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30.長い夜の始まりに



 ここ数日ほど、ずっと繰り返し見せられている夢があった。
 ジョシュアは立っていた。一人で、その街の入り口に立っていたのだ。
 このハンターという職についてからというもの、いつでもすぐ隣にいたはずの仲間達は、視線のずっと先を歩いていた。
 この仕事をやろうと真っ先に提案した剣士のエレナも、彼女の技術に惚れ込んだという新米魔術師のヴェロニカも戦士ニコラスも元聖騎士のナザリオも。
 彼らは街から離れて行くようにじわじわと小さくなっていく。振り返らない。それを、ジョシュアはジッとひとりで眺めているのだ。

 エレナと二人きりだったところにひとり、またひとりと仲間は増えていった。そんな仲間達を歓迎しながら、いつでもジョシュアは予感していた。不安だったのだ。
 ここに、自分は居ても大丈夫なのだろうか。彼女のそばにいても、本当に大丈夫なのだろうかと。
 怖れていた事は結局のところ、現実のものとなった。
 彼等は皆ジョシュアに何も言わなかった。態度にも出なかった。
 けれども、いつも自分だけが何も出来なくて、パーティの中でもまるでお荷物のようだと。そう、ジョシュアには思えてしまった。
 彼等は皆強い。精神も、そして肉体も。
 強いからこそ、彼等にとってはジョシュアひとりを庇う位は本当に大した事ではなかったのかもしれない。
 耐えられなかったのは、ジョシュアの方なのだ。彼等の背中を守れもせず、しかしいつもその背後に隠れている。出来る事と言えば、索敵と斥候。それだって、誰かが傍に居なければ難しかった。
 ひとりでは何も出来ない。みっともない。隠れる事しかできない。耐えられなかった。だから、離れたのだ。逃げ出したのだ。彼等から、己みずから────



 ジョシュアは突然、その場で身体をビクリ揺らした。しばらく気を失っていたようで、たった今、魂がフッと身体に戻ったかのように目が覚めた所だった。酷い夢を見せられ、身体が嫌な汗をかいていた。
 ここ数日程、ジョシュアは何処かに監禁されている。目隠しや拘束をされているせいで、そんな事をやらかしたのが一体どんな者達なのか、ジョシュアには未だに分からなかった。
 けれども、こんな状況で分かった事もある。ジョシュアは固い壁か何かに身体を預けながら、これまでに得た情報を整理していった。
 そうでもしないと、考えなくて良い事まで考えてしまいそうだったから。後ろ手に繋がれた鎖をガシャリと鳴らしながら、ジョシュアは誤魔化すように考えた。
『あの女の匂いがする』
 そう言って、背後から彼を一撃で仕留めた男の言葉を思い出しながら、確信する。

(あー……、奴等の狙いがミライアで、敵に吸血鬼がいるのは間違いないが。もう一人は、アレは何者だろうか? 人間では恐らくないだろうな)

 空腹を訴えてくる腹や、先ほどまで見ていた夢の事を意識しないようにしながら、ぐるぐると考えを巡らせる。
 吸血鬼ではない方の人物──それを人として定義しても良いか迷ったが──は、一体何か。ジョシュアにこのような拷問紛いの苦行を強いているのは、恐らくこちらの方だろうと推測する。
 何せ、吸血鬼とも、そして人間とも違う魔力の気配を感じているから。そして、このような陰湿な嫌がらせのような事を、吸血鬼のような強者達がする筈がないだろうから。
 もっと何か別な者の仕業だ。ギルドへの潜入を果たしている事からも、精神作用の強い魔術を扱う何か。例えば夢魔に近い魔族ならば、そういった事も可能なのだろう。ジョシュアはそう推測した。
 魔族と一口に言っても、その範疇は中々に広い。吸血鬼のように大勢に知られた名のある種族も居れば、人とは違った魔の性質を持った人型の種族らを指す事もある。
 人間程に数が居なかったり、人に擬態していたりするせいで、その実態を掴むことが難しい。だからこういう時、ジョシュア達は推測するしかないのだ。

(最初からずっと、目を塞がれている。見られたらすぐに分かってしまうという事だろうか? ──いや、そもそもだ、吸血鬼と他の魔族が手を組むだなんて、一体何の為に? 吸血鬼は単独行動を好むはずでは? 単独でも十分に強いし、赤毛のようにギルドを────)

