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31.まどい惑わす



 突如、周囲が慌ただしく動き出す音をジョシュアは聞いた。
 目を塞がれていて何も見えぬ中、しかし複数の気配を感じて体が反応した。
 誰が何を言っているのかすら聞き取れなかったが、知っている気配と知らない気配がこの空間には在った。その中には、ミライアの気配もある。どこか朧げだが、確かに彼女のものだ。
 それらが、この空間の中で混じり合っている。自分を助けに誰かが来たのだろう、と思いはすれども、ジョシュアには状況が読めなかった。
 あのミライアの事だ。ジョシュアが囮となって街中をうろついている間、何か策でも練っていたのだろうと思いはすれども。どこか、違和感を感じる。
 あのミライアが、他所に助けを乞うたりするのか? それとも、二人のハンター達による動きなのか? ジョシュアは首を傾げた。

 後ろ手に拘束された鎖が解かれていくのを、ジョシュアは肌で感じ取った。完全にその重しが取り払われるや否や、ジョシュアは目を塞いでいた布を自ら取り払う。この、奇妙にも思える状況を一刻も早く把握したかったのだ。
 真っ先に目に飛び込んできたのは、吸血鬼と思わしき人影が目の前にしゃがみ込んでいる姿だった。それが、ジョシュアの鎖を解いた者だろう。
 急激に外の光(真っ暗ではあるが、吸血鬼にとっては十分過ぎる程である)を感じ取ったせいなのか、視界がぼやけて顔がよく見えない。けれど、ジョシュアの知る者達とは全く異なる気配だった。人間でもない。それだけは確かだった。
 知らない者の姿に驚きつつ礼を言ったジョシュアに、ミライアと思しき者の声がかけられた。
「お前がグズグズとしているからだ、ここで一気に畳み掛けるぞ」と、彼女はそう言い放ち、今まさにこの空間に居た魔族を目掛けて攻撃を開始するところだった。
 彼女が今まさに飛びかからんとしている魔族は、背に蝙蝠のような翼を生やし、白髪の少年のような姿をしている。ソレは宙に浮かびながら笑っているようにも見えたが、ジョシュアには不思議とその顔が見えなかった。

 ここで突然、ジョシュアはこの状況にひどい違和感を覚えた。どうしてなのか、これが茶番劇のように感じられてならなかったのだ。
 顔がわからない、吸血鬼と思しき仲間を連れて、ジョシュアを助けに来たミライア。
 ミライアの攻撃を軽々と避け、高笑いを上げる顔がわからない魔族。
 そして、ジョシュアの周囲で蠢く、敵のような顔がわからない複数の者達。それらは今まさに、ジョシュアへと攻撃を仕掛けんと襲い掛かってくるところだった。
 鎖を解いたその吸血鬼は、ジョシュアが応戦している間に、不思議と姿が見えなくなっていた。
 ジョシュアはこの時、腹の底から湧き上がってくる不快感に顔を顰めた。

 剣のように伸びた爪による攻撃が、ジョシュアの懐を狙う。それを足のステップでかわしながらひらりと後退すると、立て続けにもう一人、剣のように鋭く伸びた爪がジョシュアの首を狙った。その手を掴み上げて切っ先を逸らすと同時、ジョシュアはその勢いを更に加速させるように相手を放り投げた。
 その何者かは逆さまに壁に激突したが、攻撃の入りは浅そうだ。まるで人間がするような受け身をとられた。きっとすぐ復活して、次の反撃に移ってくるだろう。そして一人目はまだ、ジョシュアの目の前に居る。すぐに次の攻撃が繰り出された。

 ジョシュアの身体は勝手に動いてくれる。考える暇などなくとも、ジョシュアの身体には様々な攻撃への対処法が刻み込まれている。格上相手との戦い方も、文字通り身をもって学んだ。
 死んでも終わらない戦闘行為。あの日々ほど辛い事はかつてなかった。ジョシュアにしてみれば、空腹に耐える続ける方が余程楽だった。しかし、あの中でしか得られない経験も、確かにあったのだ。だからジョシュアは耐えられた。
 しみじみとその時の事がが頭に浮かぶ。あの赤毛のイライアスはどこで何をしているのだろうか。何故だか今、それが思い出された。
 ジョシュアの身体は軽かった。まるで、散々血を浴びせられたその時のように。
 何者かに空腹のまま監禁され、放置されたところまではジョシュアも覚えているのだが。
 何故今、自分はこんなにも腹が満たされているのだろう。ジョシュアの思考は遅々として進まなかった。

