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4.死がふたりを別つまで


 銀狗が姿を消す度に、金霞は銀狗を探した。
 それこそ、彼が少年だった頃から。金霞はどうしてだか、どんなに遠く離れていても数日もすると銀狗を見つけてしまった。

 ――銀狗の馬鹿! 阿呆! 消えるなんて酷い! 俺を置いてかないで……!

 そう言って、銀狗に縋りながら大泣きする金霞に耐えかね、銀狗は結局元の小屋へと戻って来てしまうのだ。

 どんなに覚悟を決めていたって、金霞と顔を合わせたらもう、その時点で銀狗の負けだった。
 表情豊かなこの子が、目の前で泣いて騒ぐのにはどうも弱い。すっかり感情など捨ててしまったと思っていたけれども、そこまで鬼には成りきれないらしかった。

 毎度見つからないようにと姿を隠す。気配も経つ。痕跡を残さない。
 それでもどうしてだか、金霞は泣きながら銀狗の前に立った。

 それを二人は、本当に何度も何度も繰り返してきたのだ――。


◇ ◇ ◇


 銀狗が目を覚ますと、そこはいつものあの小屋の中だった。外はすっかり夜のようで、煌々とした月明かりが小屋の隙間から差し込んできていた。ここ十数年ですっかり見慣れた光景だ。

 だがそれと同時に理解した。金霞は一体どうやったのか、たったの一日でこの小屋へと戻ってきてしまったのである。この地からあの土地へは、例え銀狗のような鬼が走ったとしても丸二日はかかるような距離だ。それ程遠くへと、銀狗は逃げていたのである。

 金霞の師匠とやらはよっぽど優秀らしい。
 銀狗の体に、嗅いだ事のないあやかしの匂いが残っていた。つまりここまで、金霞はあやかしの力を借りて戻ってきたという訳であろう。
 人を乗せて空を飛べる程のあやかしを仕えさせるだなんて一体、どれ程の力を付けているのか。銀狗は想像もつかなかった。

 もぞりと体を動かすと、腹の中に違和感があった。昨夜の名残なのか、未だそこにナニかが挿入っているような感覚を覚えている。
 それほど何度も、銀狗は犯されたのだ。

 刻み付けると金霞は言っていたけれども、それは確かに成功したようだった。頭の中で、昨晩の光景が蘇る。

 ――好きだ、愛してる。だからずっと一緒に――

 そう言ったあの目は真剣そのものだった。金霞は本気でああ言っていたのだ。

 伊達に彼の人生を見てきた訳ではない。その全てではなかったようだが、銀狗だって、金霞の事はそれなりに分かるつもりでいた。


 ゆっくりと体を起こすと、微かに鈍い痛みを覚えた。少しだけ動きを止めてそれをやり過ごし、床に足を立てて座り込む。
 着物はすっかり新しいものに着替えさせられていて、けれど下穿きは何も身に付けて居なかった。

 小屋の中を見渡すが、出て行った時とその様子は何も変わらなかった。相変わらず、古ぼけていてボロで、どこか温かみを感じる。

 ゆっくりと立ち上がって、銀狗は戸口へと足を進めた。別に逃げようだなどと思ってもいない。金霞の姿を探すついでに、外の様子でも見ようと思ったのだ。

 しかし、扉は開かなかった。
 と言うより、扉に触れられなかった。
 疑問に思ってよくよく目を凝らしてみると、何やら透明な結界のようなものが張り巡らされていた。小屋の中をぐるりと囲うように。

「用意周到な奴め……」

 成る程、金霞も本気だという訳だ。銀狗は呆れながらふぅと息を吐き出すと、ゆっくり元の位置へと戻っていった。
 ゴロンと横になって天井を見上げる。ボロの割に小屋の手入れは行き届いていて、蜘蛛の巣ひとつない。

 金霞が良く家を空けるようになってからは、一人の時間が多くて、手持ち無沙汰に掃除なぞをする機会も増えた。そのおかげで埃も少なく、小屋全体が小綺麗になっている。

 子供は親の背中を見て育つと小耳に挟んだものだから、身なりだって人間の頃を思い出しながら気を遣った。優しかった乳母らしき女人の事をどうにか思い出しながら、所作や行動もそれらしいものに改めるようになった。
 あちこちを渡り歩き、戦場にばかり身を置いて居た頃とは雲泥の差だ。

 それもこれも金霞のせいだった。最初はとっとと人里近くにでも捨てて来ようと思ったのだが、銀狗が捨てようとすると、計ったように金霞は泣き喚いた。おかげで人に見つかりそうになり、何度も失敗した。
 
 もしかすると、その頃から金霞は策士として好き勝手に暴れていたのかもしれない。一度そのように考えてしまうと、あの時やこの時はどうだったろうか、と思い出を辿るように金霞との日々を思い出してしまった。
 それのどれもが決して悪いものではなくて、銀狗は参ったなぁと両手で顔を覆う事になった。

 離れ難い。
 その気持ちは一層強くなるばかりだった。いっそ本当に金霞も、本当に鬼にでもなってしまえばいいのに。そういう馬鹿げた妄想は止まらなかった。


 そらから程なくして、金霞は小屋へと戻ってきた。どうやら張られた結界は銀狗にしか効果を発揮しないようで、金霞は結界を壊す事なくするりと抜けて来た。
 入ってすぐ、体を起き上がらせた銀狗へと声をかけた。

「起きたか。……その、体は大丈夫か?」

 二言目には気遣う言葉をかけてきた金霞に、銀狗は思わず噴き出してしまった。
 銀狗を外に出さない為の結界まで張っておきながらまぁ、いけしゃあしゃあと言ってくれたものだ。そのちぐはぐさが妙におかしかった。

「心配するなら最初からヤるな。大丈夫に決まっているだろう、私は人間ほど弱くはない」
「……そうか。それならよかった。俺もかなり遠慮なくヤッた記憶があったから」

 金霞がそう言って困ったように笑うものだから。銀狗はため息と共に金霞へ聞いた。親としてではなく、金霞の求めを聞いた一人の男として。

「金霞、お前……あれは本気でああ言っていたのか」
「ああ、そりゃもちろん。だからこうして銀狗をここまで連れ帰ってきた」
「私は人を喰うぞ」
「……こんな事言うと怒られそうだけど……、俺としては、銀狗以外がどうなったって知ったこっちゃない」
「!」
「この前師匠に言われた。俺の出自についてだ。俺は、敗戦して没落した武家の末裔だそうだ。最期の生き残りだと」
「は……」
「俺を未だに探してる奴らがいるらしい。正直今更そんな事言われても困る訳だが……ただ、今の俺が下手に市井になんて出れば、行方を探すその手の連中に見つからないとも限らないそうだって。俺は、侍だの武家だのという人間の家については良く分からないし、そもそも厄介ごとの臭いしかしなくて関わる気にもなれない。こうやって銀狗と今のように暮らしていければそれだけでいいんだ」
「……」
「それに何て言うか……、この話を聞いた時には正直嬉しかった。人里に出られないからずっとアンタと一緒に居られる、ってな」

 まるで悪戯の成功した子供のように無邪気な笑みを見せた金霞は次に、ずいと銀狗の方に体を寄せた。途端、逃げ腰になった銀狗の体を片腕で捕まえて自分の方へと引き寄せる。そうして至近距離で銀狗の顔を見つめながら、まるで睦言のように言う。

「アンタに優しく撫でられるのが好きだ。時々粗相をすると、目を怒らせたアンタに叱られるのも悪くなかった。泣いてる時、たまに抱き締められるのも好きだった。――なぁ、銀狗はどうだ? 俺と居れて、ずっと一緒だと言われて嬉しいと思うか?」
「私が、か」
「そう。……俺は、アンタが本心ではどう思ってるのかが知りたい。もちろん、アンタが俺を何とも思ってなくて、俺の代わりになる人間を探そうとか考えてるんなら……まぁその時はその時だ」

 そう言って笑った彼の目には、どこか仄暗い光が灯っているような気がして。銀狗の背筋を思わずゾクリとさせた。
 もし下手に答えればただでは済むまい。そう思わせるような何かが、今の金霞にはあった。

「私は……」
「ああ」
「私は、どうしたいのか自分でも分からない。……その、お前と離れ難いとは思う。生きた者の肌に触れたのもお前が久方ぶりでな。心地良いとは思うのだ。……ただ、やはり私とお前とでは生き方が大きく違う。何が正解で何が間違っているのか、判断がつかない。こうしてお前が私と居たいと思うのも、他の人間達が喜んでその身を差し出すようなソレが、お前にも作用しているのではないかと思っ――」
「違う。それは関係ない。俺が自分に正直になったからこうしているだけだ。他の奴らとは違う」

 その恐れを即座に否定した金霞は、真っ直ぐに銀狗の目を見た。その言葉と眼差しに嘘はないように思われた。
 胸が高鳴り、顔が火照っていた。今までに感じた事のないような自身の変化に戸惑う。
 どうしてだか、金霞の強い眼差しに目を合わせていられなかった。銀狗は軽く俯きながら言葉を続けた。

「そう、か……。だがお前は本当にそれでいいのか? 私が共に居たいと言えば、お前は本気でそうするつもりだろう? お前の、ちゃんとした人間としての生を本当に投げ打ってもいいのか?」

 そう言って恐る恐る見上げれば、目の前で困ったような笑みを浮かべる金霞がいた。先程の強い眼差しからは力が抜け、どこか優しい色を含んでいる。

「……アンタもくどいな。最初からそう言ってる。人間としての生活に興味はない。銀狗とずっと二人でいたい。俺の望みはそれだけだ。――銀狗」

 そこで言葉を切った金霞は、銀狗の頬に手を添えた。優しく微笑む彼の表情から、慈しみの感情が伝わってくる。

「今のは、肯定と取ってもいいんだな?」

 そう問われ、銀狗は一瞬迷ってから首を縦に振る。すると金霞は、美しくまるで光のように微笑むと。

「他は何にも要らない。俺とずっと二人で添い遂げて欲しい」

  そんな事を言いながら、金霞は銀狗へと優しく口付けた。他には何も要らない。銀狗すらそう思う程、幸福感に溢れたひと時だった。




 それからのお話。
 美しい鬼が戦場に出るという噂は、ある日を境にとんと聞かなくなった。その代わり、別の噂が人々の間で語られるようになった。

 美しい鬼の隣には夜叉が居る。その夜叉はいつも鬼を護るようにそこに居て、鬼に触れようとする者が現れればその腕を斬り落として威嚇する。
 夜叉を怒らせてはいけない。鬼を慈しむ夜叉は、鬼を護る為ならば何でもする。

 鬼と夜叉に関わってはならぬ。その気に当てられ、気が惑ってしまうから――。



「――んな大袈裟な。俺はただ術で拘束してブン殴るだけだってのに。誰だよ、斬り落とすとか言った奴!」

 大木の枝上から人里を見下ろし、二本角の鬼が吠えた。着流しの着物の袖は襷掛けで捲り上げられ、引き締まった彼の二の腕が露わになっている。

「……同じ鬼だったの奴かもしれんな。お前に腕を落とされた一本角が居ただろう。腹いせに人に化けて噂を吹聴したんだろうさ」

 その隣で、一本角の鬼が優しく言った。緩めに着られた着物から伸びている手脚は細長く、どこか艶かしくさえ感じられる。
 彼の整いすぎた美しい容姿と相俟って、その独特の色気を感じさせた。

「ああ、そういや前に居たな……だってアイツ、目が血走ってて気色悪かったから」
「まさかお前まで鬼だったとは思わなんだろう。舐めて掛かってくる相手も相手だが、いい加減お前も人に化けるのを止めたらどうだ、金霞」
「ははっ、まさか本当に俺も鬼になれるとは思ってなかった。師匠も鬼になる条件だなんて、良くそんな事知ってたよな。役に立った。けど、俺が人間の姿でいた方が相手は油断してくれる。対処が楽だ」
「……お前のその、用意周到さは一体どこから来るんだ」
「そんなの、全部銀狗の為だからだろ。昔からずっとそうだった」
「……」
「照れてる? 銀狗、照れてんのか?」
「やかましいっ」
「可愛いんだよ、アンタはそういうのがイチイチ。抱き潰すぞ」
「そういう所も相変わらずだな……ちっともやんちゃが直らん」
「主に下半身のな」
「……斬り落とせば違うのか?」
「それはさすがに止めてくれ。銀狗も後ろが寂しくなるだろう?」
「別に構わん」
「辛辣」

 そうやって言い合いながらも、彼らの顔には柔らかい笑みが浮かんでいた。互いを信頼しきった、優しい笑みだ。寂しげなぼんやりとした顔の鬼はもう居ない。

 静かな秋の夜だった。
 月明かりに照らされた彼らの影が重なる。ずっとひとりきりだった鬼はもう、一人ではなくなった。彼の傍には、ずっと共にいてくれる片割れがいる。

 虫の声が、山のあちこちから響いてきていた。煩い位の夜闇に囲まれながら、影が寄り添う。
 いつまでも、何度でも。


 了
 




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