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悪いことは重なる



「おいマァ、お前さ、最近俺の扱い酷くね?」
「ジローがバカな事するからだよ」

 そんな事を言いながら、僕は新しい煙草に火をつける。多分、今ので更なるストレスを受けたせいだろう。今日は多分、それをどうしても止める事が出来ない。
 実は、ここで喫煙する人間は意外と限られていて、僕とリュウキ、そしてこのぽちだけであったりするのだ。他の皆は意外と真面目で吸わない者が多かったりする。僕も普段、ここでの煙草は遠慮しがちなんだけれども。ここ最近ずっと吸えなかった反動で、こうして我慢も出来ずに中身を減らしてしまうのだ。
 あの馬鹿が、ケイタが僕に付き纏ってしつこかったのだ。どこにでも付いてきやがって、僕は屋上に近付く事すら出来なかった。時々、あのレイジがフォローしてくれたりはしたけれども、ここ数日のストレスは中々に酷いものだった。遠慮して告白の是非を先延ばしにしたのが悪かったのか、ケイタはマイペースに僕のところへとやって来た。
 それもこれも、面倒な事は先延ばしにする僕の自業自得でもあるんだろうけど。今はどうしても、決められそうにはなかったから。僕はどうにも身動きが取れずに、こうして更なる惚れた腫れたに挑む事になったのだった。
 その場でひと吸いして、僕は再度目の前に顔を向ける。僕の溜め息と共に、煙が口から立ち昇る。まるで、僕のストレスがもくもくと煙を上げているかのようだ。

「それで、そのリュウはどこに居んの? いつものとこ?」
「うん。──あ、そうだ! 今日来てんだよ!」
「来てるって、何が?」
「その恋煩いの相手、あの部屋に居るから行ってこいよ。で、最近ソイツに彼氏ができたとかで、アイツが突っぱねられてて機嫌が悪いの何のって……」

 ここでも失恋の傷がどうだと騒いでいるのか、と思うと、僕は眩暈を覚える。しかし、それと同時に妙な仲間意識を覚えたのも確かで。僕はうんうんと唸りつつも、少しだけ前向きな気分になる。

「全く、どいつもこいつも。僕の周りには運が無い奴が多いんだなぁ」
「運が無い? って、あれ? そういや、マァの好きなヤツは──」
「もういいや。潔く諦めろってシメてくる」
「ひぇっ」

 おんなじ可哀想な失恋者として、奴のみっともない所を見てやろう、そんな気分で僕はすっくと立ち上がる。ズルズルと追い縋るのはほんとにみっともない。負けたんなら、素直に引き下がるのも敗者の嗜み。それに、前を向く為にはそれこそ重要なんじゃないか。あのケイタの姿を見ると、少しだけそんな気がしたのはここだけの話だ。
 煙草を時々口に含みながら、僕はゆっくりと現場へと近付いて行った。リュウキが良く一人で使っている、どこぞの会社の社長室だったらしい部屋。ボロいが中々の調度品がそのまま放置されていて、いつの間にかリュウキ専用となった場所だ。
 リュウキ本人は他の人間の出入りを禁じてなんていないのだが、誰もが遠慮してそのような事になっている。誰もそれに文句はないのだ。それくらいには、彼には人望がある。僕なんかとは違って。
 扉一枚隔てて、中からは微かに声が漏れて来る。先程は気付かなかったけれども、何やら騒いでいるようだ。僕はあれ、と疑問に思いつつも足を速めた。
 リュウキは普段、頼り甲斐のある先輩ではあるのだが、余りに熱くなり過ぎると周囲が見えなくなる事がある。僕は以前からそれを諌める役目だった。
 熱くなる事もない、冷静沈着な二番目。僕はいつだってその立ち位置だ。何処へ行ってもそれが変わる事はない。
 どう足掻いても何をしても、二番目。

 思い切り扉を開いてサッと部屋の様子を確認すれば、背中を向けているボーイッシュな子が、リュウキに中々の剣幕で詰め寄られている所だった。コイツは僕なんか比べようもない位に良い体格をしているんだから、女の子なんかはきっと怯んでしまうに決まっている。
 眉間に皺を寄せた僕は、慌ててその場で駆け出した。

「頼む、もう一度考え──」
「だから、そういうのはもう止めてって言ってるじゃんか!」

 顔は見えないが、相手は本気で嫌がって居る様子。どう見ても脅されているようにしか見えないのだ。
 一気に二人に距離をつめた僕に、流石のリューも気付いて顔を上げるけれども。もう、この距離では間に合わない。目を見開いたリュウキに、僕は笑顔で拳を振り上げたのだった。

「不順異性交遊禁止ぃー」

 不意打ちが故、顔面に僕の拳を食らったリュウキは、それで平気でいられる筈がなくって。ぐぅっと呻きながら一歩、後ずさった。
 喧嘩に負けた事のないようなこの男に、一発入れられた事でほんの少し満足感を得た僕は。フフッと軽く笑って彼女を背に庇うと、その場で説教をした。

「リュウ、お前何やってんの、みっともない」
「マ、マァ……お前、来てたのかよ」
「だって呼ばれたし」
「いや、別に俺は──」
「何言ってんの、呼んだのアンタらでしょ。僕に話聞いて欲しいんだって?」
「いや、その、それは後で、」
「はあああ、僕も最近あっちで色々あって疲れてるんだよ。次から次へと止めてくれる? ストップ役のアンタがそうなっちゃってどうすんのさ。僕、嫌だからね、ここで何かあって一々呼び出されるの!」
「いや、それは、だい──」
「ほんとにね! 僕が何のためにここ来てるんだかわっかんなくなる! ストレス発散! 誰かの尻拭いの為に来てるんじゃないの!」
「うぐぅ、でもよ、俺も──」

 そうやって僕は、いつものここでの調子のままに絶叫したのだった。指摘されて口籠るリュウキに、僕は少しだけスッキリする。思った事をそのまま口に出してぶつけるのは、まぁ中々に貴重な時間だ。
 後ろに庇った子を放って、そんなやりとりを続けていると。タイミングを見計らったのか、不意に戸惑う声が聞こえてきた。不思議と、どこか聞き覚えのある声だ。

「あ、あの〜……」

 僕はその声にハッとして、仲間の外向けの、他所行きの笑顔を慌てて貼り付ける。手元の煙草が勿体無いなぁ、なんて思いながらも、慌てて携帯灰皿を取り出してぐりぐりと揉み消しながら。僕はその場で振り返ったのだ。次に何が起こるのかも予想だにせず。僕はにこやかに口を開く。

「ごめんごめん忘れてた。このアホに何かされ──」

 と、続いた僕の言葉は。そのご尊顔を視界に入れた瞬間に止まった。
 まさかそんなのって、ないよね。
 僕は、同じくそれに気付いて目を見開いていくお相手の顔を見ながら、サァッと頭の中が真っ白になっていく感覚を覚える。

「マサキ」
「さくらがわ、くん」

 そんな、ここ最近でお互いに定着した名前で呼び合って、僕らはしばらくそうして見つめあった。何も、考えられなかった。
 完璧に、見られてしまったのだ。僕の、裏の顔を。誰にも──あの学校では、レイジ以外に誰にも見せた事のなかった、素行の悪い僕を。
 よりにもよって、彼に。僕らは何も言葉を発する事なく、まるで石になってしまったかのようにその場で、

 そういう僕らの硬直を打ち破ったのは、その場に居たリュウキだった。
 動けない僕の背後から、コッソリと近寄ってきたのか、彼は突然僕の首をグイと上に持ち上げてきたのだ。15センチ近く違う僕らの身長は、容易くそんな事を許してしまう。
 仰け反る姿勢に、僕は思わず背後にによろめいた。その分厚い胸板が僕の頭に触れたかと思うと、そのまま彼の手と身体に抱き込まれる。天井に混じって覗き込んでくるリュウキの、どこか拗ねたような顔が見えた。

「知り合いか?」

 どちらにどのような感情を覚えているのか、子供っぽい仕草にリュウキの子供らしさと言う奴が垣間見える。だが、そんな事を思いはしても、若干赤く腫れた顔を不機嫌そうに歪めているリュウキを見ても、僕の動揺はちっとも収まる気配がなかった。
 普段ならここで、僕はきっと不敵に笑ってリュウキにすら反撃するはずだった。言葉でもいいし、行動で示してもいい。そうやってバカをやるのがここでの僕だったから。
 けれど、今の僕にはそんな事をする余裕なんてこれっぽっちもなかった。何も、言葉ですら、ショックの余りに出てこないのだ。上手い返しなんて、いつもなら造作もないのに。

「おい、マァ? 何だ、どうした?」
「…………はなして」
「お、おお……」

 さすがに、そんな僕の様子を変に思ったのだろう。リュウキはすんなりと拘束を解くと、そのまま背後で、無言のまま僕らを見守るのだった。きっと、地頭の良いリュウキの事だ。僕らの間に何かがあるのは、肌で感じているのだろう。それっきり、彼は何も言う事はなかった。こう言う所、流石は年長者だと感嘆する。

 こんな、気まずい沈黙を打ち破ったのは、やはりさくらがわの方だった。僕とは違う、ちゃんと相手の事を考えられる正義感の持ち主。彼のそう言う所も、僕は気に食わない。
 静かに、その場の空気を斬り裂くように、彼は言った。

「マサキ」

 僕はまだ答えない。

「なに、今の。マサキ、喧嘩慣れしてる」

 そうだ。彼の言う通りなんだ。
 こんなナリで、僕は平気で人を殴り飛ばす事が出来る。体力も力も無いけれど、コツも知っているし、何処をどう殴れば手っ取り早くぶっ倒れてくれるかも知っている。
 遊び半分で鬱陶しい邪魔な連中を伸した事もあるし、やり過ぎて相手を病院送りにしてしまった事も、覆面でどうしようもない教師を襲った事だってある。中学生の頃の僕は、人生に疲れて頭がおかしくなっていたのだ。

 小学校も高学年からの僕の話。
 その時僕は、既に自分の恋心の異常性を自覚し始めていたし、シノの頭の良さに嫉妬して、そして追いつけないのではないかという焦りも同時に覚えていたりした。ずっと一緒であるという事はつまり、ずっと比べられるという事。
 何をやってもシノには敵わなくて、それでも好きで妬ましくて憎らしくて、僕の気持ちはどんどん荒んでいった。気持ちの低迷を示すかのように成績も伸び悩んで結局、僕は理由をつけてシノの行く中学の受験を辞退したのだ。
 シノと同じ中学でやっていけるとは、到底思えなかった。
 成績も然り、僕の心も然り。

 そんな中、ずっとシノだけだった僕が、公立の中学で知り合ったのは、今ここにいるリュウキやジロー、アキラ達。僕は、彼らとイケナイ事をする事にどんどんのめり込んでいった。
 彼らはその時からいたくやんちゃで、何も知らなかった僕に色々な事を教えてくれた。そういうやんちゃな所が、イイコちゃんでいた僕にとっては酷く新鮮だった。それが、途中でやめられなくなってしまった原因でもあった。
 それに、もし万が一バレたとしても、優等生の僕が泣きながらごめんなさいすれば、お咎めなんかあるはずもない。すこし間違えちゃったんだな、ですむのだ。大人はイイ子に弱いから。僕はそんな、ずる賢い思考でもってそう確信していた。
 それでも、その時からの事を後悔した事は一度もなくて。どうしようもなく最低だと分かっていても、僕はここが好きだったのだ。イケナイ事をする、そんな冒険心が、シノから僕の心を引き離してくれたのだ。僕の狭い世界を広げてくれたから、僕の憩いの場になってくれたから。
 だから誰にも、僕の気持ちなんて分かるはずがない。それなのにだ。

「いつも、こんな所に──?」

 こんな所。
 絞り出したように言い放ったさくらがわのその一言を聞いて、その瞬間に僕はカチンと、何かのタガが外れるのを感じた。シノの事だとか今の学校の事だとか、そんな事が途端にどうでも良くなる。僕の心の拠り所を、貶された気がした。

「だったら何なの? 僕の事なんて何も知らない外部から、とやかく言われる筋合いはないんだけどね」

 ニコニコと、笑みを浮かべつつも強い口調で冷たく言えば、彼は途端にたじろいだ。僕の威嚇はどこか凄味がある、そう言ったのは誰だったか。僕はもうその時、何でも構わなくなってしまった。我を忘れる、というのを初めて経験した気がした。
 そんな僕の様子がおかしいと感じたのだろう。背後から戸惑うようなリュウキの声がした。

「おいマァ、お前らもしかして、学校の知り合い? そういう事だろ、今のって」

 僕らの話の腰を折る──あるいはこの空気を和らげるつもりもあったのだろう。落ち着け、そんな様子でリューは僕の肩に手を置いた。
 けれどそれは、今の僕にとって苛立ちを助長するものでしかなかった。どいつもこいつも、僕の肩を持ってくれるような人間は居ない。頭にすっかり血が昇ってしまった僕は、何もかもがそんな風に思えてならなかった。ただの僕の独りよがり。僕だけの片思い。そんな筈は無いのに。

「そうだよ知り合い。だから、ちょっと黙ってて……っていうかこれ、全部丸々アンタのせいじゃんか、どうしてくれる!」

 今の僕にとってのそれは、全くもって邪魔な横槍でしかなくて。思わず苛立ち紛れに首を後ろに捻って怒鳴りつける。もうホントに、苛立って仕方なかったのだ。
 どうしようもない。何もかもがうまくいかない。僕の願いが叶うことは絶対にないのだと、どうしてだか思い知らされたような気分だった。

「ねぇマサキ」
「何っ」
「シノはマサキが、」
「──言わないでッ!」
「!」

 突然告げられたその名に、僕はほとんど叫ぶように言った。それは、僕にとっては禁句だ。
 シノは、こんな姿の僕を知らないでいる。昔も今も、そしてこれからも。絶対に知られたくない姿だ。他人に何をどう思われようとも。シノにだけは、知られたくなかった。

「シノは関係ない。だから言わないで」
「言って、ないんだ? シノ、幼馴染なのに?」
「…………」
「誰にでも優しくて面倒見が良くて、頼り甲斐があるって、聞いてたんだよ、俺。なぁ、黙ってないで、何か言えよマサキッ!」

 部屋の中で、妙に響いたさくらがわの言葉が、僕の頭の中で何度も何度も繰り返し反復された。言われた。言われてしまった。今一番言われたくない人に。
 僕はその場でひとり、凍り付いた。





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