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29.誘引の血肉



 あんなことをするつもりなんて到底なかったのだ。ただ単に興味本位で近づいた。
 どこまですればどんな反応をするのか。どうすれば怒るのか。自分があんなのにも劣るだなんて、認めたくなかっただけ。
 それなのに。
 自分のような若僧にすら従順に従うものだから。彼の凶暴な自己が目を覚ましてしまった────

 彼のこれまでの人生は実のところ、そう楽なものではなかった。
 彼は幼い頃から何でも出来てしまった。利口で容姿も良く、活発で明るかった。彼の周囲には、自然と人が集まった。
 彼の両親は、国でも重宝されるような優秀な学者で、幼い頃から彼を厳しく育てた。しかし、そんな生活はあっという間に失われた。不幸な事故だった。
『君の両親が、化け物に────』
 彼はまだ幼い子供だった。そして運も悪かった。彼に遺されたものはすべて剥ぎ取られ、たったひとりで世界に放り出されてしまったのだ。いかに聡明だとは言え、彼はまだ十にも満たない子供だった。
 彼はその頭ですぐに理解した。子供らしくない、妙に達観したようなものの考え方だった。
 力のない者は全てを奪われる。この世は力が全て。力さえあれば何も奪われる事はない。正しい心なぞはクソの役にも立たない。彼は子供ながらにして、そう悟ってしまった。誰も信じる事が出来なくなってしまったのである。

 彼の考え方が傾いてしまったのはきっとその時からだろう。しかし、年若くも才能に溢れた彼を、誰も止める事ができなかった。他に敵う者が居ない程に、そして彼に比肩する者が長らく現れない程に、彼は優秀過ぎたのだ。そして、誰も信じない彼が、周囲の忠告に耳を傾ける事はなかった。
 その全力疾走に追いつける者が現れるまで、彼自身が認める者が現れるまで、彼はずっと傾いたままひとりで疾走していたのだ。
『バカ! あんた何やってんのよっ、そんな事やってたらいつか────』
 彼を認めつつも勝手な行動は許さない。口煩く指図して、しかしいつだって彼の上を行く。そんな彼女に彼は、あっという間に制御されてしまった。当然、反発をするも、彼以上に才能に恵まれた彼女を止めることが出来なかったのである。
『あんたは私より下なんだから、勝手な動きはしないで頂戴。他の人が許しても、私は許さないからね』
 嫌々ながら付き合わされている内に、彼の傾きは徐々に角度を変え、いつしか本人も気付かぬまま、一般人にも紛れる程に矯正されていたのだ。
 余程の事が無い限り、彼が元の『狂気』に走る事はない。彼を見知った者達は皆、暴れ馬の手綱を握る彼女の出現に安堵した。

 だがしかし。そう簡単にはいかないのが世の常で。長年かけて積み上がってしまった歪みは時折、本人も意図せぬ形で思い出したように姿を現すのである。




* * *




 ジョシュアはその日もまた、普段と変わらぬ様子で街を捜索していた。夜を避け、明るい時間を主に見て回る。ギルドの周囲を中心に探るも、変わったところは見当たらない。こちらが既に認識されている事を意識しつつ、極力動きを悟られないようにするのは、いくらジョシュアとはいえ骨が折れた。

(あれ以来、街の変わった様子が全く見られない……隠されたか? それとも、ここでは何もコトを起こすつもりがないのか)

 王都へ来てまだ数日ではあるが、ジョシュアは既に手詰まり感を覚えていた。王都でも多少の手掛かりは掴めると期待していたのだが。ギルドの内部以外に全く収穫がなかった。
 当初の見立て通り、探るべきなのは変わらずハンターギルドの内部だが。それについては既に、エレナとセナが調査にあたっている。
 とはいえ、ミライアにも先日釘を刺された通り、二人もそれほど大きな動きはできない。何せ二人にとっては、暴くべきターゲットがホーム内部に食い込んでしまっているのだから。そして更に言えば、相手はギルドに潜入出来るほどの手練れには違いない。

(それに、ギルド内部に協力者がいるとすれば、早々ヘマはしないだろうな。とっくに対策済みという訳だろうか……ミライアは一体どれだけ恐れられてるんだか)

 非常に頭の痛い案件である。下手な動きをすれば二人は次の手を塞がれてしまうし、下手をすれば生命を危険にさらす可能性も高い。いくら二人が強いとはいえ、敵地のど真ん中で喧嘩を吹っかけるなんてのは、自殺行為も好いところだ。
 ジョシュアたっての希望もあり、二人には至って普段通りに振舞うことにしてもらった。探りも極力は入れない。内部に協力者がいる可能性を頭に置いた上で逐一情報を集めるという、ジョシュアらしい慎重を期した提案だ。

(俺は……今、一体何をしているんだろうか。作戦は本当に成功するんだろうか)

 そして今。ジョシュアに出来る事はほとんど何もなかった。やり尽くしてしまったと言えば聞こえは良いが、安全圏からのうのうと見ている。そう思えてならなかった。
 ここぞという時に役に立たない、そんな経験をいくらでも思い出せてしまっているジョシュアは恐らく、疲れているのだろう。
 連日の昼間行動に、彼の身体がついていけていないのだ。相も変わらず血液の摂取を避けているジョシュアは、先日セナから与えられて以来、未だに人の血を口にしていなかった。
 エレナにもセナにも思い出したように聞かれたが、慎重に嘘を吐きながらそれを誤魔化している。怪訝そうではあるが、嘘がバレている様子は今のところない。
 彼女達が自分を心配している事は、ジョシュアも十分に理解していた。

 いつからか。ジョシュアは時折、腹の底から湧き起こる吸血の衝動に襲われることがあった。その度に自分の指に噛み付いて抑え、痛みでその欲求を打ち消す。いつまでもこれが通用するとは限らないが、ほんの一日二日、誤魔化せれば良かった。
 以前はこのようなことは無かったというのに。時折、空腹で堪らなくなる。
 あの時から、赤毛のイライアスと過ごした日々を経験してからだ。あれ以来、吸血に対する抵抗感が格段に薄れてしまっている自覚があった。
 あれ程血を浴びせられれば、流石のジョシュアも感覚は麻痺した。噛み付く勇気は出ないものの、血液を口にするという苦手意識は、徐々に薄れつつあった。
 そういう意味では、ミライアの企みは成功したと言える。
 ジョシュアがそれを話せば、きっとミライアは喜ぶだろうし、毎日のようにジョシュアを“お遣い”へと向かわせるに違いない。そうなる事はわかっていた。だから、まだ言わなかった。
 最後の最後で、ジョシュアが人間としての未練を、ハンターとしての未練を、断ち切れないでいるのだ。人間であった時、ハンターを辞める事が出来なかったように。かつての仲間との旅を忘れる事が出来なかったように。
 ジョシュアは相も変わらず、諦めの悪いどうしようもない人間だった。
 件のギルドから程近い街の隅、路地裏で壁に背を預けながら、ジョシュアはその場で大きくため息を吐いたのだった。
 付近に人がいる、それだけで時折空腹を思い出す。先程もそれでついつい噛んでしまった親指の付け根が、ヒリヒリと痛んだ。ほとんど治りかけだとはいえ、回復力も落ちているらしい今はまだ、傷口は完全に治り切ってはいない。
 それにどこか安心感を覚えながら、ジョシュアはそっとその場を後にした。

 空は微かに夕焼け色に染まり、街は徐々に姿を変えつつある。その中をジョシュアは、人混みを避けて音もなく、気配も朧げに進んだ。
 あと半刻ほどもすれば空もすっかり暗くなる。人々は家路を急ぎ、何かに巻き込まれぬ内にと固く扉を閉ざすのである。
 街の人々の様子を横目に捉えながら、ジョシュアもまた、エレナ邸へと足を早めた。
 だが内心では、少しだけ気が重い。何せ、屋敷に居ればセナと顔を合わせなければならないからだ。それがジョシュアの足取りを重くさせた。
 先日妙な事になったセナだが、翌日からの彼の態度はいつも通りだった。彼からは何の説明もない。部屋に訪れる気配もない。
 ジョシュアに向かって呟いた言葉の意味も、あんな事をやらかした真意もまったくの不明である。勿論、意図的でなくとも煽ってしまった彼にも責はあるのだが。それにしたって、セナの行動には疑問ばかりだった。
 罷り間違って男を襲うなど、間違えてしまうにも程がある。自分を嫌っているのか、それともその逆であるのか。イライアスの方が余程わかり易かった、とジョシュアはひとりごちる。
 同じ屋敷に滞在しているせいで、彼とは毎日のように顔を合わせなければならない。時折エレナが不在の日もあって、人付き合いの得意ではない彼にしてみれば、ある意味拷問のようだった。

(アレ、早く解決しないだろうか……やはり吸血がいけないのか? 俺があの屋敷を出ていけば済む話か? 少なくとも、今回の件が解決するまではあそこに居るとして……それ以降の事を考えると気が重いな。イライアスの事もあるし────)

 と、そこまで考えたところで。ジョシュアは自分の思考のおかしさに気付いた。なぜ、こんなところでイライアスの話が出るのか、と。なぜセナとイライアスとを比較せねばならんのだ、と。

(待て、待て、何だこの変な思考は? 何でイライアスの奴が出てくるんだ? アイツらの雰囲気が似てるせいか? 頭がおかしい奴らって一括りにした俺の認識のせいなのか?)

 だなんて、半目になって唸りつつ足を進めていたところで。ジョシュアはふと、気が付いた。身体の方が真っ先に気付いてしまった。
 つけられている。それが何者かはわからない。人ではないもので、感じた事のないような魔術の気配がする。
 ジョシュアはそれとわからぬよう、咄嗟に目的地を変えた。こういった想定は勿論、していたのだ。
 先日の襲撃と同じだ。弱い者、襲い易い者から少しでも削っていく。相手を恐れているのであれば、戦術としては当然の選択だ。
 今回の件に関して言えば、ジョシュアが街を歩き見て回ったのは、調査というよりは寧ろ餌の役割の方が大きかったのである。
 それを相手に悟られぬよう、全力で隠れながら誘い込んだ。それが失敗に終わる可能性も十分にあった。
 しかし、敵がミライアを怖れていると仮定すると、二手に別れればきっとジョシュアの方を狙うはず。至極単純なものだった。
 ミライアとジョシュアだけの知る秘密の作戦は、どうやら無事に成功したようである。
 元々ジョシュア達は、最初からハンターの二人に重荷を背負わせる気などありはしなかったのだ。口で言っても彼女等は聞かないはず。だからこそ、手伝わせるフリをして裏で解決する。

(引っ掛かってくれたのは好いとして……タイミングが悪いな。せめてひと口、血を口にしておくべきだったか)

 いつものぽんこつ加減をやはり少しだけ後悔しながら、ジョシュアは件の蝙蝠を声も無く呼ぶと。ミライアに向けて伝言を告げた。引っ掛かったと、そのただひと言を。


 ────その日ジョシュアは、屋敷に戻らなかった。セナと、一日ぶりに帰宅したエレナが険しい顔で話をする中で。二人の前に突然、ミライアが現れた。

『我等のかけた罠に連中が引っ掛かったらしい。伝言を受けた。あの下僕を追えるとは……、予想以上に手練れらしい。吸血鬼もやはりいるかもしれんな。何人いるかも予想がつかん。貴様らは大人しくしていろよ』

 驚き固まるハンター達を前に、ミライアは更に続けてキツく忠告をした。

『死にたくなければ手を出さん事だ。アレはもう既に何度も死んでいるのだ。今更一度や二度増えても変わりはせん。私が生きている限りアレは死なん。何度でも生き返る。────我らを、見くびるなよ人間。邪魔をするな。アレらは、私の獲物だ』

 ゾッとするような恐ろし気な笑みで凄めば、二人は何も言わなかった。何百年と生きた、無敗の吸血鬼の凄みというものを、彼等はその場で理解させられたのだ。
 そうした忠告を告げると。彼女は瞬く間にその場から消え失せてしまった。その気配などは到底、追えるはずもなかった。

「こういう、無力感っていうの? 私ハンターになってからは初めて感じたかもしれない……」
「姐さんが強すぎるからだよっ。俺は最近ずっとだし」
「チビ助だしねぇ……」
「流石に怒るよ?」
「冗談」

 その国でも有数のハンター達が蚊帳の外に置かれる中で。その戦いは、ひっそりと闇の中で幕を切って落とされた。






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