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88.密会

「そこで大人しくしていろ」

 そう言われジョシュアは、地下の何処とも分からぬ小部屋へと放り込まれた。
 申し訳程度に蝋燭の明かりが灯された室内は、地面が剥き出しになった洞穴のような所で、一つしかない入り口の鉄の扉は分厚く重そうな造りをしていた。

 ガシャンと耳障りな金属音と共に扉が閉まってしまえば、狭い室内は怖いほどの静寂に包まれた。外の音もほとんど届かないようで、壁に耳をつけて感覚を引き絞ってようやく聞こえる程度。微かに感じられる足音が遠ざかるのを耳にして、ジョシュアはようやく体から力を抜いた。

 (何だってこんな事に……)

 試しに扉を蹴り開けようとしたがびくともしない。そういう術がかかっているらしい。
 おまけに、身体へと巻き付いた縄には魔術もかかっているらしく、ジョシュアの得意とする身体強化系の魔術は発動させようとしてもうんともすんとも言わなかった。

 大きなため息が口から溢れ落ちる。イライアスを助けに行ったと思えばこのザマだ。イライアスに何事もなくて安心したのも束の間、逆に自分が助けられる方に早変わりだ。
 まんまと罠に嵌まった、とも一瞬思ったがどうやらそういう訳ではないようだが。

――アレらで勝手に潰し合ってくれたら楽なんだけどなァ……手を組まれるのは困る。

 ヴィネアの言葉から察するに、ジョシュア達と彼らの接触は想定外だったのではないだろうか。慌てていたのか、あの場でジョシュアだけを引き摺り込んで他に何もしなかったのにも納得がいく。
 なぜいつもいつもジョシュアばかり、と思わないでもないが。あの中で一番捕らえやすかった、と言われると否定しきれなくて悲しくなる。

(絶対あの人間達のせいだよな……あんだけ暴れてればまぁ、警戒して居場所くらいは特定してるか。そこに偶然、俺達がのこのこ現れた)

 考えれば考えるほど情けなくなって、ジョシュアはゴツゴツとした壁伝いにずるずるしゃがみ込んだ。発案者は気を使ったヴェロニカだとはいえ、ジョシュアは自ら付いて行ったのだ。戦犯を誰、と特定する訳にもいかないだろう。

 身体に巻かれた縄は術者から離れてもなお魔力を宿しており、解ける気配は一向になかった。このままここで助けを待つしかない、そう考えると無気力に拍車がかかりそうだった。
 吸血鬼になってようやく、自分だけで対処できる事柄が増えてきたと思っていたのに。現実というのはそう甘くはなかった。強くなったな、と自惚れればすぐこれだ。

 ただまぁ、魔族の中でも上澄みの連中ばかりがジョシュアの周りに集まってしまっている、とそう考えれば少しは気が楽にはなったが。本当に強い彼ら中ではまだまだ、ジョシュアは弱い側でしかない。それを突き付けられたようで少しばかり寂しかった。彼らと肩を並べられるのは一体、どれほど先の事になるのか。途方もない時間が必要にも思えた。

 静寂というのはどうやら人に余計な事ばかりを考えさせるようで。ジョシュアはそうやって延々と己の半生を振り返りながらその場にぐたりと横になった。
 思考を妨げる者は何もなく、暗闇に呼応するように陰鬱な思考は止めどなく流れ続けた。

 それからどれ程の時間が経ったのか。気が付けばジョシュアは眠りに着いてしまっていたようだった。
 ふっと何かが目の前で動く気配を感じて、ジョシュアの意識がふと覚醒したのだ。今ジョシュアがどこに居てそれまで何をしていたのか、記憶が頭の中を駆け巡る。

 そして思い出した途端にひとつ違和感に気付く。一人きりであるはずの岩牢の中に、自分以外の何者かがいる。その目をカッと見開きながら、ジョシュアはその場で身を固くした。

「――ああすまん、驚かせたか」

 ジョシュアの目覚めに気付いたらしい、侵入者は殊更のんびりとした口調で言った。
 牢屋への侵入者――見慣れない黒髪の男は、ジョシュアのすぐそばで座り込みながら上から見下ろしているようだった。

「ここは地下深くて暗いだろう。一度死んでから蘇る類いの魔族にとっては、母なる大地の胎内に還ったようなもの。こんな状況なのに居眠りしてて危機感ねぇなとか思っていないから安心し給え」

