Main | ナノ

生きたくないなら私にちょうだい?


 その時彼女は、なぜだか床に倒れていた。誰だかもわからない、複数の少女たちに囲まれながら、彼女は天井を見上げていた。

「クリスティアーヌ様? 大丈夫ですか?」

 鈴の鳴るような透き通った声だ。
 心配そうに彼女を見つめる少女は、キラキラと輝く銀糸のような髪を垂らしながら、彼女を見下ろしていた。まるで、少女漫画の登場人物のよう。
 目の前にいる可憐な少女は、見たこともないほど美しい銀色の煌めきをまとい、アイスブルーの目を輝かせながら彼女の手をそっと握っていた。暖かいその手から、少女の温もりが伝わってくる。
 まるでその感情が溢れ出てしまったかのように、彼女はポツリとつぶやいた。

「あなた、まるでお人形さんみたいね……」

 その途端、周囲が凍り付いたのを彼女は知らない。
 何せそんな事よりも、彼女が衝撃を受けたものは別にあるのだから。
 ポツリと呟いたその声が、まるで知らない響きを持っていたのだ。自分の声が自分のものだと認識できない。彼女は急に不安になった。

「ねぇ……ここは、どこ? 私、一体――」

 ゆっくりと起き上がりながら呆然と呟く。自分の両手を見つめ、彼女は言った。

「私は一体……誰――?」

 その言葉を、その場にいる全員が信じられないような目で見つめる。
 そんな中で。彼女をそんな状態に追いやったその超本人が、動揺を隠すようにそう声をかけた。

「おい、クリス。そんな茶番はよしてくれ。そんなもの、この場の誰も信じやしない」
「……あなた、私のお友達? ここでの私は、クリスと呼ばれていたの?」

 彼女がそう気安く声をかけると、周囲の者達は一斉に息を呑んだ。
 何せ、彼女がそう言葉をかけたのが、この国の第一王子であるフィリップ・サン=テグジュペリであったからだ。
 普段のクリスティアーヌを知る者は知っている。彼女程の人間が、王子に向かってそんな口を叩くはずがないと。
 だからこそ、先程の言葉が真実味を帯びてくるのだ。

「な、何をおっしゃっているの? しっかりなさってください。クリスティアーヌ様っ、貴女様はドヴィエンヌ公爵家の人間ではありませんか! フィリップ殿下に向かって、そのような……兎に角、これ以上、貴女様の名を汚してはいけませんっ」

 クリスティアーヌと親交の深かったロランヌ・ビジュルベルジェール侯爵令嬢は、悲鳴のような声を上げた。はしたないと思いはすれども、止められなかったのだ。本来のクリスティアーヌを知っている彼女だからこそ、あまりにもかけ離れたその姿に動揺を隠せなかった。まるで、友人をひとり、なくしてしまったような気がして。
 ロランヌは床に座ったままの彼女に駆け寄り、その両手を手に取った。クリスティアーヌの手の上にのせられたままだったその令嬢の手が、するりと落ちていった。

「こうしゃくけ……、でんか……? 何なの、ここ。私はどうしてこんな所に来てしまったの。ただ、生きたいと願っただけなのに」
「生き、たい……?」
「そう。私は生まれた時から体が弱かった。だから、お医者様から寿命だと言われた16歳の誕生日に願ったの。健康な体になって、もっと生きたいって。そう、私は願ったのよ」

 周囲は示し合わせたかのように、一斉に息を呑んだ。

「――でも、そうね。ここがどこであれ、どんな状況であれ、私は嬉しく思うわ。全然苦しくない。こうしてまた、生きていられる。苦しくも辛くもない健康な体で、きっとお外を歩けるんだわ……嬉しい」

 そう言って、優しく微笑みを浮かべるクリスティアーヌは、もう元のクリスティアーヌではなかった。その微笑みは、以前のものとは別物だからだ。
 常に凛とし、うっそりと微笑むあの、恐ろしくも美しい令嬢は消えてしまった。
 誰もが、そこで確信してしまった。
 本当に、彼女は元のクリスティアーヌ・ドヴィエンヌではないのだと。
 その場は奇妙な沈黙に包まれたのだった。



◇ ◇ ◇



 クリスティアーヌは、学園にある美しい庭園の中を歩いていた。凛とした、見とれるほどに美しい動作で、彼女はひとり庭を歩いていた。
 そんな侯爵令嬢である彼女に、後ろから声をかける者がいた。

「クリスティアーヌ」

 上位貴族である彼女に、堂々と声を掛けられる者は限られている。特に、このような一人きりの時に。
 彼女はその声に振り返ると、ニコリと笑みを浮かべた。以前の彼女にはなかった、穏やかな笑みだ。

「あら、マリー様とフィリップ殿下、御機嫌よう。今日も天気がよろしゅうございますね。ご婚約してからお外へは出掛けられましたの?」

 ここひと月ですっかり貴族令嬢としての所作を思い出したクリスティアーヌは、ゆっくりとカーテシーをしてみせる。以前と全く変わらないその美しい動作は、まるで彼女が別人であることを忘れるほどだった。

「いや、まぁ、……度々出かけては、いる」
「まぁ、そうでございますか。仲が良いのはよろしゅうございますわ」

 ニコリと、何の禍根もなく。彼女は本当に嬉しそうにそう言った。
 婚約破棄を一方的にされた相手であるというのに。気にもとめていない様子だった。





list
×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -