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63.お食事中に失礼します

『ジョシュアは相変わらず小食だねぇ』

 人から血を頂戴していた時の事だった。血に濡れた口許を拭うジョシュアに向かって、イライアスがふとそんな事を言った。

『イライアスが多いだけだろ』
『……それもそっか』

 二人は今、とある女性達の部屋に居た。
 彼女らは、宿屋近くの酒場で物色をしていたイライアスに声をかけてきた女性達だった。彼女ら三人は、この先のオウドジェに滞在する予定でここまでやって来たという。役者の卵達だった。
 女流役者なんて格好良いね、とイライアスが褒めちぎりながら共感を示してみせれば、彼女らの警戒が緩むのは直ぐだった。

 押しすぎず程々に、女性たちの自主的な行動を促すイライアスの手腕は流石だった。伊達に長年、人間たちを口説きまくっていた訳ではないらしい。離れた所からそれを見ていたジョシュアも、やたらと回る彼の口ぶりに舌を巻いた。
 結局、イライアスは彼女らと意気投合したように見せ、彼女らに連れられる形で部屋を訪れる事になったのである。

 ジョシュアは彼女らがすっかり眠りについた頃に部屋で合流した。顔を見せまいとフードを被ったままのジョシュアが一緒ではイライアスもやり難いはず。そう言って別々に行動していたのだ。

 そしてジョシュアの場合、釣れたのは屈強なハンターや軍人達ばかりだった。余程格好が怪しく見えたのか、彼らは少し話してジョシュアの事情を知ると、すぐにどこかへと行ってしまった。
 一晩一緒に語り合おう、なんて言う奇特な人間も居るには居たが、目付きがどうにも怪しかったのでジョシュアは待ち合わせ中だと言って断った。
 それどころか、『最近男も襲われるから気をつけろよ』、なんて知りたくもない情報を吐き出して去って行ったものだから。ジョシュアはもう二度とこの酒場には来ないと心に決めた。ちゃんと女の子が釣れるイライアスとは雲泥の差で、ジョシュアが悲しみに暮れたというのはここだけの話である。

 そんなこんなで彼女らはすっかり夢の中。それぞれベッドに寝かされて安らかな寝息を立てている。きっと明日の朝には今晩の記憶を失っている事だろう。
 気持ちの良い早朝、昨晩の記憶が曖昧な事に違和感を感じるけれど、酒の所為だろうと特に引き摺る事もなく、彼女らは元気にオウドジェに向かって旅立つのだ。吸血されたなんて、彼女らはこれっぽっちも疑わないのである。

『でもまぁ、今日はラッキーだったね。丁度俺もお腹すいてたし、三人一度に来てくれるなんてさぁ』
『手間が減って助かった』

 二人分を口にしてすっかり腹が満たされたおかげもあるだろう。いつもの饒舌さで話し始めたイライアスは、ジョシュアを立ったまま後ろから抱き込んだかと思うと、そのままの体勢で話を続ける。
 こんなイライアスとのやりとりも随分と久しぶりのような気がして、ジョシュアは何とも言えない懐かしさを覚えた。
 
『俺絶対一人分じゃ足りないしさぁ。……正直、あと二人分くらいならいける』
『……またやるか? 一人くらいなら俺も――』
『いいよいいよ、今日はこれで満足だから』
『?』
『ジョシュアが誘ってくれたしねぇ』
『それは……別に、アンタが不機嫌そうだったからで』
『んへへへへ』

 不意に、揶揄われて口を尖らせるジョシュアの肩口にイライアスが顔を埋めた。びっくりと肩を揺らしたジョシュアだったが、イライアスは構わずに話を続けた。
 
『ねぇジョシュア、あのハンターと部屋でどんな事話すの?』
『……ラザールと?』
『うん。俺の知らない所で何話してんのかなーって』

 そんな質問を投げかけながら、イライアスはジョシュアの耳元に口を寄せた。ジョシュアにもその呼吸音が聞こえるほど近くにイライアスの顔がある。それを妙に意識してしまって、ジョシュアは少しばかり緊張しながら口を開く。

『べっつに、大した事は話していない。声が出せないって事になっているし、話せる事もほとんどない』
『うん、知ってる。そんな中で何話すのかなぁって』
『話……、ハンターの経歴の話と、ヴェロニカの事……、あとはイライアスの話も――っ

 そうやってジョシュアが正直に答えていると、今度は首に軽く歯を立てられるのを感じた。突然の事にびっくりしてジョシュアの声が裏返ってしまったが、イライアスは何も言わずにただ甘噛みするだけだ。不意打ちに思わず溜め息が出た。
 まるでデカくて聞き分けのない飼い犬のようだと、ジョシュアは咄嗟にそんな事を思った。

『……おい、イライアス? 足りてないのか?』
『んー?』
『だから俺がもう一人連れてくるって――』
『んー……、それならジョシュアの血がいいなぁ。俺、たくさん我慢してたし、ご褒美が欲しい』

 イライアスが話す度、首筋に吐息が当たる。それをまざまざと感じながらジョシュアは考えた。
 イライアスに血をやるのは今更別に構わない。けれども近々、ジョシュア達は今後の手掛かりになるであろう大事な作戦に挑もうとしている所なのだ。万が一もある。可能な限りは力を温存しておきたい、というのが本音ではある。

 しかし、頑張ってくれてはいるイライアスに報いるという意味では、希望通りに血をやってもいいという気もする。わざわざジョシュア達のためにここまで着いて来てくれているのであるからして。ジョシュアは大層悩んでいた。

『……』
「ねぇジョシュア、俺頑張ってるでしょ? アイツが来てもちゃんと我慢したし、最近はちゃんと控えてると思わない?」
「それは、まぁ……」
「でしょ? 俺も戦えるように備えるし、今日くらいダメ?」

 ジョシュアが考えている間、イライアスはそうやって甘えるような静かな声で言った。きちんと音に出し、色気をたっぷりと滲ませたいつもより低い声だ。男でも思わず赤面してしまいそうな、そんな声音がジョシュアの耳を犯している。

「少しだけだからさぁ」
「ッ、」
「ジョシュア?」

 耳を甘噛みされて舐められる。最早ナニをおねだりされているのかも分からなくなって、ジョシュアは少しばかり混乱しながら耳を手で塞いだ。心なしか顔が熱いのは気のせいだと、自分を誤魔化しながら咎めるように言った。

「イライアスッ」
「だって、ジョシュアが中々折れてくれないから……」
「考えてる所だったんだ」

 そう強め言うと、イライアスは口を尖らせながらも黙り込んだ。これではどちらが歳上か分かりもしない。ジョシュアはイライアスの姿に呆れつつ、少しだけ考えてから言った。

「イライアス、別に少しくらいは構わない。ただ、飲むとアンタ暴走するだろ?」
「……」
「血を飲むだけで終わった試しがない」

 そう言うと、イライアスは少しばかり気まずそうに目を泳がせた。ジョシュアが考えてしまうのは、結局はそこなのだ。

 吸血鬼としての欲が強く出てしまうイライアスは、長年の生活の所為もあって食欲と性欲がほとんど同時に発現する。吸血鬼が元々そういうサガなのは仕方ないとしても、個人差は大いにある。

 ジョシュアは、親であるミライアと同様に理性が強い。吸血時にも食欲以外の欲望が現れる事はほとんどないのだ。だからこそこうしてイライアスに振り回されがちだというのだが。

「血をやるだけなら構わないんだ。本当に、飲むだけなら」

 ジョシュアは元々、糞真面目なハンターだった。それは、吸血鬼になった今もなお変わらない。

「うぐ……ちゃんと我慢、する」
「……大丈夫か? できるか?」
「多分、うん……ねぇジョシュア」
「なんだ」
「耐えられなさそうだったら、チューくらいならいい?」
「……」
「ねぇ、ご褒美でしょ? この前みたいに、それだけで終わらせるからさぁ、ね?」

 ジョシュアの横っ面に額をすり寄せながら、まるで猫のようにイライアスは言った。時折鬱陶しく思う事もあるけれど、ジョシュアはイライアスを拒み切れない。それはいつだって同じだった。

「……分かった」
「え、ほんと、いい?」
「いい。ただし、言った事は守れよ」
「うん、分かった分かった、俺ちゃんとできるし」

 ジョシュアが許可を出すと、イライアスはまるで子供のようにうんうんと言いながらにっこりと笑った。
 ジョシュアはいつも、イライアスのこの笑顔に騙されるのである。

 イライアスはそのまま、ジョシュアを抱えつつそそくさと床に座った。ベッドを背もたれにしながら、うきうきとジョシュアのフードローブと上衣を脱がせにかかった

「おい待て、何でそこまで脱がせるんだ」
「だって、この服首元まで覆ってるから邪魔になるんだもん」
「……確かに」
「そうそう、変な事は考えてないよ。大丈夫。触りたいとか、そんなんじゃないから大丈夫」

 その言葉が出てくる時点で既に危ないのではあるが。ジョシュアは疑いながらも、イライアスのさせたいようにさせた。

 膝の上に乗せられ、ぎゅうと抱き込まれた状態で首筋に細長い牙が突き立てられた。一瞬の痛みの後で傷口がじわりと熱を持つ。血を吸われている最中はまったく痛みなど無くて、患部から広がる熱が逆に心地良さを与えるほどだ。獲物を逃さないための吸血鬼の能力。それが自分にも効いていると思うと、ジョシュアは何とも言えない気分を味わう。

 自分自身も吸血鬼でありながら、同じ吸血鬼に捕食されている。共食いになるのだろうか、なんて、ジョシュアはぼんやりとそんな事を考えてしまった。

 時折、イライアスの舌が肌を舐めるように蠢いている気がした。それどころか、肌が露出している上半身を、イライアスの両手がさわさわと撫でている気がする。ジョシュアは薄らと眉根を寄せた。

「イライアス?」

 咎めるように言うと、動きがピタリと止まった。ここに来てようやくイライアスの扱いが分かってきたジョシュアは、時折嗜めながらしばらく血を与え続けたのだった。

「……ねぇジョシュア、ぐるっとこっち向いて」

 ようやく首筋から口を離したイライアスは、傷を治したかと思うとそんな事を言った。切羽詰まったような声だ。案の定、我慢しきれなかったのだろう。ジョシュアはまぁそれくらいならいいか、なんて軽い気持ちでイライアスに向き直った。
 だが、すぐにその考えが甘かった事を痛感する。

「んむっ――

 まるで貪るように口付けられた。この前のキスなんて数の内にも入らない。本気で食べられてしまうのではないかと思うような口付けだった。

 口付けてすぐに侵入してきたイライアスの舌は、入ってきた途端に口内の至るところを蹂躙した。舌を絡めて吸い上げ、時折歯を立てた。歯列や上顎をくすぐっては刺激し、明らかにそういう意図を持って動いている。

 刺激される度、ゾクゾクと背筋を駆け抜けるものがあった。これはまずいと腕をばたつかせるが、力では未だイライアスに及ばず。イライアスの顔には恍惚とした笑みが浮かんでいる。
 ぼんやりと霞んできた理性を何とか繋ぎ止めながら、ジョシュアは薄らとイライアスを睨み上げた。既に涙目で、情欲に溺れかけている中では迫力も何もあったものではないのだけれども。そうしないではいられなかったのだ。

 このまま流されてしまえばいつもの二の舞。ジョシュアだって、薄々はどこかでガツンと言わねばならないというのは気付いていた。それが効くかどうかはイライアス次第ではあるのだが。それは兎も角として、要は先日のキスと同じである。ジョシュア自身が動かなければ、相手には伝わらない。ここ最近で特に、ジョシュアは身に染みた。

「んっ、……おい、イライアス! 約束はちゃんと――!」
「ダイジョーブ、ジョシュアがその気になれば問題なぁし。てか、別に挿れなきゃいいじゃんか」
 そ、いう問題じゃ――ッ」

 悲しいかな。イライアスとジョシュアの間には、致命的な考え方の違いと力の差が存在するのである。

「ジョシュ、今日もイイ事教えてあげるからね」

 そう言って悠然とした笑みを浮かべたイライアスは、その身にあらゆる者を魅了する妖艶さを湛えていた。その表情を目にしてしまったジョシュアは、目を逸らす事さえできない。ごく自然に発動してしまうイライアスの魅了が、ジョシュアを捕らえて離さなかった。
 内心では微かに悲鳴を上げながら、ジョシュアは今日もイライアスに振り回されるのである。





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