 あの人影の男だとジョシュアは直感した。気配が同じだったのだ。その身体からは底の知れないあらゆる力の気配を感じる。化け物だ、と間近にして改めてそう思った。
 先ほどは一言も喋らなかったから喋れないものだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。ただ随分と変わった感性をしているのか、とぼんやりと起き抜けの頭は男に対してそんな感想を抱いた。
 
「お前、生まれはどこだ? この時代の都市の名前は分からんから、山脈や湖の名で言ってくれ給え」
「……ん?」
「お前の生まれだ。その顔立ちは北の方だろう? 連峰が連なって、冬には絶景が拝めたのではないか?」

 この化け物はどうやら、目覚めたばかりのジョシュアと世間話をしたいらしい。牢の中に二人の気配以外はなく、たった一人でジョシュアに会いにきたようだ。

「……おい、何か言え。我が独り言を言っているようではないか」

 ぶすっと拗ねたような男の顔が見えて、驚くのと同時にその顔をまじまじと凝視してしまう。全体にウェーブがかった黒髪が背中にまで伸び、それとは対照的な金色の目が蝋燭の明かりに照らされて淡く輝いているように見えた。イライアスのように目鼻立ちのくっきりとした男らしい顔付きだが、軟派な彼とは違って少しばかり無骨な印象を受けた。

 つまり美形。今まで見てきた者達ともまた随分系統の違う男で、ジョシュアはついつい観察してしまった。何者かもわからない、しかし友好的のようにも見える男にジョシュアは面食らっていた。

「……我が話しかけると大抵――、いつもいつも――酷い」

 ずっとジョシュアが黙っていたせいだろうか。いつの間にか目の前の男は、口を尖らせながらぶつぶつと独り言を溢し始めていた。

「……なぁ、アンタ」
「! なんだ! 話してくれる気になったのか

 とうとう黙っている事に耐え切れず、ジョシュアが声をかけると、男は待っていましたとばかりに顔を輝かせた。その様に少々たじろぎながら、ジョシュアは上半身を起こして言う。

「アンタ、ヴィネア達の仲間か?」
「……まぁ、お主らから見れば我もそこに含まれているのだろうな」

 困ったように言う男の様子に、ジョシュアは多少の引っ掛かりを覚えた。彼らのような傲慢さもない、浮世離れした男の雰囲気に違和感を感じていた。

「違うのか?」
「仲間と言って良いものか……あ奴らはただ、我の為にと動いているに過ぎん。我の言う事は何でも聞こうとする」
「……ん? それが嫌なのか?」
「嫌かどうかもよう解らん。……長く生きすぎたのだ」
「?」
「さて吸血鬼。お前はあ奴らとは根が違うと見える。未だ随分と人間臭い」
「……」
「お前にしか頼めん事があっての。聞いてくれるか……?」

 そう言って懐から取り出した物を見て男の話を聞いて。ジョシュアは驚愕に目を見開いた――。


 ◇ ◇ ◇


 ジョシュアが地下へと引き摺り込まれてからすぐの事だった。現場となったボロ屋敷の中では怒号が響いていた。

「アンタらのせいだよなぁ……せっかく、地道に地下を探してた所だったのに」

 その声音に静かな怒りを込めながら、イライアスは目の前の男の首に掴みかかっていた。突然地面へと引き倒された金髪の男は、その瞳に微かな恐怖を浮かべながら馬乗りになったイライアスを睥睨している。

 ジョシュアが魔法陣の中へと引きずり込まれたのは、ここに着いてすぐだった。宿の方ではヴィネアらの気配は微塵も感じられなかった事からも、あちらが察知されていた可能性は低い。とすると、この人間達が最初から彼らにマークされていたと考えるのが自然だ。あれだけ派手に暴れ回れば当然と言えば当然。イライアスの敗因は、この人間達の接触とヴィネアらの監視を予期出来なかった事。
 だからこうして、イライアスはやり場のない怒りを八つ当たりのようにぶつけていた。

「俺が何の為に大人しく捕まったと思ってんの……? アレに勘付かれないよう、ここ数週間は二人きりになれる時間すら割いて必死こいて地下に潜ってたってのに……全部台無しだ」

 男は首巻き付いているイライアスの手を外そうと躍起になっているようだが、数百年生きた吸血鬼の力に敵うはずもなかった。ギリギリと閉まっていく首元に顔を真っ赤にしながら、笑みすら湛えているイライアスの顔を見上げるばかりだ。

