Main | ナノ

48.毒を食らわば


「お前が何のつもりであそこに居たのか、私には分からないのだけれども。そう逃げ回ってばかりでは何の解決にもならない事くらいは理解できるかしら?」

 そう言いながら、小賢しい程に大量の魔術を放ってくる魔術師ヴェロニカを、ジョシュアは苦い思いで見遣っていた。
 偶然にも出会してしまった彼女に、ジョシュアは襲撃されていたのだ。あそこに居た彼が魔族だと確信している様子だ。彼女の魔族に対する直感というものは非常に優れている。ただ、彼らのような害を成さない魔族も居ると知らないだけで。

 放たれる魔術の軌道を見極めながらそれらを避け、そこら中を駆け巡り彼女を翻弄する。
 ハッキリと言って、魔術師との相性は良かった。ジョシュアからすれば、魔術は当たらなければなんて事はないのだ。いくら速攻とは言え、発動までに多少のラグが発生する。吸血鬼からすれば、一秒でも二秒でも、そんな僅かな時間で十分だった。
 そこを見極めするりと逃げる。あのイライアスに鍛えられた今のジョシュアには、そう難しくない事だった。
 ただ、逃がさないようにと上手く立ち回られると、少し苦しかった。逃げる方向をそれとなく誘導され、罠を張られる。手脚を罠に取られ、ヒヤリとしたのも一度や二度ではなかった。捕まりこそしなかったが。

「お前、なぜ反撃しない? なぜ、あそこに居たの?」

 ヴェロニカの攻撃に迷いが出ているのを、ジョシュアは感じていた。手を抜いているという訳ではないだろう。相変わらずの精度で魔術を当ててくる。
 けれどもどこか、その攻撃にキレがない。魔術にキレ、というのもおかしな話だろうが。ジョシュアには実際、そのように思われて仕方なかった。
 一度も反撃しないジョシュアを心底奇妙に思った筈だ。何せここ半刻ほど、彼はただ逃げ回っているだけなのだから。

「ちょこまかと……」

 その苛立ちに紛れ、魔術を操る両手がわずかにブレる。軌道が微妙に逸れてしまっているのだ。わざとなのかその心情が故になのか、この短い時間の中でジョシュアはそれを感じ取っていた。

 ヴェロニカという女性は、昔からとても真面目で思慮深い魔術師だった。丁寧な言葉遣いをいつでも忘れず、彼女が貴族であった事を常に感じさせる。

 貴族というのは元々、生まれながら魔術の才に恵まれることが多い。そういう血筋が、魔術の力によってその土地をモンスターや魔族達から守り続けてきたのだ。
 特別な力を持った人間達の下には庇護を求めて多くの人間達が集まり、それらが周囲に街を形成し出した。そうして彼らの関係性は形を変え、領地を守護する領主(貴族)とその領民達となった。
 故に、領地内で魔術師として自身も活躍する貴族は多い。もちろんお抱えの騎士なども居るが、ある程度の人数がいなければお話にならない騎士とは違い、数人で騎士団ひとつと同等の戦力となる魔術師は大変重宝された。
 また、領地を持っていなくとも、領主に仕えて奉公する(準)貴族も多い。

 そしてその一方で、ハンターのような職につく貴族は滅多にいない。金銭や名誉についてはもちろんの事だが、自分たちの領地を守ることに精一杯であるからだ。
 人が生きている限り、モンスターは暗闇の中からいくらでも湧いて出てくる。例え潤沢な人員がいたとしても、魔術師は抱えられるだけ抱えておきたいのだ。
 貴族の出ではない魔術師も勿論いるが、血筋によって魔力が受け継がれる場合が多く、そして平民だとしても優秀な魔術師はどこかの領地に召抱えられる事も多い。そんな訳で、優秀な魔術師が化け物退治のハンターとなる事は稀だ。

 そしてそのような事情の中、ヴェロニカはエレナと共に歩む事を決めた、稀有(けう)で優秀な魔術師であるのだ。
 故に、その感傷も一入(ひとしお)であろう。あのエレナが、彼女の崇拝するエレナがこの世から居なくなってしまった。筆舌に尽くし難い。

「本当に一体、何がどうなっているの……私の、エレナ――」

 ぐ、と息を詰めるように声を絞り出したヴェロニカに、ジョシュアはキリリとした胸の痛みを覚える。
 自分の知らないところで、大切な人が何かに巻き込まれて命を落とした。常に覚悟していた事ではあるだろうけれども、そう簡単に割り切れるものではない。
 【S】級のハンターがいつでもそのような事態を覚悟せねばならないのは、彼らの中では常識だ。【S】級として昇格するのと同時に、彼らは遺書を書かされる。いつでもそのような事態を覚悟しておけと、そう念を押されるのである。
 国にすら仕えるような立場である【S】級が故の権威と役割の重さ。なろうとしてなれるものではないが、辞退する者も一定数居るのは確かだった。