 二人がかりの攻撃は、その後もしばらく続いた。だがジョシュアは、反撃を躊躇していた。素手で放り投げたり蹴りや拳を叩き込んだりと、可能な限り距離を取らせて致命に至るようなそれは避けた。
 ここで、攻撃してはいけないような気がしていた。どこか化かされているような、騙されているような、そんな気がするのだ。
『──これは君も重々承知してると思うけど、俺らみたいなのは平気で人をだまくらかせるんだから、そこんとこは常に頭に入れておきなよ? 何があっても良いように、違和感を感じたら自分の直感を信じてさ──』
 赤毛のイライアスに言われた言葉が、頭の中で何度もリフレインした。
 何かがおかしい。けれどもそれがどうしてなのかが分からない。一向に纏まる気配を見せない奇妙な思考に、ジョシュアは益々顔を険しくした。
 だがそんな時だった。叫ぶようなその声に、ジョシュアはハッとする。
「何をしているのだ馬鹿者! 早く其奴を仕留めんか!」と、そう言った彼女のそのひと言で。
 ジョシュアの違和感は突如確信へと変わった。もしやこれは。
 するとどうだろう。まるで霧が晴れるかのように、ぼやけていたジョシュアの視界が、一気にクリアになる──。




* * *




 エレナ達はその時窮地に陥っていた。
 あの女吸血鬼の警告を無視したばかりに、今まで経験したことの無い敵相手に苦戦を強いられていた。
 正確には、敵ではないのだが

「セナ、無闇に突っ込まないで! アンタも知ってるでしょ、アイツは勘が──ッ!」

 攻撃をいなしながら言葉を切って飛び退けば、身を庇うように添えた剣の刀身にガチンッとその拳がぶち当たった。きっと相手は本気ですらないのだろうが、吸血鬼ならではの馬鹿力に、剣が悲鳴を上げるのがエレナにも感じ取れた。

(下手に受けると折れる! まさかこの剣に限界を感じる事になるなんて……、魔導剣よ魔導剣、耐性も強化されてるってのに。ジョッシュ、囮だなんだ言って攫われといて、何やらかしてくれてんの──ッ!)

 エレナとセナの今の相手は、何を隠そうジョシュアだったのだ。敵どころか、本来であれば味方である。それだというのに、彼は何故だか突然、エレナ達に襲い掛かってきたのだ。
 このような状況に陥ったのは他でもない。エレナとセナの二人が、ハンターならではの勘と調査能力によりジョシュアが居る場所に辿り着いてしまったからである。
 二人は忠告を受けた後も、内密にギルドの管理する建物の内で使用されていない場所をしらみ潰しに探したのだ。誰にも知られずに監禁出来そうな場所を、と。そうしたら何と、二人は偶然にも辿り着いてしまったのである。
 強運、または悪運が強いが故、ハンター達の中でも飛び抜けて能力を発揮してしまう、とも言えよう。それがため、エレナとセナはこのような事態になってしまった訳だが。

(鎖を解いてやってからよね……あー、ホント、元ハンターや吸血鬼ですら服従させちゃう魔族とか、タチが悪いってもんじゃないわ。確実に害悪よね、これ。ここで仕留めとかないと、後々大変な事に──ッ!)