「ッ赤毛の、止めなさい
「テメェ、やっぱり――ッ
「リヒトを離しなさいッ!」
「ッ……リヒト!」

 イライアスへと武器を向ける気配が三つ、その場の事態に困惑する気配が二つ、イライアスはそれらを感じながら静かに怒りをぶつけていた。

「俺から奪《と》ろうってんならもう容赦したくないんだよねぇ……だからこうやって台無しにされると、腹立たしくてしょうがない」
「テ、メェ……やっぱり他の魔族と――」
「ああ?」
「傲慢で自分勝手で理性のカケラもない、人の形をした怪物だッ!」

 そう憎々し気に声を漏らしたその男に、イライアスは嘲笑を浮かべた。

「……そういう奴らと一緒にしないでくれる? この場でまだ首が繋がってるだけありがたいと思ってよ。殺す方がどれだけ簡単か――お前、知ってる?」
「ッ」
「こんな傲慢な事人間相手に言いたくないんだけど……分からないようだから言っておくわ。――少しでも下手に動いてみろ? この場でその無駄口叩けないようにしてやる」

 そう言って爪を見せてありったけの殺気を振り撒いてやれば、ようやく周囲も大人しくなった。誰もが口を閉じてその場の様子を見守っている。ピリピリとした空気にまるで、戦場の只中に居るかのような錯覚すら覚えた。

 そうして静かになって初めて、イライアスは少し冷静になった。
 やってしまった、と思わないでもなかったが。こんなに腹が立ったのは生まれて初めてだった。だからどうしようもなく暴れたくなった。魔族のように生まれて初めて、我欲を通したくなった。

 これほど上手くいかない状況に苛立ったというか、もう少しで手に入れられそうなのに手に入らない状況が余りにももどかし過ぎたというか。
 必死になって何かを手に入れたいと思うのがそもそも初めてなのだ。ジョシュアが欲しくて欲しくて堪らない。ただ身体が欲しいだけじゃない。その心だって心底欲しいと思う。――だというのに。次から次へと邪魔が入る。最近では苛立ちを隠す方が難しくなりつつあるほどだ。

 最初の頃の方がまだ良かった。二人きりでいられる時間は沢山あったし、その心根が好ましくて側に置きたいと思うに至るだけの接触も計れた。ささやかなイライアスの幸せだった。
 だが、イライアスが想えば想うほど、偶然か天の悪戯か、自然とその距離が離れていった。ジョシュアが他の連中に知られれば知られるほど、誰かが間に割って入ってくる。昔の仲間だとか新しく知り合いになった人間やら吸血鬼やらだとか。ジョシュアの世界が広がって楽しそうにする姿を見て嬉しくなる反面、その姿を見たくないとも思う。
 ああやって柔らかい表情で笑いかけてくれるのは自分だけでいいとすら思う。
 とんだ傲慢だ。

 先ほどは他の魔族とは違うだの何だのと言ったが、いくら理性的であろうと振る舞っても自分だってその魔族とさして変わらないのだ。自分だけのための存在になって欲しい。ずっと側に居てほしい。だからこんな騒ぎまで引き起こしてしまった。癇癪を起こす子供と変わらないではないか。

 そうして、はあああ、と大きく溜め息を吐き出すと。イライアスはその場で苛立たし気に髪をぐしゃりと掻きむしった。
 途端、びっくりと揺れる人間達の気配にますます冷静さが戻ってくる。そうして気持ちの落ち着いたイライアスは、どんよりとした気分で男を解放しながらその場から立ち上がった。

「だ、大丈夫ですの……?」

 恐る恐る、ヴェロニカがイライアスへと声を掛けてくる。その様子を流し目で捉えてから、イライアスはボソリと言った。

「……姐さんに相談しよ」
「……え、ええ、そうですわね……それが一番ですわ……」

 彼女のまるで腫れ物にでも触るかのような態度にますます落ち込む。その場から去ろうと身体を背けてふと立ち止まり、イライアスは再び人間達に顔だけを向けて言った。

「次、余計な事したら俺何するか分かんないから……自衛よろしくねぇ?」

 途端にビクリとした彼らの様子を眺めてから、イライアスは元気なくボロ屋敷を大人しく去って行いった。来た時と同じように自分の足で。とぼとぼと帰って行った。





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