Main | ナノ

65.芸術の都

 一歩オウドジェの街に足を踏み入れると、そこはもうほとんど別世界だった。
 他の街とは随分様子が違っていた。街の活気あふれる様子もそうだったが、何よりもその街の造形が驚くものだった。なにせ、その街を形造る建物自体が、まるで芸術品のようにさまざまな彫刻で彩られているのだ。芸術なんて微塵も知らないジョシュアにだって、その美しさは感嘆に値した。この街は王都周辺の都市でも特に、観光地として人気が高い街ではあったが。ジョシュアはその理由を理解した。

「――見てお分かりの通り、ここは他の街とは違いますでしょう? 街そのものが美しい。貴族や女性に、特に人気が高いのですわ」

 街に入り、人気の少ない通りを歩きながらヴェロニカが言った。

「芸術品だけでなく観劇のための劇場が数多く設置されている。この街に集まる数々の劇団には見目麗しい紳士淑女が集まり、そして入れ替わりもそれなりに激しい。一見して華やかに見える世界も、裏側は中々厳しいものだとか……まぁ要するに、後ろ暗い者には絶好の隠れ家、という訳ですわね」

 ギルドへ向かう道を行きながら、彼女は手短に街の説明をした。このまま途中までは共に向かい、二手に別れる手筈だった。
 この街のハンターギルドへと向かい、情報収集ついでに囮となるヴェロニカ組。真っ直ぐに屋敷へと向かい、周囲の状況を確認しつつ突入を決行するミライア(マヌエラ)組。

 ジョシュアはラザールと共に、ヴェロニカ組として行動する。そしてイライアスは、ミライアと共に行動する事になった。

「これが最善ですかしらね……」
「ああ。他に良い案は思い付かん。万が一の時は下ぼ……ゲオルグ、お前が体を張れ」

 ヴェロニカの言葉を受けてなのか、ミライアがふとジョシュア(ゲオルグ)に向かってそんな事を言った。隣のラザールから息を呑むような声が聞こえたが、ジョシュアは気にせずにいつものように頷いた。最初からそのつもりだったのだ。今更断る気なんてジョシュアにはない。
 だが、それを聞いていたヴェロニカは黙っているつもりはなかったようだ。少しばかり刺々しい口調で言った。

「あら、わたくしだけでは頼りにならなくって?」

 彼女が多少苛立っているのがジョシュアには分かった。プライドが傷付けられたのか、それともジョシュアに与えられた命令が気に食わなかったのか。ジョシュアはただ黙ってその様子を見守った。

「接近戦に持ち込まれたらの話だ。別にお前の力を疑っている訳ではない。お前の技量については聞いている。相手の人数も目的もよくは分からんのだ、もしもの時にはこ奴も動くという話よの」
「……ええ、もちろん、わたくしも十分警戒しますわ」
「是非ともそうしてくれ。それと、お前達が人間で我らがそうではない事はきちんと理解しておけよ」
「……わかり、ましたわ」
「我らはそう簡単には死なんのだよ。お前達とは違って――」

 それっきり、作戦に関する話は一切しなかった。各々が与えられた役目を念頭に置きながら、たわいもない話ばかりを口にした。

 例の屋敷とギルドの事務所、それぞれへ向かう道で二手に別れる。いよいよ行動開始となると、途端にミライアとイライアスの気配が消え、音もなくその場から離れていった。慣れているジョシュアにはかろうじてその気配が追えたが、きっと他の二人には突然彼らが消えたように感じただろう。ギョッとする表情がジョシュアにも見えた。
 それに少しだけ気分を良くしながら、ジョシュアはヴェロニカの後を付いていった。

 全員が街の地図を頭に叩き込んでいる。周囲に何があるのか、ラザールを含めて皆が理解していた。

 ヴェロニカに先導されながら辿り着いた街のギルドも、景観を壊さぬようにと彫刻の凝らされた石造りの建物だった。無骨なイメージであるハンターギルドに合わせたのか、無駄に力強い印象を受ける。
 こんな華美な建物に入るギルドなんて見た事もなかったジョシュアは、無駄にジロジロと外観を眺めてしまう。だがヴェロニカは、さっさと入り口の扉を開けると中に入って行ってしまった。慌ててそれを追い、外観に合った木製の扉を抜ける。するとそこもまた、ジョシュアの知るギルドとは随分異なる雰囲気の空間が広がっていた。

「驚きますでしょう? ここ、男性よりも女性が多いハンターギルドですのよ」

 ジョシュアの驚きを感じてなのか、すかさずヴェロニカがそう付け足した。周囲を見渡せば、言われた通り巷ではよく見る屈強な男性ハンターは随分と少なかった。明らかに女性の方が多い。

