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82.其処は深海*

「ねぇ、なに話してたの?」

 イライアスは呟くようにしてそう言った。
 真っ暗な部屋の中でも、ジョシュアにはイライアスの姿がよく見えた。床に寝転がっている状態のジョシュアを、逃さないとばかりに上から覆いかぶさってきている。肩を掴まれているその手が熱かった。
 イライアスの瞳は不安で揺れていて、きっと自分がそうさせているのだなと思うとジョシュアは妙な気分になる。申し訳ないような、逆に嬉しいような。今までに感じたことのない感情に自分でも戸惑う程だった。
 その目を見つめ返しながら、何を話すべきかを考えた。

「それは……」

 どこまで話すべきかと言い淀む。ついさっき自分の中で決めたはずだった。早く伝えなければと思うのに、口も頭もうまく動かない。
 人付き合いの苦手なジョシュアという人間の性質が、ここにきて引っ張り出されてしまっているような感覚だった。普段ならばすんなりと口にできる言葉が今日に限ってうまく思い浮かばない。自分が悪いのだと思っているからこそ余計にだった。

「イライアスの事を話していた」
「!」
「ヴェロニカが、心配して声をかけてくれた。それで……」

 そこで言葉を切る。事実をどこまで伝えたらいいのか分からなかった。全部包み隠さず伝えた所で、イライアスがセナへと危害を加えるはずがない事はジョシュアも知っている。
 けれども、どうしてだかそれが躊躇われたのだ。その場で突っぱねられなかった事を責められるのが怖いのか。嫌われるのが怖いのか。頭の中で伝えたい言葉が渋滞していた。

「それで……?」
「それ、で……イライアスに言っておいた方がいいという話になって……」
「俺に……? 何を?」

 ジョシュアはそこで思わず視線を逸らした。罪悪感があるせいか、その目を見つめていることができなかった。

「セナに言われた」
「!」
「俺が……俺と、居たいって。お前じゃなくて、自分を選んでほしいって――」
「は? あのクソちび……!」

 悔しそうなイライアスの表情に、ジョシュアの中でますます罪悪感が募った。

「それで俺が――」
「何かされたの?」

 問われてジョシュアは思わず口ごもった。ヴェロニカの時もそうだったが、まるで心を読まれているような気分だった。うるさい心臓の音が聞こえてしまわないかと不安になる。喉がカラカラだった。

「なんで、そう思うんだ」
「だって、じゃなければこうやって避けるような事しないでしょ?」
「それは……俺が――」
「何された? どこまでされたの?」

 ジョシュアの言葉を遮るようにしてイライアスが聞いた。その声音はいつもとまるで違っていて、ジョシュアは驚いて顔を上げた。するとそこには、今までに見たこともないような表情をしたイライアスの顔があった。怒っているような悲しんでいるような、形容しがたい複雑な表情だった。ただその瞳は燃えるように熱くて、不意に目を合わせてしまったジョシュアはそれっきり、目を逸らすことができなくなっていた。情欲すら孕んだその眼差しに縫い留められる。

 こんな状況であってすら、美しい赤毛の吸血鬼にジョシュアは見惚れていた。男も女も魅了してしまう恐るべき美貌の吸血鬼に畏怖のような感情を抱いている。いっそこのまま喰われてしまいたいとすら思う。そう思わせる何かがあった。震える唇をこじ開けて、ジョシュアは衝動のままにその名前を口にしようとした。

「イライ――」

 だが、その先は音にできなかった。
 唐突にみつくように口付けられて、そのまま激しく口内を舐られた。息つく暇さえ与えられない情熱的な口付けに、まるで喰われているような感覚にさえ陥る。

「んっ! ふ、うぅ――ッ!!」

 まるで獣のようだとすら思える口付けに翻弄される。柔く噛まれて吸われて、その度にジョシュアの腰が震えた。その感覚には覚えがあって、段々とぼんやりしてくる頭でジョシュアは辛うじて思考する。

「ジョシュア……何されてたとしても俺、絶対放すつもりないから」
「う、あ……!!」

 こうやって強引にされても、ジョシュアはイライアスならば仕方がないで済ますことができる。散々慣らされて咥え込まされて、知らなくて良かったことを身体に覚え込まされてもジョシュアはマイナスの感情を少したりとも感じていなかった。
 今だってこうして強引に服を剥かれて身体を暴かれようとしているのに、怒りの感情すら湧かない。いっそこの先を期待している自分がいるのだ。最早間違えようもない。

 これまで、他人に情熱的なまでに好かれる事などなかった。どれもこれも表面上の付き合いばかりで、ジョシュアの心を気にする人間なんていなかった。
 他者との繋がりが尊ばれる田舎街に長らく暮らしていたせいもあったかもしれない。口下手で会話の続かないジョシュアは、いつまで経っても余所者でしかなかった。成人して歳を重ねてもそれは変わらなかった。

