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46.遺されたもの
「俺に客人?」
部屋を訪れた宿の女主人に、ジョシュアは首を傾げた。あの日から数日が経ち、ようやく普段の調子を取り戻しつつある中での事だ。
ミライアもしばらくはこの街を拠点とするつもりのようで、ジョシュアもイライアスも同じ宿屋に待機するよう告げられていたのだ。ジョシュアを訪ねてくるような人間は限られてくるが、ここ数日音沙汰がなかったせいで、ジョシュアはすっかり気を抜いてしまっていた。
別段、二人も遊んでいた訳ではなかった。夜な夜な街中を見て周り、おかしな場所がないかしらみ潰しに探して回った。今のところほとんど収穫はなかったが、全てが無駄だった訳ではない。それを、しばらく不在にしているミライアへ伝えようとした矢先の事。
思わぬ来訪に、ジョシュアの迷いが出る。それを知ってか知らずか、女主人は彼にずいと詰め寄りながら階下へ降りるようにと伝えた。
「そうさ、なんでもアンタに伝えたい事があるんだとさ。下にいるから早めに行ってやってちょうだい」
「分かった。ありがとう」
彼女に目前まで迫られ、ジョシュアは反射的に身を引いてしまう。その時、部屋の中を妙に気にする彼女に内心で苦笑しながら、ジョシュアは宥めるように静かに礼を言う。
いかにも気の強そうなこの恰幅の良い彼女が、事あるごとにわざわざ二人の部屋の近くを通るのをジョシュアは知っている。何せ人間達の、それも一般人の気配などは手に取るように分かってしまう。
見目の良い者を見たいという気持ちは分からなくもなかったが、流石に毎度毎度近くを彷徨かれては気が休まる暇もない。お陰でここ数日、ジョシュアも簡単な結界くらいは張れるようになったのだ。何せ、他人には聞かれてはまずい話も音も、ジョシュアとイライアスには山ほどある。
どんなに魔術が苦手でも、必要に迫られて必死こいて練習すれば何とかなる。ジョシュアはしみじみ実感する事になった。
「しかしさ、アンタ、見かけによらず随分とすごい人と知り合いなんだねぇ。こんな小さなとこにあんな人が来るなんて……私ビックリだわ、こんなの初めてよ! 貴重な経験させてもらったわ。早く降りておくれ、お忍びらしいから他のお客さんに騒がれる前にね」
妙に意味深な言葉を残し、彼女はそのまま何食わぬ顔で下の階へと降りて行ってしまった。それを見届けて一度部屋の扉を閉めると、ジョシュアは眉間に皺を寄せながら独り言のように呟いた。
「あんな大きな声で言ったらこの階中の人間に筒抜けだ……」
ローブを手に取りに窓際の椅子へ近付くと、外行きの服へ身を包んだままベッドへと寝転がるイライアスがいる。
いつもと何も変わらない口調で、彼は肘をついて上半身を持ち上げながらジョシュアに向かって言った。
「そろそろ宿変えた方が良いかもねぇ……印象に残りすぎた。後で記憶、適当に消して回っとくよ」
クツクツと笑いながらそう言ったイライアスに、ジョシュアはあっ、という表情をした。今さっき記憶が消せる事に気が付きました、といった表情だ。
こんなにも吸血鬼である事に慣れてきた癖に、ジョシュアはついつい人間の頃と同じ感覚でいてしまう事がある。ジョシュア自身が未だにその能力を使えないせいもあるのかもしれないが。
けれどそんな事、どうせ取り繕ってもイライアスにはすぐにバレてしまうのだ。足掻きをするだけ無駄な事。ジョシュアはいっそ、開き直ったように堂々と言った。
「……頼んだ」
「ふふっ、すっかりそんな能力忘れてたって顔……」
「…………」
予想通りの反応にぐ、っと我慢をしながら無言でローブの袖に手を通した。
ジョシュアはこのまま、さっさと客人に会って話をするつもりでいた。お忍びでジョシュアを訪ねてくるその「すごい人」が、彼の格好にケチをつける人間でない事は確かだ。念のために武器も仕込みながら、ジョシュアはさっさと身支度を整えてしまう。
ベッドへ腰掛け靴紐を結んでいたところで。ふと、ジョシュアは気付く。
「なぁ、その能力は、俺もその内使えるようになるか?」
手を止めてイライアスの方を向きながら言えば、彼は一瞬、目を見開いた。
「ん? 記憶消すやつ?」
「それもだが……他の、吸血鬼が扱える能力全般だ」
「ああー、そういやジョシュアは使ったこと無いんだっけ?」
「ないな。使い方も教わっていない」
「そうだったんだ……まぁ、アレは感覚的なものだから、気付いたら使えるようになってると思うよ」
「……そうなのか?」
「うん。俺、昔すぎて初めての時なんて覚えてないからさぁ……後で使う時あったら見せるよ」
「ああ、その時は頼む」
そんなやりとりの後で、ジョシュアは訪問者を迎えに階下へと向かった。フードを深く被りながら限りなく気配を薄くする。このような呼び出しを食らってしまっては無駄のようにも思えたが、人々に与える印象を限りなく薄くしておきたかった。必要以上に、人間達に興味を持たれては困るのだ。
「やぁ、先日ぶりだ」
ジョシュアを待っていたのは、先日偶然出会してしまったナザリオだった。普段と変わらぬ穏やかな表情でジョシュアを出迎える。
「ナザリオ」
「突然悪いね、君に直接伝えたい事があってね。部屋、いいかな?」
そんな彼の言葉に頷きを返し、ジョシュアはナザリオを連れながら部屋の方へと引き返した。
「あまり、他の人間には聞かれたくないだろうと思って。君には話しておきたい」
「助かる」
「君のパートナーにも聞かれてしまうけれども、いいかい?」
階段の途中でそう言われて、一瞬ジョシュアの思考が止まる。思わず立ち止まって後ろを振り返れば、ナザリオは変わらず穏やかな表情を浮かべていた。
その中に少しだけ悲哀が混じっているのを感じて、ジョシュアは声を抑えながら聞く。未だ日中という事もあって、静まり返った宿屋の中では、ジョシュアのそんな声すらも大きく響くように聞こえた。
「聞かれる、って……内容は?」
「エレナの事だよ。彼女の、遺書があるんだ。【S】級は皆そうだね……それに書かれていた内容の事だよ」
「……」
「君がどうしたいのかを聞きたくてね……ここでする話ではない、早く部屋へ行こう」
言われて促されるように、ジョシュアは再び足を動かし始めた。足取りが先程よりも重い。聞くべきはずであるのに、聞かなければ後悔するはずであるのに、ジョシュアは聞きたくないような気がした。ようやく落ち着いてきたのに、思い出すと辛くなる、そんな予感がしていた。
部屋の前でナザリオを待たせて、ジョシュアは一旦イライアスに確認をとる。珍しく自分のベッドの上で寝転がっていたイライアスは、キョトンとした顔をジョシュアに向けた。
「イライアス、ナザリオが来た。この部屋で少し話したいんだが……いいか?」
「ああー、アイツね……別にいいよ。何の話?」
「……この前話した彼女の遺書が、あると。それについて、話したいそうだ」
「それって……俺が居てもいい話?」
「ああ、構わない。……居てくれると助かる」
「…………君ってさぁ、ほんっと……いや、何でもないよ。呼んできたら? 待ってるでしょ」
ジョシュアがぼそりと最後に付け加えると、イライアスは何やら堪えるような顔でそう言った。そんな彼の言葉に甘えて、ジョシュアはナザリオを部屋の中へと招き入れるのだった。
「やぁどうも。日中に済まないね。少し目立ってはしまうが、この方が人間らしく自然かと思って」
「いや、助かる」
ナザリオに椅子へ腰掛けるように促しながら、ジョシュアは横になったままのイライアスのすぐ傍に腰掛けた。途端に、何故だかイライアスが顔をその場で突っ伏し頭を抱えるような仕草などしていたが。彼の奇行は今に始まったことではないので、ジョシュアは構わずにナザリオへと問いかけた。
「ナザリオ、彼女の話、聞かせてくれ」
「ああ、うん……そうだね。まず、エレナの遺書だけれど。ジョシュア、君の名前が書かれていたよ。もしもの事があれば、彼女の持つものの半分を、君に託すと」
「……」
「君に、彼女が手に入れた魔導剣と屋敷、それと彼女の所持する財産を一部、貰ってほしいと」
そのような話を聞かされて、ジョシュアは案の定、もう何も考える事ができなくなっていた。