「こんな街ですもの。女性ハンターを敢えて希望する依頼が多いのですわ。親しみ易くて親切。このような所は珍しいでしょう?」
「そうだな。それに、こんなにいるのか。雰囲気が他所とかなり違う……」

 思わずジョシュアが口にすれば、ヴェロニカは丁寧に答えた。

「ええ、そうですわね。彼女たちは皆実力がある方々ばかり。他所で邪険にされて、ここへ来て重用される方も多いのですわ。特にここは、何よりも信用が優先される。変な輩は居ないはずですのよ」
「俺も、最初来た時はギョッとしたよ。俺みたいなのは浮きまくるのなんのって……」

 ヴェロニカの説明を聞いていると、ジョシュアの隣からラザールも会話へと加わった。依頼を請け負った時の事を思い出しているのか、苦笑している。

「王都が近いですし、特に信用がある方はわざわざ呼ばれるとも聞きますわ。大変名誉な事ですわね、ラザール」
「んん?! ああ、まぁ……それなりには。ありがたいお話です」

 そうんな二人のやり取りを見ていた所で。突然、ヴェロニカが立ち止まってジョシュアの方を振り返った。少しだけムスッとした様子である。
 不意打ちで甘い香りを直に吸い込んでしまって、ジョシュアの体が硬直する。けれどもここ数日で随分と慣らしたお陰もあって、先日のような無様を晒す事はしなかった。
 血液の持ち主の体温や体調によって、香りの強さは変わってくる。感情が昂ったせいだろう。今のヴェロニカは少しばかり、強く香った。

「ジョ――、ゲオルグもとっとと王都に来ていれば良かったのですわ」

 ぼんやりとしそうな頭であっても、その言葉に瞠目した。その真っ直ぐに見つめてくる視線を見返せば、彼女は小声で言葉を続けた。

「それがいつの間にかこんな――」
「……」
「わたくしは彼女に何度も言っていたのよ。コソコソ探ってないでちゃんと会いに行けと。それなのに……二人共、意地っ張りな所だけ似て――」

 その話はジョシュアも初耳だった。エレナはそのような事、一言もジョシュアには言わなかった。昔から似た者同士と言われていたけれども――と、ジョシュアがついつい思い出に耽りそうになっていた時。

「あ、あの……ヴェロニカ殿?」

 ラザールの声が割って入った。そこでジョシュアもハッと我に返る。ここはギルド所内だ。いくらヴェロニカと一緒だとはいえ、ジョシュアには真名を知られるというリスクがあるのだ。このような所で話す事ではない。
 内心でラザールの横槍に感謝しながら、ジョシュアも気持ちを切り替える。だがきっと、ラザールも不思議に思った事だろう。ヴェロニカとジョシュア(ゲオルグ)との間には何かがあると。
 数少ない仲間の事となると途端に周りが見えなくなるヴェロニカの悪癖は、やはりここでも健在らしかった。不安になるのと同時に、込み上げてくるものがあった。

「……ああ、ごめんあそばせ。仲間の事となるとつい」

 ヴェロニカは、つっけんどんな口調でそう言いながら、再び歩き始めた。だが勿論、ラザールがそのまま流されてくれるはずもなく。

「仲間……?」
「なんでもありませんわ」
「あの……俺、この前から聞いてておもっ――」

 そう質問しかけた言葉をヴェロニカが遮った。

「ラザール」
「っは、はい」
「この依頼が終わったら、貴方にもお話しますわ。気になるのでしょう?」
「……はい。差し出がましくも、気になってしまい」
「終わったら、よ」
「ええ、分かりました」
「そう、終わったら、ですわ」

 それっきり、三人は口を閉じた。
 ラザールにヴェロニカ達とジョシュアの事が伝えられるかどうかは、恐らくこの事件の結末を見て決められるだろう。ミライアがそう判断すれば、ラザールの事件に関する記憶は消されてしまう。
 そうなれば、彼がジョシュア達と共に行動した記憶もきっと消す事になる。この情勢では仕方がないとは言え、ジョシュアは何となく寂しい気分になるのだった。


「やぁやぁ、ヴェロニカ殿、また来てくださったとは。いつもありがとうございます。ささ、お連れ様と共にこちらへ」
「構わないわ。わたくし共の勤めですもの」
「貴女様のような実力者にこの街を――」

  ギルドの受付を訪れた途端、この街のギルド所長がヴェロニカを出迎えた。女性達が多く集まる街とあって、ヴェロニカも度々訪れるのだとか。

 所長とヴェロニカのそうした話を小耳に挟みながら、ジョシュアは周囲の様子を探った。所内に変わりはなく、特異な魔力の気配も感じられなかった。
 どうやら少なくとも、あのヴィネアの支配下にある者はここの人間たちの中には居ないようである。ホッと胸を撫で下ろしながらも、意識を周囲一帯にまで拡げた。ギルド内では下手に魔力は使えない。その代わりにこうして、ジョシュアは吸血鬼としての能力を全力で利用する。

 人間たちの一挙一動、発する音や気配を追い続けた。犯人と接触したラザールがこうして、顔を晒しながら堂々とこの街に来ている。しかもあの【S】級ハンターであるヴェロニカと、不審なフードの男と共に居るのである。犯人であればそれが気にならないはずがない。
 ミライア達の突入が空振りに終わった場合に備え、ジョシュア達はまさに囮として、向こうから接触してくるのを狙っているのだ。計画としてはまぁ申し分ないだろう。

「ではヴェロニカ殿、今回はこちらを依頼させていただきます」
「ええ、構わないわ。……最近はどこも物騒ですもの」
「はい。我々も困っており……行方不明者が立て続けに出るなど、街の名に傷が付きます。ヴェロニカ様ほどの方に見回りをしていただけるのでしたら、これはこれは心強い」
「そう言っていただけるのは嬉しいですわ」
「では、こちらの書面に――」

 ヴェロニカとギルド所長直々のやりとりを眺めながら、ジョシュアはひと息吐くように力を抜いた。不意打ちを狙うのであれば、行きか帰り道が定石。
 そもそもハンターが山ほどいるこの事務所へ突撃してくるなど、流石の魔族でも手に余るはず。警戒のし過ぎも良くない。せっかく血を頂いてからここまで来たのだ、力は温存すべきだろう。そう思っての判断だった。
 ジョシュアだって今度こそ、簡単に捕まるようなヘマはしたくないのだ。あの日の二の舞には絶対にならない。そう決めているから。

「受ける事になった依頼内容は至極単純、この街の夜間における見回りですわ」

 依頼時に受け取った書面を見ながら、ふとヴェロニカが小声で言った。

「都合がいいですわね。わたくし達の役割はアレの犯人を誘き出す事ですもの。夜に歩き回っていても不審に思われずに済みますわ」
「あの事件があってから、街もピリピリしてるみたいですしね。俺も少しは役に立てるんなら嬉しい限りです」
「数刻と経たずに日が落ちるな……このまま出歩くか? あの人らの突入までに少し時間がある」
「ええ。ゲオルグが平気なのでしたらこのまま少し歩きましょうか。真昼間から襲ってくる馬鹿は、流石にいないと思いたいですわ」

 三人はそのまま大通りへと向かった。夕方も近い時分ではあったが、人通りはほとんど変わらない。三人で周囲を探り、おかしな気配がないかを見て回った。
 大通りは、観光客や客引きをする人々で賑わっていた。道の端の方で、何やら絵を描いている人も散見される。歌声を披露する人も居る。各々が好き勝手に活動に励んでいる。
 街の賑わいの割には、ゆっくりとした時間の流れる街だった。

「そう言えば、貴方がたの言っていた例の魔族、どんな気配ですの?」

 ジョシュアが街を眺めていると、ふとヴェロニカがそんな事を聞いた。先ほどとは違って、少しばかり距離を置いている。微かに鼻腔を香りが刺激したが、無視できる程度のものだった。

「どんな……?」
「ええ。……勿論、そんなのを伝えるのは言葉にするのも難しいのでしょうけれど。外見は聞いても仕方ないでしょうし、何となくでも構わないから知っておきたいのですわ。普通ではないのでしょう? 今後確実に出くわすでしょうし」
「特徴か……」

 気配を言葉にするだなんて考えもしなかった。それでも、ジョシュアなりに言葉を探し出して口にしてみる。

「あの人は、夢魔の力を持つ者と言っていた」
「夢魔……」
「どこか陰湿で、肌に這うような甘い――」

 そうジョシュアが言いかけた時だった。突然、背後に居た誰かから声を掛けられたのだ。

「お前の俺に対するイメージってそんなだったのな?」

 聞き覚えのある声だった。けれども気配は全く別人。慌ててジョシュアが振り返るとそこには。

「よう、吸血鬼。先日ぶりだなぁ」

 ヴィネアの声をした知らない誰かが立っていた。
 昼間だと言うのにまるで人間のように素肌を晒し、にっこりと笑いながら。

「お前にやられた胸の傷が随分と痛むぜ」

 そう言うと男は、ジョシュアの目の前で胸を押さえながら小首をかしげてみせたのだった。





list
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -