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91.地下街にて(後)

 ジョシュアが歩いても歩いても、不思議と誰もいない道が続いた。
 ヴィネアの匂いは漂ってくるのに、他の魔族一人、人間一人見かけやしなかった。見かけていたらその場でお縄を頂戴しそうではあったが、こうも誰もいない道ばかりが続くと、いっそ誰かに出くわしてほしいとすら思い始めてしまった。

(地下だから薄暗いし心臓に悪いし、静まり返っていて頭がおかしくなりそうだ……)

 ジョシュアは元々は人間だった。今はもう叶わないけれど、陽の下で生活を営み、明るい世界でずっと生きてきたのだ。たまにハンターとして、ここのような薄暗くて狭い洞窟に潜ることもあったけれど、それもせいぜい数刻たらずだったし、仲間も怪物もいて大層騒がしい洞窟だったのを覚えている。

 こんなにも長く、静かで何もない地下の暗い世界に身を置くのは生まれて初めてだ。だからなのだろう、先程から頭の中でぐるぐると嫌な想像をしてしまって止まらない。

 ずっと一人で、この地下道を永遠に歩き続けなければならないのではないか、とか。
 実は今、知覚できていないだけでジョシュアの姿を追う化け物がずるずる背後から近付いてきているのでは、とか。
 実はジョシュアが気付いていないだけで、既に何年も刻が経ってしまっていて、地上に戻ったら見知ったヒトが誰も居なくなっているのでは、とか。
 知らず知らず、人間も魔族も、生き物さえ存在しない別の世界に迷い出てしまって、ジョシュアはその世界から出られなくなってしまっているのでは、とか。

 とかく、小さな子供が夜に想像するような恐怖に似た何かが、この時ジョシュアにもじわじわと這い寄りつつあった。それ程、この地下道には何の気配も感じることができなかったのだ。
 ジョシュアがいっそ、敵と出くわしてほしいだなんてそんな事を思ってしまう程に。何もいない静寂というのは思っていたよりも堪えた。

(ほんと誰か……魔族でもいいから出て来てくれないだろうか)

 少しばかりベソを書きながら、ジョシュアがそんな事を思い始めた頃だった。突然、追っていたヴィネアの匂いが途切れてしまった。先ほどまでは確かにあったはずなのに、ある場所から先、てんで匂わなくなってしまったのだ。
 かといって周囲に扉はなく、分岐している道などもその場所にはないように見えた。

(ここ、か? 何か隠し扉のようなものでもあるんだろうか)

 匂いの示す方向をなんとなく捉えて、地下の岩盤が剥き出しになっている壁を触る。つなぎ目もない、ごつごつとした岩が続いているようにしか見えない。けれど確かに、この岩の向こうには何かがあるようにも感じられていた。

(先に何かありそうではあるが……これ以上一人で進むのは危険、かもしれないな)

 ジョシュアに備わっている勘がそう告げていた。ここで誰かが姿を現すのを待っていても良いが、その場合は十中八九、ジョシュアは再び捕まってしまうだろう。ここまでで得られた情報は少ないが、一人でできる成果としては十分ではないかという気がしてきた。連中が潜伏している中心部に見当はついたし、鍵となるものだって手に入れた。成果としては十分だろう。これも全て、あの魔王だとかいう男のお陰だ。

(魔王――確かバルトとか呼ばれていたか? あの男は一体、何を考えているんだろうな……本気で、俺があの約束を果たさせようとしているんだろうか?)

 壁に目印となる傷を刻み、来た道を引き返しながらジョシュアは考えた。

 ジョシュアを牢から逃がし、更には決定的な鍵さえ与えてさもジョシュア達の味方であるかのような事を言う。敵であるヴィネア側の大将がまさか、そんな魔族だったなんて、あちら側は思いもしないだろう。いくらジョシュアとて、いっそ彼らが不憫にすら思えてきた。
 噂に聞く傲慢な魔族の王の姿からはかけ離れすぎていた。

(魔王の逸話はもうおとぎ話と化してる。じゃあ一体、魔王はどれくらいの間眠ってたんだろうか……)

 そう考えると、ジョシュアには途方もない話のようにも思われた。
 誰もが忘れ、その話を信じなくなるくらい長い間眠っていて、起きてみたら周囲に魔族の姿はほとんどない。例えば、ヴィネアのような従者らしき魔族が一人二人いたとして、地上に連れ出されて案内されてみればそこは、自分の知っている世界とはまるで違う。

 魔術は人間にとっても身近なものとなり、精密な絡繰りを操るほどその世界は発展している。各地に大きな国が複数できて、地上は人間達の楽園だ。
 一方の魔族はといえば、神から受けたという罰で闇の中へと追いやられ、緩やかにその数を減らしている。人間の中に潜みながらそのお零れにあずかり、何か問題を引き起こせばすぐに人間や魔族の管理者《ミライアたち》によって狩られてしまう。そんな現実を見て、かつては魔族の大群を率いて戦った魔王は一体、何を思うのだろうか。
 
(――それこそ、さっき俺が想像したように、異なる世界にやって来てしまったみたいだ、なんて事を思うんだろうか)

 そこからは想像でしか語れない。魔王自身があの牢屋で、まったく何も話そうともしなかったから。
 過去の過ちや今へと繋がる咎ついては置いておいて、せっかくこうして出会ってしまったのだから知る分には問題ないとも思うのだが。
 当人がそれを望んでいないのであれば、ジョシュアの方から言える事は何もなかった。それからしばらく、ヴィネアの部屋の所に戻るまで、ジョシュアは魔王と魔族の話について考えを巡らせたのだった。


 この地下道全体を覆っている不思議な結界は、通常の魔力探知には引っかからない、というのはジョシュアにもすぐに分かった。ならばこの場に味方を引き入れる方法はたった一つ。ジョシュアが結界の境を見つけ出して外に出、その境目で彼らに居場所を知らせればよいのだ。

 だから今度はジョシュアは、ヴィネアの部屋を拠点に、そこから外縁へ離れるようにと道を探し始めた。そろそろ喉が渇きつつあったが、ここでへばっていてはジョシュアが攫われた甲斐がない。せめて彼らと合流するまで保てばいい。そういう考えでジョシュアは、休みなくただひたすら歩き続けた。

 体内のエネルギーの消耗を抑えるため、魔力は一切使わなかった。必要以上に頭で考える事も止め、動きは最小限にする。遭難したらよく、動かずに救援信号を打って助けを待て、なんて教わるが、今はそんな事を言っていられる状況ではない。いくら逃がしてもらったとはいえ、外側に出なければ助けも何もないのだ。それに、大きな好機でもあった。

 ジョシュアが外に出られさえすれば、きっとミライアの仕事もようやく終了するだろう。魔王一派は今度こそ終わりを迎え、引き続きジョシュア達は人間のそばで彼らに紛れながら平和に生きることができるようになるのだ。人間だの魔族だのといった種別は関係ない。望む者には望む通りの平穏な生活が約束される。それで、全部が終わるのだ。

(そうなったらエレナにも謝らなければならないかもな……や、彼女ならそれでいいって言うのかも)

 歩くスピードが驚く程緩やかになった。今の状態で敵に見つかれば、ジョシュアはきっとヴィネアにだって敵わないだろう。例え向こうも魔術が使えなかったとして、力で負けそうだった。
 いくら吸血鬼だとはいえ、エネルギーを消費し続けながら血が一滴も飲めない環境にあれば、陽の光を浴びていなくても衰える一方だ。それを自分で自覚している。

 辛い時には楽しい事を考えるに限る。久しく考えることのなかったエレナとの思い出をひとつひとつ思い出して、それが尽きた頃、次に考えだしたのはイライアスの事だった。
 
(そういえばまだイライアスには言ってなかったな……ここまでずるずると悪い事をした)

 好き、愛してる、だなんて。若者でもあるまいし、そんな事をべらべらと告げるのはただ単に恥ずかしかった。イイ歳をした男が軽々しくそんな事を言うだなんてと、そういう古臭くて不器用でみっともないジョシュアの思考がきっと、考える事自体を拒絶していた。

(あの時やっぱり言っておけばよかったか。あの後ずっと、ここまで引き離され続けるなんて思ってもみなかった……二人きりの時間も随分と減ってしまったし……)

 それが今、こうしてジョシュアに後悔をもたらしている。さすがに吸血鬼となった事で再び死ぬことがなくなったとはいえ、こうも極限状態では、死ぬ前にやっておきたかった事リストのごとく、後悔が次々と溢れ出てきてしまっていた。未だ吸血鬼になって日の浅いジョシュアには、人間としての考え方が根強く残っていたのである。

(次だ、次、イライアスに無事に会えた時、絶対言う。それと、エレナの魔導剣、やっぱり振らせてもらえないか頼んでみるか。あとは、少しだけでいいからヴェロニカの血を――いや、やっぱり殺されそうだから止めておくか……いやでもなぁ……)

 そう考え続ける事で厳しい現実から目を逸らしながら、ジョシュアは意識もおぼろげにただ歩き続けていた。

 どれくらいの時間が流れたのか。ある時ふと、身体が何かを突き抜けるような感覚があった。ジョシュアがあっと思った時には、以前のように自分の身体から魔力が放出される気配をはっきりと感じるようになった。途端にジョシュアの中で安堵が広がる。これで、ジョシュアの果たすべき役目がひとつ完了した。そう思うと、一気に身体から力が抜けた。

 壁伝いにずるずると座り込む。ここまで来てしまえばきっと、あの結界の中にいるヴィネアも黒助も、ジョシュアの居場所を特定する事は難しいだろう。なにせ彼らは今、ジョシュアの魔力を感じる事ができないのだから。そう思って安心して、ジョシュアは知らせるように蝙蝠を一匹だけ飛ばした。つい最近、ミライアから教わることのできた吸血鬼の能力の一つだ。これで彼らもきっと、無事にジョシュアの元へとたどり着けるはず。よかった。今度こそ自分は、正真正銘自分の力で、彼らの役に立つ事ができた。もう誰かに護られてばかりの役立たずではないのだ。

 そういう思考を最後に、疲れ切ったジョシュアは気を失うようにその場で眠りについた。





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