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37.仲良くね


 バタン、と部屋の扉の閉まる音が聞こえ、そこでようやくジョシュアは我に返った。
 はて、自分は今まで何をしていたのだったか。全てを思い出すまでに少し時間がかかった。
 ぼんやりとした輪郭の中から、それらの記憶を引っ張り出していく。

 あの後のミライア達の話を端から耳にしていた。今日のところはほんの少し人間達に事情を説明した程度で、また後日、ハンターギルドの上層部達と会談の場を設ける事となった。
 ギルド所属のセナの証言や、その場に倒れていたハンター達や魔族のおかげもあり、無事に彼等の信用を得るだけの状況へは持っていけたのだ。
 そして、彼女の屋敷へは行かない方が良い、そういったミライアの判断から、ジョシュアは促されるまま、宿をとる事となった。そうして今、こうしてあてがわれた部屋へと足を踏み入れた、という訳なのだが。
 そういった経緯は思い出せても、ジョシュアはここまでの自分の行動が思い出せなかった。はて、自分は一体何をどうしてここまでやってこれたのだったか。全てが曖昧だった。だめだなぁ、こんなにぼんやりとしていては。そう思いはすれども、しばらくは使い物になりそうになかった。
 そんな事を考えながら、ぼんやりとしていた時だった。ふと、その背後から声が降ってきた。

「生きてる?」

 声に驚き振り返ると、見覚えのある赤毛の男が目に入った。その顔には普段通りの男の表情が浮かんでいて、ジョシュアは少しだけホッとする。
 相変わらず小憎たらしい程に整った顔立ちの男だったが、憐れみや同情のような表情は一切浮かんでいない。それが今は、何故だかジョシュアにとっては救いのように思えた。
 問われたジョシュアは、少しばかり冗談まじりに返す。今の彼には、それが一番の正解のように思われた。特に、この男相手には。

「死んでる。俺も、お前も」
「そりゃそうだ。んじゃ、元気?」
「……あんまり」
「だーと思った。二日後の夜に話し合いだってさ、人間達と。まっさか、アレがまさか、こんな事になるなんてねぇ……」

 いつもと何ら変わらない軽快なテンポで、赤毛のイライアスは朗々と語りだす。自分から話す方ではないジョシュアの性質を十分に分かった上で、彼は普段通りに好き勝手に喋り倒すのだ。

「ほらほら、突っ立ってないでアンタは寝る! 多分、全然回復できてないっしょ、あんだけ吸われてたら。ほんとは食事が一番なんだけど、あの雰囲気じゃあ貰えそうになかったし」

 そう言って、ジョシュアの身の回りの世話までしだしたイライアスは。何もせず部屋の入り口付近に突っ立っていたジョシュアの外套を剥ぎ、血だらけだったその服までも脱がせにかかった。
 下着は何とか死守したジョシュアだったが、この日は何かする気も起きず、この男の好きなようにさせた。全身を拭われ、いつかのようにイライアスのシャツを着せられながら、ジョシュアは促されるがままに部屋のベッドへと腰掛けた。ふと、ジョシュアはその場で疑問に思った事を口にする。
 イライアスは手桶に汲んだ水で、甲斐甲斐しくジョシュアの足を清めている所だった。

「ミライアも、この宿に?」
「えっ……、部屋別れるまで一緒に居たじゃん。何にも聞いてなかった?」
「……覚えてない」
「ほぉー……」

 正直にそう話すと、気の抜けたイライアスの呟きが、ベッドの下の方から聞こえてくる。珍しい事もあるものだ、とジョシュアは思わず笑ってしまった。

「ま、休めば落ち着くでしょ。ほら、終わったから眠っちゃえ、ジョシュア」

 イライアスはそう言うと、彼に横になるようにと促した。
 ジョシュアは固いベッドに上半身を横たえ、ぼんやりと暗がりを見つめる。灯りすら必要のない、彼らの部屋は暗闇に包まれている。けれどもジョシュアには、その部屋の様子が全部見えてしまっていた。
 反対側に配置されているもう一台のベッド、床に放り投げられている血に染まった衣服、そして、ベッドの横、目の前に座り込んだままのイライアス。吸血鬼であるジョシュアには、全部見えてしまっていた。
 そうやって、ジョシュアがしばらくそのままでぼうっとしていると。すぐそばから呆れたような声がかかった。

「何か今日のアンタ、手ぇかかるね……」

 言いながら、イライアスは外に投げ出されたままだったジョシュアの脚を持ち上げてベッドの上に落とした。その上に毛布がかけられると、彼はその場からそっと離れていった。
 反対側のベッド近くで彼もまた、身支度を整えだす。衣服を脱いだ男の上半身は、体格に見合った逞しい肉体をしている。見えたのはほんの一瞬だったが、それが少し、今のジョシュアには鼻に付いた。
 自分もあれ程恵まれた肉体をしていれば、少しでも強くあれたのではと、思わないでもない。強ければ防げた事もあるのでは、と。特に、ジョシュアの身を置いている世界では尚更の事で、思うようにならない歯痒さに、もやもやとしたものが胸に燻るようだった。

 とここで、自分の思考が妙な方向へ行ってしまった事に気付く。ジョシュアはその場で慌ててかぶりを振った。こんな事を考えていてもどうしようもない。止めよう。
 ジョシュアは反対側に寝返りを打った。下手をするとどんどん嫌な方へと思考がいってしまいそうになる。こういうマイナスへと振り切れている時には寝るに限る、と、無理矢理に目を閉じて眠りにつこうとした。
 するとどうだろう。何だかんだと身体は休息を欲していたようで、目を瞑るとすぐに意識が遠のいていくのを感じた。このまま、何の夢も見ずにただ眠りたい。そんな思考を最後に、ジョシュアの意識は望み通り、闇の中へと沈んでいった。


 夢を見ていた。
 夢の中の彼女は、死んだ時と同じ姿でその場にいた。【S】級ハンターの名に似合いの立ち姿で、凛々しくその場に佇んでいた。
 彼女はジョシュアに向かって微笑みながら言う。

『ジョッシュお兄ちゃん。私の全部、持っていって。あいつらをさ、私の代わりにやっつけてよ』

 そう言って彼女は、昔駆け出しの頃に使っていた剣をジョシュアに向かって差し出していた。何の変哲もない、古びた剣だ。使い込まれ、鞘に収められたそれは、彼女がいつも丁寧に研いていたのをジョシュアも知っている。
 夢の中のジョシュアは、それをおずおずと受け取った。ずしりと手に重みがかかる、いつもの古びた剣だった。
 だが、手にした次の瞬間にだ。その剣は突然、光の粒となって砕けたかと思うと。それらはジョシュアの身体の中へと吸い込まれていった。
 慌ててジョシュアが彼女に視線を戻すと、しかし彼女は忽然と姿を消していた。周囲を探したが、やはり彼女の姿はどこにもない。

『大丈夫、いつも一緒だから』

 そんな彼女の声は、不思議と自分の中から聞こえた気がして、ジョシュアはホッと息をついた。夢の中だからなのか、ジョシュアはそれを疑問に思う事はなかった。そして、その夢の最後の最後。

『だからまぁ、その……仲良くね?』

 そう、苦笑するように言った声に、ジョシュアは盛大に首を傾げるのだった。
 そうしてしばらくした後で。意識が眠りから引っ張り上げられるのが分かった。ジョシュアは少しばかり名残惜しく思う。まだ、彼女の声を聞いていたかったのにと。また、会えるだろうか。そんな事を思った。
 しかしひとつだけ疑問に思う。最後のあれは一体、どういう意味なんだろうか。仲良く、とは、一体誰と……? ジョシュアは目覚める直前まで、しばらく唸っていた。



 ジョシュアがハッと目を開けると、目の前には壁が見えた。どれくらいそうして眠っていたかは分からなかったが、長い時間ではなかったような気がした。
 しかし頭の中は妙にすっきりとしていて、何となく、夢の中に彼女が出てきた気がした。あまりはっきりとは覚えていなかったが、最後の最後に妙な事を言われた気がする。一体、何の夢で何を言われたのだったか。ジョシュアはしばらくそうやって考えていた。
 だがその次の瞬間だった。

「あれ? もしかして起きちゃった?」

 突然、自分のすぐ背後から声が聞こえて来て、ジョシュアはギョッとする。慌てて振り返ると、目と鼻の先に赤毛のイライアスがいた。今更ながらに気付く。背中に、この男の逞しい胸板が張り付いていて、間違いではなければ自分の腹には男の腕が回されている。ジョシュアは己の鈍感さを嘆いた。
 妙に狭いベッドだな、なんて寝起きに思いもしたが、まさかここでも潜り込んできていたとは。ジョシュアの予想を遥かに上回っている。さすがに野郎二人が一人用のベッドにはキツい。
 なんて、突飛すぎていつもの調子を取り戻したジョシュアは、真っ先に文句を言った。

「おい……なんで、お前までこのベッドに寝てるんだ。向こうにあるだろう」

 そんなジョシュアに一瞬驚いたような表情になったイライアスはしかし、次の瞬間にはいつもの笑みを浮かべていて。あの時とまるで同じ、いけしゃあしゃあと言ってのけたのだ。

「だって、ひとりじゃやっぱり寂しいかなぁと思って」

 それを聞いて、ジョシュアは酷い脱力感に見舞われた。
 イライアスはやっぱりイライアスだった。城塞都市での最後、あんな別れ方をしたものだから、彼との関係には少しばかりの不安を覚えていたのだが。そんな心配を全部爆破してしまうかのような彼の行動に、一気に力が抜けてしまったのだ。
 何にも心配なんていらなかった。自分がどう行動しようが、この男は変わらない。己の生き方を突き進むのみなのだ。最初からそうだった。
 この男は人の話を聞かない。
 そう思うと、ジョシュアは考え込んでいた自分が馬鹿のように思えるのだった。

「そうだった……アンタは、元々こういう奴だった……」
「ん、なになに? 俺がどうしたって?」
「何でもないッ。――おい、イライアス、狭い、休めないから向こうのベッド行け」
「あれ、いつものジョシュアに戻ってるじゃん」
「お前の無遠慮さのお陰かもな」
「どういたしまして」
「褒めてはいない」

 しばらくそうやって言葉、というよりかは文句と嫌味と天然の応酬を繰り広げつつ、イライアスの腕の中から抜け出そうと奮闘していたジョシュアだったが。
 イライアスの行動は普段と変わらず容赦がなかった。力では到底敵うはずもない。すぐに無理だと悟って諦めたジョシュアは、パッタリと力を抜いて、彼の体に背を預ける。ベッドのサイズ感が故、いつもよりも更に近い距離に妙に落ち着かない気分になった。
 その時に訪れた沈黙に、どうしても耐えきれなくなったジョシュアは。意を決してそっと、口を開いた。

「なぁ、イライアス」
「ん?」
「お前、あの屋敷での最後、何で突然居なくなったんだ」
「え」
「……一応、色々世話にはなったし、言いたかった事なんかも、他にあったんだぞ」
「…………」
「『見送りは一度もした事がない』って、“彼女”が言ってたが……それでか? 俺も見送りは得意じゃないんだ。気持ちは分かる。けど――さすがに、色々考えたぞ」

 珍しい真剣なジョシュアの問いかけに、イライアスはすっかり黙り込んでしまった。
 相変わらず本心の読めない男だ。普段、どうでもいい事はあんなにベラベラと話している癖に、こういう時には口が重くなるらしい。自分と同じで、イライアスもまた随分と難儀な性格をしている。ジョシュアは、自分の事を棚に上げてそんな事を思った。一度吐き出してしまうともう、止まらなかった。
 この体勢では顔が見えないおかげもあるだろう。返事もないまま、ジョシュアひたすら喋り続けた。このタイミングで一気に話してしまわないと、ジョシュアはもう二度と言えない気がしていた。

「あの時も言ったが、お前には感謝してるんだ。今回の事も、そうだ。例えアンタの都合で勝手にあそこに現れたのだとしても、イライアスが居なかったら、どうなっていたか分からない。――ありがとう」
「…………」

 それでも尚、返事すら返さない男にジョシュアは続ける。心が音を上げてしまわない内に。

「アンタなりにそういうルールとか、あるんだろうけど。さすがに、大事な事は言葉が欲しい。俺も、言わずにおいて後悔したばかりだ。ちゃんと、言え」

 そう言い切ってしまってジョシュアは。しばらく、イライアスの反応を待った。余程こういった話をするのが苦手なのか、しばらく、彼から言葉が返ってくる事はなかった。
 だが、そのままジッと辛抱していると。とうとう、イライアスからもちゃんと、反応が返ってくる。今日のところは、逃げられないタイミングを狙ったジョシュアの勝ちだろう。呟くように漏れ出たイライアスの声音は、少しだけ情けなかった。

「はあああ……、君ってばホンット……」

 そう言って、ジョシュアの肩口に顔を埋めたイライアスは、しばらくそうやって悶えたらしかった。
 カーテンを閉め切った外からは、微かな鳥の声が聞こえてくる。早朝らしい薄明かりの中。その部屋ではしばらくの間、ふたりの呼吸音だけが薄ら聞こえるだけだった。






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