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凍てつく罪悪



 チカゲはぼんやりとした表情で、風を受けながら空を眺めていた。

 随分と昔、生まれ故郷である地球で見たような一面のスカイブルー。空も海も草木ですら青青として、故郷と何一つ違いがない。燦々と光り輝く太陽の下、雄大な自然を残す大地が、目下に広がっている。強すぎない柔らかい陽の光が、チカゲの微睡みを誘う。心地よい少し冷たさを含む風がひゅうと抜けていった。

 まるで、自分がその頃からずっと変わらず故郷に居続けているかのよう。気を抜けば、そんな錯覚すら覚えそうになった。全く異なる世界で、全く異なる真理を持つ世界に居るのだとしても、それは唯の自分の妄想なのではないかと。
 もう二度とあの地には戻れるはずなどないのに。

 チカゲが今、人を乗せられるほどに巨大な大鷹に乗り、主人と共に国々を飛び越え移動している最中だなんて。それこそがまるで、唯の自分の頭の中での妄想であるかのように錯覚してしまうーー

「チカゲ、ちゃんと掴まれ。落ちるぞ」

 遠い目をしていたチカゲに気付いたのか、チカゲの主人は優しく背後から声をかけると、腕を腰に回して彼をを抱き寄せた。チカゲが顔を背ろへと向けると、見慣れた涼しげな美貌が彼を見下ろしているのが見えた。
 チカゲがその声に応えるように首を縦に振ると、薄い表情の中に微かな笑みが宿る。慣れた者にしか解らない程度の微かな変化だったが、チカゲにとっては十分なものだった。
 満足気だ。そんな感想を持ちながら、チカゲは再び前を向き、背中に身を寄せる逞しい肉体に身体を預けたのだった。




 今から五年程前の話。
 チカゲは突然、この地へやって来た。むしろ、連れて来られたというのが正しい。学生だったチカゲは帰宅途中、近くを歩いていた高校生程の男子と共に、この地へと引き摺り込まれてしまったのだ。
 突然足元に現れて二人を覆ってしまった眩い閃光が消え、二人が目を開けると。二人は何処とも分からない、だだっ広い建物のど真ん中に立っていたのだ。まるで西洋の教会のような、神殿のような、厳かな雰囲気の室内に、二人は降り立ったのだった。
 訳も分からず混乱する中、二人の目の前には、これまた白く煌びやかな衣服に包まれた男達が雁首揃えて並んでいた。ニコリともせず、緊張したような面持ちで、或いは威圧するような気配を滲ませて、彼等は二人の周囲をぐるりと取り囲んでいたのだ。口々に何事かを語りかけ、懇願するように、或いは脅し付けるように、何かの言葉を発していた。

 その時、チカゲは足元がぐらつくような錯覚を覚えるほどの恐怖を感じていた。何せ、彼等の話している言葉が、不思議な程理解出来なかったのだ。誰だろうと、これだけ常軌を逸した出来事に見舞われれば狼狽えもする。何せ、言葉はサッパリ理解出来なくとも、その場の雰囲気位は伝わって来るのだから。
 チカゲはすぐに理解した。何か自分達は、とんでもない事に巻き込まれてしまったのだと。

 この時ひとつ、チカゲにとって救いだったのは、共にやってきた高校生ーー名をユウキと言ったーーが、彼等の言葉を理解出来るという所だった。チカゲの言葉も、彼等の言葉も、ユウキは不思議と理解出来たのだ。
 チカゲは早々にユウキに縋った。言葉も事情すらも理解出来なかったチカゲにとって、ユウキは正しく命綱だったのだから。
 チカゲは幸運にも、ユウキのお陰で事の顛末を知る事ができたのだ。二人は別の世界へと、その世界を救う為に召喚されたのだと。そして、帰る手段はないと言う事も、召喚されたこの国の王城で過ごし、力を尽くして欲しいのだとも。
 そんなを言葉を理解できたとしても、突然の事態に何も言う事もできず、チカゲはユウキの側で呆然と縮こまる事しか出来なかったのだった。

 それからの暮らしは、そう悪いものではなかった。環境や習慣は全く違えども、その国の王城や神殿での暮らしは快適だったのだ。ユウキに付き合ってもらいながら言葉を習ったり、この国での習慣や歴史を習ったり、生活は充実していた。
 ただそれも、ユウキが居たからこそ出来た事で。その国でのチカゲの暮らしは、ユウキという存在に大きく依存していたのだ。何をするにもユウキの側に着いて行く。慣れとは怖いもので、そのような生活が半年も続けば、チカゲは側にユウキの存在が在る事を当たり前だと思うようになった。彼が居なければ、チカゲは不安で堪らない。言葉が少し分かるようになってからは一層、チカゲはユウキに依存するようになっていった。

『ユーキ様が居なければお前など……』

 ユウキの居ない所で度々言われる言葉に、チカゲは恐怖した。ユウキの側でなければ自分は生きていけない。チカゲはそう、思わされていたのだった。

 召喚術という技術は、召喚した者に有利に働くように出来ている。召喚物は召喚者の言葉や命令が理解出来るよう、性質書き換えられてこの世界へとやって来るのだ。ユウキがそうであったように。
 だからこそ、ユウキのおまけとして付いて来たチカゲは、彼等にとっても異様な存在だったのだ。召喚者の力の及ばぬ召喚物なぞ気味が悪い、手元に置きたくも無い。彼等のそんな気持ちは、言わずともチカゲにも伝わっていたのだ。だから一層、チカゲはユウキの側を離れなかった。

 召喚物であるはずのチカゲが、何故彼等の言葉を理解出来なかったのか、その理由をチカゲが知る事になるのは、随分と後の事だったが。

 それを知るよりも前に、チカゲは不幸な巡り合わせによって王城から追放されてしまった。正攻法ではない。
 とある男のとある思惑によって、話す事を封じられ、記憶を封じられて。チカゲは何処とも解らぬ土地へと転送されてしまったのだった。

 突然現れた、記憶も身寄りもない小綺麗な男なぞ、その地では人買いの好い餌食だった。すぐにその手の商人にとっ捕まり、チカゲは売られた。言葉も満足に解らぬまま、話す事も出来ず、チカゲはされるがままだった。

 最初は貴族の家に売られた。次も貴族だった。その次は、何処かの怪し気な組織へと売られた。そして流れ流れ、チカゲは今の主人の元へやって来たのだった。
 チカゲはある種の才能があった。訓練され、様々な技術を叩き込まれ、危ない事を沢山やらされた。けれどもその頃にはもう、チカゲはすっかり麻痺してしまっていた。幸せだった過去ですら、すっかり忘れてしまう程に。どうしてだか声は出ないし、自分が何故このような異世界に来たのか、理由も解らない。けれどもう、そんな事はどうでも良かった。ただ少しでも良い方へ転がるだけ。そう思ってチカゲは、従順に命令に従った。
 今の主人は、幾分かマシだった。愛玩動物のように扱われる事も無かったし、暴力もそれ程酷くは無かった。学や戦いの術を教えられ、すべき仕事を与えられ、それの成功に応じてそれなりの報酬が手に入る。
 元々売られた身で、契約に縛られる中ではチカゲに選択肢などない。だから再び売られぬよう、チカゲはただ成功を積み重ねるだけだった。
 チカゲには才能があった。故にそのお陰で、チカゲはかの組織におけるボスである主人の目に留まり、こうして主人と共に彼等の目的を果たす為、とある国へと向かっているのだ。

「もうすぐ着く。着いたら拠点に行くぞ。しばらく補給を整えたら進軍だ」

 何も無いチカゲの中にも、たった一つだけやらなければならない事があった。とある国に行く。理由は解らない。けれども自分はそうしなければならないと理解していて、チカゲはその事だけを考え生き抜いてきた。話せないが故、それを誰かに伝えた事はなかったが。

「チカゲ、今回はお前が最前線だ。いつものように引っ込んで貰う訳にはいかない。突撃したらまずーー連中の息の根を止めろ」

 けれどももしかしたら、そんなチカゲの目的を主人は察しているのかもしれない。だからこうしてチカゲを傍に置き、同じ大鷹に乗せているのだ。チカゲを利用しようとしているのかもしれないけれども、チカゲはこの好機を逃す訳にはいかなかった。
 チカゲの主人の事、国を渡る程の大規模な作戦を行うなんて、ロクでもない理由だろうというのは分かりきっている。けれども、自分が自分の為に動いた事で誰がどうなろうとも、最早チカゲの知った事では無い。勝手にこんなクソみたいな世界に来させられて、右も左も解らぬままに放り出され好き勝手蹂躙されたのだ。どうして好きになれようか。

 チカゲは主人の端的な命令にこくりと頷くと、じわじわと目下に見えて来た大都市を眺め、不思議と胸を昂らせていた。
 戻って来た、などという感動などではない。忘れているはずだから。それは、来たる戦闘に対する昂りだった。

「……珍しくヤル気だな。頼むから、間違って俺達を吹っ飛ばしてくれるなよーー」

 身の内に宿る炎をこれでもかと滾らせていたチカゲに、主人は嗜めるようにチカゲの頭を優し気に撫で付けるのだった。どうしてだかそれが心地良くて、チカゲは人知れず目を細めるのだった。





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