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秘密の屋上



 上手くいかない時っていうのはどうしてこう、何でもかんでも思い通りにいかないんだろうか。思いがけない出来事が、それこそいっぺんに。

「あんた、七海だっけか?」

 突然かけられた声に、僕は飛び上がった。てっきり誰も来ないものと思って居たのに。一体、こんな所に何の用なんだろうか。僕は少し焦りながら顔を上げた。そこに立っていたのは、見覚えのない生徒だった。
 茶よりも更に赤に近い髪、着崩した制服、首元にぶら下げたアクセサリー。ひと目見て、不良だろうと分かるような格好をしていた。どこかで会った気もしないでもないが、多分、知り合いではない。どこかですれ違った事でもあったろうか?僕は考えるのと同時に顔を引きつらせた。
 これは完璧に見られてしまった。煙草の吸い殻が、携帯灰皿に入りきらず傍らに山になっているのだ。これに気付かないはずがない。おまけに、聞き間違いでなければ名前も呼ばれた気がする。
 僕もお陰様でこの学校ではそこそこ有名な方で。名前を知られているとはつまり、滅多なことはできないと言うこと。

 例えばの話。この不良が誰かに、立ち入り禁止の屋上で七海マサキが煙草を吸っている所を見た、と言いふらすとしよう。その言葉をその場では誰も信じなかったとしても、まさかそんな、という疑惑を生むことになる。
 そうなれば、僕はもうこの学園内のどこであっても息を抜くことができない。ずっと見られ監視され、疑いが晴れるまで僕はずっと僕である事を気にかけなければならない。屋上でへらへら笑って仲間に電話する事も、息抜きがてら煙草をふかすことも出来なくなるのだ。

 一瞬の内に様々なパターンを思い浮かべた僕はしかし、次の瞬間には諦めた。どうせもう、この学校に居る意味も、優等生を気取る意味もない。あいつには敵いっこない。ならばいっそのこと。
 僕はほとんどヤケになっていた。

「ああ、うん。そうだけど。僕に何か用?」

 フッと取り繕いもせずに笑ってそう言えば、不良は一瞬目を見開いた。しかし、次の瞬間には、何故だかその顔を顰める。はて、僕は彼の癪に触るような事を何か言ったのだろうか。思わず首を傾げた。

「煙草」
「ああ……何、誰かに言うって?」
「そうじゃねぇ、あんた吸いすぎだ」
「────は?」

 思いがけない言葉に僕はポカンと口を開ける。こういう場合、そうではなくて、こんな場所で煙草なんか吸っていた事を咎めるのが先なのではないだろうかって。僕はそんな事を考えてしまった。

「身体に悪い」

 さも当たり前のように、不良の見た目の男前にそう言われてしまって。僕は思わず噴き出した。
 怪訝そうな目に睨まれながら、僕はニヤつく口元を手で覆って不良を見上げた。

「突っ込む所、そこなんだ?」
「……何笑ってんだよ」
「いやだって、普通は立ち入り禁止の屋上に来ちゃだめだとか、煙草はだめだとか、そういう事を指摘するんじゃないかなと思って」

 半笑いになりながらそう指摘すると、彼は起用に片眉を上げた。ムカつくかな、すごくチャラそうなのに、その仕草が妙に様になっている。その顔面は狡い。僕はさめざめ思った。

「俺も屋上に来てる時点で、やる事なんて決まってんだろ」
「ああ……まぁ、それもそっか」

 不良のくせにひどくまともな事を言うもんだから、僕は何故かフッと肩の力が抜けた。この不良は、教師にチクるような腑抜けじゃあなさそうだ。むしろ、僕と同じ方だ。

「俺も共犯だ、主席。ま、俺より上の学年だけど」

 そう言って不良は、僕の隣に無遠慮に座ってきたかと思うと、僕に向かって彼の持つ煙草の箱を差し出して来た。何だこいつ、一々仕草が格好良くてムカつく。
 けれどまぁ、煙草はちょうど無くなってしまったからありがたいと思って受け取ろうと手を伸ばした。受け取った煙草を口に押し込もうとして、そこでふと、手を止めた。僕はこの時、とんでもないことに気付いてしまったのだ。

「年、下……?」

 呆然と不良の顔を見ながら言って見せれば、不良は特に反応も見せずに頷いてみせた。

「一年だ。もうすぐ二年だけど」

 そう言って煙草に火を着ける様が妙に似合っていて。僕は苛立ち紛れに暴言を吐いた。

「老け顔」
「あ?てめぇ喧嘩売ってんのか?」
「は?」

 こんな後輩は嫌だなぁ、そんな事を思って軽くあしらいながら、僕も煙草に火をつけた。今更ながら、彼に差し出された煙草を受け取ってしまった事を後悔しつつも僕は、彼に問いかける。何でもない、ただの世間話のつもりだった。

「名前は?」

 ふうっと煙を吐き出しながら問えば、不良は眉間に皺を寄せたまま、チラリを僕を見た。

「神鳥谷レイジ」
「え?なに?……もっかい言って」
「神鳥谷レイジ」
「苗字だけもっかい」
「ひととのや!」
「ひと──?」
「ひ・と・と・の・や」
「ひとととと……」
「ひと──って、アンタふざけてんのか?」
「んんっ、僕名前覚えるの苦手なんだよ、ほら、もっかい! もっかい言ってみて!」
「アンタ実はバカなんじゃないのか」
「ひっどーい!」

 冗談半分、本気半分でそんなやりとりを僕達は繰り広げた。聞いた事のない言葉が中々頭に入ってこないのと一緒で、僕は興味のない事がとことん覚えられないのだ。
 そんなこんなでボロボロと剥がれてしまった僕の分厚いツラの皮は、この不良の前では最早隠す必要性も感じられず。僕は僕自身に戻りながらくだらない応酬が、ひどく新鮮だった。

「ひととのや、何だっけ」
「レイジ」
「ひととのやれいじ──駄目、無理、僕覚えらんない。名前覚えんの嫌い」
「……レイジでいい」
「レイジね。忘れたらごめん」
「覚える気ねぇだろ」
「うそうそ、多分覚える」

 神鳥谷レイジ。僕は興味深いこの人間のおかげで少しだけ、気が晴れたのだった。何故だか口が不思議と滑っていく。

「僕さぁ、失恋しちゃったんだよね」
「何だ、急に」
「今日初めて会ったのに、話する事なんてないじゃん、だったら黙って聞いてなよ」
「……ほぼ初対面の俺に、そんな話してもいいのか?」
「いいんじゃん? 他に話す人いないし」
「友達居ーー」
「ちゃんと居るし、ボッチ扱いしないでよ」

 そうして僕は、ずっと好きだった人への思いを、大して知りもしない彼へと見事にブチまけたのだった。もちろん名前は伏せたし、幼馴染であることも言わなかった。みんな、僕とシノが幼馴染である事を知っているから。とにかく誰かに、聞いて欲しかった。何も知らない人に、ただ黙って聞いて欲しかった。同情なんていらない。惨めになるから。同意なんていらない。他人に解るわけないんだから。

「ホント、やんなっちゃうよねぇ……所詮、みんな顔だね顔。可愛い子に目がないのと一緒で、どいつもこいつもイケメンや美人に目がないんだ」
「随分とブチまけるな」
「ん? だってそうでしょ? こんなに優秀で優しい僕は結局選ばれなかったんだ」
「性格にもんだ──」
「あーあ、やだやだ、僕はきっと将来──」

 一通りブチまけて少しだけスッキリした僕は、彼で──レイジで遊んだ。間髪入れないツッコミが結構気持ち良くて、トントン拍子に口が回る。見た目の割に頭の回転が早いんだなぁなんて、そんな事を考えながら僕は本気で色々と喋ってしまったのだ。
 心の底ではそんな事思ってなくても、本当は自分に自信がもてないから、せめて口先だけでも取り繕う。こうやってはしゃいでいる時も、僕は結局何も変われない。

 もうじき、高校生活も3年目を迎えようとしている。誰もが先を見据えて行き先を決める時。元々僕はずっとここに残る気でいたのだけれども。目的を失ってしまった今、ここに残っている事が苦痛になりつつある。2人を見ていると悔しくて仕方ない。シノの隣は僕だけの場所だったのに。他のヤツになんか盗られたくなかったのに。

「人生って上手くいかないよね」
「あんたは、成功してるように見えるけど」
「んー、そうでもないよ? 一番欲しいものが手に入らないし、肝心な時に負けるし唯一の取り柄も危ういし」

 はあ、とそう深いため息を吐きながらゴロンと横になる。煙草の煙がふわふわと宙に消えていく様を眺めた。この煙のように漂って見えなくなってしまえたらいいのに。

「……他の人間だってそうそう上手くいかねぇぞ?」
「えぇ?」
「俺だって、ずっと片想いのままだ」

 バカみたいな僕のつぶやきの後。突然告げられた言葉に、僕はギョッとして起き上がる。僕は興味津々だった。
 気になる、非常に気になる。こういう顔の良い人間でも片想いなんてするんだ、なんて。