エレナの遺書があるだなんて思ってもいなかった。それにジョシュアの名前が書かれているだなんて、想像もしなかった。
あの時再会するまで、てっきり忘れられていると思っていた。だからまさか、今日もまた自分の後悔をまざまざと突きつけられるだなんて思ってもいなかった。
ジョシュアは俯きながら手を脚の上で組み、静かな声で聞いた。そこで顔を上げれば、醜態を晒してしまいそうだった。
「それは、いつ書かれたものなんだ?」
答えようによっては堪えられないかもしれない。ジョシュアは胸の奥に湧き上がるものを感じながら、深く息を吐いた。
「……彼女が【S】級になった時だから、少なくとも5年前には。――ただ、2回ほど書き換えたらしいから……一番新しいものは魔導剣についてだったよ。彼女があれを手に入れた時だから、2年ほど前になるのかな」
それを聞いて思わず、ジョシュアは両手で顔を覆った。
エレナは昔から、手に入れたものをジョシュアに一番に見せに来ていた。見て、ほめてと、ジョシュアに見せびらかしに来ていた。
そんな時には、凄いな、流石だな、とジョシュアも笑ってやる。すると彼女は、花が綻ぶように愛らしく笑うのだ。それを見る度に、ジョシュアは彼女に対する愛おしさを募らせていった。
それがいつしか、奇妙な形で歪んでしまう事にはなったが。彼女に守られてばかりになってからも、ジョシュアの根底にはそんな気持ちが居座っていた。いつまでも忘れる事が出来ずに、時折こうしてひょっこりと顔を出す。
すっかり記憶の隅に追いやってしまったそれを思い出してしまって、ジョシュアは何とも形容し難い気持ちになるのだった。何も言えずに黙り込む。この時ばかりは誰も、口を開くことはなかった。
それからしばらく経ったところで。不意にナザリオが口を開いた。
「ジョシュア、大丈夫かい?」
気遣うような、けれど普段とさして変わらない声音だ。大分落ち着きを取り戻していたジョシュアは、俯いて顔を覆ったままだったが、その声に応えるように口を開いた。
「ああ。……悪い、続けてくれ」
「……そうだね。それで、彼女は君にいくつか託した訳だけれども。問題は、その君がハンターギルド内では死人扱いになっている点だ。遺書の中には君の事以外書かれていなかったからね。現状で、それが保留になってる。だから君に聞こうと思って」
そこで一旦、言葉を切ったナザリオは。静かに、けれどハッキリと告げた。
「私が知ってしまったこの際だ。君は……こうして、魔族として生きている事をギルドに示すつもりはあるかい? エレナの遺言を、受ける気はあるかい?」
それが、現状でジョシュアに突き付けられている選択肢だった。
大切な人が遺したものを受け取る代わりに、針の筵に座る覚悟を決めるか。
秘密を保ち続ける代わりに、遺されたものを諦めるか。
二つにひとつだ。
「君にその気があるなら、私が証明しよう。君の持っていたドックタグもあれば、説得力が増す」
にこやかに、けれどハッキリと言ったナザリオはジョシュアに問うている。その体のままでもこちら側へ戻る気はあるのかと。
ナザリオにはそんな気などないのかもしれないが、その言葉がまるでジョシュアに最後通牒を突き付けているかのようにも聞こえて。ジョシュアはそこで竦んでしまった。
「ナザリオ」
「何だい? 決められたかい?」
「いや……少し、待ってくれるか? 俺だけでは決められない」
「……そうかい。そうだった、君には飼い主がいるんだったね。あの時の女性かな? 彼女にお伺いでも立てるのかい?」
「……」
「待つのは構わないよ。じっくりと考えるといい」
最後ににっこりと笑って、ナザリオは席を立った。
「それじゃあまた。3日後に来ようかな。何かあれば、手紙をギルドへ届けてくれ。それと……君も知ってるとは思うけれど、エレナの葬儀は今夜だ。来るならおいで。歓迎するよ」
そう言い放って、俯いたままのジョシュアを残しナザリオは部屋を去っていった。
静かに、けれど嵐をもたらしたあの男は、穏やかに狡猾で抜け目のない、聖なる名前を受けたれっきとした騎士だった。
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