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ファインダー越しにあなたを見つめる

 石龍(せきりゅう)ミズキは写真が好きだった。
 高校二年、写真部に所属している。身長は188cmと中々に良い体格をしていたが、彼は根っからのインドア派だった。

 ミズキは、身体を動かす事が嫌いではない。親に通わされていた水泳のおかげで、ガタイもそれ程悪いものではなかった。
 高校入学時には、バスケットボール部、バレーボール部、柔道部や水泳部など、沢山の部活動に勧誘された。けれど彼は、全て断ったのだ。
 何せミズキには、それ以上に魅力的なものがあった。
 写真。それが、高校生になったミズキがどうしてもやりたいことだった。
 高校への入学時、父親から譲り受けた古い一眼レフカメラ。小さな頃からねだって、ようやく貰える事になったのだ。
 ミズキの撮る写真の被写体は人間だった。生徒たちのさりげない生活の一部を撮影するのが好きだった。
 学校でもカバンの中にいつも潜ませ、放課後の校舎内をうろつき撮影した。部活動に勤しむ同級生達は、ミズキの目には特に輝かしく見えた。

「石龍(せきりゅう)、お前、本当に写真部でいいのか? そのガタイなのに勿体ない」

 会う度にそう言う教師は鬱陶しくて仕方なかった。いくら体格は良くても、ミズキは運動よりも撮影している方が好きなのだ。何もかも、押し付けてくる大人がミズキは嫌いだった。

「いいんすよ、俺、カメラ好きっすから。運動嫌いなんで」

 運動が嫌いな訳ではない。それは、教師に言い訳するためのでまかせだった。

 くる日もくる日も、シャッターを切り続けた。部活動の中で、自分で現像する方法も覚えた。
 デジタルの時代の中、アナログで撮影して現像まで手掛ける。この無駄が、ミズキは堪らなく好きだった。
 一人きり、何も考えずに自分だけの世界に没頭できる。ミズキはあっという間に夢中になった。

 そんなある日だった。
 ミズキは彼に出会ってしまった。

 放課後の教室に、置いてきてしまったフィルムを取りに戻ったミズキは、目撃したのだ。誰もいない教室でひとり、机に向かって何かを書いている彼に。
 夕焼けの赤に照らされながら美しい所作で文字を書くその姿が、美しかった。その瞬間、ミズキは見惚れた。
 すぐにその場でカメラを構え、シャッターを押す。もうそれは無意識に出てしまうほど、ミズキにはよくよく馴染んでいる動作だった。
 カシャン、という旧式のカメラの音が響くと、彼はミズキに気付き、驚いたように顔を上げた。そんな表情も、今ここで撮りたくなるほど素晴らしかった。
 ミズキはこの時、何故こんなにも撮りたいのだろうかと首を傾げた。けれどその意味を知るのは、ずっと後になってからだった。

「誰──って、同じクラスか。石龍(せきりゅう)だよな? いつも写真撮ってる」
「ああ、ワリィ、勝手に。夕陽に照らされて構図が良かったから、つい。大丈夫だった?」

 茶色いアシンメトリーの髪をさりげなく撫で付けながら、ミズキは申し訳なさそうにそう言った。別に今日初めて会ったわけでもないのに、ミズキはこの時手汗をかいていた。緊張していたのだ。

 彼──高槻(たかつき)カイリは、クラスの中でも美形、と称されるような生徒だった。二年になってから同じクラスになった彼の周りにはいつも、誰か他の生徒達がいた。
 ミズキが近付けるような類いの人間ではない。今までずっと、授業以外で顔を突き合わせて話をしたことはなかった。彼の顔立ちの美しさにも、さして興味など無かったのだ。
 彼等と自分との間には深い溝がある。ミズキは常にそれを感じざるを得なかった。

「ああ、うん、別に問題ないけど。……その写真、どうするの?」
「ああ、これ、……多分現像して部室に飾る。コンテストあるし、選ばなきゃ」
「へぇ、飾るのか……今撮ったヤツ見れんの?」
「や、これフィルム式の古いヤツで、画面とかでも見れねぇの」 
「ふぅん。なぁそれ、じゃあ現像できたら見せてよ」
「えっ」
「えって、だって今撮ったろ? 俺のこと」
「ああ、うん。そうだけど、……そんな見たい?」
「うん。だって気になるじゃん。それ、本格的なカメラだろ」
「ああ、うん。親父から貰ったヤツ。ずっと欲しくて、ようやく貰えた」
「いいじゃん。やっぱ見たい。いつならいい?」
「えっと……今日撮ったやつは明日の分とまとめて現像するつもりだから……」
「あ、そしたら土日あんじゃん。見に行っていい?」

 ミズキはその時何故だか、とてもふわふわとした気分でカイリと話をしていた。クラスの生徒とここまで話をするのは、初めてだったかもしれない。何と言葉を返したのかも覚えていないくらい、ミズキはただぼうっと言葉を紡いでいた。

「──んじゃ、土曜日の11時な。土曜日も部活動、やってんだろ? 校門でいい?」
「おおー。……ってかほんとに来るんだ」
「だから、俺見たいって言ったろ。んじゃさ、俺、ミズキって呼ぶわ。石龍(せきりゅう)だと呼びにくい」
「っ……おお、なら、俺もカイリって呼ぶわ」
「うん。よろしくね、ミズキ」

 そうしてミズキは、カイリと接点を持つようになった。
 普段の教室ではいつものように過ごす。時折チラチラと視線をやると、カイリは誰も見ていないところでミズキに笑いかける。それだけで彼は、まるで天にも昇るような心地を覚えた。カイリの事しか考えられない。
 学校が終わり、土日が来るまでの間中ずっと、カイリの笑顔ばかり思い浮かべて過ごした。写真も自然と、カイリの姿を写したものが増えていった。

「何だよ、ここ2日撮ったヤツ、俺ばっか写ってるじゃん」

 人の少ない部室で、掲示された写真を見ながらカイリは笑うように言った。そう言われて初めて、ミズキはそれに気がつく。

「あれっ、ホントだ……無意識だったわ。なんか写真に映えんだよなぁ」
「ふふふ、俺、格好良いから」
「言うなお前」
「あはは、……でもさ、ミズキも良い写真撮るじゃん。俺、お前の写真好きだわ」

 カイリはきっと、何気無くそんな事を言ったに違いない。けれどもミズキは、それを聞いてしまった途端に頭が真っ白になってしまった。
 意味はどうあれ、好き、と言われたその言葉がミズキの心に刺さった。

「ん? どした、ミズキ?」

 そう言って、下から覗き込んでくるカイリの顔が、ミズキに迫る。それでようやく、ミズキは我に返った。
 恥ずかしさと嬉しさとがごちゃ混ぜになり、顔が真っ赤になっている自覚があった。顔を背けながらボソリと言う。

「ワリィ……そんな事言われたの、初めてだから」
「……ふぅん? 俺は良いと思うんだけどなぁ」
「ああー、それ、恥ずいわ」
「はは、ミズキって案外恥ずかしがり屋だなぁ」

 それからの会話は、ミズキは余り覚えていなかった。とにかく彼と話せた事が嬉しくて、ミズキは胸がいっぱいになってしまったのだ。
 それでとうとう、ミズキは気付いた。ああ、自分はカイリが好きなのだなぁ、と。
 本当はもっとずっと前に気付いていたのかもしれない。けれどこんな、普通ではない恋、カイリが受け入れるはずもない。

 ミズキはその場でそっと、何もせず、恋心を胸の奥にしまう事にした。どうせこんなのは慣れている。中学時代の初恋をしまい込む事だってちゃんとできたのだ。
 今回もまた、それと同じ。
 微かな胸の痛みを感じながら、ミズキはカイリの側で笑った。友人としてこうして、彼を撮って彼に誉めて貰える。そんな位置を、ミズキは喜んで享受したのだった。けれども、そんな幸せな気分は長くは続かなかった。


「カイリくん、今日はうちらの部活見にきてよぉ! この前別の部活のとこ、見に行ってきたんでしょ?」
「あれ? 何で知ってるの」
「他のクラスの子が見たって言ってたよ」
「あはは、そうだったんだね」
「なら────」

 カイリは相変わらず人気者だった。無愛想なミズキとは違って、誰にでも分け隔てなく接する彼の傍には、必ず誰かがいた。
 自分はあの輪の中には入っていけない。今更、と白い目で見られるのは目に見えている。だからミズキはこうして、外を眺めるフリをしながら、目の端でカイリを盗み見る事しかできない。
 自分の写真を好きだと言って笑ったカイリ。その時の顔を思い出せば、ミズキは何でも耐えられる気がした。

 他の生徒達の姿に混じって、ミズキの写真には必ずカイリの姿が映るようになった。時々、そのカイリの目が、ファインダー越しのミズキを笑って見詰める。
 レンズを通してだとは言え、その目に見詰められると途端に、ミズキは苦しくなる。伝えられない想いが、どんどん大きくなっていくのを自覚した。

 カイリが時々こっそり部室にやって来ると、ミズキは飛び上がるほど嬉しかった。
 クラスで話しかけられないのがもどかしかった。女子生徒に触れられながら笑う彼を見ると辛い。いつか彼にもすぐ、彼女ができるのだと思うと悔しかった。なんで自分ばかり、と思うとどうしようもなく情けない気分になった。
 けれど、そうしてしばらく経つと、そんなカイリと共に過ごす時間すら、ミズキはどうしてだか辛くなってしまった。いつかは飽きて来なくなる。そんな日を想像して、ミズキは怯えていた。

「なぁ、ミズキ」
「んー?」
「最近、俺のこと撮るの辞めたの? あんまカメラ向けて来ないよな」

 ある時部室で、カイリにそう問われてミズキはドキリとした。
 確かにカイリの言うように、ミズキはカイリを写す事を避けていた。ファインダー越しとはいえ、あれ以上彼に見詰められてはミズキの気持ちは大きくなるばかり。
 だから少し、心の負担を軽くするように、ミズキはカイリにカメラを向けないでいたのだ。まさかそれに気付かれていたとは。ミズキはドキドキとしながらも、カイリの問いに適当な理由をつけて誤魔化した。

「あー、いや確かに最近カイリばっかとってたから……少し他のも撮ろうとかと思ってさ」
「……ふぅん?」

 まるで、その嘘を見透かそうとしているかのような視線だ。まるで、自分を撮らない事に拗ねているかのような。そうでないとは分かっていても、ミズキは少し、勘繰ってしまう。
 もしやこれは、自分が彼を撮らない事を不満に思っての質問なのではないか。ミズキのそんな馬鹿な妄想は、たちまちカイリへの恋心に上乗せされた。期待なんてしたくないのに、ミズキは何故だかドキドキとした。

「コンテスト、頑張って」

 そう、カイリはいつものように笑みを浮かべると、その日はとっとと部室を後にしてしまった。ああ、これでもう、カイリはここへは来ないのではないか。そう思うとミズキは苦しくて、そしてほんの少しだけ安心した。





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