 聞こえないとでも思ったのだろう。ヴェロニカは震える声で言った。

「何もかも、間に合わなかった」

 蚊帳の外に置かれる辛さは、ジョシュアにもよくよく理解できた。親しい間柄でありながら何も分からず、ただ呆然と過去を聞く事しか出来なかった。
 そんなヴェロニカを思うと、ひどく痛々しく思われた。
 ジョシュアの後を追うように、逃げ道を塞ぐように、ヴェロニカの惰性のような攻撃が続く。
 ジョシュアにはエレナの弱さを引き摺り出し、守れなかったという負い目もある。
 ジョシュアもヴェロニカも互いに辛いだけ。
 その場にはただ、時が流れるだけだった。ジョシュアはまるで、地獄の釜の底にいるような気分だった。

 だが、その時の事だ。ジョシュアにとっては救いにも思える声がその場に響いた。

「そこまでだ。ヴェロニカ、落ち着いて」

 その両腕より放たれようとした魔術を散らせ、彼女の腕を押さえる者が突然現れたのだ。

 ジョシュアこそ彼の気配に気付いてはいたが、そちらに意識を向ける余裕はなかった。彼の迅速な判断に感謝した。

「ナザリオ……?」
「ヴェロニカ、君にはきちんと説明するから、その手を下ろしてくれ」
「アレは、魔族でしょう? 貴方は何故庇うの」
「……それも皆説明する。魔族にしては、奇妙な奴だろう? 君もそう感じたはずだ。君の攻撃には殺気も何もなかった」
「…………」
「何が起こったのか、事情が知りたいだろう。だからここは、私の言う事を聞いてくれ」

 優しく諭すように言ったナザリオは、ジッとヴェロニカの顔を見つめている。
 しばらくそうやって見つめ合った後で。ヴェロニカは腕を下ろしながら言った。

「……分かったわ。貴方がそう言うのであれば引きましょう」
「済まないね、ありがとう。――仲間が済まないね。君は今度こそ、主人達の下へ戻るといい」

 ホッと胸を撫で下ろしながらその場で立ち止まると、ジョシュアはナザリオに声を掛けられた。
 あれだけ散々脅しておきながら、こうして様子を見に戻ってきてくれる程には、ジョシュアの事を少なからず仲間だと思ってくれているらしい。例えそれが、単なる上からの命によるものだったとしても、今はそれで十分だと思えた。それだけで十分だった。

 もう、ここには長居はできまい。遠目に軽く頭を下げてから、ジョシュアはその場から姿を消した。
 まるで本物の吸血鬼のように。音もなく気配もなく忽然と。



 ◇ ◇ ◇



「――何故、止めたのですか、ナザリオ」

 彼らの居住地へと戻る道の途中だった。ポツリと静かに、ヴェロニカは隣を歩くナザリオに向かってそう聞いた。まるで泣いた後であるかのように、微かに鼻にかかったような声音が青褐(あおかち)色の夜闇に響いている。
 大きなウィザードハット越しでは、彼女の顔はナザリオには見えなかった。

 貴族生まれにして、プライドも目標も高い彼女は、人前で弱味を見せるような事は決してしない。普段から他者に対して冷たい態度を取りがちだが、それが彼女なりの処世術の一つだと言うことをナザリオは承知していた。

「この件についてなんだが。非常に込み入った話でね。今日は夜も遅い。これは明日話したいんだが……構わないかな? 全て話し終えるには小一時間はかかりそうだから、そのつもりでいてほしい」
「そんなにですの?」
「そうだ。――あれは多分、エレナの方から首を突っ込んだものなんだ。彼らが話してくれたよ」
「彼ら? あの魔族だけではないという事?」
「そうだよ。今回の件、口外禁止のものなんだけれど。君には、話しておいた方が良いと思う」
「……そうね。そうしてくれるとありがたいわ」

 そこで、二人の会話は途切れた。【S】級の指名依頼やらが重なり、こうして話をするのも久々の事であるが、あまり無駄な話をしない二人の会話はいつもこのくらい簡素なものなのである。
 その場に沈黙が走った。けれど息苦しさは感じない。長年付き合いのある仲間だからこそ分かる、互いの空気感。
 最初は5人だった彼らが、いつの間にかこうして3人になってしまった。それをまざまざと思い知りながら、二人はしばらく無言で歩いた。

 見慣れてしまった王都の賑やかな街並みが、今日ばかりはどこか物悲しく感じられる。賑やかさの欠片もない、シンと静まり返った夜だからだろうか。
 夜は人を弱らせるというが、今日ほどそれを思い知らされた日はなかった。ナザリオはそんな物思いに耽りながら歩いた。

「彼らは吸血鬼だよ、ヴェロニカ。元人間だ」

 ヴェロニカの屋敷の前まで来た時だった。別れ際にそう、ナザリオが言った。月明かりが微かに照らす暗闇の中、ヴェロニカを見つめながら。
 ヴェロニカはその場でハッと息を呑んだ。彼女も勿論、あの噂については知っている事だった。

「それは本気で、言っておりますの?」

 彼女がようやく絞り出した声には、困惑の色が滲んでいる。ナザリオはそんな彼女を見つめながら静かに言った。

「本気さ。君も、実際に戦って分かったろう。アレは、およそ人間が相手にできるようなものではない」
「…………」
「人の生き血を啜る以外は、本当に人そのものだったよ。この街にも元々、彼ら以外の吸血鬼はいるそうだ。ずっと前から――この街ができた頃、それよりも以前から」
「それは……、なら何故、あのような噂が流れたのです。吸血鬼が滅びたなどと」
「それも彼らの仕業だそうだよ。その方が無駄な諍いを生まなくて済むと。実際、人間達は互いに疑心暗鬼になる事もなく、こうして平和な日常を送っている。殺される恐れもない」

 そこで言葉を切ると、ナザリオは困ったように笑いかけた。
 聖騎士として長く生きていた彼には、ハンターになった今ですらその事実は受け入れ難いのかもしれない。
 倒すべき人間の敵だったそれが、わざと偽の噂を流布してまで共存する道を選んだ。それが腹立たしくも正しく思えてならない。ましてや、吸血鬼達の一人が昔馴染みの一人だなんて。

「私は指名依頼のひとつとして、彼らと共闘しなければならない。神の教えに背くとは思いたくないが、多少複雑だよ」
「そうですの。それで貴方は……私が戦ったアレが、その内の一人という訳ですわね」
「ああ、そうだよ……その内の一人、だよ」

 ナザリオは少しだけ言い淀みながら、そんな事を言った。ヴェロニカはそれに一瞬首を傾げたが、再びナザリオが話し始めた事で気が逸れる。ナザリオに対する彼女の違和感は、そこで瞬く間に萎んでしまった。

「君にも少し手伝ってほしい、ヴェロニカ。彼らは魔術には多少疎いらしくてね、“敵”の動向を探るには君の力も借りる必要があると思うんだ」

 ナザリオがそんな事を言うものだから、ヴェロニカはその場で軽く目を見開いた。

「普段はこのような事はおっしゃらないのに。やけに今回は積極的ですわね」
「ははっ、確かにそうかもしれないね。だが今回は、何をしてでも敵を倒してしまいたいと思ったんだ。エレナと、ジョシュア仇討ちだよ、ヴェロニカ」

 そこで再び、ヴェロニカは息を呑んだ。しばらく行方不明だと聞かされていたその男の名が、ここで出てくるなんて。

「ジョシュア……? 彼、見つかったのですか?」
「いや、話に聞いたんだ。彼は死んだと」
「聞いた……? その吸血鬼からですの?」
「ああ。そうだよヴェロニカ。彼は死んだのだと、言っていたよ」

 そう言っていつもの笑みを貼り付けながら、ナザリオはヴェロニカの問いに答えた。その言葉にどこか違和感を感じつつも、ヴェロニカは合点する。
 何故、エレナが自分からその一件に首を突っ込んだのか。その理由が少しだけ分かる気がした。

「あの二人は、本当に兄妹のようでしたものね。まさか二人揃って……ええ、いいわ。明日教えてくださるのね?」
「ああ、勿論だとも」
「そう。良かったわ……今日、私が襲撃した吸血鬼。どこか雰囲気が、あの二人に似ていましたわ」

 そうヴェロニカが言った瞬間だった。ほんの僅かに、ナザリオの表情が崩れた。
 けれども暗闇の中、物思いに耽るように言ったヴェロニカはそれを見逃した。

「事情を知らなかったとは言え、悪いことをしたわ。許してくれるかしら」
「ああ。……きっと。話せば分かってくれるだろうね。アレらは、思っていたよりもお人好しだった」
「ふふ……魔族に対してお人好しだなんて。ナザリオも冗談が言えたのですわね」

 いつもの調子で、そう言ってクスリと笑ったヴェロニカは気付かない。

「そうだね……さぁ、もう遅い。君も長期任務で疲れているだろう。休むといい。明日の朝、君に先触れの手紙を出すよ」

 ナザリオのその言葉を終いに、二人の偶然の逢瀬はお開きとなった。普段通りに挨拶の言葉を交わしてその場で別れる。ナザリオは元の道へと戻って行った。

 時刻は既に深夜を回っている。人っ子一人いない街中で、ナザリオは静かにポツリと呟いた。

「参ったな……私も随分と毒されている」

 人気がないのをいい事に、困惑気な表情を隠しもせず。彼は暗闇の中を進んで行った。





list
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -