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73.近付かないで
アンセルムと出会う事になった一件から、更に数日が経過していた。
ジョシュア達はあれから更に数日の間をアンセルムの屋敷で過ごした。元々、この芸術の都オウドジェへの滞在は長期間を予定していたものだった。ミライアの把握していない吸血鬼を探すとあって、長期戦を覚悟していたのだ。
だが、それが思わぬ展開であっという間に片付いてしまった。加えて、その他諸々の事情により、中央ハンターギルド幹部達との面会調整が難航していたのである。
この街に留まる事にしたのは、王都レンツォへ滞在するリスクが大きくなった為だ。あの、例のハンター紛いの勇者たちがレンツォへと到着したとの情報が、ミライア達の元へも届いていたを
「――デメトリオは居住区を指定するだの言っていたが。あの連中が大人しく聞くとは思えん。しばらくはここに留まりたい」
言いながらミライアがアンセルムの方を向けば、彼は心得たように頷きを返した。
屋敷の客間に皆が集い、用意された茶を嗜みながら真剣な面持ちでその顔を突き合わせていた。アンセルムとラザール、ミライアとヴェロニカ、そして、ジョシュアとイライアスがセットになるような形だった。
「その話ならば僕も耳にしたよ。彼らには厄介な《目》があると。……僕も、そんな連中と同じ街で過ごしたくはないから、この街に留まるのは賛成だよ。ここをこのまま好きに使ってくれて大いに構わないし」
「ああ、助かる」
「うん。必要ならば街を案内しよう。僕は多分、誰よりもこの街の事を知ってるから、何でも聞いてくれて構わない」
「後ほどお願いする」
「分かった。必要そうなのを考えておくね。問題があるとすれば……君らの口にするものだけれど」
そう言って言葉を切ったアンセルムは、すぐ近くにいたラザールに視線を一度チラリとやったかと思うと、再びミライアへと戻した。
「この街の人々を傷付けないと約束してくれるのなら、僕も下手に口出しはしない。まぁ……君らなら大丈夫なんだろうとは思うけれど。心配する気持ちは分かって欲しいかな」
「ああ、それも当然承知してる。妙な事はしないと約束しよう」
「うん」
そう言ってしばらく、今後の予定について認識を一致させた後で。その場はあっさりと解散になった。
座っていたソファから立ち上がり、そのまま自室へ真っ直ぐに戻ろうとしていた所で。ジョシュアはヴェロニカに声をかけられた。
「ジョシュア、少しよろしいかしら?」
立ち止まって振り返ると、随分と穏やかな雰囲気の彼女が目に入った。外では顔が隠れてしまうほど大きなヴィザードハットを被りっぱなしの彼女が、今ここでは堂々とその素顔を晒している。
それに何とも言えない優越感のようなものを覚えながら、ジョシュアは彼女の言葉に頷きを返した。
「街を少し見て歩きたいのですわ。貴方暇でしょう? わたくしと一緒に回りません?」
「俺とか?」
「ええ。マヌエラ(ミライア)様はお忙しそうですもの、この中で誘うならジョ――ゲ、オルグですわ」
「……まぁ、そうか」
「ええ。……わたくし別に、そこの付属品が付いてきても構いませんわよ」
どうやら観光へのお誘いだったようだが。ヴェロニカがそう言った途端、イライアスの気配が少しばかり不穏な色を放ち始めたのがジョシュアにも分かった。引き攣りそうになる顔を何とか堪えながら、誤魔化すように返事を返す。
「俺は別に構わな――」
「ねえそれ、もしかして俺の事言ってる?」
だが、イライアスは我慢ならなかったようだ。静かに低い声で言ったかと思うと、不満げな表情でヴェロニカを見た。
そして、それを軽々受け止めながら、ヴェロニカは相変わらずの口調で言うのだ。
「あら……だってわたくし、貴方のお名前すら知らないのですわ。どう呼んでも構わないのではなくて?(※貴方の名前を教えてくれませんか)」
氷の女王とは、きっと彼女のような人を言うのだろう。現実逃避気味にそんな事を考えながら、ジョシュアはただ黙って聞く事しかできなかった。先日ヴェロニカに捲し立てられた一件は記憶に新しく、口下手な自分に飛び火するのだけは避けておきたかった。
「……言うね君。言わなかった俺もまぁ悪いとは思うけど……もう少し聞き方ってもんがあるじゃん?」
「あら、伝わったのかしら。貴方もわたくしの同類だなんて。いやですわ(※通じる仲間がいて嬉しいです)」
「……イーライ、これでいいでしょ」
「イーライ、ですわね。これからはそう呼ばせていただきますの。ようやく楽になりましたわ(※貴方の名前を呼べて嬉しいです。素敵なお名前ですね)」
「……」
何やら副音声が聞こえるような気もしたが、ヴェロニカの本心などジョシュアには分からない。随分と彼女らしくない態度に少しばかり妙な気分を覚えながらもしかし、ジョシュアは二人の様子を見守る事にした。その内時がどうにかしてくれるはず。そういう願いは捨てなかった。
「――それで、ゲオルグ? いつごろがよろしいかしら?」
先程までの喧嘩腰は何だったのか、ヴェロニカが何でもなかったかのようにジョシュアへと聞いた。余程楽しみにしているのか、少しばかりその声は弾んでいる。
「わたくしは日が低くなってからでもかまいませんわ。何なら夜の街でも。灯りに照らされたこの街も素敵だと聞きましたの」
「ああ、時間か……そうだな。確かに、夕方からだと有難くはある」
「ええもちろん。わたくしからお願いしているのですし、その位は合わせますわ。そこのイーライがどうしてもというならそれでも」
「……あ、ああ。ヴェロニカ、今日はやけに赤毛に当たるな」
ジョシュアがそう聞いた途端にだった。ヴェロニカはその場で慌て出した。
「っべ、別に当たっている訳ではありませんのよ! ただわたくしが、そういうのに慣れていないだけで……その、そう聞こえたのでしたら、ごめん、なさい」
ツンデレだろうか。思いもよらぬヴェロニカの姿に多少動揺しながら、ジョシュアは確認するように聞いた。
「どう聞いても喧嘩腰だったんだが……」
「いえ、だって……今更どう話しかけていいのか分からないじゃない」
「……いつもの感じでいけばいいんじゃないのか」
「いつも大体あんな感じですわよ……。だってそれに、ジョシュアのパートナーだもの……どうも緊張してしまって……」
「……」
「……」
驚くべき事だった。ヴェロニカの今までのアレは、ただの照れ隠しのようなものだったらしい。
確かに、彼女のその不幸な生い立ちからも、今のように落ち着いた身分を得るまでの苦労は相当なものだったと想像できる。だが、それが原因であのような態度しか取れないのであれば。さぞ友人も作りにくかろう。
「そう、か……少しだけ、柔らかい言葉にしてみればいいと思うぞ」
「ええ……そう、そうよね。今まで男性に優しくすると勘違いされる事が多かったから……ああいうのが板についてしまったみたいだわ」
「ああ、それで……」
「ええ。……貴方達と居る時は、その必要もないのよね。……少し、気を付けてみるわ」
見目が良いというのも考え物なのかもしれない。ヴェロニカのあのような言い方が皆、その身を守る為のものなのだとすれば。あれ程有効なものはなかったろうとしみじみ思う。
実際、俯き加減に頬を染める彼女の様子は、どう見ても美少女にしか見えない。彼女をよく知らない人が見れば確かに、誘われているだ何だと勘違いしてもおかしくはない。
その魔力の大きさのせいもあるのだろう、ジョシュアよりも歳上だとは到底見えないのだから。
「練習するから……ある程度は許してくださる?」
そう随分としおらしく言ったヴェロニカに、ジョシュアとイライアスはその場で目を見合わせた。
「ああ、気にするな」
「……それ位なら、別に」
「ええ……ありがとう、ございます」