「嘘だ。絶対君は百戦錬磨のヤリチンだ」
「だからてめぇ、それが喧嘩売ってるってんだろ」
「見たままを言ってるだけだし、そう思ってるのは僕だけじゃないはずー!」

 ムカつく、とボソッと言われて僕は更に上機嫌になる。レイジを弄るのは思いの外楽しかった。それに、まさか初対面の人間相手にこんな事を話す事になるなんて、僕は予想だにしていなかった。
 続けて、かいつまんで話し出したレイジの話はこうだった。初めて出会った時から、ずっと片想いをしている相手が居て、けれども相手は自分のアプローチに全く気付く様子もない。しかし、周囲にはライバルが沢山いて、その中で埋れまい、と足掻いている内に、出会って間もないヤツに掻っ攫われたと。何だかどこかで見たことのあるような流れだけれども。同じく傷心中のレイジ君に、僕は色々と聞いてあげたのだ。人生の先輩として。一年しか違わないけど。

「何だお仲間じゃん。それって男? 女?」

 軽い口調でそう聞けば、レイジはとても奇妙な顔で僕を見た。そこまで聞くか? なんて、そんな小言が聞こえてきそうな表情だ。

「……男」
「え、そしたらこの学校なの? 同い年?」
「ここの一つ上。……人が傷心中だっつってんのにあんたは容赦ねぇな」
「うん。だって他人事だもん」
「自分だってフられた癖に……」

こんなに親切に聞いてあげてるのに失礼な、僕はそう口の中で呟いてから、言う。

「だって、何も知らないヤツに想像だけで同情だなんてされたくないでしょ? 黙って聞いてもらう位で丁度いいんだよ」

 ふうっと煙草の煙を吐き出して、僕は老成しきっていると評判の思考でもってそう言った。僕と知り合った誰もが言うのだ、七海マサキはオトナだと。達観しすぎていると。レイジの顔色なんて、窺わない。

「で? そいつ可愛いの? それとも綺麗系?」
「綺麗目、か。性格は大雑把だ」
「お前ギャップに弱いんでしょ。すごい単純」
「あ?」
「綺麗目で儚い系の見た目なのにすごくあっけらかんとしちゃってて、時々かけてくれる声だとか励ましの声にキューンってきちゃって気づいたらとか? ベタ!」
「…………」
「図星? 図星でしょ? ふふ、その人見てみたいかも。ねぇ、写真とか持ってないの、見せて見なよ、僕がチェックしてあげるから」
「……お前、腹の中におっさん飼ってんだろ」
「あっはは、お前面白いこと言うね」

 こんなに饒舌になるのはいつぶりだろうか。確か、夏休みが終わった辺り──あの二人がくっ付いた辺りからずっと、僕は色々と引きこもってしまっていた気がする。
 そもそも、この学校が特殊すぎるのだ。会長の幼馴染なんて、下手に接触してくる人間なんていない。それこそ、シノがいなきゃ、僕なんて一人だ。
 生徒会の人はみんないい人達だけれど、あの転入生が来て以来、みんな転入生にくっ付いて行った。転入生の側に居たくない僕が、当然彼らの誘いに乗るはずもなくって。
 いつしか僕を誘う人は居なくなった。変わらず僕に声をかけてはくれるけれど、僕に気を使ってなのか、強引な誘いはなかった。この学校における僕の交友関係が、いかに狭いかがよく解る。

「外、遊び行こうかな」
「あ?」
「友達のとこ」
「お前にそんなともだ──」
「居るから。勝手にボッチ扱いしないでよ、めっちゃ酷い……外出るのは決定。今度連絡取っとかなきゃ」

 僕はそう決めて、手元のスマホをざっと確認する。みんな暇だし、来いという誘いのメッセージもしつこい位だったところだ。あいつらの事を考えると、僕の頬は自然と緩んでしまう。何だかんだと、会えると分かると嬉しいのだ。
 レイジのおかげで大分気分は晴れた。さぁ部屋に帰ろうかと、僕はその場で立ち上がった。スマホをポケットに突っ込むと、持っていたガムの最後の一個が手に当たった。僕はそれをポイッとレイジに投げつけて、その場でにっこりと笑う。

「じゃあ僕帰る。話、聞いてくれてありがと。そのガムあげる。また、ここ来るんでしょ?また会った時はよろしく」
「あんまりよろしくしたくねぇな」
「ほんと言うねぇ、お前」

 あはは、と笑いながら僕は適当にそんな捨て台詞を吐くと、のんびりと屋上を後にした。誰にも見つからないように、いつもの経路で寮に戻れば、廊下に転入生を取り合ういつもの騒ぎが響いていた。ヒトのモノになったというのに、相変わらずよくやる。そんな事を思いながら、静かに部屋に入って行った。

 そういえば、あいつの名前なんだっけか、確か珍しくて長い苗字だった気がする。僕は部屋で反芻しながらも思い出せなくて、まぁいっか、と制服のブレザーを脱いだ。
 ハンガーにかけたブレザーは、いつもとは少し違う煙草の匂いがした。





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