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62.不機嫌


 オウドジェは、国の中でも芸術の都として知られた街である。古くから、数多くの芸術家たちが夢を追い求めてこの街を訪れるという。

 画家、彫刻家、音楽家、劇作家や舞台役者などなど、様々な芸術家が集まる。厳しい世界故に夢破れる者も多かったが、この街であたりを一度でも出せば、その名が広まるのも早かった。

 街のあちこちに劇場や貴族のサロンを真似たような豪華な集会場が置かれ、近隣の街から多くの人が集まる。王都レンツォにも負けない、活気に溢れた街だった。

「――夜でも結構な人が集まりますので、夜を好む者にとっては都合の良い街でしょう。ただ、街中の警備はそれなりに厳しいはずですわ」

 オウドジェに程近い町で宿をとった時の事だった。
 古ぼけた小さな宿屋の一室で、腕を組んで考えるような仕草をしながらヴェロニカが囁くように言った。

「あのような街中でやらかしたのだ。余程の馬鹿か物好きだろう。露出狂のな」

 ヴェロニカの正面に立ったミライアは、少しばかり茶化すようにそんな事を言う。ヴェロニカはくすりと僅かに笑みを浮かべてから、言葉を続けた。

「貴女がたを前にこう言うのもなんですが……魔族は大抵、自分が一番強いと盲信した自信家なのですわ。だからこそわたくし達、そこを突いてやるのですよ」
「一理あるな。ただ――、お前達に目を付けられる時点でたかが知れている」
「あら、そうですの?」
「隠すなら徹底的に隠さねば意味がなかろう。そのための――」

 例の屋敷への突入前に打ち合わせをするのだと、今回の作戦に加わる全員が宿の一室へと集められていた。

 【S】級ハンターとして各地へ派遣されるヴェロニカを筆頭に、ミライア、ジョシュア、イライアス、そして、一応は保護されているラザールもまたその場に呼び出されていた。
 保護されているとはいえ、ラザールもハンターには違いない。ならばいっその事手伝わせよう、というミライア達の魂胆である。

 可哀想に、最初の頃は随分と居心地悪そうに縮こまっている様子のラザールだったが、ここ二、三日で随分と慣れてきたようだ。宿では同室にされるジョシュアが隣に居る為か、ヴェロニカがすぐ目の前にいても普通にしていられる。挙動不審にもウロウロと動き回っていた初日からすれば、かなりの進歩だった。

 突入に向けた打ち合わせをあらかた終え、ヴェロニカとミライアが二人、小声で何かを話し始めた頃だった。
 不意にラザールがジョシュア(ゲオルグ)に向かって耳打ちした。

「なぁゲオルグ、あのヴェロニカ様と君らのパーティってどういう関係なんだ?」

 聞かれて、その意味をはかりかねたジョシュアは首を傾げた。

『関係……? どういう意味で?』
「だってさ、あの孤高の女神様だろ? あんなに気安い調子で話をしてるのは初めて見た」
『気安い……? あれが? 俺らに対してはいつもあんな感じだが』
「いつも? 俺が知るあの人は、いっつもつまんなそうにツンツンしてるぞ」
『ツンツン……』
「ああ。なんかこう、ツンと澄ました感じでほとんど他人とツルまなくて――」

 ヴェロニカの話題を出されて少しばかりドキリとしたジョシュアだったが、ラザールの話は始終ジョシュア達のパーティとヴェロニカの関係性についてだった。一行にはジョシュアがいるせいか、確かにヴェロニカの態度は普段よりもかなり気安いのであるが。それに気付いていないは、ヴェロニカ本人と、そして普段の彼女を知らないジョシュア達だけなのだ。

 ヴェロニカは、その儚げ見える容姿や能力の高さ、そして彼女の出自のせいもあって、ハンターとなった当初から注目されていた人物の一人だった。稀有で孤高の魔術師。国のお抱えの魔術師にも劣らないと言われていた。そんな彼女がハンターを続けるのであれば、ゆくゆくはハンターギルドを率いていくような存在になるに違いないと期待されていた。エレナと同じように。

「ヴェロニカ様とは初めて組んだのか……? 本当に?」

 ラザールによるこの問いかけは、なぜだかやけにしつこく続いた。かの有名な【S】級ハンターに関する事だからなのだろうが。ジョシュアは少々辟易としていた。声が出せないという設定をありがたく思うほどだった。

『そうだ』
「ふーーん……」
『……なんだよ』
「いや、だってさ、噂と全然違うもんだから――」

 それからもしばらく、ジョシュアはラザールから何度も同じ質問を浴びた。ジョシュアの答えは当然、知らないを突き通すだけなのだが。ラザールにはどうやら引っかかるものがあるらしかった。【B】級のハンターとはいえ、犯人にたどり着いてしまう程には鼻が利く。どうやらその嗅覚は、味方にも作用してしまうようである。

 結局、ジョシュアはラザールの相手を延々とし続けるハメになった。
 イライアスだってジョシュアを挟んだ向こう側に居たのであるのに。ラザールは気安く話のできるジョシュアにばかり話を振った。少しくらい向こうに意識をやってもいいのに、と文句でも言いたいほどであるのだが、ジョシュアにはラザールの気持ちも分からなくはなかった。

 何せイライアスは、ラザールが合流してからというものずっと、その不機嫌を隠そうともしない。誰に話しかけるでもなく、ここ二日くらいは無言を貫いていた。
 ほとんど初対面のラザールが、そんな男に近付けるはずもない。
 その顔に笑みを浮かべていないイライアスは、その体格の良さもあってやたらと迫力があるのだ。初めて出会ったあの時、ジョシュアでさえまるで騎士のようだと称するほど。ラザールがそんな様子のイライアスと打ち解けるはずもなかった。

 結果として、ラザールはジョシュアにばかり話を振り、それを見たイライアスの不機嫌が更に加速する。
 そんな悪循環が出来上がっているだなんて、当事者たちは思いもしないのである。
 ラザールは相変わらずジョシュアに向かって話し続けている。それに適当に相槌や言葉を返してやりながら、ジョシュアはこの状況に思いを馳せた。

 無駄にお人よしであるジョシュアが、そんな状態のイライアスを放っておける訳がなかったのだ。こうやって慣れない旅にイライアスが駆り出されているのは、ジョシュアの為でもある。それくらいはジョシュアにだって理解できた。

(全く。二、三日離れただけであんな態度……)

 内心ではそうやって呆れながらも、ジョシュアはイライアスの相手をしてやろうと心に決めてやる。イライアスのご機嫌取りや食事の為、というのももちろんあったのだが。
 それ以上にジョシュアにだって、人肌恋しくなる時くらいはあるのだ。

 ジョシュアに色々と教え込んできたのはイライアスだ。彼の前では、ジョシュアは取り繕う事すら許されない。言い換えればつまり、イライアスの前では素のままの|自分《ジョシュア》でいられる。吸血鬼として生きている今ならば尚更、何も恐れる必要のない相手というのは貴重だった。
 いつまで生きるかもわからない。同じ時間と苦悩を共有できる仲間は今度こそ、大切にしたかった。

「――で、あの人さ、ずっとあんな感じだけど……俺、何か気に障ることしたのかな」

 ジョシュアがしばらく話を聞いてやった後でふと、ラザールが眉根を寄せながら言った。

『ん?』
「ほら、赤い髪の……」

 今しがたジョシュアも考えていた彼の事を聞かれ、ジョシュアも少しばかりドキリとする。それを悟られないように取り繕いながら、ラザールに向かって首を横に振る。ラザールにはどうしようもないことである、と。

『……あれは放っておいていい。その内何とかする』
「そう、か?」
『気にするな』
「え、ああ……そうか、分かったよ」
『多分、アンタが悪いわけじゃない。すまないな』

 それっきり、事情を聞きたそうにしていたラザールを放って、ジョシュアは荷物に気を取られたふりをしてその場から離れた。自分の武器を意味もなく取り出して磨く。
 元々自分から話すような性格ではないし、同時にいくつもの物事を進められるほど器用でもない。
 ジョシュアは、イライアスをどうやって外に連れ出すかを考えていた。作戦の決行日から逆算すれば、この即席パーティからこっそりと離れるチャンスは今夜しかない。

 イライアスの事ももちろんだが、ジョシュアには自分の限界もそれとなく分かるようになっていた。そろそろ人の血液を口にしておかなければ、作戦の時に支障が出る。二度と、彼らの足手まといになるのは御免だった。


