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他人の部屋で



「同室は?」
「土日は帰って来ねえよ」

 ガチャリ、と鍵の閉まる音を聞き届けた僕は、ひどくホッとしながら目の前のレイジにそう問いかけた。思ったよりも片付いた部屋は、二人部屋である分、僕のそれよりも広い。似たような造りではあっても、僕の部屋とは全く違う。他人の暮らしているその雰囲気に、少しだけ恐縮してしまう。

「こっち」

 レイジに言われてついて行けば、僕の寝室と同じ程の部屋に、同じような机とベッドが配置されていた。僕はその部屋の扉をパタンと静かに閉めると、扉から少し離れたところで、床に仰向けにゴロンと寝転がる。
 部屋は僕のところとはどことなく違う、いつも感じているレイジの匂いがした。

「おい」
「ん?」
「床に寝るなよ、ベッド使え」
「……僕は気にしない」

 呼ばれてそんな返事を返せば、いつものように深いため息をつかれた。

「んで? アンタ、何したんだよ」

 こういう時でもレイジはレイジ。一切僕に気を使う事なんてなくて、彼はいつもの調子で聞いてくる。僕が何かをやらかした事を前提として話をするレイジに、僕はクスリと笑ってしまった。

「見られちゃった。さくらがわくんに」
「……煙草を?」
「うん。それも含めて、多分全部。煙草片手に友達殴り付けて笑って振り向いたら、そこに居たの」
「ブフッ──そういう、変に間抜けなとこ、アンタっぽい気がする」
「ひっどぉーい……まぁ、それだけなら別に何とも思わないんだけど。さくらがわくんはさ、悪い事とかやっちゃいけないこととかも全部、嫌いなんだろうねぇ。……言われちゃったよ。シノを騙してるって、煙草も喧嘩も、全部打ち明けて謝るべきなんだってさ」
「…………」
「ふふっ、そんなの今更、謝ってどうすんのって。そもそも僕、心から悪いなんて思ってないし。──シノに、言ってないのはずっと、気になってたけど。今更、嫌われる位なら僕は騙し続けるよ」

 自虐気味に笑いながら、僕はボソボソと告げた。相変わらずなレイジの反応に、僕の心は不思議と穏やかさを保っている。同情も軽蔑もされない事に、心底安堵していた。

「あーあ、学校行きたくない。サボりたい」
「学年首席が、そんなんでいいのかよ」

 クスクスと笑いながら、僕は冗談めかしてそんな事を言う。レイジの反応はやはり相変わらずのもので、僕は調子に乗ってするすると口を滑らしていった。レイジから他人に漏れる事はないんだろうな。そんな打算でもって、僕が今まで押し隠し通してきた本音はもう、それこそダダ漏れだった。

「あーあ、もうやだなぁ、全部がめんどくさい。誰でもいいから、付き合ってくんないかな。全部忘れたいし何も考えたくない」
「アンタにアタックしまくってるあの馬鹿の事か?」
「ええー……、まぁ、ありがたい事ではあるんだろうけど。もうちょっと話の分かる人がいい。突飛な事するんだもん、ケイタ。彼の相手は僕が疲れちゃう。こんど、言うよ。ちゃんと。いつまでも返事がないと、ケイタもきっと嫌でしょ」

 そんな事を言いながらふぅっと息を吐いて、ただジッと天井見つめる。シノの事を考えていた。
 僕がひたすら隠してきたのも悪いんだけれど、シノは結構ニブチンなのかなぁとか、二人きりの時、あの二人はどんな話するんだろうなぁ、とか。
 今まで嫉妬しきりだった僕はしかし、何故だか穏やかな気持ちでそんな事を考えていたのだった。涙は既に、枯れているらしかった。

 そんな時だった。天井を眺めているだけだった僕の視界に、そっと歩み寄ってきたらしいレイジが映った。あれ、何だろう。そう思っている内に、レイジは僕のすぐそばにしゃがんで顔を覗き込んでくる。

「慰めてやろうか?」
「…………うん?」

 そう言った彼の言葉の意味がよく分からなくて、僕は顔を向けながらゆったりと聞き返した。僕の頭は今、シノとさくらがわの事でいっぱいいっぱいなのだ。その他のことを考える余裕なんてものはどこにもなかった。

「忘れたいんだろ?」
「……うん」

 そうやってジーッと、穴が空く程に見詰められて。僕は思わずレイジから目を逸らす。ただ単純に、どこか真剣なレイジと、目を合わせている事が耐えられなかっただけなのだけれども。僕のその行動は、どうやら失敗だったらしい。
 突然ぐいっと肩を掴まれたかと思えば、ギョッと身体を強ばらせた僕に、レイジはあろうことか噛み付いてきたのだ。床に寝ている僕に、身体ごと覆いかぶさってくる。

「んむ!」

 噛み付いてきた、そんな表現がピッタリな程、レイジは強引に口付けてきた。両腕をその手にとられて、本当に喰われるのではないかなんて馬鹿なことを考えてしまう位に食い付いてきて、舌も口も、吸われた。
 本当に突然の事で狼狽える僕は、抵抗も忘れて兎に角、酸素を取り込むのに必死になった。気持ちいいのと苦しいのと半分ずつ。悔しいかな、経験なんてない僕は、レイジの口付けに翻弄されてしまった。
 そうして、ようやくそれが終わった頃には、僕はすっかり息が上がってしまって。目を白黒させながら何も考えられず、目の前のレイジを、ただ見つめたのだ。

「アンタの泣き顔って、すげぇそそる。普段済まして余裕ぶっこいてるから余計に。いつか泣かしてやるって思ってた」
「な、に、いってんの」
「アンタさ、変なとこで真面目過ぎんだよ、きっと。普段はあんなにふざけた奴なのに、自分の恋愛の事になると全然ダメ。どうせよ、どいつもこいつも自分勝手な連中ばっかなんだから、したいようにすりゃいいのに。こんなになるまで引きずって、ずっと一人を見てたんだろ」
「…………」
「ほんと、馬鹿みたいに一途だよな、アンタ」

 その、どこか小馬鹿にしたような言葉が鼻につくのだけれども。舌舐めずりをしているような相手にのしかかられて、下手な事をしようとは思えなかった。僕がそれでもジト目で非難すると、レイジはニヤリと笑って言ったのだった。

「おかげで、とってやりたくなった」

 見た事もない優しい笑みで微笑みながら、レイジは親指で僕の口を弄る。口端をこじ開けて中に侵入しようとするそれを、僕はどうにか阻止しようと腕を取って顔を背けて。こんな中でどうして、このようなふざけた行いをするのか。経験のない僕をからかっているのか、なんて。
 混乱しりきの僕は、ほんの少しだけレイジに怖ろしさを感じながらも、ただ無言で言葉を待った。いくらレイジでも、無理矢理に他人を性欲処理の道具に使うような人間ではないと、分かってはいる。
 告白がどうのだの、初キスがどうだのと、そんな青春の1ページみたいな事をレイジと話したんだからきっと、それに間違いはないはず。
 一体何を企んでいるんだ、と、そんな思いを込めつつ彼を睨み上げる。するとレイジは、続け様に言い放ったのだ。

「会長からアンタを、今ここでとってやろうか」

 多分、冷静な時ならその言葉の意味なんてすぐに分かったんだろうけれど。今の僕は多分、考える余裕もない。
 益々意味が分からなくなった僕は、相変わらず追いかけてくる彼の親指をどうにかかわしながら身体を必死に捻る。言いたい事がわかりそうで分からない僕は、この時本当に混乱していたのだ。色々とありすぎた。考える事を、僕の頭が拒絶している。

「ふざけないでよ、離して」
「慰めてやるって言ったろ? それに、据え膳食わぬは何とやらってよく言うじゃねぇか」
「っうひ!」

 突如あらぬ所を刺激されて、僕は恥ずかしいやら悔しいやらで混乱の極み。本当にこの阿呆は、こうやって弱っている僕をただ良いようにして弄びたいだけなんじゃないのか。そんな気分になってくる。
 しかも、そんなレイジに少しだけショックを受けている自分もいて、僕はじわじわと別の意味で目の前が潤んでいくのを感じてしまった。僕の味方は本当にどこにも居ないのか。
 それでも元気な身体は、慣れない刺激を受けてどんどん張り詰めていって、僕は心底泣きたい気分だった。

