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76.乗り越えるべきもの

「ベルエの箱、お前もその名くらい聞いたことがあるだろう」

 ミライアがアンセルム達にその話を聞かせている。ジョシュア達にも聞かせた問題の遺物の話だ。
 アンセルムとラザールは、ヴェロニカのように元々はただの協力者という位置付けだった。吸血鬼達の中でも事実を知る者の少ないベルエの箱、その話を伝えるつもりなどなかったのだ。
 だがそれが、アンセルムの能力発覚と共に変わってしまった。ミライアが唐突にその話をし出したのはつまり、そういう事なのである。

 アンセルムとラザール、そしてついでにヴェロニカもまとめて、これで晴れて正式なミライアの仲間なのである。信用できる者としてそう、彼女は判断した。

「ああ、あの例の。入れたものの時を止める箱、とか僕は聞いたよ。眉唾物だとか何とかって」
「そうだ。……あれは噂ではない、全て事実だ」
「事実って……」

 驚きで表情を強張らせるアンセルム達を見ながら、ジョシュアもヴィネア達と一線を交えた時の事を思い出していた。あの時はジョシュアも無我夢中だったのだ。
 初めてヒト《魔族》を手にかけた。結局死ぬことはなかったけれど。いつかは必ず仇を討つ。そんなジョシュアの気持ちをきっと、アンセルム達は知らないだろう。

「管理者が殺され持ち出された。それをやらかしたのが恐らくあの魔族らだ。吸血鬼も関わっている」
「……」
「箱の中にあれば時間が止まる、……つまり、不老不死を実現させる事もできなくはないのだ」
「……ん?」
「分からんか? 急所となる心臓を入れれば良い。箱は決して壊す事が出来んからな」
「……は? ……それが本当ならどうやって止め……」
「それをどうにかするのが我らの役目だ」
「どうにかって――」

 呆然とミライアの話を聞く二人を眺めながら、そのどうにかを考える。もし本当にそうであるなら、箱と鍵の在り処を探さなければならない。
 安全を期すならばきっと、箱や鍵は手元に置いておくはず。肌身離さずにずっと、誰の手にも触れない処へ。

「だからこそお前の協力を必要としている。あれらの膝元にこちらから出向けばボロを出すかもしれん。魔王だと名乗る存在の事も気になる」
「……そう」
「そこの下僕が聞いた話では、あれらは配下を集めていたようだ。ただで済むようには思えん。何かしらの企みはあるのだろう」

 ミライアがそう言葉を切って三人の反応を窺う。眉唾物、そう称されるようなそんな代物について突然聞かされてどう思うのか。ジョシュアも固唾を呑んでその様子を見守った。

「その箱が本物であの魔族らが使用しているとなぜ分かったのです?」

 ヴェロニカが真っ先に問うた。人間である彼女たちにとって、そんな箱の存在は耳にした事もない。疑うのも無理はない。実際ジョシュアですら、目にするまでは信じなかっただろう。だからミライアはジョシュアにも話さなかった。そういう彼女の思惑が、今のジョシュアには理解できた。

「あの魔族《ヴィネア》は心臓を貫かれても死ななかった――そうだったのだろう? 下僕」
「「「」」」

 ミライアがジョシュアを呼んだ瞬間、ハッと息を呑む声が三方から聞こえてくる。
 無理もない。そんな事を一番できそうにないジョシュアが、まさしくその目撃者であるのだから。

「ああ。……それは確かだ。アイツは……、アイツの胸を突き破っても動いていた。普通じゃあない」

 あの時、とどめを刺したと思った。それがまさか、再び動き出すだなんて。頭の中が真っ白になるような、絶望感にも似た焦りを覚えた。あの状況で仕損じるだなんて、忘れられるはずがなかった。
 視線を自分の右腕へと落とすと、その手のひらをジッと眺めた。

「……咄嗟に心臓を外したのではなくて?」

 硬い声でヴェロニカがそう聞いた。
 唐突に、ヴェロニカにもこの話はしていなかった事を思い出す。彼女は未だ人間だった頃のジョシュアしか知らない。だからきっと、この話も一番信じられないのかもしれない。
 ジョシュアは確かに、エレナの仇を討とうとしたのだと。

「貫いたのは剣やナイフじゃない。……腕ごと突っ込んで胸部をぶち抜いた。外す訳がない」
「ッ」
「あるべき場所に心臓がなかった。そう考えれば辻褄が合う」

 ジョシュアがそう言った瞬間、まるで時が止まってしまったかのような錯覚を覚えた。誰も身動きすらしない。それからしばらくの間、誰一人として口を開かなかった。

「――そういう訳だ。どれ程厄介かはお前達にも理解できたろう」

 ミライアがそう言った事で皆の金縛りが解けたのか。強張った表情はそのままに、全員が彼女を仰ぎ見た。

「このまま野放しにはできん。何かが起こる前に早急にカタを付けたい。でなければ、この街のような事がより大規模に各地で起こっても不思議ではない。今秘密裏に食糧を集めているのだとしたら……次は何がくると思う?」

 まるで兵糧でも集めているかのよう。そう思ったのはきっと、ジョシュアだけではないはず。このまま放置していてはいずれ、もっと酷い事になる。そう思うのは当然の流れだった。

 そこからは誰も軽口を叩かなかった。アンセルムがヴィネアの居場所に見当をつけ、幾つか都市の候補を上げた。その中から拠点として相応しい条件を導き出し、その場で向かうべき次の街を決めた。

