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81.ナイショバナシ
絡繰りの街ガルディに来てから二週間程が経過した。
街全体の構造把握を終え、手掛かりを求めて慎重に動き出そうとしていた、そんな日の事だ。何やら険しい顔をしたヴェロニカが、全員を宿の一室へと集めたのだ。そして開口一番、低く小さな声で皆に向けて告げた。
「――まずい事になりましたわ。例の勇者かぶれがこの街に向かっていると連絡が」
途端、真っ先に渋い顔になったのはミライアだった。戦闘狂としても有名な彼女にしては珍しく、嫌そうな気配を感じる。
「いかんな……このタイミングでとは。……万が一奴らと一線交えようものなら、ここまでの行動が全て水の泡になる」
ミライアの言う通り、ジョシュア達はこの二週間程、ただただこの街全体の情報収集に費やしてきた。ヴィネアの能力を警戒しているせいで、誰が敵で誰が味方かの判断が非常に付きづらくなっている。
それを踏まえた上で、極力気付かれぬ内に奇襲できるだけの準備を整えてしまおうとしたのである。本拠地を探るのは骨が折れるだろうが、幸いにもこちらには古株の吸血鬼が複数揃っている。ヴィネアに対抗するすべを持つハンターもいる。あちらの目的が不明ではあるが、人間側に害なす存在であるのは確定だろう、と全員の意見は一致していた。
「今はまだ道中だそうですが……あと二日もすればこの街に辿り着くとの事ですわ。……どうするのが一番良いのかしらね」
「奴らは人とソレとを見分ける目を持っている。二手に別れるにしても、ハンターと我らとがセットで居れば……どうだろうな……こちらの言う事を信じると思うか?」
「……五分五分かと。貴女が対峙した際のお話を聞く限り、ハンターだろうが耳を貸さない雰囲気は感じますわよね……ああでも、」
ヴェロニカはそこで言葉を切ったかと思うと、ふと名案でも思い付いたかのようにパッと顔を明るくして、ジョシュアへと顔を向けた。
「あちらには大剣士のニコラスが付いておりますわね。あの男も元はエレナと一緒に旅をしておりましたから、わたくしの話は聞くでしょう。上手くいけば説得できるかもしれませんわ。あとゲオルグ、貴方もあの男の顔は覚えていますわよね?」
途端、全員の視線が一斉にジョシュアへと向いた。
「そりゃまぁ、覚えてるが」
「ふふ、それではわたくしが居なくてもイケそうな気がしますわ。貴方の姿を見れば久しぶりだと喜ぶでしょうし」
そんな事を聞かされて、ジョシュアは思わず微妙な顔をしてしまった。
ジョシュアの事情を知らない者達も集まっているからこそ、ヴェロニカは少しばかりぼかして言ってくれたのだろうが。どう反応していいのか分からなかった。
死んだと思っていた人間が突然目の前に現れ、吸血鬼になったと聞かされればそれはもう混乱の極みだろうに。ヴェロニカはそれを分かった上でこの場で言うのである。
手段を選ばない冷酷女と言えばいいのか、それとも同じ釜の飯を食べた仲間同士通じるものでもあるのかどうか。
「……突然俺が現れたら驚かないか?」
「ええまぁ、最初はそうでしょうけれども……あの男なら別に気にしないと思いますわ。結局はわたくしだって納得できたんですもの」
「そうか……」
「ええ。そこはあまり気にしてはいけませんわ。……人生、何が起こるかなんて誰にも分からないのよ」
そういうヴェロニカの言葉を最後に、ジョシュアの話はそこで終わった。一部から強い視線を感じた気がしたが、そのまま放置する事にした。後で事情を話すようにと詰め寄られる気もするが、別に隠すようなものでもない。その時は包み隠さず話すまでだ。
「ならば班編成を――」
「日中は出歩かず――」
いつものミライアとヴェロニカを中心とした話し合いを耳にしながら、時折イライアスとセナに意識を向ける。セナとの一件があってから、二人とは――特にイライアスと共に過ごす時間が取れていないのだ。いっそ、ジョシュアの方が避けてしまっている。
(イライアスがいない間にあんな……拒めもしなかった)
そう考えてしまうと、イライアスに顔向けできないという気持ちが大きかったのだ。二人に対する気持ちの整理もつけられてない。
今はどちらとも一緒になる気にはなれず、ジョシュアはアンセルムを口実にして逃げるように彼らとは距離を取るようにしていた。突然のジョシュアの変化に、もしかするとそれを怪訝に思われているのかもしれないが。今はとにかく放っておいて欲しかった。
そういうジョシュアの気を知ってか知らずか。その日の会合の終わりに、ジョシュアはヴェロニカに呼び出された。
「ちょっとジョシュア、貴方今度は一体何をやらかしたのかしら?」
二人きりになったヴェロニカの部屋で、にやりと笑みを浮かべた彼女がジョシュアに向かって聞いた。
やはりお見通しか、なんて眉間に皺を寄せながらもジョシュアが言い淀んでいると、彼女は説明してみせた。
「最近赤毛の方の機嫌がもの凄く悪いのですわ。聞いても特に答えてはくれないのですけれど、こっそり貴方の名前を出すともう、明らかに反応して……わたくし楽しくて楽しくて、居ても立っても居られずに貴方を呼び出したのですわ。」
それを聞いて嫌そうに顔を顰めたジョシュアにも、ヴェロニカは笑みを崩さなかった。
「色恋沙汰は時にとんでもない事態を引き起こすのですわ。貴方、聞きました? アンセルムが死んだ理由。恋人の元恋人に刺されたのですって。彼はそういう経験がありますから、貴方よりもよくよく理解されていましたわ」
まるでジョシュアへ言い聞かせるようにヴェロニカは言った。そして更に彼女は言葉を続ける。
「逃げるのは構わないと思いますわ。それが必要な事もありますもの。けれどちゃんと、決着は付けなくてはね。……原因はセナ、かしら?」
まるで何があったのか分かっているかのように言ったヴェロニカに、ジョシュアは思わず目を見開いた。
目の前の美貌の魔女は、先程と変わらずその顔に笑みを浮かべている。昔はもう少しだけジョシュアに対する当たりが強かったような気がしたが、今の彼女にはそんな名残りは少しも見られない。
「……ヴェロニカは何か聞いたのか?」
不思議に思ってそう聞いたが、彼女は首を横に振った。
「何もですわ。けれど突然、二人とさりげなく距離を取り出した貴方を見れば一目瞭然ですわ。貴方が分かり易過ぎるのよ」
「ぐ」
「でも安心なさい、貴方との付き合いが長いわたくしにしか気付けない程度の些細なものでしたわ。きっと、余程見ていない限り気付かないでしょうね」
その言葉に少しだけホッとする。あからさまなものではきっと皆に心配をかけるからと、地道にチャンスを潰してきた甲斐があった。
だがそう思うのと同時に当然、彼らに対する罪悪感が湧く。避けられている、と当然彼らは思うだろうし、それにショックだって受けているのかもしれない。
そう思うとますます、こんな甲斐性無しの自分とどうして一緒に居たいと思うのか、いやそんなのはきっと彼らの勘違いだ、なんて思ってしまってジョシュアは不安になるのである。
疑いたくはないのに疑ってしまう。
そして彼らを振り回している自分が一層嫌になるのである。
そうやって負のループに陥ってしまって抜け出せない。ジョシュアは丁度そんな状態だった。
誰かに話して解決できるものであるならそうしたい。楽になりたい。背中を押して貰いたい。ジョシュアは藁にもすがるような思いだった。
「……二人共、俺と居たいだなんて言う」
「ええ。それで、貴方はどう思うのかしら?」
「どうすればいいか分からない。真剣だった」
「どちらと一緒に居たいか、ジョシュア自身が選べないのかしら?」
「そうかもしれない」
「……煮え切らないわね。わたくし、貴方は当然赤毛の方《かた》を選ぶと思っていたのだけれど……そうではないのかしら?」
「……」
そう問われて、ジョシュアは答えられなかった。赤毛のイライアスとの付き合いも長くなってきて、ジョシュアにあれこれと教えたのも全部イライアスだった。イライアスからもずっと共に居たいと言われて当然、ジョシュアもそのつもりだった。
けれど突然、セナからも似たような事を言われて、咄嗟にジョシュアは断り切れなかった。その時ジョシュアは気付いてしまったのだ。今までのは全部ジョシュアが選んできた事でもなんでもなくて、自分では何ひとつ決めていないと。ただ流されるままにここまで来てしまっているだけなのだと。
もちろん、ジョシュアだって長らく住んだ街を出たり、ミライアに着いて回る生活を選んだりはしたがそれだけだった。大事な場面で選べない、それが答えのような気がしていた。
「ここぞという時に選べない自分に嫌気がさして……そう思ったらますます選ぶのが申し訳なく思うようになって……」
ぽつりぽつりと言うジョシュアの話を、ヴェロニカはただ黙って聞いている。昔はこうやって相談する事すら憚られたのだから、口にするようになっただけ進歩ではあるが。ジョシュアのマイナス思考は相変わらずだった。
「なるほど。貴方は昔から遠慮しがちだったものね……でも! そうやって選ばないのも二人にとっては失礼なのではないかしら?」
「!」
「よく考えてもみなさい、貴方と赤毛の方との仲をセナだって見てきているはずでしょう? ならきっと、ダメ元でただ言ってみたというだけの話ではなくて?」
「……」
「貴方、セナと本気で戦った事があるのでしょう? でしたら……彼がどれだけ嫌な男かは貴方も身をもって知っているはずだわ。今の貴方の前ではどれだけかわい子ぶっていても、本当は手段を選ばない鬼畜野郎だと」
ヴェロニカがそう言った瞬間、ジョシュアは耐え切れずに噴き出してしまった。大声で笑うような事はしなかったが、あんまりな言われように口元が緩んで仕方なかった。
「随分とセナを悪く言うんだな、ヴェロニカは……」
「当たり前ですわ! どれだけあの子に手間をかけさせられたと思っていますの? 貴方は知らないかもしれませんけれど、あの子は本当にとんでもないのよ」
そう口では言いながらも、その表情はまるで優しい。子供へ向けるようなものだと、ジョシュアは何となくそう思った。
「ですから、どんな風に告げられたとしても、貴方が直感で側に居たいと思う方でいいと思いますわ。どうせセナなんて、振られたとしてもしつこくちょっかいかけてくるでしょうし。深く考え過ぎる必要なんてどこにもありませんわ」
「考えすぎ……」
「ええそうですわ。今までの貴方を見ていて、きっと今回もそうだろうなとは思っていましたの。貴方の決定を、誰も責めやしませんわ」
そんなヴェロニカの言葉に、ジョシュアの肩の力が一気に抜けたような気がした。彼女の言葉は更に続いた。
「ただ、逃げるのもほどほどになさいね。例えば……無理矢理唇を奪われて赤毛の方に合わせる顔がないとか、そんなようなものですわ」
図星を突かれて思わずジョシュアの目が泳ぐ。けれどヴェロニカは何も指摘せず、ただにんまりと笑いながら言うのである。
「後で知られて、あの方にお仕置きされてもわたくしは知りませんわよ……」
まるで今までのイライアスの行動を全て見てきているかのような物言いだ。
そういうヴェロニカの鋭さを恐ろしく感じながら、ジョシュアは苦笑しつつ彼女の言葉に分かった、と深く頷く。
「ではまた。この戦いの為にも健闘を祈りますわ」
そう言って送り出されながら、ジョシュアはヴェロニカの部屋を後にした。
ここに来る前よりも心は軽い。話を聞いてもらったおかげか、それとも鋭い彼女の的確なアドバイスをもらえたからか。
兎にも角にもジョシュアの心は決まった。
さて、いつ彼の部屋を訪れようか、この後すぐに行って説明しようか、なんて、ジョシュアが廊下を音もなく静かに移動していると。
不意に通りかかった部屋の扉が開いた。ぶつかる、とジョシュアが横に避けようとしたが、それよりも素早く出てきた手に腕を掴まれる。そしてそのまま、ジョシュアは部屋の中へと引きずり込まれてしまった。
部屋の扉がバタンと音を立てて閉まる。床に引き倒されてのしかかられる。
慌てて抵抗しようとするも、ハッとしてすぐに止めた。吸血鬼であるジョシュアよりも早く動ける者なんて限られている。それに、引きずり込んだ者の気配にジョシュアは覚えがあったのだ。
「ジョシュア……一体なに、話してたの? 俺の事避けてまで――」
そう言いながらジョシュアに馬乗りになる男は、先程までジョシュアが考えていたまさにその彼だった。
ジョシュアに吸血鬼としての生き方をミライア以上に叩き込んだ男。ジョシュアの生き方も考え方も、ガラリと変える一因となった男。
「イライアス」
彼はとても拗ねたような、哀しそうな顔をしながらジッとジョシュアの顔を見つめていた。
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