 自分目掛けて繰り出される足蹴りを避けつつ、エレナは舌打ちを打った。どうにか、そんな状態であるジョシュアを止めようと先程から何度も掴みかかっているのだが。のらりくらりと避けられ反撃を受けてしまう。
 先程、それを食らって壁まで吹っ飛んでいったセナは、未だに痛そうに背中を庇いながら応戦している。もちろん、ジョシュア相手に武器なんて使えるはずもなく。時折襲ってくる蹴りや拳やらをとにかく、いなしてやるばかりだ。
 慣れない無手での格闘技戦は、二人相手にも関わらず苦戦を強いられていた。
 幻術だか魅了の術だか、はっきりとした原因は分からなかったが、ジョシュアは先程から宙に浮かんで楽しそうに様子を伺っている魔族の言いなりのようだ。
 そして、ただでさえ厳つい顔立ちを何故だかいつも以上に顰めながらジョシュアは、助けに駆け付けたエレナとセナを相手に素手で大立ち回りを演じている。
 その攻撃の加減に少しばかり違和感を覚えながらも、エレナ達は何とかジョシュアを御そうと奮闘していた。

「やっぱ俺って最高じゃん。変に耐性があったけど、あの女の眷属相手にやってやった! あっははははッ!」

 ひとりの吸血鬼に翻弄されているハンター達を嘲笑いながら、その魔族はケラケラと高笑いを上げていた。
 腰と背の中程より生えた蝙蝠のような大きな翼で宙に浮いたそれは、長く尖った耳とマーコール(山羊)のような角を生やした白髪の少年──あるいは少女のような姿をしていた。
 雪のように白い肌をほんのり赤らめ、アメジストのように煌めく目をうっそりと細めている。両手で顔を包み込みながら恍惚とする様はどこか扇情的で、少女とも少年ともつかない中性的な容姿も人間の劣情をより一層煽ってくるかのよう。
 ゾクリと匂い立つようなその色香に、エレナですら一瞬くらりとした。ほんの少し、それから立ち昇る魔力を浴びただけなのに。エレナはその危険性に舌打ちを打った。
 成る程、これではギルドの中にまで入り込まれてしまう訳だ。吸血鬼すらこうして取り込んでしまえる程の魔力。多少は抗えたとて、何度でも繰り返し浴びせられてしまえばひと溜まりもない。どうにかして、アレの影響下からジョシュアを引き剥がさなければ。
 そうは思えども、中々上手くはいかない。ジョシュアを捕まえるのがそもそもひと苦労な上、素手とはいえ馬鹿力の反撃を貰ってばかりいたらこちらの身体が保たない。近寄れなかった。
 こんな時には、偶然得てしまった魔族従属の印が役に立つには違いないのだが。エレナはそれに頼る気なんて更々なかった。
 そもそもが従属の印だなんて、二人には不要なものだったのだ。きちんとお願いをすれば頼み事なんてすぐに聞いてくれるし、いっそすべき事はないかと自分から進んで行動してくれる。ジョシュアは元々、そういった優しい男なのだ。時々やらかしてはくれるが。
 そんな彼が、人で無くなってしまったことが悔やまれる。しかもそれが、彼にとってはどちらかと言えば喜ばしいことであると理解すらできてしまって。エレナを一層遣る瀬無い気持ちにさせる。自分があの時、ハンターになるだなんて言わなければ。エレナはいつも考えてしまう。
 セナには従属契約は便利だ何だと言ってはしまったが、早いところこんなものは放棄し、元のジョシュアとの関係に戻るつもりだったのだ。
 生憎と、彼女の知り合いの魔術師は任務で不在のためここまで延びてしまっただけの話で。ミッシャ(ミライア)にも、殺す以外は知らぬと匙を投げられてしまった。
 ならば今回の任務も、使用する事なく無事に生き延びられればと思うのであるが。調査を進めてみて驚愕、これはさしものエレナでさえ、荷が重いと言わざるを得なかった。こうも簡単にギルドが取り込まれてしまうとは。
 あの魔族は危険だ。一刻も早く排除しなければならない。【S級】ハンターとしてのエレナの勘が、そう告げていた。

「ははっ、ここしばらく人間喰ってなかったから気分がいいなァ──、おい、『何をしているのだ馬鹿者! 早く其奴を仕留めんか!』そんな人間共さっさとヤッちゃえよ、俺の吸血鬼」

 その魔族が、さも楽しそうに告げたその言葉を皮切りにだ。エレナ達はその変化を感じ取る。しかし、彼等は行動を変える事なくただ、その場で淡々とぶつかり合うのだ。
 互いにしっかりとした目的をもって、生きるか死ぬか、だまくらかしあいの始まりである。





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