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56.女王様


――ジョシュアのことはどう思っていらして?

 そう言ってイライアスの目の前に立ち塞がったっきり、ヴェロニカはその場から動こうとしなかった。
 しばらくその場で無言を貫いていたイライアスだったが、梃子でも動かないヴェロニカの固い意志を感じ取ったのか、見たこともない程の無表情で口を開く。

「アンタにそれ関係ある? 俺、部外者にイチイチ口出しされんの嫌いなんだけど」

 口調は普段のモノだったが、何の感情も浮かべないイライアスの表情にジョシュアは驚くばかりだ。普段の彼があの調子であるからこそ、今のイライアスの態度におけるその違和感は非常に強いもので。問いに対する答えよりもまず、彼の態度の方に目を見張ってしまった。
 ジョシュアの知るイライアスからは随分とかけ離れている。どうしてだか、今はそんな些細なことに衝撃を受けていた。自分の知らないイライアスが目の前に居るようで、声をかける事すら憚られる。ジョシュアはただ黙って、彼らのやり取りを見ているしかなかった。

「あら……部外者だなんてそんな。先ほども言いましたけど、わたくしはね、貴方よりもジョシュアの事を何倍も知っていると思うのよ? 何年も寝食を共にしましたもの」

 全力で煽りにいくような彼女のスタイルに、イライアスは随分と引きつった顔を浮かべている。
 ヴェロニカの顔は無表情のまま、その口だけが動き続けてするすると言葉を紡いでいく。その見事なまでの乖離に、それを目の前にした誰もが、その巧みな話術とも相俟って圧倒されてしまうのだ。今やこの場は、彼女の独壇場である。

「あなた方と出会って変わった所もあるでしょうけれど、元々の性質というものはどうしたって変えられないものですわ。そういった所、貴方は本当に理解できているのかしらね?」
「! ――さっきから、アンタは一体何の話してんのさ? 突然そんなの聞いてきて、全然意味わかんないんだけど」

 その苛立ちを表に出し始めたイライアスに対して、ジョシュアは内心で言い訳をする。
 違うのだ。彼女はいざとなると、こうしてハイになってしまうのだ。貴族時代にしてやられた過去もあってその血が騒ぐのか、彼女はいつもこうなのだ。彼女は普段こそ、それはそれは大人しい淑女であるのだ。だから大抵の場合、相手は見誤るのである。彼女の内に住まうその獣に。

「あらあら……案外鈍感なのね、貴方。そうやって表情に出さないところ、貴族筋かと思ったのだけれど。この程度の話が理解できないのなら大したことないわね」
「ああ?」
「では、一般の方にも分かりやすいようにハッキリと申し上げますわ。わたくし、別にあなた方の関係にどうこうと直接口出しする気はありませんの。――けれど、大切な仲間の命を預けるに足るかどうか位知っておきたいではないですか。あなた方がそう簡単には死なないというのはもちろん理解しております。けれどそれも絶対ではありませんわ。魔族ですし、共に歩む限りはその命を預ける相手ですもの。少しくらい、わたくしだって口出ししたっていいじゃありませんか」
「……」
「……お分かり?」
「……」
「要は、貴方が信用に足る方かどうかわたくしが知りたいのですわ! もう、皆まで言わせないでくださいまし!!」

 イライアスの反応が思ったようなモノではなかったらしく、ヴェロニカは突然大きな声を上げた。これにはさしものイライアスも驚いたようだ。引き気味に返事を返しながら、訝し気な表情を浮かべる。

「え、ああ、……うん」
「それで 貴方はジョシュアとずっと共に居たいと思っていますの? ただ興味本位で近づいているだけですの?」
「……それって答えなきゃいけないの? 今俺が?」
「一体どうして即答できないのかしら? パートナーとも聞いたのだけれども、その程度だと思ってよろしくて?」

 彼女の煽りはじわじわと相手を追い詰めていく。あのイライアスがまるで、彼女の手のひらの上で転がされているかのようだ。現役交渉人の恐るべき手腕である。
 ミライアがこの場に居たら、また違ったことになっていたかもしれないが。この場を更なる混沌へと導くべきではないだろう。
 ジョシュアは安全地帯からそれを呆然と眺めながら、考える事をすっかりと放棄していた。

「ああもう、本当にアンタ面倒くさいなぁ! ダイジョブ、アンタが心配するようなことには絶対しないから! これでいい? 何でもいいからとっとと出てってくんないかなぁ

 ヴェロニカの煽りにとうとう耐え切れなくなったのか、イライアスは半ば投げやりにそんな事を答えた。この場においては、どうとでも取れる無難な言い方ではあるが。それを聞いた彼女はと言えば。

「ええもちろん、分かりましたわ。……これで言質とれましたわね……今の言葉、お聞きになりましてナザリオ? この方はジョシュアとは随分懇意にされていらっしゃるようですから。わたくし達があまりとやかく言うものではないという事ですわね」
「え? ああ、うん……、そのようだね……」
「……は?」
「感謝いたしますわ。ジョシュアは随分と危なっかしいところがありますからねぇ。今まではエレナがおりましたからすべてお任せしておりましたけれども。貴方のような方が共に居てくれるのでしたら、わたくしもそう小うるさく言わなくても良さそうですわ」

 先ほどの興奮した様子の彼女は一体どこへやら。ガラッとその雰囲気を変えたかと思うと、ヴェロニカは無表情にそんな事を言ってのけた。余りに突然の変わりように、さすがのナザリオもついていけないようだ。
 先ほどまでの煽りも叫びも全てが彼女の演技なのだとしたら。そう思えば思うほど、彼女は随分と恐ろしい人間だ。

 こんな事で彼女の見事な手腕を知りたくもなかったが。新たな発見に、ジョシュアはついつい溜息をこぼしたくなるのだった。願わくば、この標的が自分になる事がありませんようにと。ジョシュアは、ただそう願う事しかできなかった。

「いいこと? 何度も言いますけれど、わたくしは一度手にしたものは手放したくない人間ですの。何かあれば承知いたしませんわよ」
「もうこの女やだ。早く帰ってくんない?」
「あら、わたくしのように美しい乙女に向かって酷い物言いですのね」

 こんな事を無表情に言ってのけるのが、実際素晴らしく可憐な見た目の少女であるのだから恐ろしいものである。
 ヴェロニカのこの変化のない見た目はきっと、その身に宿る彼女の魔力による影響もまたあるのだろう。それは推測に過ぎないけれども、実際にそのような事例はあったとジョシュアも記憶していた。言い合う彼らを見ていて、ジョシュアは漠然とそのようなことを思った。
 話の内容は兎も角として、二人共が随分と絵になるような佇まいだった。

「ヴェロニカ……あの、本当に、そろそろ迷惑だろうから」
「事の発端はそもそも貴方だという自覚も持ってくださいませね、ナザリオ」
「……面目ございません」
「ええ、それでよろしくってよ。――ジョシュア?」

 そんな時だった。不意に標的がジョシュアへと移った。思考が明後日の方向へ行ってしまっていたジョシュアは、先ほどと同様に気の抜けた返事を返しながら、改めてヴェロニカへと視線をやる。
 それまでと変わらない、表情の薄い可憐な乙女が、ジョシュアの方を真っ直ぐに見つめていた。

「突然押しかけて申し訳なかったわ。貴方もあの時言ってくだされば――いえ、そんな事ができるような状態ではなかったわね。私の方が聞きもしませんでしたし。とにかく、わたくしが貴方の事を心配しているというのは覚えていて欲しいわ」
「いや……ああ、わかった。覚えておく」
「ええ、そうしてくださいまし」

 そこでようやく納得したのか、ヴェロニカの表情が崩れた。随分と満足げに、その顔に笑みを浮かべている。普段は大きな帽子や処世術で覆い隠している彼女の、本来の姿である。
 ほんの一瞬のことではあったけれども、ジョシュアはそれを目撃していた。

「ああ、そう言えば。わたくし達が来た時、あなた方はどこかへ出かけるような風でしたわね。何をしに外へ?」
「ヴェロニカ」
「……ナザリオ、お黙りくださる?」

 そう言ってにっこり、ナザリオに向かってイイ笑みを向けたかと思うと、彼は随分と引きつった表情で黙り込んだ。これで、ヴェロニカとナザリオの上下関係がはっきりとしてしまった。別段彼らが上位争いをしていた訳ではないのだろうけれども、今まで随分と下手に出ていたヴェロニカが、全力でその巨足を一歩前に踏み出したのだ。出自もあり、元々交渉事を得意としている彼女だ。そうそう敵う者などいないだろう。
 
 彼女には逆らうべからず。別段理不尽というわけではない。ジョシュアは己の肝に銘じながら、彼女の問いへの答え方を必死で探すのだった。

「――わたくしがあなた方の事を信じていないという訳ではありませんわよ。聞いておけば何か力になれるのではないかと思ったまでですわ。お食事の事とか、ですわね」

 すっかりお見通しである。ジョシュアはちらり、げんなりとしているイライアスに目を合わせて肩をすくめてみせた後で。素直に彼女へ告げた。

「さすがだな……そう、血を貰いに出かけるところだった」
「やはりそうでしたか。あなた方、普段はいつもどうやって探すのです?」
「それは、街中で俺が声をかける。このナリならハンターだと思われるし、傍に近づいてしまったら催眠をかければいい」
「なるほどですわ。貴方なら他者に気づかれずに近づくのも容易いと……、完全な夜でなくても外に出るのですわね」
「ああ。あまり遅い時間だと人がいなくなってしまうから……暗くなる手前の早い時間に、外へ出ようと思っていた。今日はもうやめておく。気晴らしに外の空気を吸う程度にして、明日――」
「ごめんなさい」

 ジョシュアが正直に言ってみせると、殊勝な事にヴェロニカからは謝罪の言葉がついて出た。少しばかり驚いて彼女に目をやると、ジョシュアから視線を逸らし、眉尻が僅かに下がっている様子が見て取れる。彼女なりに悪いと思っているのだろう。
 ヴェロニカのこういうところは、ジョシュアにとっても好ましいと思える。仕事でなければ上下や種族すらも関係なく、彼女はきちんと言葉にできるのだ。咄嗟の事であるとつい口ごもってしまうジョシュアからすれば、何とも羨ましい限りである。

「……わたくしったら、何てタイミングで押しかけてしまったのかしら」
「いや、……別にまぁ、いつでもいいようなものではあるから。そう気に病む必要は――」
「お詫びと言ってはなんだけれど、わたくしの血を差し上げるわ」
「……は?」

 ヴェロニカのそんな申し出に、ジョシュアは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。いつだったか、エレナにも言われたその時の光景が重なるようだった。

「は、ではないわ。迷惑にも、先ぶれなく突然押しかけておいて食事のひと時を奪ってしまったんですもの。その位、何でもない事ですわ」
「いや、だから別にそれは今日でなくても――」
「わたくしがいいと言っているのですよ?」
「……それでも、血を喰われるというのは抵抗あるんじゃないのか」
「ジョシュアとそのお仲間ですもの。気にしないわ。エレナだってそうしたのではなくって?」
「……」
「ジョシュアは、わたくしからの謝罪の気持ちを受け取ってはくれないのですか? エレナの申し出は受け入れたのに? ――二人とも、同じ仲間であるのに違う態度をとるのですか?」
「う……」

 もう、ここまで言われれば断る方が失礼である。押しの強い彼女の申し出に結局、ジョシュアは首を縦に振るしかなかった。

「わかった。そうまで言うなら、貰う」
「あら、良かったわ。言ってみるものですわね。実体験、というのも研究には必要なものだわ」

 このクソアマ、と口に出さなかったのはジョシュアの理性だ。どうせ彼女には口で勝てるはずもないのだから。

「セナ? 貴方どうせエレナに言われて彼らに協力していたのでしょう? 貴方もわたくしと共に血液を差し出してくださる」
「! え、なに、ここで俺?」
「そうよ。ナザリオは聖教会とのつながりがあるもの。万が一、ということもあるでしょう、代わりに貴方があげてくださいません?」

 セナに対してそんな事を言い出したヴェロニカに、ジョシュアは思わず声を上げた。ヴェロニカやナザリオならともかく、セナのそれは少し抵抗感があった。以前あった事をふと、思い出してしまったのだ。ここ最近はイライアスとの記憶に塗りつぶされて忘れてしまっていたが、こんな状況ではさすがに思い出してしまう。
 ヴェロニカかセナか、ジョシュアがどちらの血液を貰うことになるのかはわからないが、少々気まずい。万が一セナが再び暴走するようなことがあれば、ジョシュアはもう彼とどう接してよいのか分からなくなるに違いないから。

「ヴェロニカ……俺は別に、そうまでして貰いたい訳では――」
「ある種の洗礼ですわ」
「――は?」
「わたくしたちの中にセナが入るのでしたら、わたくし達と同じ事をしてほしいもの」
「えっ……いや俺は別に、アンタらのような人たちに合わせられる自信はまだ――」
「いいえ。貴方も、エレナの遺したものには他ならないのですわ。意地でもわたくし達と同じところに立ってもらわなければ。――彼女が居なくなった穴は大きいの」
「……」
「わたくし達が今日、貴方にも声をかけた理由をきちんと察してくださいまし。それにセナ、貴方だってわたくしが声をかけるまでもなく、この件に首を突っ込むつもりだったでしょうに。わたくしの目は誤魔化せませんわ」

 そんなヴェロニカの言葉に目を見開いたセナは、一度大きくため息を吐くと。観念したように静かに言った。

「……まさにあのエレナの仲間って感じ。分かった、貴女の言う通りにしますよ、ヴェロニカ。俺も血はあげた事がある。別に構わない」
「よろしくてよ。――さて、そういうわけですから。ジョシュア?」

 そう言って美しく笑ったヴェロニカはもう、その場を支配する女王様に違いなかった。





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