Main | ナノ

40.記憶の中に生きる


 ジョシュアとイライアス、セナの3人は、窓から静かに部屋へと侵入した。誰もいないガランとした部屋には何もない。昨夜の余韻も、何もかも。

「改めて、よろしく。【A】級ハンターのセナ、です。昨日は助かった、ありがとう。アンタらと話をしてみたくてさ。夜なら、街にいるかと思って」

 促されるがまま、セナはベッドの片方へと腰掛けた。その正面に座ったイライアスとジョシュアを見ながら、少しばかりぎこちない様子でそんなことを言う。
 イライアスは普段とそう変わりない様子だったが、ジョシュアはそれをどこか不安そうに見つめてた。何せ、普段の様子がアレなのだ。失礼な話を繰り出すんではないかと、そう疑ってしまうのも無理はない。
 流石にこの男も、初対面の人間にはそれ程ふざけた態度は取らないはずだが。それでもどこか、不安が拭い切れていなかった。
 そんなジョシュアの心配をよそに、イライアスは口を開いた。

「ああ、うん。俺が“あの人”の罠に嵌っただけだから、気にしないでー。俺も実際、ひとごとじゃあなかったんだよね。あの事件、俺の街でも起きてたし、ついでだよ」

 かなり落ち着いた、いくらか外行きの態度であるようだった。
 途端、ジョシュアの緊張がほぐれたのは言うまでもない。イライアスに対するイメージが、随分と失礼なジョシュアだったが、当人はそれに気付きもしない。

「“あの人”? ミッシャさんのこと?」
「あー、うん、多分その人。あの人は人間用に名前、何度も変えるから……覚えるのも面倒でさ。俺は適当に呼ぶね」
「へぇ、そういうものなんだ。……じゃ、早速。アンタらはどこの街でそれを聞いたの? 被害に遭った街って結構沢山あるから、それも聞きたくて」
「俺は、城塞都市だよ。王都の周囲から集めてたって聞いたし……あそこは近いからね」
「成る程……それじゃあ、あの、少し小耳に挟んだんだけど。ギルドを乗っ取ったって話は、“赤毛”の、アンタのことで、合ってる?」

 そう、セナが聞いた時だった。途端、じわじわとイライアスの目が見開かれていくのを、ジョシュアは目撃した。

「は? え、何でそれ知ってんの? え、姐さんバラした!? ねぇ“影の”!?」

 よほど衝撃だったようだ。ジョシュアにもその気持ちは分からなくはない。何せこの男にとってはきっと、そう楽しい過去ではなかったはずだから。

「……そうだな。その話は、“彼女”からも聞いた」
「はぁーー!? なにそれ! 姐さん酷いっ」

 それをこの、人間のハンター達に対して話したミライアの思惑は、ジョシュアにもよくは分からない。
 ただ、彼女がする話には大抵、何らかの意味がある。さり気ない話の一つ一つに何かが隠されている。いつだってそうだった。
 だからこれも、何かしらの意図をもって告げられたものかもしれない。ジョシュアにはそう思えてならなかった。赤毛が嫌う話をただ、嫌がらせのように面白おかしく聞かせる。そんな事を、彼女のような者がするはずがない。ほとんど確信のようなものだった。
 イライアスの悲鳴にうるさいぞ、と呟きを返しながら、ジョシュアは何も言わなかった。その理由は、この男自身で気付くべきことだ。どこか冷静な頭で、ジョシュアはそんなことを思った。

「いや、だってさ……! ねぇ、分かるでしょ、“影の”!?」
「あー、それは、まぁ……」
「でっしょお!? ほんっと、“あの人”容赦ない!」
「ええと……話、進めてもいい?」
「うん、ごめんね! それ、俺の話だからどうぞ進めて!」

 イライアスの無駄に元気な主張に、セナもまた引き気味のようだった
 促されるまま、セナはおずおずと口を開く。ただ、赤毛の男は本気でこの話題を嫌がっているのだと、声音から理解したのか。その声は遠慮がちである。
 ジョシュアはただ、そのふたりのやりとりを眺めるだけだった。

「その時は、ミッシャさんが解決した、って聞いたんだけど……どうやったのかなと思って。吸血鬼のこと、俺らはよく知らないし」
「…………」
「あの、言いたくないなら無理にとは……」
「別に、いいよそんくらい」

 言い澱むイライアスにセナは声をかけるが。結局、彼は話すことにしたようだ。ゆっくりと語りかけるように、イライアスは話す。
 数百年は昔のことだったらしいとジョシュアは認識していたが。イライアスにとっては余程、忘れられないものだったようだ。まるでつい、数年前の出来事であるかのように。鮮やかにそれは語られた。

「ほら、吸血鬼って魅了使えるでしょ? 俺もハンターとして登録して潜り込んでさ、その街のハンターギルドの上層部をそれで骨抜きにしてた訳。セックスも伴っちゃえば、そりゃもう完璧ね。俺、一時期貴族の仕事手伝ってた事もあって……コネもあるし、誰も疑わないし解けない。……だから処分される罪人を好き勝手するには、ちょうどよかったんだよね」

 そこでイライアスは一旦言葉を切った。その顔には何の感情も浮かんではおらず、この男がどういう気持ちでこの話をしているのか、ジョシュアには量りかねた。
 けれどひとつ、ジョシュアにはハッキリと分かってしまった。この男がなぜ、ハンターギルドなぞを狙ったのか。最後のひと言でそれも、理解できてしまった。
 大食漢たるこの男の食欲を満たすため、可能な限り死んでも問題ないような人間を全て、把握していたかったのだろう。軍よりも騎士よりも、夜の生き物が紛れやすいその環境。吸血鬼である自分の事ですら何も分からぬ中で。その当時残されていた理性で、この男は考えたのだ。
 それが、その事件のあらましなのだとしたら。ミライアが何故この男を生かしたのか、ジョシュアにもその理由が見えたような気がした。

「それを、“あの人”は力押しでぜーんぶ、ブッ壊していった。術に掛かっている人間全員の魅了を捩じ伏せて、自分側に引き込んじゃったんだよね……ほら、“あの人”一応は女性だから。男が多いハンターなんてそりゃ、女がやった方が魅了にかかりやすいよ。俺なんかよりも力のある同族だし。んで、見つかっちゃったらもう、それこそ捻じ伏せられて終わり。わかるでしょ? あんなバケモノ」
「……化け物が化け物を“バケモノ”って」

 そこではセナも口を開かずにはいられなかったらしい。冷静な彼のツッコミが入ると、イライアスは不服そうに口を尖らせた。

「あんな連中と一緒にしないで! ほら、姐さんが今回相手してた真っ黒い変態、あいつもそれと同類だよ。あんなの相手にしてたら命がいくつあっても足りない」
「吸血鬼にも、そういうのあるんだ……」
「人間だってそうでしょ? 【S】級だの【C】級だのって。そう大して変わんないよ。あとは――あの、翼の生えた魔族。アレは多分、ヤバい」
「え」
「そりゃね、不死に近い、ってのもそうなんだけど……なんてのかなぁ、魔力が違うって感じ。大抵、あの手の魅了や吸精の魔族ってのは力が弱いのが多いものなんだけど。アレは違ってた。“影の”も感じたでしょ?」

 唐突に出たあの魔族、ヴィネアの話にジョシュアは顔を強ばらせた。アレに植え付けられた数々の感情は、しばらく忘れられそうにない。それをまざまざと思い出しながら、イライアスの話に耳を傾ける。
 五感の至るところを刺激されたあの時の感覚が、その身によみがえってくるようだった。ジョシュアは無意識に、自分の腕をぎゅっと掴む。

「魔力にもその体にも魅了が宿ってた。その上、転送も使えるって……あんなのがいるなんて俺知らなかった。あの思想も俺らにしちゃ害悪だし、あそこで始末すべきだった。……ま、あんなんじゃ俺や姐さんが出てたとして、殺せはしなかったろうけど」
「そんなに?」
「だって……人間があんなのに抵抗できるわけないっしょ。他者の魔力には耐性の強い魔族も、同じ魅了を使えるはずの吸血鬼にだって下手したら効いちゃうんだよ? 王都のギルドでこれじゃあ、他でもやられるってことだからね。この国の中枢ですら」