 だからなのかもしれない。こうして一人の人間にただひたすら求められるのは、予想していたよりも心地よかったのだ。それを知ってしまった今、初めてを手放す事なんてできやしない。
 自分を手元に留めておきたくて必死になって理性すら飛ばして気持ちをぶつけるその姿に、ただひたすら喜びを感じるのである。

「待、って……、ゆっくり――んうぅッ!!」

 背後から荒い息遣いが聞こえた。ジョシュアの静止の言葉も聞かず、質量をもったイライアスの昂ぶりが奥まで一気に押し込まれた。これまで散々慣らされてきたジョシュアの後孔が傷つく事はなかったが、その衝撃に震えて身体を動かすことができなかった。ひくりひくりと蠢く胎内の動きをどうすることもできない。

「ねぇ、今のでイっちゃった?」

 耳元で囁かれた声にハッとする。最早腕に力も入らず、四つん這いの腰を高くしたような状態で背後からイライアスに腰を持たれているようなザマだった。
 言われてよろよろと視線をそちらへ向ければ、飛び散った自分のものが腹や床を濡らして鈍く光っていた。

「触ってないのに、挿れられただけでイっちゃったんだねぇ……イヤらしい」
「ッ!」

 からかうような口調で言われて羞恥に顔が熱くなる。同時にイライアスのものを締め付けてしまって、息を詰めるような音がジョシュアの耳にも入ってきた。ゆるゆるとじれったいほどゆっくりな動きで腰を動かされて、身体が徐々に緩んでいく。

「俺のを使って女の子みたいに気持ちよくなっちゃう身体で、今更どこ行こうっていうの?」

 背後からぴったりと身体くっつけるようにして抱き込まれ、耳元でそんな事を言われた。低く呟くような声に、背筋が震えて興奮した。恥ずかしいという感情は勿論あるけれども、そういう言葉を囁かれる事で悦んでしまう己がいた。

「ジョシュアって、恥ずかしい事言われると興奮するんでしょ? ……俺知ってるよ。イイ所も好きな触られ方も全部」

 指摘されて益々息が上がった。イライアスに全部知られているのも、こういう自分ではどうしようもない状況も、ジョシュアにとっては快感でしかないのかもしれない。

 それもこれも全部、イライアスが相手であるからジョシュアはこうなっているのであるが。それを当の本人は気が付いているのかどうか。ジョシュアにはそれすら分からなかったが、イライアスから与えられるものが皆快楽に変換されてしまっている今、伝える事も確認する事もできなかった。
 
「ひうっ、……んんッ――あっ!」
「ジョシュア、……ジョッシュ、はぁ……ひとつになっちゃえたらいいのにね」

 何度も何度も揺すられながら、ジョシュアはイライアスの剛直を受け止め続けた。
 途中で首元を噛まれ、入れられながら吸血されたり、後ろから身体を持ち上げられたりもした。けれどそれも一層ジョシュアの興奮を煽る材料にしかならなくて、始終意識を朦朧とさせながら与えられる気持ちの良い事に震えるばかりだった。

 時折目に映るイライアスの顔は切なさそうに歪んでいて、何度か声を掛けようと口を開きかけたが、その度にイライアスの口付けが邪魔をした。きっとジョシュアの言葉を望んでいるはずなのに言わせないという意思すら感じて、そういうイライアスの行動が理解できずに困惑した。働かない頭で何度も問答を繰り返し、悦楽に浸りきってしまいそうな心を叱咤した。
 それでも結局、イライアスから解放される頃には起きていられない程体力を消耗してしまって、ジョシュアは何も伝えられないまま気を失ってしまった。

 次にジョシュアが目覚めた時には、宿の自分の部屋のベッドへと寝かされていた。身体はもちろん綺麗にされていて、吸血の痕だとか噛みつかれた痕なんかもはすっかり消えていた。
 何度もまれたせいですっかり血が足りなくなってしまったのか、起き上がってベッドの上でぼんやりとしていると、同室のアンセルムからは生暖かい視線を浴びせられた。

「昨日は随分とお楽しみだったようで……」

 何の表情も浮かべずジョシュアに向かってそう言い放ったアンセルムをいっそ殴りたい衝動に駆られたが、結局何もしなかった。何かする気になれず、ジョシュアはその日一日中部屋に籠っていた。


 ◇ ◇ ◇


「赤毛はどこへ行った?」
「ん? ちょっと前に部屋を出て行ったけど……」

 いつもの会合の後、ジョシュアがラザールへとそう尋ねると、ここ最近でよく聞くようになった返答が返ってきた。思わず顔を顰めながら返事を返すと、不思議そうな表情でラザールが聞いた。

「最近こういうの多いよな。……もしかしてゲオルグ、避けられてるのか?」
「……かもしれない」
「何かあったのか?」
「まぁ、少しな……」

 言葉を濁しながらそう答えると、ラザールは困ったような笑みを浮かべた。困惑しているのが手に取るように分かった。

「アンタらあんなに仲良さそうだったのにな……事情は知らないけど、相談に乗れるような事なら言ってくれ。元気出せ」

 そう言って片手を上げながら部屋を出て行く姿を見送りながら、ジョシュアは短くため息を吐いた。

 イライアスがジョシュアを避けるようになったのは、ああやって強引に抱いた次の日からだった。元々仕事の担当の違いのせいですれ違い気味だったから、目立つようなものではない。それでも全員が集まるような時、先ほどのように気づいたら姿を消していることが多くなった。それどころか、部屋を訪ねても出会うことができない。

 明らかにイライアス側が避けている。思い当たる節など、ジョシュアがセナに告白された事を告げた事くらいしか思いつかない。そういう彼の面倒さに思わず溜め息が出るようだったが、イライアスの面倒さ加減など今更である。だが今回ばかりは、流石のジョシュアも腹に据えかねていた。

 ジョシュアが何よりも納得がいかなかったのは、あの日、イライアスが何も聞きたくないとでも言うように言葉を妨害してきた所だった。抱きつぶされるまで何度もジョシュアは口を開こうとした。それを聞かなかったばかりか、今だってこうして答えを聞かずに逃げ回っている。
 ジョシュアだって人の事は言えなかったが、流石にこれはいただけなかった。

「なんだあの吸血鬼。ただの|赤鶏《チキン》じゃんか」

 ラザールを見送ったジョシュアに並ぶように立ちながら、セナがそんな事を言った。思わず吹き出しそうになったが、ジョシュアは頑張って耐える。

「そんな野郎放っておいて俺とランデブーすればいいのに」

 妙な言葉選びをするセナに感心しながらも、ジョシュアは嗜めるように言った。

「……そう言わないでくれ。俺もまぁ、悪かったところはある」

 ジョシュアのそういう言葉を聞いて、セナは気に食わないとばかりに顔を顰める。その表情がまるっきり少年のソレのようで、大人びた彼の若さを実感する。

「チッ、ちょっとだけタイミングが良かっただけの野郎がさぁ……」

 ぶつぶつとそう独り言を言いながら、セナは皆の出て行った部屋の扉を睨みつけていた。
 そんなセナへはつい先日、ジョシュアはあの告白の返事を告げたところだった。
 
――ああー……まぁ、そうだろうとは思ったよ。受け入れてくれたらラッキーみたいな感じだったからさ、覚悟はしてたよ。非常に腹立たしいけど。

 はっきりと断りを入れた後で、そうあっけらかんと言い放ったセナに驚いたものだったが。言葉とは裏腹にその瞳は揺れている事に気付いて、やはりそういう彼の心根を好ましく思ったというのはジョシュアだけの秘密である。

「これ以上ヘタレるんならわざと見せつけてやろうかな」
「何する気だ……止してくれ」
「……別に、ただの冗談だよ。本気にしないでくれる?」

 ツン、といつかのようにそっぽを向きながら言ったセナに苦笑する。初めて会った時の事を思い出してついつい懐かしい気分になる。

「んじゃ、俺ももう行くから。あの野郎を追い詰めるんなら協力するよ」

 そんな事を言いながら、セナもまた部屋を出て行った。途端に静まり返った室内に妙な寂しさを感じながら、ジョシュアはしばらく部屋で考えていた。
 イライアスの気持ちは完全には理解できない。けれどもきっと、彼もまたジョシュアと同じなのだろうと推測する。永年生きながら、それでも自分の気持ちを拒否されるのは怖いはずだ。こういった心を通わせる経験がなくて、これが初めてだとしたらきっと尚更。これは皆ジョシュアの想像でしかないけれども、遠からずという気がした。

 広い屋敷でたった一人、親であった吸血鬼の所有物のように暮らした何も知らない吸血鬼の姿を想像する。
 見た目とその魅了の力に惑わされ、寄ってくる人々の心はまるでまやかしのようにすら感じるだろう。大食漢である己の力を持て余し、人の愛を求めながら屋敷の中だけを彷徨い続けている。そういう吸血鬼に本当に求める相手ができたとしたら。

 そこで思考を止めたジョシュアは、今度は自分が厄介な彼を仕留める番だとそう自分に気合いを入れながら部屋の外に出た。自分の部屋へと戻る道すがら、以前よりも一層上達した索敵の力を使いながら|あの獲物《イライアス》の位置を確認する。どうやら建物の中には居ないようで、仕事なのか個人的な用事なのか、彼が夜闇の中外へとくり出した事がうかがえた。

 今度は自分が捕まえてやる、そういう覚悟を決めながらジョシュアは自室へと戻っていった。

 そしてこの後すぐ、例のハンター紛いの人間達がガルディの街へ到着したという知らせと同時に、イライアスが戻らないという知らせがジョシュア達の元へと届けられた。





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