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41.後始末


 イライアスは、屋根の上に寝転がって大の字になりながら空を見上げていた。深い闇の中で輝くいくつもの星々が小さく瞬いている。どれもこれもが砂粒ほどに小さく見えて、まるでゴミ屑みたいだ、と情緒もクソもなくイライアスは思った。
 ミライアを含め、数多くの人間達にも眉を顰められてきたそんな思考で、イライアスは考えていたのだ。
 特別大きなこの街には不釣り合いなほど、静まり返った夜の世界は、物想いに耽るにはちょうど良かった。

 ミライアの罠に嵌るように、ノコノコとこの街へとやってきてしまったイライアスだったが。吸血鬼としては初めて、人間達とあのような話をした。
 普段はその地の領主として、人間として話を聞く事はあるけれども。ああいった形で自分の本当の姿を晒して話すのは、ほとんど初めての事だった。
 あれでも多少、緊張はしていたのだけれども。それ以上に別の事にばかり気を取られてしまって、イライアスは実のところ集中できなかったのだ。それが故にあんな無様を晒してしまった。うっかり領主だなんてバラすような事を口にしてしまった。あんなの、まるでジョシュアと同じではないか。偉そうな事を口にしていた癖に、自分だってあの男と同じだったのだ。格好もつかない。

 イライアスはむしゃくしゃとしていた。
 目線だけで互いに察しやがって。自分を除け者にして一体何だというのだ。親しげに人間と話すあの男を想像すると、イライアスは何故だか気に障った。
 あの男は、元はハンターだ。必要時以外は延々と引き篭もっていた自分とは違って、外に出て人と話し交渉し、そして戦うような、そんな人間だったのだ。自分の生きていた世界とはまるで違う。ずっとずっと、あの家に縛り付けられている自分とは。
 もちろん、ミライアだってそうだ。彼らと自分とは違う。

 そうと分かってはいても、ああやって知らない世界を見せ付けられると、癪に触った。他の人間がいくら他所の世界でどう生きようが、イライアスの知ったことではない。今までだって気に留めた事なんてなかったはずなのだ。
 それが一体全体、どうしたことか。あの男のそんな世界を見ていると、どうにもダメだった。
 そして、訳も分からず苛立っている自分もまた腹立たしかった。こんな些細なことで苛立っている。こんな自分は知らなくて良かった、と。自分のイメージする吸血鬼像から離れていく気がした。

 あの男はきっと、誰にでもああなのだろう。臆病で自信がなさそうで、従順で物腰が柔らかい。無口かと思えば、意外と話はするし意見も言う。恥ずかしげもなく気持ちを伝えてくる事だってある。あの歳で今時擦れていない、天然ものの素直さだ。愚直だと言えなくもないがそこまで考え無しではない。時折、盛大にやらかしてくれるようではあるが。
 それにしたって、あの男はイライアスのツボを突くのが何と上手いのだろうか。彼が無意識に欲していたのだろうその言葉を、いとも簡単に差し出してくるのだ。しかも、それが本心であることは疑いようもない。
 数多の人間達と接してきたイライアスだからこそわかってしまう、ひとの本音。
 何の裏もなくただ、思ったことを口にする。それがこの世では時に、禍をもたらす事も多かろうが。それこそを欲しているという人間も、確かに存在するのだ。

 イライアスは両手両足をめいいっぱい広げながら、夜空の星と月の光を浴びる。きっとこうしている内に、あの何かと気にしがちな男は自分を迎えに来てくれるはずだ。
 埋め合わせはするだなんて、そんな軽々しく言ってしまっめ。一体自分がどんな要求をするつもりなのか、あの男は本当にわかっているのだろうか。
 分かっていても分かっていなくても、どちらにせよ美味しいのだけれども。そう考えると、イライアスの機嫌は少しばかり上向いた。あの男が驚く姿を見るのがやけに楽しみに思えたのだ。我ながら単純だ、と彼は自虐的にもそう思う。