 イライアスがそう告げた時。セナもジョシュアも、ほぼ同時に息を呑んだ。イライアスが言ったような考えにまで、二人は至っていなかったのだ。言われて初めて思い知らされる。

『――俺の計画もおじゃんだわ――』

 あのような大胆な行動をとった魔族ヴィネアは、明らかに何かを企んでいるようだった。それが、この国を乗っ取ることだとしてもおかしくはない。

『――こんなんで俺達の主人になろうとか――』

 魔王だのというその言葉が事実だろうが嘘だろうが、あの発言の端々から透けて見えるその思想は、十分に危険なものだった。もし万が一、本当に乗っ取られるようなことが現実に起こってしまったとしたら。この国のみに止まらない、この世界全体を巻き込む大波乱を巻き起こすに違いない。それだけは確かだった。

「まぁ、あそこは強力なガチの魔術師もいるから……うん、まぁ、そこは実力勝負かもだけど。そうなったら俺も困るわけよ、イチ領主としてもさ」
「……え、領主?」
「あ、ヤベッ……今の聞かなかったことにして」

 最後の最後でそんな事を漏らしたイライアスは。質問は受け付けない、という強い意志を孕んだそんな笑みで、その場を切り抜けるのだった。
 薄々そんな気はしていたジョシュアは。珍しくツメの甘いイライアスに、少しばかり親近感を覚える。

「――ってことで、上には上がいるという話は終わり。明日の夜、今後についてはそこんとこハッキリすると思うから。詳しくはその時ね」

 イライアスはそう言うと、ピシャリと話を終わらせてしまった。セナもその強い意志を感じ取ったのか、それ以上深く追及するようなことはなかった。

「ああ、うん。アリガトウゴザイマス……」

 頭を軽く下げながらそう言って、セナは次に、チラリとジョシュアに目をやった。何かを訴えかけるようなその視線に、ジョシュアはその何かを汲み取る。
 きっとそれは、イライアスには関係のない、聞かれたくないようなものなのだろう。ジョシュアはそっと、隣のイライアスに声をかけた。

「なぁ、“赤毛”」
「ん?」
「少し、席を外してくれるか?」

 そんなジョシュアの言葉に、一瞬目を見開いたイライアスは。

「……もう、仕方ないなぁ。俺ってば結構寂しがりなんだからね、後で覚えておきなよ?」

 少しばかり拗ねたような顔を浮かべながら、イライアスは立ち上がった。そのまま窓の方へと近寄り、手を掛けて部屋から出て行こうとしたところで。ジョシュアはその背に声をかけた。

「悪いな。後でちゃんと埋め合わせはする」

 その言葉に一瞬動きを止めたイライアスは。しかしそのまま何も言わず、窓から外へと出て行ってしまうのだった。
 一体、何をして埋め合わせをしようというのか。自分でそれにツッコミを入れながら、ジョシュアは再びセナへと目をやるのだった。
 申し訳なさそうな、どこか所在なさげなセナの表情に、ジョシュアは少しばかり妙な気分になった。気の強い、そして自信に満ちた彼の態度しか見たことがなかった。
 それが今やどうだ。まるで捨てられた猫のように、ジョシュアを上目遣いに見ながら不安そうにしている。あの一件で、全てが随分と変わってしまった。彼にはそう思えてならない。
 ゆっくりと口を開き、未だに話し出そうとしない男に声をかけた。

「どうしたんだ、突然。さっきの話をしたかったわけじゃないだろう?」

 珍しくジョシュアの方からそれを言う。今日ばかりはそれが正解のような気がして、少しでも話し出しやすいように、疑問符を浮かべながら彼は聞いたのだ。
 そしてそれにつられるように。セナもまた、その重い口を開く。

「うん。……あの、アンタももしかしたら、話しにくいかもしれないけど。――エレナの話、聞きたくて。子供の頃はずっと一緒だった、って聞いてたから。一番、あの人のこと知ってるのってアンタかなって、思った」

 ジョシュアから視線を逸らしながら、セナは静かにそう言った。思わずそこで息を詰めたジョシュアは、途端に目頭が熱くなる。泣くほどではない。けれどその身内として自分を訪ねてきてくれる。それが幸福のように思えてならなかった。

「……ああ、そうだな。セナには話してたのか」
「嫌だった?」
「や、そういうわけではない。エレナと別れて随分と経っているから。忘れているものだと思っていた」
「エレナに限ってそんなこと、しないと思うけど」
「ああ、そうだな。……俺のただの思い込みだった。……何から、聞きたい? 子供の頃から、初めてのパーティのことくらいなら話せる」
「うん、それも聞いてる。じゃあさ、エレナって――」

 そうやって話を始めてから。ふたりの思い出話は、なかなか止まる気配を見せなかった。ジョシュアの知るエレナの話と、そして【S】級ハンターとしてセナが知り合った後のエレナの話。時折笑い声を上げながら、彼等はじっくりと話し続けた。

 気付けば空も微かに白み始め、朝へと変わるその瞬間も近い頃。ふたりの会話はようやく途切れた。

「大分経っちゃった。……あの吸血鬼に悪いことしたかな」
「……いや、まぁ……赤毛なら、大丈夫だろ。この後迎えに行く」
「うん。――あれが、噂の吸血鬼か……」
「あ?」
「ほら、前に言ってたじゃん。エレナとそいつ、どっち取るのって」

 こんなしんみりとした会話の中で、唐突に出されたその話に、ジョシュアは言葉を失った。なぜ、今、その話を出すのか。昨夜の事が思い出されて、途端に居た堪れなくなった。

「アレは中々厄介な奴だね、底が知れない。けど、めっちゃくちゃ男前。ここの舞台役者にだって、あんなのは中々いないよ」
「え、あ、うん……?」
「あれが吸血鬼だとはねぇ……言われないと気付けないよ」

 人に紛れながら過ごすあの男は、同族でなければ気付けないほどには人間じみている。考え方はもちろん吸血鬼のそれだが、仕草や行動がまだ、人間としてのそれを残しているのだ。
 先程口走った、人間の貴族としての務めも確かにあるのだろうけれども。初めて人を殺めてしまった時のそれをしっかりと覚えているのは、あの男が未だ人としての心を持っているからに違いない。バケモノになりきれない化け物。だからこそジョシュアとも気が合うのだろう。ふと、ジョシュアはそんな事を思った。

「敵わないねぇ、ありゃ」

 あの男の姿を思い出しているのか、ふと、呟くようにセナは言った。その時どうしてだか眉間に皺を寄せていて。宙を睨むようにしばし、何かを考え込んでいるようだった。

「セナ?」
「いや、なんでもない。こっちの話」

 そう言って、あっという間にいつもの表情に戻ったセナは。

「俺、戻るよ。ハンターギルドでの会合でまた、今日の夜だね」

 口早にそう告げると、セナはすっくと立ち上がった。窓に近寄りそれを開けると。窓辺に手を掛けたまま、ジョシュアへと振り返った。

「ああ。少し、厳しい話になりそうだ」
「うん。そっちに任せるから。俺も、あんまり詳しい訳じゃない。口は出せそうにはないよ」
「いや、正直助かる。俺は恐らく、顔も口も出せないだろうから。いざという時は任せる」
「ああ、そっか。アンタは人間だった頃を知られてる可能性があるんだっけ」
「そんなにいいランクではなかったし、アンタの話の方がよっぽど聞き入れられる」
「えっ、ああ、うん。そう……分かった。じゃあ、またね。――ありがとう」

 窓から出て行ってしまうその直前にだった。セナから投げかけられた感謝の言葉に、ジョシュアは苦笑した。
 まるで捨て台詞のように言われたその言葉が、彼のひねくれた性質を表しているようで。どうしてだか、それがおかしくなってしまったのだ。
 出会ったあの時はどうなることかと思っていたが。案外、彼のような人間とこんな関係を築くのも悪くはない。
 改めて自分の世界の広がりを感じながら、ジョシュアもまた、その窓枠に手をかける。

 狭い部屋から一歩踏み出せば、そこからはもう外の世界だ。逃げも隠れもできない、この国の一部。
 こんなに長い間待たせてしまって、あの男は拗ねてしまっているだろう。大きな子供のような彼を思い浮かべながら、ジョシュアはそこから一歩、踏み出したのだった。





list
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -