気が抜けない。ヴィネアは兎も角として、まさか魔王やあの黒助がジョシュア達の接近に気付かない訳がないのだ。いつ何時敵が攻撃を仕掛けてくるのか。その読み合いはもう既に始まっていた。

 広間の手前で立ち止まり、顔だけで後ろを振り返る。真剣な複数の眼差しがジョシュアを見返してきて、それらに視線を合わせると、皆同じように微かに頷いた。

 そんな中で、ミライアだけは違っていた。彼女はジョシュアの肩に手を置いたかと思うと、引き寄せて自分の後ろへとジョシュアを追いやった。そのまま手振りでイライアスを隣に呼び、ジョシュアにはその後ろを付いて来いと合図を出したのだ。

 突入の先陣をミライアへ譲る事に不満などはなかった。ジョシュアの頭にあるのは、ただ、この場をどうやって終わらせるかばかりだった。まだミライア達に話していない事がある。

 敵を騙すにはまずは味方から。別段それを意識した訳ではなかったが、すべきではないと思ったのだ。そうでないと、決意が左右されそうだったから。話すべきではないと、そう判断したから。
 ジョシュアの心臓はけたたましく暴れ回るようにして早鐘を打っていた。

 合図が出された。
 ミライアを先頭に、全員が広間へと傾れ込んでいく。一気に開けた視界が、ジョシュアの記憶とも一致していた。街の様子とは裏腹に、とても澄んだ空気の流れる場所だとジョシュアは思った。

 先陣を切ったミライアはそのまま、敵《黒助》へと一直線に突っ込んで行くかと思われたが、彼らに辿り着く手前で突然、速度を落として止まった。

 ジョシュア達もそれにつられるようにして立ち止まり、咄嗟に構えながら彼女の見ている方向を同じように見やった。そこにはジョシュアが予想していたように、黒ずくめの吸血鬼と、魔王だと告げたあの男と――そしてヴィネアが立ち並んでいた。石櫃の置かれた祭壇の前で、ヴィネアは睨み付けるようにして真っ直ぐ、ジョシュアを見据えていた。

 「――チッ……侵入者がいると思ったらやっぱりお前らかよ……おい吸血鬼、一体どうやってあの牢を抜け出した? 俺の縄はそう簡単に切れないようになってる。クロでさえ切れないんだ、お前程度が抜け出せるはずがないだろ。どんな手段を使った……?」

 ヴィネアの傍らでは、黒助が警戒して寄り添うように距離を縮めていた。
 ギリリと悔しそうにしているヴィネアの姿を見て、ジョシュアは少しだけ胸のすくような思いがする。
 きっとジョシュアが逃げ出せるなんて微塵も思っていなかったに違いないから。
 まさか身内が――しかも主人と慕う者が、ヴィネアの思惑を阻んでいるだなんて思いもしないだろうと。知らずに焦るその姿が哀れですらあった。

「お前が勝手にしくじっただけじゃないのか。俺は何もしていない」

 挑発的な言葉を選んで吐き捨てる。途端にヴィネアの怒気が強まったのがジョシュアにも分かった。射るようなその視線にも動じず、努めて澄ましたような表情を取り繕った。

  そういう挑発的なジョシュアの態度を初めて目にした面々が、みな唖然としながら自分を見ているのが分かる。日頃は始終穏やかでいるジョシュアが、こんな態度を取るだなんてきっと想像もしなかったのだろう。

 ジョシュアだって、人並みの闘争心やらは持ち合わせている。ただそれが中々表に現れにくいというだけで。
 そうでなければ、ジョシュアはきっと未だに普通の冴えない人間だっただろう。うだつの上がらないハンターとして、ズルズル憧れに追い縋りながら腐っていったはずだ。

 だが今、ジョシュアは吸血鬼としてここにいる。先程の言葉も、相手の怒りを煽るための挑発だった。あえてその言葉を選んだのだ。
 らしくないとは思いながらもどうしてだか、心の内に留めきれなかったのだ。そう思うと、ジョシュアは冷静なように見えて実は冷静でないのかもしれなかった。

「クソ野郎……」

 つい先刻、ジョシュアが漏らしたものと同じような罵倒が聞こえてくる。まるで唸るような声音で、不機嫌であるのが手に取るように分かった。
 これまでずっと一方的にやられっぱなしだった自分が、こうして敵に噛み付いて王手にすら手をかけようとしている。それが仄暗い悦びとなって、ジョシュアの胸の中を駆け回っていた。
 これまでに感じた事のない感情に、いっそ戸惑う程だった。

「……ゲオルグ、抑えなさいね。この前のようにはならないで」

 小声でヴェロニカの忠告が飛んでくる。そんなのは言われなくても分かっている、そう自分では思っていても、衝動的に湧き上がってくるものが抑え難いのは事実だった。

 しばらくの間、そうやってジョシュアとヴィネアは睨み合っていた。
 しかしそのような中で。
 黒助のように前に出るでもなく、ヴェロニカのように諌めるでもなく、ただその場を傍観しているかのように眺める魔王が、ひたすら不気味でもあった。
 そんな男の様子を、ミライアだけが観察するようにジッと眺めていた。





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