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90.地下街にて(前)

 ジョシュアはひとりで闇の中を歩いていた。
 地下の隠された道はかなり古いもののようで、時折崩れかけた岩が道を塞いでいた。そういう時には引き返して別の道を探すのだが、これが随分と骨の折れる作業だった。

 この周囲一帯にはジョシュアですら感知できないような結界が張られているようで、魔術の使用が極端に制限されている。この結界で長年、外から人間の侵入を防いでいたのだとすれば、入り口を見つけるのはそれこそ容易ではないだろう。通りでミライア達が手間取っている訳だ。

 だが、偶然とはいえこうしてジョシュアが結界の内側で野放しになっているのはまたとないチャンスだった。ここで決めなければきっと、同様のチャンスは二度と巡ってはこないだろう。そう思わせる要素が今、ジョシュアの下には揃っていた。

 この結界内ではどうやら、一般的な魔術は使えないようだった。魔術を使おうとすると、術として成り立つ前に魔力がすぐに離散してしまうらしい。
 使える魔術といえば身の内の魔力をそこで使うような身体強化系のような魔術に限定されていて、これは存外にジョシュアも困る事態だった。周囲の索敵範囲がいつもより小さくて、敵に見つかるようなリスクがより大きかった。

 ジョシュアをあの牢屋から出してくれた男は、ジョシュアが自由になったのを見るや否や、「じゃ、頼んだぞ。幸運を祈る」なんて言って姿を消してしまった。どうせならジョシュアを|現《・》|場《・》まで運んでくれてもよかっただろうに。八つ当たり気味にそんな事を思いながら、ジョシュアは通路を行って引き返してまた別の通路を選ぶ、というのを何度も繰り返した。

 あの部屋で男と話してみても、彼に対するジョシュアの印象はほとんど変わらなかった。男の醸し出す雰囲気や、底が知れないほどの力の気配は、魔王と称するにも相応しいものだった。ミライアの力を知るからこそ尚更。その上をいくだろう男に、ジョシュアはいっそ畏怖にも近い感情すら覚えたのだ。

 彼は、この地下が何故つくられたかをジョシュアに教えてくれた。
 ここは自分の墓なのだと、彼はハッキリそう言った。
 実際にはこうして起き上がって動いているのだから不思議なものだよな、なんて言いながら笑っていたけれど。その顔からはある種の哀愁を感じた。

――こうして墓までつくられておきながらのうのう目覚めてしまって、我ながらなんとも|屍鬼《グール》の如く生き汚いではないか。|臭《・》|く《・》|て《・》かなわん。アレは私がこのまま|昔《・》|の《・》|よ《・》|う《・》|に《・》なる事を望んでいるようだがな、それでは余りにも――

 魔族における『王の墓所』という話は、ジョシュアもミライアから聞かされていた。男の話が本当なのだとすれば、先程までジョシュアの目の前に居た男は、本当に例の魔王だという事になる。
 お伽話でしかなかった話が急に現実味を帯び、ジョシュアの目の前にでんと姿を現したような感覚だった。

(魔王、魔王か……それなりに覚悟はしていたが、実際に目にすると結構、戸惑うものだな)

 男が直接そう言った訳ではない。相当回りくどい話し方をしていたし、ジョシュアが核心に触れようとするとそれとなく話を逸らされた。けれど、自分が魔王だと吹聴するよりもよっぽどそれらしかった。

 (問題はその、魔王からの頼み事の方なんだよな……というかどうせなら地下道の地図くらい置いていけっ……!)

 魔王とやらに文句すら溢しながら、懐にちゃんとモノが入っている事を何度も確認して、ジョシュアは真っ暗闇を歩いた。
 結界の影響で魔術すら碌に使えず、頼れるのは己の感覚だけ。音の反射やモノの気配なんかを辿りながら、ひたすら前に進んだ。

 それからどれほど歩いただろうか。ジョシュアはようやく、灯りの点された区画へと出る事に成功した。たいまつの光が淡く揺れているだけだったが、闇の迷路の中を散々歩かされ続けた事を考えれば、微かな灯りが灯って気いるだけで、その空間が天国のようにさえ思われた。
 ホッとすると同時、自分以外の者の気配を感じて途端にジョシュアは気を引き締めた。