嬉しそうに上目遣いに言ったヴェロニカに二人は、何とも言えない表情を返すのだった。
「女って怖いね……」
ボソリと呟いたイライアスの言葉が、妙にジョシュアの頭に残った。
それからしばらくは部屋で過ごし、約束の刻限近くに玄関ホールへと集合した。その足取りは自然と軽いものになった。
誘われた方ではあるが、ジョシュアも気付かぬ内に楽しみにしているようだった。
元々こういった観光を好むタイプではないのもあり、自分達だけでは街を観て回るだなんて考えた事もなかった。もちろん、これまでのジョシュアの境遇を考えるとそのような暇もなかったとさえ言えるが。
なんだかんだと街を見て回りたい気持ちはあったらしかった。おすすめの場所をアンセルムに聞く程には。
「お時間ありがとう。観光だなんて久しぶりだわ」
「そんなに忙しいのか?」
「ええ、少し。けれど行けない訳ではないのよ。……ただ、時間があっても一人ではつまらないでしょう? 皆で巡る方が絶対、楽しいですもの」
余程嬉しかったのか、ジョシュアとイライアスと合流してからのヴェロニカは、始終笑顔だった。昼間にジョシュアに指摘されたのが効いたのか、イライアスに対する態度も随分と軟化しているようだった。
「イーライはずっとお一人で? あなた方は単独を好むと聞きましたわ」
「ああうん、そうだよ。俺らはあんまり連まないし……そもそも俺は同族が苦手。すぐ殺――戦いになるしさ」
「その辺りは聞いた通りですけれど……色々な方がいらっしゃるのね。ゲオルグもきっと、どちらかと言えばあなたのようなタイプかしら」
「まあ、そう、なのかな? 戦闘狂の姐さんに付いてってる時点でそれもちょっと違う気もするけど」
「おい、待て……言っておくが、それはまだ俺がなり立てだからってだけだからな。彼女と一緒にされては困る」
「……いやぁ、姐さんに同類だと見込まれてここまで来ておいて、その言い方はないと思うよ? そろそろ自覚しな?」
「……」
「ええ……まぁ、そうですわね。先日の一件を見る限り、ゲオルグは確かにその素質はありますわよ。出会い頭にあの魔族へ突っかかって行って、わたくしびっくりしましたもの」
「へ? 何それ、俺はそれ初耳」
「あら、言っていなかったの?」
「……」
そうやって三人で楽しげに、街を見て回った。
ヴェロニカとイライアスも、これまでのギスギスとしたやり取りが嘘のように打ち解け、ジョシュアの事を話しては楽しそうにしている。時折、ヴェロニカがイライアスに耳打ちするような所も見られ、ジョシュアは何とも言えない気分を味わっていた。
それは十中八九、ジョシュアの過去のことを話しているのだろうけれども。
それが何故だか、段々と気に障るようになっていった。
「そんな事が……?」
「ええ、そうですわよ。それにね、あの時は――」
この二人が仲良くなってくれるのは純粋に嬉しく思う。ただ、その距離が近付くにつれ、何やらモヤモヤとするものがジョシュアの中に溜まっていくのだ。
こんな気分になるのは初めての事だった。二人共ジョシュアのよく知る者達でまさに美男美女。今はフードを被ってしまってはいるが、その見た目は二人共同年代のようにすら見える。側から見たらまるでお似合いのカップルのようだ。デートをしながら芸術の都を観光している。まるでそのようにすら見えた。
ジョシュアはそれが、どうしてだか気に入らなかったのだ。イライアスとは自分の方がずっと長くいるはずなのに。ああやって強く自分を求めてくれたのに。
仲良くして欲しいはずなのに、ヴェロニカと近付いて欲しくない。そういう思いがずっと、ぐるぐるジョシュアの頭の中を駆け回っていた。
楽しかったはずの観光が途中からすっかり変わり果ててしまって、戸惑いながらもジョシュアは一人、物思いに沈んだ。
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