 それから一体、どれほどそうしていただろう。夜の闇が薄くなり、朝に良く見る鳥が囀り出した頃に。
 薄らとした気配と共に、その男は姿を現した。

「――こんなところにいたのか」

 随分と気配を断つのが上手くなったように思う。イライアスが最初に見た時からすると、雲泥の差だ。
 そんな感想を覚えながら、彼は男に顔を向けた。

『イライアス、悪かったな。追い出したようになってしまって』

 呟くように宥めるように、互いにしか聞こえない声で男――ジョシュアは言った。フードに隠れて見え難かったが、下から見上げた男はさも申し訳なさそうに眉尻を下げていたように思う。そうすると少し、厳つい顔立ちが和らいで見えた。
 イライアスは内心、いつも思うのだ。この男は本当に顔で損をしている。見た目と性格が平気で真逆な上、無言がちな態度が相手に余計な誤解を与える。誰かそれを指摘してやれる人はいなかったのだろうかと。
 そのおかげで今のこの男があるのだとすれば、まぁそれはそれで良かったとも思わなくもないが。何とも、不憫で不幸な男だろう。

『別に、いいよ。……何か大事な話っぽかったしぃ……除け者だなんて思ってないもん』

 ツン、と口を尖らせながら冗談めかしてそう言えば、ジョシュアはその場で苦笑したようだ。

 こんな風に、誰かとこの力を使う時が来るなんてイライアスは思ってもいなかった。信頼した相手のみに伝える精神感応。ミライアは別として、イライアスは他所の吸血鬼たちとはてんで考え方が合わない。あんな暴力的な変態たちとなんてお断りだ。だからこそ、力の波長を誰かと合わせようだなんて思わなかったし、その必要性も全く感じられなかった。
 それが今やどうだ。この男は次々と、イライアスの殻を破らせにくる。それらはきっと、この男の無意識の行動には違いないだろうが。そう思うとやはり、この男とイライアスとの相性は、抜群に良いと思えてならなかった。

『拗ねてるのか?』

 こうやってジョシュアは、イライアスの心を掴んでしまって放さないのである。

『アンタが聞きたいなら、別に話しても構わないぞ。そう大して面白くもない話だが』

 言いながらジョシュアは、寝転がるイライアスの頭上でその顔を覗き込んできた。
 随分とスッキリした顔をしている。あのチビ男との間で、何かあったのか。それを思うと益々気に食わなかった。

『べっつにぃー。宿追い出されて何時間も放置食らって拗ねてなんかないし』
『だから、それは悪かったって。……外にいなくても、彼女の部屋にでも行けば良かったんじゃないのか』
『ええー、それは勘弁……俺が説教されるに決まってるじゃん』
『……説教されるような事をするからじゃ――』
『さぁ帰ろうか! 早くしないと朝になっちゃうね!』

 ミライアの話題を誤魔化すように、バッと起き上がってすぐに促せば、呆れたようなため息が聞こえてくる。
 最初の頃のジョシュアは、ビクビクとこちらの様子を窺ってきて、それはそれで面白かったのに。この男も言うようになったものだ。

『相変わらず調子いいな』
『……さて、埋め合わせに何してもらおっかなぁ』
『…………』

 ただどちらかといえば、イライアスは今の関係の方が断然好いと思っている。こうやってまるで、友人だかのように丸々曝け出せるのは、思った以上に心地が良かった。

  風を切りながら無音で屋根の上を翔ける。何度も来ているはずの王都だというのに、この男といるだけでまた違った色を見せる。
 何をしてもらおう、と頭では色々と考えながら、イライアスはほくそ笑んだ。意外性のある要求をしたい。ただそれを考えるだけで、イライアスは不機嫌であったことすら忘れてしまうのだった。



◇ ◇ ◇



 昼間を宿で寝ながら過ごしたジョシュアは、陽も落ちかける頃に中央ハンターギルドへとやってきていた。埋め合わせとやらの話はまた後日、というイライアスのにやけ顔に不安を覚えながらも、彼はイライアスと共におとなしくやってきたのである。
 すっかり日も傾き茜色に染まった空は、静まり返ってしまった街と相まって、どことなく不気味さを醸し出していた。
 街そのものが喪に服している。店はどこも閉まり、ハンターギルドを示す旗と国旗を掲げ、人々はひとりの国民的ハンターの為に祈りを捧げていた。

 会談が始まるのは夜になる頃だというのに、ジョシュアは昼間のように黒づくめの装備で顔を覆い隠していた。喪に服すというつもりもあったが、どちらかといえば、顔を見られぬようにという意味合いも強かった。
 何せ、ジョシュアのハンター時代の知り合いというのは、特にこの中央部付近に多くいる。いくら十数年ほど歳を食ったとはいえ、仲間の顔くらいは意外に憶えているものだ、と。ジョシュアはエレナの一件で身に染みた。警戒するに越したことはない。

(エレナが死んだと聞けば多分、あの人らも皆来るだろう。……俺がいなくなった話も、聞いてるのかもしれない。居たら、どうしようか……)

 考えれば考えるほど、ジョシュアは先が不安になる。エレナとの契約は、ジョシュアが彼女を殺したことで無事に破棄されている。そうなるように、あの死に際に二人で決めたのだ。
 飲み干せば魂を生かせると言ったあの男の言葉(逸話)を信じそして、エレナのお願いを叶えるために。ジョシュアは彼女の最期の生命を吸ったのだ。
 だからこそ余計に、会いたくなかった。みすみす妹を死なせた兄だと思われるのは辛い。そうではなかったとしても、彼らに会わせる顔などない。彼らの中では自分も、死んだままにしておいて欲しかった――。

『下僕、知っている顔が居たらすぐに言え。出会さんように誘導する』
『分かった。助かる』
『全く……とんでもないことになっている。ハンター達は総じて言うことを聞かん。大したものだな』

 愚痴のようにそう言ったミライアの言葉に、内心で苦笑しながらジョシュアは前を向いた。
 あの部屋だった。最初にエレナとセナが入る所を見た会議室。そこに、ジョシュアとミライア、そしてイライアスがフードを深く被りながらずらりと並んでいる。
 ミライアもイライアスも、大柄な男ほどに身長があるため、随分と圧迫感があった。ジョシュアはまるでその中に紛れた子供か、あるいは小人のようだ。そんなことを内心で自虐しながら、相手方の様子を窺っていた。その顔を順に見ていくが、どれも知らない顔だ。
 あの中にギルド全体を管理するギルド長と、この王都中央部を取り仕切るギルド中央所長がいる。かつて所属していたところの最高幹部。そう思うと、どこか身が引き締まる思いだった。


「揃ったようだし、始めたいと思うのだが……良いかな――?」

 そう言ったのは、この場に集ったギルド側の人間だった。額から米神にかけて傷のある髭面の男は、イライアス程には体格も良く、見たまま自分はハンターであると示しているような男だった。暗めな金髪の髪を短く切り揃え、顎にかけて、髭をたくわえている。一見して威圧感のある風体は、交渉ごとには持ってこいだろう。
 この場には5人の人間達が集まっていたが、その他も面々も似たようなツラばかりで。ジョシュアは既に、その場から早く退出したくて仕方なかった。

「それで構わん。続けてくれ」

 ミライアがそう言ったところで一瞬、人間達からギョッとしたような雰囲気を感じた。粗方、女がいるとは思ってもいなかったのだろうが。
 話を切り出したその男ともうひとり、黒髪で涼しげな風貌のそのは違った。動揺すらもしない。

「分かった。まず――君らの素性を明かしてもらいたいのだが、構わないだろうか? 私はハンターギルド中央所長をしているデメトリオだ」

 そう言って頭を下げると。男――デメトリオはミライアの方をジッと見つめた。言え、という事だろう。誰一人、口を挟む事はなかった。

「良かろう。そういう約束だ。お前達がそこのセナから聞いたように、我々は吸血鬼だ。ここでは私の事を“マヌエラ”と呼べばいい。他言無用だがな」

 言いながらミライアは、顔を隠していたそのフードをその場で外して見せた。再びその場が静まり返る。その場の人間達全ての視線が、彼女に集まるのをジョシュアは感じていた。

「これは――驚いた。こんなにも美麗な女性が、吸血鬼だとは」

 微塵も驚いた様子も見せず、デメトリオは言った。恐らく、世間話で場を和ませるために言ったのだろうが。ミライアはそんな事で喜ぶような女ではない。
 半目で片眉を器用に吊り上げながら、まるで不快そうに言った。いつもの、腕組みをして仁王立ちをした、彼女らしいそんな姿で。

「ふんっ、その程度の世辞なぞは聞き飽きた。無駄口を叩いている暇があるならばお前達が知りたい事をさっさと言え。私は早いところ済ませたいのだ。ぐずぐずしている暇はないぞ? あの一件から、既に二日が経過している。この会談が終わればすぐに動き出す。さっさと聞けばいい」
「えっ、ああ……いきなり、いいのかそれで」
「全く構わんよ。お前達の前置きはつまらん上に長すぎてかなわん」
「……ゴホン、では――」

 完全にミライアのペースだった。それからすぐ、彼らの要求はつまびらかにされる。

ひとつ、【S】級ハンターエレナの置かれていた状況は一体どのようなものだったのか
ひとつ、敵はどのような者達だったのか
ひとつ、ハンターギルド内に敵が紛れ込んでいたというのは本当に間違いがないか
ひとつ、吸血鬼は滅んだのではなかったのか、なぜそのような誤解がされていたのか
ひとつ、吸血鬼である事を証明せよ

 デメトリオがそれらを口にしてしばらく、ミライアは黙り込んだ。何を考えているかもわからないような、そんな無表情で。どこまで何を話すべきか、彼女も迷ったのだろう。両腕を組んだ状態のまま、じっと目を逸らさずにデメトリオを見つめていた。
 そんなミライアに対して、デメトリオの方も視線を逸らす事をしなかった。その眼差しに対峙するように、真っ直ぐに見つめ返していた。
 吸血鬼だという、その女に対してだ。先日の一件のように、魅了の魔術をかけられる恐れもあったに違いない。それでも男は、ミライアの視線から逃れるような事はしなかった。
 そんな男の姿を見て、彼女は言った。

「良かろう、話してやる。まずは――我らが数日前、この王都に着いた途端に、お前達ハンターから襲撃を受けた一件からだ」

 それからミライアは、一部を除き、その事件の全容を語り始めた。ジョシュアとエレナが知り合いで、ジョシュアが元ハンターである事、イライアスかジョシュアの血液を目当てにやって来た事、そしてイライアスが城塞都市からやって来た事は、完全に伏せられている。もちろん、吸血鬼達に伝わる例の箱の事も含めて。上手く辻褄を合わせながら、かねがね真実に近いものをミライアは語ったのだった。

「――それでだ。お前達人間の世界にも深く関わる事だと、私がそこのセナに依頼したのだ。もちろん、我ら吸血鬼の事が余りに広まり過ぎるようであれば、お前達との協力関係は切らせてもらうがな」

 そう、宣言するように言い切ってしまうと、ミライアは言葉を切った。あちら側の反応を窺っているのだろう。ジョシュアにはそれが分かった。

「……成る程。セナ君が説明した通りか。これは一体、どうしたものか……我々の中に居た“対象者”を絞り出す必要が――」
「なに、その心配は及ばんさ。おい下僕」

 途端、ジョシュアはいつも通りに呼ばれハッとした。だが同時に思うのだ。こんな真剣な場で下僕だなんて呼ぶのはやめて欲しい。せめて“ゲオルグ”と、呼んでほしかったものだった。背後でイライアスが笑いを噛み殺している気がする。ジョシュアは言いたかった言葉を必死で呑み込んだ。

「ん? ――ああすまん、ついな……“ゲオルグ”、だったな……下僕、お前、あの翼の魔族による魔力は覚えているだろう? 痕跡があるはずだ。探せ」

 言ってやりたい気持ちを必死で我慢して、ジョシュアはこくりと頷いた。
 それだというのに、イライアスとセナなぞはとうとう耐えきれなかったのか、あちこちで噴き出しては誤魔化すように咳き込んでいる。
 ジョシュアはそれを無視して、あの魔力の気配を探った。未だ微かに漂う奴の気配の中でも、強くその存在を感じさせるもの。
 ジョシュアはその場で、ヴィネアの残り香を探した。





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