「――ならば次はここだ。絡繰り《からくり》の街ガレディ」

 そんなミライアの言葉を最後に、ここ最近でも特に重要な集会は終わりを告げた。そしてその日から再び、ジョシュアには試練が訪れる事になる。

「ラザールと一緒なのが僕ってのは逆に不安だから、同室ペアの変更をお願いしたいかな」

 そう提案したアンセルムの言葉は、確かにジョシュアにも理解できるようなものだった。

「僕って隠れるのは上手いけれど戦うのはからきしでね。そういう経験もほとんどないんだ。頭脳派でね。心配だから、ひとペアに一人ずつ戦闘狂がほしいよ」
「アンセルム! 言い方!」

 ラザールに速攻で叱られるが、アンセルムは全く悪びれる様子もない。彼のマイペースすぎる性格が羨ましくもあるが。ジョシュアは地味に傷付いていた。

「俺はそっち《戦闘狂》の括りなのか……」
「ん? 自覚がないのかい? あの方の首を締めたって話は僕も聞いてたよ。まさか、素手でハート《心臓》もぶち抜いていたとは……良い歳して酷い無自覚だよ」
「アンセルム

 そうして、ジョシュアはアンセルムとペアを組む事となる。またしてもしばらくは、イライアスとのあれこれはお預けである。自覚してこれからという時にコレとは。アンセルムの厳しい指摘も素直に受け止めなければならないようだ。
 ジョシュアはアンセルムの言葉にグサグサと突き刺されながら、大人しく決定に従うのだった。

 イライアスは最後までミライアに対してゴネていたようだが、彼女に一度ガツンと叱られるとそれっきり何も言わなくなった。表情は不満たらたらでジョシュアにも絡んできたが、状況的に仕方がないと諭せば彼もようやく大人しくなった。
 大きな子供のようで手がかかるが、こんな風にゴネるのが、本当に信頼する者の前でのみだと気付いてしまってからは、これもそう悪くないと思えてしまうジョシュアだった。


「――君は随分とあの方のお気に入りのようだ。僕はそんな話をしてもらった事がないよ。それに、血も分けてもらって身体もぶち抜いたんだろう?」
「……」
「どうだった? 僕も色々分けて貰ったけれどあの方は――」

 大きな子供はもう一人居た。
 同室となったアンセルムのおしゃべりは、就寝のため部屋に入った途端に止まらなくなった。ほとんど口を挟まないジョシュアの相槌がいけなかったのか。その言葉はどんどん怪しい方向へと向かって行った。

「あの身体は暴いたのかい? 君、押せばきっとイケてしまうタチだろう?」

 段々と口調が強まってきている。部屋のソファへ腰掛けていたジョシュアに、アンセルムが詰め寄っていた。同じソファに片脚を乗り上げ、背もたれに手をついて上から見下ろしている。

 その目をジョシュアが見上げると、彼のものとは違う別の魔力の気配を感じた。それが意図的なものなのか、それとも後遺症によるものなのかはジョシュアには分からない。けれど、今のアンセルムが正気でない事はジョシュアにも分かった。

 ああきっと、ラザールの前ではこれを必死に我慢していたのだろう。そう思うと放置しようとは思えなかった。同じくあの魔族《ヴィネア》の術に掛かった事のある者同士、抗いきれない誘惑に呑まれる苦しさを知っているから。

「アイツは俺に魅了を掛け損ねた。堕ちる寸前まではいったかもしれなかったが、時間が俺に味方をした」
「!」
「ほんの一年前までは人間だったんだ……ハンター、だった。欲を抑える術は多分普通より心得ている。そのおかげもあるんだろう。幻術で誤魔化すように俺を操っただけだった」
「……一体、どうやってあれを退けたんだい? あんな幸福感に……」

 ヴィネアの魅了にかかると、その身を委ねるだけで幾重もの幸福感を覚えるようになる。それを重ねる内に、そこから抜け出せなくなってしまうのである。新たな幸福感を得たくて、更に求めるようになる。ヴィネアの魅了は、そういう麻薬のようなものだった。

 ジョシュアはそこまで陥る事はなかったが、それが抗い難いという気持ちは十分に理解できた。彼でさえ。あの時、幸福な新たな人生を手に入れたばかりのジョシュアでさえ、その手に堕ちそうになったのだから。
 満たされた幸福感を得る事のなかったヒトならばどうなるか。想像に難くなかった。

「あれ以上に幸せだと思える事を思い浮かべるんだ。乗り越えたらきっと、自分の求める最高の瞬間が待っていると。アイツには決して叶えられないと思うもの」
「そんな、もの……僕には何も」

 アンセルムの顔は苦しそうだった。ジョシュアの出会った吸血鬼は皆同じような目をしている。戦いながら孤独に苛まれているような目。そこでふと、ジョシュアはイライアスの事を思い出した。同じだったのだ。
 人間が好きなのにハッキリとは皆に知覚されず、そんな人間達を影から支えながら居ない者のように扱われる。そういう姿が、以前の自分とも重なったような気がした。

「ラザールと共に過ごす事を考えたらどうだ? あそこまで言ってくれる人間、他に居たか?」
「ラザール……」
「そうだ。自分の身を危険に晒してまで付いてきてくれる人間なんてそう居ないぞ。ラザールと共に居れるんなら、アンタもあんな奴必要ないだろ」
「幸福……」
「そうだ。現実の方がより幸せに決まってる。アンタに掛かったそれは随分と根深そうだが……今はもう繋がりは切れてるんだろう? 放り出されたんならその内完全に断ち切れるはずだ。少しなら俺も手伝う」
「……」

 しばらく、アンセルムは黙り込んだ。内心で葛藤しているのだろう。その目が揺れているのがジョシュアにも分かる。
 大切な人を傷付けたくない。その想いがあればきっと、アンセルムも克服できるに違いない。いくら時間がかかってもいい。何者にも邪魔されず、本来の自分の姿で大切な人の側で過ごす。そういう二人の未来を、ジョシュアも見てみたかった。





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