「やっぱ、アンタそっちの経験ないんだろ」
「さ、サイアク! 変態!」

 指摘された事に僕はついカッとなって、馬鹿みたいに幼稚な言葉をレイジに投げつける。服の上から緩急つけて擦られるそこはもう、あっという間に張り詰めていった。きっと下着の中はぐちゃぐちゃだ。最悪、アリエナイ。
 頑張って顔を背けながらどうにかレイジを突っぱねるけれども、上に乗られて体重までかけられていたらどうしようもない。

「男に言われても痛くも痒くもねぇな」
「うえ、あ、馬鹿! ほんと、ふざけないでっ」
「なぁ、あんな鈍感野郎なんか忘れて、俺にしとけよ」

 突然、顔を近付けてきたレイジにそんな事を言われて、僕は思わず動きを止めた。それはまるで、告白のようじゃないか。自分の耳を疑った。

「──っな、なに、それ……。それって、レイジが僕のこと好きって、言ってるように聞こえるんだけど」

 ようやく絞り出した声は、少しだけ震えていたのかもしれない。今は本当、なんにも考えられないでいる僕は、真っ直ぐに見詰めてくるレイジから目を逸らす事ができなかった。

「……だからそう、言ってんだよ」

 思いがけず。それを肯定する答えが帰ってきて、僕はそれこそ本当に、どうして良いか分からなくなってしまったのだ。僕らの間に沈黙が落ちる。
 そこから再び口を開いたのは、レイジの方だった。

「それにアンタ、さっき会長じゃなくて、俺を選んだんじゃねぇか。俺の部屋に連れてけなんて、誘ってるとしか思えねぇだろ」

 そんな事を言われて自分の行動を振り返ってみて、僕はまたしても衝撃を受ける。指摘されてみれば確かにその通りだと、僕自身でもそう思ってしまった。
 あの時、シノから逃げたかった時。レイジの姿をみて、心底ホッとしたのは間違いようのない事実ではあるのだ。まぁひとつ訂正するならば。ソッチの意味で誘うだなんて気は僕には全く無かったのだけれども。そう思わせてしまった事は申し訳ないとは思うけれど、そういう致命的な勘違いは勘弁してもらいたいものだ。
 レイジが僕にとっての特別である事は間違いないのだろうけれども。僕にはまだ、そんな覚悟はきっと無いのだ。だからほら、こんな時にも僕は決められない。何も決めたくない狡い僕は、黙り込んで曖昧なままに流してしまおうとする。
 けれども、そんな僕の迷いを見越したかのように。レイジの甘い誘惑は続く。

「俺を連れ出したんなら、俺に気が無いわけじゃねぇんだろ?んなら、一途なアンタの失恋を俺が忘れさせてやるよ。俺は全部知ってんだ、会長の時みたいに隠す必要なんかねぇだろ。俺に、しちまえよ」

 その言葉に、僕は思いがけずにぐらりと揺れてしまう。言われた通りなのだ。初めっから曝け出しっ放しだった僕は、レイジ相手ならば堂々と両方の僕を見せられる。これ以上、幻滅されるような怖れもない。それはとてもとても、魅惑的な提案のように思えたのだ。
 何だかんだとレイジの隣に居るのは心地好かった。話だってちゃんと聞いてくれるし、変に気を使う事も、先輩だからってへりくだる事もない。妙に男気があって相手を尊重してくれて、頭も回るし意地悪な僕をちゃんと、受け止めてくれた。
 いつからだろう。僕は知らず知らず、彼の事を内に入れてしまっていたのだ。

 しかし、狡い僕はそれでも、シノの隣に居たいと思う。そんなだから、前にも進めず後ろにも下がれず、どうして良いか分からなくなってしまったのだ。
 なんにも応える事ができずに我慢も出来ずに。

「っも、どいつもこいつも──っばかぁ!」

 まるで小さな駄々っ子のように叫んで泣いた。

「泣くなよ、興奮する」
「へんたいぃー!」

 クスリと笑われながら、それでも僕はレイジの口付けを拒絶もせずに迎え入れる。

「もっと口、開け」

 ジワリと浮かんだ涙を拭われながら、僕は打って変わった彼の優しい口付けに、目を瞑って応えてしまった。
 初恋の終わりを噛み締めながら、僕は目の前の優しい誘惑に負けてしまったのだった。





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