Main | ナノ

84.捕虜(後)

 期待通りの反応を返してきたその男――ニコラスに、イライアスは内心でほくそ笑んだ。

――アンタ、もしかしてニコラス?

 もし目の前にいる人間が予想とは違う人物であっても問題はなかった。適当に情報を聞き出して然るべき時を待つ。やりたい事は同じだ。
 ただ、引き出したい情報が多少変わる程度。だからほとんど思い付きのように声を掛けた。一発で|当《・》|た《・》|り《・》を引けたのは、イライアスにとっては幸運としか言いようがなかった。

「当てずっぽうだったけど正解かな? ニコラス、アンタ|ら《・》の事はヴェロニカから聞いてるよぉ」

 人好きのする笑みを浮かべ、決め付けてそう言えば、ニコラスはゆっくりとイライアスの方へ歩み寄ってきた。非常に感情の読みにくい男ではあったが、イライアスの言葉に戸惑っているのは明らかだった。

 ガチャガチャとなる鎖の音も気にせず体を起こして近寄るニコラスへと顔を向ける。目の前にやって来た彼は剣を背に背負うとしゃがみ込み、イライアスへと視線を合わせた。その目には疑いの色が強く出ているが、先程よりは警戒心が薄れているような印象を受ける。

「なぜ彼女の名を……俺の名も……?」
「なぜって、ヴェロニカが今の俺らの仲間だからだよ、決まってるでしょ」
「仲間……魔族が? ヴェロニカの……?」

 言葉数は少ないが、彼が何を言いたいのかはすぐに分かった。
 敵ではない、というアピールをこれでもかと盛り込みながらイライアスは言葉を続ける。

「そうだよ。君らが以前同じパーティを組んでたのも知っているし、つい最近仲間を|二《・》|人《・》失ったと思ってるのも知ってる。俺は君以外、|全《・》|員《・》と顔を合わせてるよ」
「!」
「ほら、なんだっけ……あのうさん臭い聖騎士とか、もういないけどあの魔道剣士とか」
「……ナザリオと――エレナ」
「うんそう、多分それ。あ、あれだ、チビ剣士もいたっけ。……アレはちょっと違うようだけど」
「……エレナが面倒を見ていたハンターか」
「そうそう、それ。あと|も《・》|う《・》|一《・》|人《・》ともね。俺は顔を合わせてる――」

 イライアスがダメ押しとばかりに言えば、ニコラスは分かりやすく動揺した。イライアスの言うもう一人が誰を指すのかを理解したのだろう。
 その顔に驚きとも哀しみともとれる奇妙な表情を浮かべて、ニコラスは呟くように口を開いた。

「……ジョシュア」

 ニコラスが口にしたその名にイライアスは口元を吊り上げた。

「そ、ジョシュア。……俺が一番知ってるのはそのジョシュアだ。今はゲオルグと名乗ってるけど」
「それは一体、……?」

 イライアスの言葉を疑っている様子などまるで見られなかった。イライアスの話しぶりからその言葉が真実であると判断したのかもしれない。なにせ知らないと話せない事ばかりだ。疑いようもないだろう。

 ニコラスの様子に満足しながら、イライアスはその先を続けた。ついつい吸血鬼特有の魅了が染み出てしまうが、特に気にもしなかった。適当な野郎にかかろうがなんだろうが気にしない。

「君、死んだと思ってるでしょ」
「! ……そうだと、聞いて……」
「きっと君の認識は半分合っていて、もう半分は間違ってる。俺、知ってるんだ」
「それは、どういう……?」

 もうこの時点で、ニコラスの心はきっと完全に傾いてしまっているだろう。見張りだと言われたのもきっと頭から抜け落ちているに違いなかった。

「ジョシュアが今どうしてるか」
「……」
「君意外は皆それを知ってる。だから俺も、ヴェロニカやあの聖騎士達の事を知ってたんだよ」

 楽しそうに微笑みを浮かべて言えば、耐えきれないとばかりにニコラスは聞く。掠れた低い声が狭い家屋の中で響いていた。

「……どうしてる?」
「知りたい?」その目を見つめながら首を傾げる。

「会いたい?」探るようにジッと目を覗き込めば、その瞳が分かりやすく揺れた。

「なら、俺にも色々と教えてよ」

 そう言ったイライアスを少しの間見つめてから。男は顔を背けるようにしながら言った。

「何が知りたい」

 ぶっきらぼうで投げやりな言い方ではあったが、イライアスの要求には応えようというのが伝わってくる。ふと、そういう彼の仕草様がどことなくジョシュアに似ているような気がして、イライアスにはそれがほんの少しだけ鼻に付いた。

「そんじゃさぁ、ジョシュアと旅してた頃の話とかしてよ」
「旅の……?」
「うん」
「なぜ?」
「俺が知りたいから。アンタらとは何年くらい一緒だったの?」

 戸惑うような声を上げるニコラスに構わず、イライアスはその先を促す。

「五年……七年か? そのくらいだ」
「ふぅーん? 最初に会った時ってどんな感じだったの? 兄妹みたいだったんでしょ、あの二人って」

 女の方とは会話した事すらないけど。そう内心で付け足していると、ニコラスは不思議そうに聞いた。

「お前、本当によく知ってるな」
「そりゃね……」

 ずっと一緒にいるしもっと深い関係を望んでさえいる。口には出さず意味深な笑みを浮かべ、イライアスは先を促すように顎をくいと上に持ち上げた。

「出会った時か……お前にとってはどうか知らないが、随分と昔に感じる。俺がアイツらと合流したのは一番後でな。依頼で偶然一緒になって、そのままエレナに誘われた。他の皆もそうだ」
「ふうん……どんな印象だった?」
「印象?」
「そ。メンバーとかさ、今とおんなじような感じだったの?」
「まぁ、そう大して変わらないか。皆若かった。エレナやジョシュアに限って言えば十代だったからな……ただ、二人共大人びた子供だった。ずっと教会にいたと言っていた」
「ふぅん……可愛かった?」
「まあ、そうだな。子供だったからな。エレナは得に無邪気だった。反対にジョシュアは昔から大人しくて。心配なのか、いつもエレナの行く所へは付いて行っていた。エレナもそれを知っているからか、必ずジョシュアを誘っていたな」
「へぇ……」

 その頃からずっと、エレナとジョシュアの間には共に過ごしてきた絆のようなものがあったのだろう。自分とジョシュアの間にあるようなものとはまた少し違ったような。
 あまり面白くはなかった。エレナとジョシュアの仲は、あの|最《・》|期《・》を見るに察している。きっとジョシュアの方がより強くエレナを想っていた。もう二度と会う事はないだろうけれども、きっとだからこそ余計に強くて深い。今も尚忘れていないのかもしれない。

 まだジョシュアとの間にはどこか距離を感じているイライアスにはそれが羨ましいのかもしれない。もっと早く出会っていれば――とは思えど、ああいう出会い方でなかったら自分達は一体どうなってしまっていたのか。想像もつかなかった。
 人間たちにとっては昔の事なのだろうが、イライアスにしてみれば十数年なんてのはほんの僅かな間でしかない。たったの十年や二十年。それなのにその差がこうも大きい。よく分からないもどかしさを感じていた。

 その後も続くニコラスの二人の話に、イライアスはずっと静かに耳を傾けていた。

「――ただ、ジョシュアだけはしばらく、十年程は会っていなかったからな……俺は今を知らない」

 ニコラスはふとそんな事を言うと、イライアスへと視線をやった。その目にはどこか哀愁のようなものを感じて、先程よりもどうしてだかこの男の老いを強く感じた。厳めしい態度で居た時とはまるで違う雰囲気に微かに驚く。

 ジョシュアより一回りは上だという男は、常にその年齢を感じさせない威厳ある態度と体格で他を圧倒すると聞いた。無口であるのもそれに拍車をかけるというが。その化けの皮ががれた姿がきっと目の前にあるこの姿なのだろう。それを思うと、イライアスは奇妙な感覚に襲われた。自分達吸血鬼にはないどこか懐かしいものにさえ思われた。普段はあまり接する事のない類いの人間を相手にしているからかもしれない。

「本当に、生きてるんだな?」

 ニコラスはそうはっきりとイライアスへ問うた。先程は聞かなかったそれを、今度こそ確認するように言う。

「生きてる、とは俺には言えないけど元気だよ」

 今やジョシュアは吸血鬼だ。一度死んで、新しい生を受けた吸血鬼だ。
 イライアスの知る限り同族を作った事のなかったミライアが何故、|彼《ジョシュア》をそうしたのか。イライアスには未だはっきりとした理由が分からない。
 けれどジョシュアはなるべくして吸血鬼になった。それだけはイライアスにも言える事だった。

「そうか……分かった」

 イライアスの言葉にうんと頷き、ニコラスが再び何かを話し出そうとしたその時だった。

「ニコラス大変だ! その魔族を迎えに来たと言う人間が――」

 突然、男が部屋の扉を開けてズカズカ入ってきたかと思うとそんな事を騒ぎ出した。まさかイライアスとニコラスが話をしているだなんて思っていなかったのか、ニコラスが先ほどまで立っていた場所に向かって捲し立てていた。

「ってあれ、いない、ニコラス……?」
「ここだ」

 ニコラスの声にようやく二人に気が付いた男はその場でハッとしたようにくるりと踵を返すと、大股でニコラスとイライアスの側にまで寄った。

「何でニコラス、魔族なんかの目の前に……」
「聞きたいというので、話をしていた」

 そう言うニコラスに男は怪訝な表情をする。目の前で見る男は随分と豪快で分かりやすい性格をしているようで、イライアスには男の感情が手に取るように分かった。

「話……? 一体何の……?」
「俺の昔の話だ」
「昔?」
「そう、前の仲間達の話」
「なんでそんなもの……」

 ニコラスと話している男は、真っ直ぐな黒髪に同じような目の色をしている。整ってはいるが、顔立ちは全体的に薄い印象を受けた。身長もさほど高くなくて、年齢不詳な様子が異国の血を強く感じさせる。
 そういう男とニコラス、二人の会話をただ黙って聞いていた。

「うん。この男、知り合いのハンターの仲間だと言った」
「……本当なのか?」
「ああ。俺の記憶と、この男の話す事が一致している。恐らく、事実だ」
「……玄関口に、そのアンタの昔の仲間だというハンターの女性と、フードを被った男が来てる」

 そう男が言った途端、イライアスの心臓は高鳴った。フードを被った男。そう聞いて思い浮かぶ男は一人しかいなかった。

「名前は?」
「ヴェロニカと」
「うん、間違いな――」
「来てるの? フードを被った……?」

 思わず二人の会話へと割って入る。この興奮を黙って享受することはどうしてもできなかったのだ。確信して自慢したい。|昔《・》|の《・》|男《・》だというニコラスに、違いを見せつけてやりたかった。

「……一体なんなんだお前、魔族なのに……」
「本当に来てくれてる……? ねぇ! フード被った人って名前名乗った?」

 途端に顔を酷く顰めた男にも構わず、イライアスは弾んだ声で聞いた。動くたびにギシギシと鳴る鎖の金属音さえ気にならなかった。

「いや、……女性の方だけだ」
「そう。……どうしよ、めちゃくちゃ嬉しいんだけどニコラス」
「なんで俺に言う」

 ぐるんと勢い良く顔を向けてニコラスに訴える。迷惑そうにしているが、イライアスのドキドキも笑顔も止まらない。

「だってここじゃアンタしか分かってくれないと思うんだもん、俺のこの気持ち」
「……フードの男というのは、」
「ゲオルグだよ、|今《・》|の《・》。それ以外の名前で呼んじゃだめだよ? 絶対に」
「……」

 喜びながらも釘をさす事は忘れない。今、ジョシュアをそう呼んでもいいのはイライアスだけだ。強く目の前の|男《ニコラス》に言ってみせると、彼は少しだけ緊張したような顔をした。
 つまり、その言葉の意味するところは。ニコラスも理解しただろうか。ニヤリとその目を細めながら彼を見て、イライアスは言う。

「俺のだから」

 みるみる引きつってゆくその男の顔に満足して、イライアスはニコラスから顔を離した。
 早く来ないだろうか、そういう気持ちを胸の中に押しとどめながら、イライアスは部屋から出て行く異国の男の背中をジッと眺めた。





list
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -