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36.ベルエの箱


「――あれらは恐らく、私が探しているものの一部だ。胸を貫かれて死なんのであれば、恐らく間違いない。奴は本当に、“魔王”と言ったのか?」

 険しい表情をしながら仁王立ちするミライアが、ジョシュアのすぐ傍に立った赤毛のイライアスと、その場に座り込んだままのジョシュアに向かってそう言い放った。聞き慣れない硬い声音に、彼女の危機感のようなものが感じ取れる。

「間違いない。あれはそう言った。“魔王”の身内だと。それと、自分を“高貴な者”だとも」

 そうジョシュアが応えると、ミライアはそのまま考えるように押し黙ってしまった。イライアスとジョシュアとで、一体何事なのだろうかと目を合わせる。それが確実によろしくない事であるのは確かだった。
 この場において唯一の生きている人間であるセナは、彼女の傍に座り込んだきり、動こうとはしなかった。ジョシュア達の話すらも聞いているのかどうか。

「この世に存在する“秘宝”――あるいは“遺物”とでも言うのか……それらの中に、“ベルエの箱”と呼ばれる箱が存在する。いつだかの時代、吸血鬼であり、錬金術師でもあった男が造り上げたものだと聞いている」

 静かに淡々と話し出したミライアは、ひとつひとつハッキリと、二人に、あるいは三人に話して聞かせた。

「何者にも破壊できない、時を止める箱として我ら吸血鬼の間に伝わっていて、手にした者は完全なる不死を手に入れる事も出来るとされた。当初は誰も信じなかったが……確かにそれは存在した」
「何、それ、俺も初めて聞いたんだけど」

 渋い顔のミライアに、イライアスが問いかけた。余程驚いているのか、珍しく目を大きく見開いている。

「当たり前だ。噂になったのは、お前が生まれる何百年も前の話よの。私の若い頃であるし、この話は今や一種の禁句のように扱われている。知る者も少ないし、余程の事がない限りこうやって他所で話す事もない。それ自体も許されとらんからな」

 彼女の言う若い、という基準はよく分からない。イライアスは何やら口まで出かかったそれを、その場でぐっと呑み込んだようにジョシュアには見えた。何せこんな話の途中だ。話の腰を折る事は流石にしなかった。
 ジョシュアもジョシュアで、何も考えないようにしながら、目の前の話に集中しようと耳を傾けた。

「その箱が見つかった当初、我らの中でも騒ぎになった。完全なる不死と聞けば、極一部の特異な連中がこぞって欲しがった。だがそれを巡る闘いの末、箱を持ちたがる者は逆に死に絶え、管理する者が必要だという話になったのだ」
「呪いの箱みたいだな……持つ者を不幸にするとかいう」
「確かに。結局欲しい人は、不死を求めるあまりに逆に死んじゃった訳だし。哀れだねぇ……俺にはよく分かんない感覚だわ」
「吸血鬼だのというは普通、不死などというものに興味は持たんのだがな。生きるか死ぬかのスリルを求める。まぁ、特異な者は何処にでもいるという訳よ」

 疲れ果てた頭でも考える事くらいは出来るらしい。余計な考えを抱かないように、ジョシュアは時折口を挟んだ。それらは余計な口出しだったかもしれなかったが、今の彼にとってはそれが必要だと思えていた。
 今日を終わらせるのにはまだ早い。ジョシュアは己の心身を叱咤した。

「その箱は結局、とある貴族筋の吸血鬼によって管理される事になった。屋敷も大きく、厳重な保管庫も配されていた。そこへ、その箱は収蔵される事になったのだ。馬鹿な事を考える吸血鬼が、無駄に争わんようにと」
「それが、まさか、という事か」
「ああ、そうだ。何者かによって盗み出されたのだ。管理していた吸血鬼は屋敷で殺された。そう、弱くはない男だったはずなんだがな。そして、その消えた箱を私が探していたという話よ。五百年程は経ったと思うが……一体何処で手に入れたのやら。主犯の可能性も十分にある」

 そこで一旦言葉を切ったミライアは、思い出したように顔を顰めたかと思うと、再び話し始めた。

「あの魔族がどれほど生きたのかは知らんが……その箱を使っているのだとなると、相当厄介な話だ。箱は決して壊れん。そして箱には鍵があるのだがな、それを誰が持っているかを探し出す必要もある。もし……、本当に“魔王”と呼ばれる者が現れたのだとしたら、あの魔族とその“魔王”を名乗る者の心臓は、揃って箱の中に隠されてしまったのかもしれん。開ける為の鍵も同様にな」

 ジョシュアもイライアスも、それ以上口出しをする事はなかった。もし、本当に、お伽噺話にあるような“魔王”が本当に存在するのだとしたら。本当に、その“箱”にそれらの急所を隠されてしまっていたのだとしたら。考えたくもないことだった。

「あの“黒助”があちらについたとあらば、余計に疑わしい。あの男ならば管理者を始末してしまえただろうしな。その存在の真偽は兎も角として、“魔王”も共に探し出さねばなるまい。あれが本当ならば、この世は乱れる。先日からの行方不明の事件が好い例だ。我らの生活も、人間達とは別の意味で乱されるだろうよ。――そんなのは誰も望んではおらん。企みは一刻も早く潰さねばならん」

 いつになく真剣な眼差しで腕を組み、手で顎に触れながら、ミライアは何かを考えているようだった。ジョシュアはそれを見ながら不安に駆られた。
 あの魔族、ヴィネアは絶対に生かしてはおけない。それは“絶対”だったが、今の話を聞いて、ジョシュアにあれが本当に殺せるのかどうか分からなくなってしまったのだ。
 焦りを覚えていた。ジョシュアではない誰かに、その願いを委ねなければならない。そんな未来を恐れていた。
 彼女と、ジョシュアは約束したのだ。ジョシュアがあいつらを“やっつける”のだと。何もしてやれなかった。だから死に際のあの約束だけはせめて、守らなければ。ジョシュアは死んでも死にきれない。
 復讐、という訳ではない。恨み、は少しあるかもしれない。けれどジョシュアはどうしても、あの魔族をこの手で下してしまいたかった。
 そんな事をひとり、焦燥にかられながら考えていたところで。再びミライアが口を開いた。

「――この際仕方あるまい。おい下僕、人間達と共同戦線を張るぞ。ハンターとして奴らの元に潜り込む」
「え……」
「は? 何それ、冗談のつもり……?」

 驚くべき事だった。あれだけ散々、人間に見つかるなと言われてきたというのに。ミライアはいっそ、その中に入っていくというのだ。ジョシュアばかりか、イライアスまでもが驚きに口を開いた。

「冗談ではない。それが一番安全な解決法だ。我らも情報が居る。それに──ハンターが、しかも最高位のハンターが一人死んだ。下手に疑心暗鬼になられては困るからな、我らの存在と今回の経緯を一部には明かしておく。同じような手口を使われる心配も無くなる」
「それは……まぁ、確かにそうだけど」
「リスクももちろん承知の上でだ。どうせこの世が乱れるのであれば、我らの存在も白日の下に晒されるだろうよ。下手に人間達の恐怖を煽る未来を知りながら放置するよりかは、然るべき機関で管理させる方が余程理にかなっていると思うが。違うか?」

 いっそ押し切るようにミライアが言ってしまえば、イライアスはそれ以上口を出さなかった。反論の余地もない、現状の最適解のように思われた。

「決まりだ。少なくとも、我ら二人はハンターとして人間の中に紛れ込む。下僕は、最早拒否する気なぞはあるまい。赤毛、お前はどうだ? お前もやるか? 一度は同じようにハンター内部を乗っ取ったお前の事だ、出来ないとは言わせんぞ」

 ミライアはそう、イライアスに問うた。この一件、イライアスには直接関わりのない事だ。後々は否応なく巻き込まれる事になるかもしれないが、現時点で拒否できないものではない。
 ここでの一件はすべて忘れ、領地たる城塞都市へと戻り、いつものような放蕩生活に戻る事もできる。断るつもりのないジョシュアとは違い、彼にはその選択肢が与えられている。
 それを、イライアスはどう選択するのか。ジョシュアはジッと彼を下から見上げた。
 いつものふざけた調子が一切見られない今のこの男は、実は非番中の現役騎士なのだ、とそう言われでもしたら信じてしまいそうな雰囲気を醸し出している。普段からこうしていれば良いのに。と、ジョシュアは漠然とそんな事を思った。
 ミライアとジョシュアが注目する中で。イライアスは真剣な表情のまま応えた。

「いいよ、俺もやったげる。あの連中にあんま好き勝手されんのも面白くない。実際、俺も疑われてもおかしくない状況だったし」

 そう言い終わるや否や、ミライアはニヤリといつもの笑みを浮かべた。

「ふふ、それは重畳。餌に釣られたか」
「いや、まぁ……それも少しはあるけどさ」
「お前が我慢できる訳なかろう……サボるなよ。第一、お前も監視対象から外れた訳ではないからな」
「ええーッ」

 途端、いつも通りに戻った二人を見ながら、ジョシュアは少しだけホッとしていた。赤毛にはてっきり避けられるものだとばかり思っていたから。彼が思っていたほど面倒な人物ではない事を、ジョシュアは幸運に思った。
 そんな時の事。不意に、ミライアが声を少しばかり張り上げながら言い放った。

「おい人間、セナだったか? お前、いつまでそうしているつもりだ」

 突然、そんな声をかけたミライアに、ジョシュアは少しだけ驚く。あのままそっと、この話し合いを終わらせるとばかり思っていたから。
 そうしたらジョシュアも晴れて、彼の隣で彼女の死を悼もうと考えていた。彼女の強引さは時として少し厳しい。ジョシュアはそのような事を思った。
 セナは応えなかった。ミライアの言葉は続く。

「逝ってしまった者は戻らん。お前がそうしていても何も始まらんぞ。そうなってしまったエレナがお前に何を望むのか、何を言うか、良く考えろ。死を嘆くのは終わってからでも遅くはない。――今、お前でないとできない事がある。頼めるか。そ奴の死を無駄にしない為にもだ」

 ジョシュアには、セナの気持ちが理解できた。
 あれ程綿密に連携して戦闘を行っていたのだ。エレナとセナのバディ関係は、そう短くはないはず。数年間ずっと、彼女と共にそうしてきたのであれば。
 彼女を失った事でセナが感じたそれは、片翼をがれるに等しい痛みだったに違いない。それを思うと、ジョシュアはただただ痛かった。そして同時に共感する。

「うるさい。言われなくても分かってるよ、そんな事」

 静かな声でそう応えた後で。セナはその場ですっくと立ち上がった。一度、ぐいと腕で顔を擦ったかと思うと、ジョシュア達の方へくるりと体を向ける。
 その顔にいつものおちゃらけた笑みはなく、ハンターらしい鋭い眼光で、ミライア達を見返した。

「何、すればいい? アンタらもギルド、来てくれるんでしょ。吸血鬼やあの魔族のヤバさは身をもって理解した。そんだけしてくれる、ってんなら……俺も説明に参加して経緯を証明する、ってな事でいい?」

 あのような様子だったのだ。てっきり聞いていないものだと思っていたが。ジョシュアも驚くほど、彼はしっかりと聞き理解していた。

「ああ、それで構わん。お前が納得しているのならば話は早い。ハンターギルド、誰でもいい。話が早いと思う人物をこの場に連れて来い。今はまだ内密にだ。表沙汰になれば混乱を来す」
「分かった。四半刻くらい経っても来なかったら、少し覚悟してて。いつもそういう奴が居るとは限らないから。誰かは連れてくるよ」
「……ああ、それで構わん。どうせ何処かで必ず揉める事にはなろう」
「分かった。待ってて」

 そう言うと、セナはその場から踵を返し、素早く部屋から出ていった。
 あの吸血鬼とミライアとの戦いの中で周囲の部屋はすっかり破壊され、その場はいっそ廃墟と見間違わんばかりに崩れ果てていた。
 地下階だとはいえ、その衝撃に周囲の人間が気付いてもおかしくはない。コトが終わるまで誰も近付かなかったのは幸運だった。
 そのような事を考えて気を紛らわしながら、ジョシュアはようやくゆっくりと立ち上がった。ふらふらとする疲労感も無視をして、ただ彼女のもとを目指す。
 イライアスが助けに入ろうかと迷う素振りを見せたが、結局は何もしなかった。

 眠るように横たわった彼女の枕元に座り込み、その顔を眺める。
 死んではいないのではないか。今にも起き上がっていつものように笑いかけ、明るく軽口を叩いてくれるのではないか。
 数日前まではそれが現実だったというのに。今ではそれこそがジョシュアにとっての非現実だった。有り得もしないのに、ただそれをもう一度見たいと思う。

「おい、それを被っておけ。人間達が来る」

 ミライアの声が聞こえたかと思うと、ジョシュアに向かっていつものフードローブが投げつけられた。バサリと頭に降ってきたそれを手に取り、普段通りにその身に羽織る。フードをいつものように深く被ってしまえば、これがジョシュアという、人間だった男だとは気付くまい。

 周囲がざわざわと騒がしくなり、慌ただしく駆け回る人々の気配が現れるまで、ジョシュアはそうやってその場に座っていた。
 お運びします、とそう言って声を掛けてきた人間が現れるその時まで。ジョシュアはただ、座って彼女を見ていた。





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