 ◇ ◇ ◇


『イライアス』

 屋根の上から窓枠に足をかけ、部屋の前で彼の名前をこっそりと呼んだ。当然声には出ず、人間達に聞かれる恐れもない。ミライアにはもちろんバレているだろうが、二人の関係性を知っているはずの彼女には今更である。

『え、なに、ジョシュア……?』

 イライアスはすぐに窓から顔を出した。驚いた表情を浮かべ、窓の下枠に足をかけているジョシュアを真っ直ぐに見上げている。そんなイライアスの顔が珍しくて、ジョシュアはくすりと笑った。

『食事の誘いだ』

 そうジョシュアが言うと、イライアスは更に目を大きく見開いた。余程意外だったのだろう、イライアスはしばらくの間そうやって呆けていた。

『なんだ、行かないのか?』

 黙ったままのイライアスに焦れたジョシュアがそう言うと、彼は素早く『行く』と返事を返した。窓枠に足をかけ、ジョシュアのあとを追って屋根の上へと登った。
 屋根の上でジョシュアが座り込むと、それを真似してイライアスもその場に座り込んだ。

『びっくりした……ジョシュアが誘ってくれるだなんて』

 ジョシュアが何かを言う前に、小首を傾げたイライアスがそんな事を言った。

『……俺もそろそろ血を貰わないとならないし、それに……』

 少しばかり気恥ずかしくて、ジョシュアは一度言葉を切った。イライアスはそんなジョシュアを見て、ニヤニヤと締まりのない表情をしながら先を促した。

『それに?』
『イライアスが、機嫌悪そうだった』
『うん。……それで?』

 そうやって聞かれて、ジョシュアは思わず黙り込んだ。それ以上の言葉が出てこなかったのだ。他人を誘うだなんて、ジョシュアにはほとんど経験がなかった。誘い文句だなんて、洒落た言葉の一つすら言う事もできない。それが、ジョシュアという男なのである。

 それっきり黙ってしまったジョシュアに、イライアスが素っ頓狂な声を上げる。

『え……、もしかしてそれだけで?』

 本当に驚いているように言うものだから、ジョシュアは思わず赤面する。

『っ悪いか! 俺にはよく分からないから、聞こうと思って』
『んぐっ』

 誤魔化すように憎まれ口を叩けば、イライアスは胸元を握りしめながら、喉奥から絞り出したような声を上げた。

『なんだよ……』
『や、その、何でもないんだ……ちょっとだいぶ嬉しくって』

 口をとがらせながら聞けば、イライアスはすっかり締まりのない顔でそんな事を言った。その顔を見る限り、嬉しいと言う彼の気持ちに嘘はなさそうだ。でなければ勇気を出して誘った甲斐がないというもの。
 ここ最近で慣れつつさえある羞恥心に何とも言えない気持ちになりながら、ジョシュアはイライアスを見つめた。

『や、理由はどうであれね、君が気にしてくれるのは素直に嬉しいんだよ?』
『……』
『もっと、普段からこうやって誘ってくれていいのに』
『いつもは、誘う前にアンタが無理やり連れだしてるんだろ』
『……それもそうか』
『ああ、そうだ』

 そんないつも通りの会話を交わしてから、二人はようやくその場で立ちあがった。ここは王都レンツォやオウドジェに比べると小さな町だが、商人達にとっては重要な中継地点の一つだった。規模の割に町へと立ち寄る人間達が多く、宿屋が町のあちこちに乱立している。
 ジョシュア達のような吸血鬼にとって、このような町は都合が良かった。余所者を受け入れやすい土壌が整っており、田舎町よりも警戒心が少しばかり薄い。宵闇の中、まばらに出歩く人の姿が二人には見えていた。

『ん。それじゃ、少しばかり物色しに行こうか』
『ああ。そのつもりだった』
『あの人間は大丈夫かな?』
『こんな小さい町だし、気配を探っても何も引っかからない。少しくらいは平気だろう』
『そっか。……ジョシュアもすっかり吸血鬼だねぇ』
『もう今更だろ』
『まぁね』

 そうして二人は、今日もまた暗闇の中へと降りていくのだった。





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