 限りなく己の気配を薄くして、気休めとばかりに魔術を上掛けした。自分の内側にかける魔術は、余程でない限り気取られなくて使い勝手がいい。そのおかげか、魔術の気配がしないこの特殊な結界の魔術阻害も、ほとんどその効力を発揮していないようだった。

 地下道から細い道が延びていて、その先に穴ぐらのような部屋があった。広さは宿屋のそれと同じか少し広いくらい。一人で過ごすならば十分な大きさだった。

 灯りの点ったその部屋には、寝台と机と椅子が、固まるように並べて置かれていた。他には、引き出しのついた小ぶりのキャビネットがひとつあるだけ。どれも古びた木造のもので、部屋の主が大事に長らく使っているのが見てとれた。
 
 ただ、部屋の広さからすると家具は随分と小さく見えて、宿屋の方がよっぽど家具が揃っているようにさえ思われた。無駄が嫌いなのか生活に頓着しないのか。部屋の主の考えなんてまるでわからなかったが、随分と寂しい部屋である事は確かだった。

 気配を探ってから、ジョシュアは部屋へと足を踏み入れた。寝台の上、毛布に包まれた何かが微かに上下している。音もなく近寄って恐る恐るその顔を確かめて、ジョシュアは思い切り顔を顰めた。

 ヴィネアだった。
 ジョシュアをこの暗い地下へと引き摺り込んだ張本人。ジョシュアの愛する人を殺め、各地で人間狩りを行い、強力な吸血鬼の力をも手にした危険な存在。今ここで寝首をかけるものならそうしてしまいたいくらいだ。

 だが、それだけではこのヴィネアは死なない。その胸に風穴を開けたジョシュアだからこそ、それを実感してしまっている。この魔族を殺すには、急所である心臓の入った箱を探し出すしかないと。
 “ベルエの箱”を使用しているに違いないとミライアは説明した。錬金術師でもあった吸血鬼によって造られた、“秘宝”とも“遺物”ともいわれる特殊な箱。その箱に入れたものの時を止める事ができるといい、急所を収めれば永遠の命が手に入るのだとか。

 せっかくヴィネアの寝所を見つけたのだ。その箱を探すべく、ヴィネアが眠っている今がチャンスなんだろうけれども。
 その箱らしきものはなんと、ヴィネアの胸元に抱かれていた。それを見てジョシュアは、思わず舌打ちを打ちたくなった。せっかく|鍵《・》となる箱を見つけたというのに。これでは寝首をかけないではないか、と。まぁ寝首をかくような卑怯はジョシュアのやり方ではないから、よしといえばよし、なんだろうけれども。

 (随分とだだっ広い部屋だな。……のこのこ来てしまったが、この後はどうしようか)

 その場で部屋を見回してからまず、隠れられる場所を探した。あの箱を奪うためにヴィネアの行動を探るためだ。だが、家具が少ないせいで隠れる場所が驚くほど少ない。とかくここで下手を打って捕まれば何をされるか分からないし、そもそも逃がしてもらった意味がなくなる。男との約束の事だってある。

 はぁ、と大きく息を吐き出してから、ジョシュアはベッドの下へと潜り込んだ。
――まるでストーカー野郎――
 吸血鬼になって初めての夜。ミライアに言われた暴言を思い出す。多少の虚しさを覚えながら、ジョシュアは息を潜めていた。


 それから数刻ほどそうしていただろうか。上で身動きをする気配が感じられた。ごそり、と一度大きく動いたかと思うと、しばらくして動きが止まった。寝起きでぼうっとしているのだろうか。身動き一つせず、ヴィネアはそこで、ただ動きを止めていた。

 それからすぐの事だった。
 突然、上から奇妙な気配を感じてジョシュアの背筋がゾクリと震えた。無論ヴィネアの方からだ。あの魔族とは別の、何かの気配を感じて体の方が先に反応した。
 総毛立つような気持ちの悪さを我慢して、ヴィネアの気配を探れば、どうやらその体に何かが絡みついているらしかった。

 強い想い、あるいは怨念にも似た何かだろうか。それらがたくさん重なり合って絡み合い、異様な気配を放っている。耳を澄ませばそれらがぶつぶつと何かを囁いてでもいるような声さえ聞こえそうで、ジョシュアは咄嗟に耳を塞いだ。
 人間でも魔族でもない見えない何かの声が聞こえそうだなんて。あろうがなかろうが、この怖気を乗り越えるにはこれが一番だとジョシュアは判断したのだ。

 これは一体何だろうか。呪い、とでも言えば良いのだろうか。
 纏わりついていたそれは、しばらくその場に漂い続けた。

 そうして耐えている内、ハッと息を呑むような音が聞こえた。その後ヴィネアの気配は、何事もなかったかのように動きを再開した。先程の不気味な気配はすっかり消え失せていて、まるで勘違いだったかのように元通りに戻っている。
 ソレはゴソゴソと身支度を済ませたかと思うと、裸足の足音を響かせながら部屋から出て行った。

 気配は去った。もう動いても良いはずなのに、先程感じたものの衝撃で動くことができない。あれを思い出しながら、ジョシュアはぐるぐると考えを巡らせた。

 (なんだ今のは……普通じゃない奴だとは思ってたがアレは……)

 今までに感じた事もない気配だった。それが良くないものであることはすぐに分かったが、一体何なのかは検討もつかないし想像したくもない。そもそもが敵であるヴィネアに纏わりついているものであって、ジョシュアが頭を悩ます必要もないもののはずだ、と、すぐに我に返って思考をやめた。
 全部が終わったらヴェロニカにでも聞いてみよう。そんな事を思いながら、ジョシュアはようやく落ち着きを取り戻した。

 そのままベッドの下から、部屋の外の様子をうかがっていたが、誰かが周辺に近付くような気配もない。そろそろいいだろうか、と音を立てずに這い出て、再び部屋を探った。

 長年住んでいたのか、引き出しのあちこちには子供が持っているような玩具が押し込められていた。
 だがそれだけだった。他には何もない。誰かからもらったであろう装飾品一つ、宝石一つ、見当たらなかった。いっそ気味の悪いほどに。

 魔族は傲慢で強欲で、特に夢魔のような魔族は、他者を好き勝手に操って享楽に耽ると聞いた。着飾るのも権力を振りかざすのも好きで、富を蓄える者もいるという。
 それが、ジョシュアの知る夢魔という魔族の情報だった。

 だが、この部屋はそのどれともかけ離れている。地下道――あるいは地下街とも呼べそうなこの地下の施設で、他の魔族を全く見かけなかったのも気になる。もっと深部へ行けば他にもいるのかもしれないが。今のジョシュアには想像する事しかできない。
 静かすぎるせいか、余計な事ばかり考えてしまう。ジョシュアは頭を振って気を取り直すと、再び家探しに精を出した。

 しばらく探して回ったが、先程見た箱はどこにもなかった。きっとヴィネアが持ち歩いているのだろう。もしくはどこか決まった置き場所があるのかもしれない。それを探るにはやはり、ヴィネアの後を追うしかないらしい。やるしかない、とはいえ少しだけ躊躇してしまう。

 何せここにはあの黒ずくめの吸血鬼がいるのだ。イライアスどころか、ミライアですら梃子摺るのだという。そんなのと対峙したら、ジョシュアなぞ瞬殺だろう。
 今は運良くヴィネアの寝所を見つけて滑り込めたからいいものの、フラフラと飛び出して行ったら、彼がジョシュアの気配にいつ気付いてもおかしくはない。

 さて、どうするべきか。
 うんうんと悩んで結局、ジョシュアはこの一画を見て回る事にした。皆と合流するまでに、どうにかして少しでも情報を集めておきたかった。例え捕まったとしても、時間さえ稼げればミライアがいる。この結界の影響もあってできる事は少ないが、どうにかここへと招き入れる事ができれば何とかしてくれるはず。

 ジョシュアのこういう能力を警戒して閉じ込めておきたかったのだろうけれども。運はジョシュアに味方した。
 思いがけない協力を得てこうして、ジョシュアは密かに動くことができている。ヴィネアもまさか、内通者があろうとは夢にも思わないだろう。
 自分の信じている主人、その人がまさか、なんて。

 そこで思考を切り上げたジョシュアは、再び地下道へと意識を戻した。あの魔族《ヴィネア》の残した匂いを辿って、最深部へと足を踏み入れるのである。

 




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