 と、そんな思考を巡らせていた時だった。すぐ近くで、何かの動く気配がした。吸血鬼ではない、くだんの魔族の方だ。
 咄嗟に身構えたジョシュアだったが、その気配の主はまだ、何かをする様子はなかった。いつ、何をしてくるつもりなのだろうと、ジョシュアはひとりで戦々恐々としていた。
 それからしばらくの間、気配の主は何かをする事もなく、ジョシュアのすぐ傍に留まった。魔術の類いを使用する様子も見られない。一体、何事か。ジョシュアは困惑しきりだった。
 ジョシュアの方から話す事は何もない。何せ、二人の強者から全く同じ、『人前で話さない方がいい』と忠告をくらったジョシュアだ。下手に喋って激昂されたり、こちら側の情報を流してしまったりしかねない。こんな時だからこそ、ジョシュアはそんな忠告を律儀に守っているのだ。
 相手が痺れを切らして何かヒントを漏らさないか、という思惑もあったりするのではあるが。耐え忍ぶ事に関して言えば、ジョシュアは得意分野のひとつである。
 そしていよいよ痺れを切らしたのか、気配の主はジョシュアに向かって話しかけはじめたのだ。
 このような所へジョシュアが連れて来られてから、実に3日ぶりに聞いたひとの声だった。

「お前、本当に吸血鬼か? 大人し過ぎるし我慢強過ぎる。何で俺の術が効いてねぇんだよ」

 少しばかり愚痴のようなそれは、確かにジョシュアのすぐ傍から聞こえてきた。女性とも男性ともつかない、中性的なハスキーボイス。何故か聞き覚えのある耳触りの良い声には、微かに魔力の気配が混じっていた。吸血鬼とはまた違った、魅了の魔力の気配だ。

「いやまぁ、あの男が言うんだし吸血鬼に間違いないんだろうけど。──俺、誘惑に関しては特に優秀なはずなんだけど」

 本気で、それはただの愚痴のようだ。構えていたジョシュアは、それに少しだけ拍子抜けしながら、更なるボロが出るのを待った。
 欲しいのは情報だ。そうでなければ、ジョシュアがひとり、こうして大人しく捕まった意味が無い。相手の吸血鬼に、ジョシュアが手も足も出なかったというのはこの際置いておいてだ。
 ミライアが何故、ここまで何もせずに大人しくしているのか。ジョシュアが何故、何の抵抗もせずにこうして捕まったままでいるのか。全てはこの為なのである。
 あちら側の吸血鬼がひとりで良かった。ジョシュアはしみじみと思うのである。

「なぁお前、ただの吸血鬼じゃないんだろ? いくら『無敗の悪魔』の手下だからっつっても耐性ありすぎ。今まで取っ捕まえた奴らは、吸血鬼だろうがみーんな俺の言いなりだってのに」

 どうやらミライアは、一部では悪魔呼ばわりされているらしい。そう言いたくなる気持ちが分かってしまうジョシュアではあるが、こんな所で敵への共感などは不要である。

(ミライアだけが目的ではないのか? 『吸血鬼だろうが言いなり』という事は、単に食糧を求めているだけではなく、同類の仲間も集めているという事か? 一体、何の為に──?)

 注意深く、相手の言葉の意味を探りながらジョシュアは待った。もっとだ。もっと、これらの一連の行動を取るその目的が知りたい。
 これは、ジョシュアとミライアで張った罠なのである。一般的な吸血鬼なら、絶対にしないようなそんな罠。こちらが人間ではない、吸血鬼だからと油断しているからこそできる手段だ。
 危険は十分に承知ではあるが、死なないなりの戦い方というものがあるのだ。相手が魅了の類いを使ってくる事も十分に予想がついたし、もちろん対策もしてはある。
 それに、敵がまんまと引っ掛かった形だ。それをジョシュアは利用し、耐え、ここぞというタイミングを推し量っているのだ。
 だがもちろん、いかなる計画にも完璧という事はない。敵が予想外の動きを見せてくる事もなきにしもあらず。ジョシュアの試練は、まだこれからが本番なのである。

「そろそろ、3日は経つよなぁ。普通なら、2日目にはもう堕ち──あ!」

 突然、閃いたとでも言いたそうな声が聞こえてきたかと思うと。その気配がぐっとジョシュアに近付いてきた事が分かった。魅了の魔力を撒き散らすその気配が、ジョシュアのすぐ目の前にある。

「お前、腹減ってるだろ? 俺が血をくれてやるから、お前は俺専属の奴隷になれよ。流石に、腹の中に入っちゃえば少しは効くよな?」

 これには流石のジョシュアも動揺した。この魔族の言う通りなのである。
 ジョシュアはここ3日程、空腹に耐え続けてきた。吸血鬼の飢餓感には慣れつつあったのだが、ここ最近では自分の血で誤魔化さなければならないほどには我慢が効かなくなりつつある。
 セナの血をもらったっきり、ジョシュアは既にまる一週間程血を口にしていないのだ。
 ギクリと微かに身体を揺らしたジョシュアに気付いたのかどうか。
 目の前に居るだろう魔族はとうとう、行動に移ったらしい。
 唐突に目と鼻の先から微かに漂ってきた血の香りに、ジョシュアは硬直した。口の中で無意識に溢れてくる唾液を一度、ゴクリと飲み下す。それでも収まらないそれらは、ダラダラと次から次へと溢れて止まらなかった。

「ブハッ! やっぱり、腹は減ってんだな。三大欲求には敵わないだろ? ほら、食えよ、吸血鬼。ここまで耐えたお前にご褒美だ。俺の血を飲める事を光栄に思え? 俺のような高貴な者の血を、お前のような野良吸血鬼が飲めるんだからな」

 高貴な者の血。
 頭の片隅でその言葉を反復しながら、ジョシュアは顔を背けた。それでも尚、口元に押し付けられるその香りの根源は、ジョシュアの頭の奥を刺激して止まなかった。むせ返るような甘い香りに、頭が痺れていく。
 その香りを少しでも遠ざけようと鼻から息を吸うのを止め、口を開けて呼吸をする。少しばかりそれが遠のくも、刺激自体はあまり変わらなかった。飲み下しきれなかった唾液が、口端からだらりと溢れ落ちる。

「おい、マジかよ。吸血鬼だろ? 何でこれに耐えられるんだ?」

 尚も口をつけようとしないジョシュアに呆れたのか何なのか、目の前からは感嘆したような声が聞こえてきた。しかし、未だに吸血の誘惑にさらされ続けているジョシュアには、魔族の言葉を聞くだけの余裕がない。更にその声は続いた。

「くっそ、何か腹ァ立ってきた。お前、この俺がここまで付きっきりで構ってやってんだからな、意地でも陥落させてやるわ。この俺──ヴィネア様の特別奉仕だ。俺の魅力にひれ伏せ!」

 どうやらジョシュアは、黙っていても相手を激昂させるらしい。自らヴィネアと名乗った魔族は、更に攻勢を強めた。ジョシュアはただ、それに耐えるばかりだった。

 頬に押し付けられたその肌が滑りを帯びている。それがヴィネアの血液だろう事は簡単に想像がついて、ジョシュアは頭がクラクラとした。
 すぐ、舌を伸ばせば届く距離に欲して止まない血液がある。それはとても魅力的な誘いに思えたが、口にしたら最後、自分がどうなってしまうかわからない。
 このヴィネアの言うように、腹の中からその魔力に犯され魅了され、文字通り奴隷のように言いなりになってしまうなってしまうのではないか。それだけは避けなければならなかった。
 ジョシュアがここで得た情報は、確実にミライアへと伝えなければならない。そうでなければ、この国諸共、ジョシュア達は沈むだろう。
 何やら企んでいるらしい魔族達は、多くの強者達を束ねるハンターギルドにまで食指を伸ばしている。その目的は未だに分からないが、ろくでもない事は確かだ。モンスターやら魔族やら、未だに不安定な世の中で、人間達の敵は多いのだ。
 早く手を打たなければ、多くの者達がその企みに加担する事になる。人間の社会が自壊する事だってあり得るかもしれない。それはどうしても避けなければならない。元ハンターとして、元人間として。
 ジョシュアは堪えた。

 男か女かも分からないヴィネアは、その身に纏う魔力を強めながらジョシュアに近付いた。
 気配で顔を寄せられているのが分かった。その吐息が、口元にかかる。

「ッ──!」

 ベロリと唇を舐められ、柔く唇を噛まれた。悲鳴を上げそうになったのを、ジョシュアは辛うじて歯を食いしばって耐えたが、ビクッと震えた身体だけはどうする事も出来なかった。ガシャリと耳障りな金属音が微かに響く。
 嘲笑うかのような吐息が、濡れた口元に吹きかかった。

「何だお前、この程度で。結構、ウブだな? 魅了が使える吸血鬼の癖に────俄然、ヤル気になってきたわ」

 その言葉通り、ヴィネアはジョシュアの首に両腕を回したかと思うと、今度は本気で口付けにかかったようだった。
 唇ごと食べ尽くすような濃厚なそれ。舐められ噛まれ捏ねられる。
 ギリリと噛み締めた歯をなぞるように舌が這わされると、溜まらず身体が逃げを打った。しかし、その両腕はガッチリとジョシュアを掴んで離さなかったし、背後には壁がある。逃げ場などは無かった。

「楽しもうぜ吸血鬼、夜は長いんだからなァ────?」

 ジョシュアにとっての苦行はどうやら、これからのようだ。
 長い長いこの日の夜が、いよいよ始まろうとしていた。





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