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27.疑惑のギルド


 路地裏の日陰に隠れてホッと胸を撫で下ろしながら、ジョシュアはしばし休息をとっていた。

 二人のハンター達と離れてしばらく経つが、未だ屋根に登る事は叶わなかった。
 布ごしとはいえ、陽の光に当たるだけで思っていた以上に体力が削られる。唯一露出せざるを得なかった目の周囲の皮膚は、火傷のようにヒリヒリと痛んだ。
 周囲に人の気配がない事を確認し、積み上がった木箱に隠れてしゃがみ込む。はぁ、と大きくため息を吐きながら両手で顔を覆った。

(分かってはいた。分かってはいたけれど……、ああいうのが出来なくなったっていうのは、流石にへこむ)

 ジョシュアも理解はしていたのだ。けれども、陽の光に嫌われた夜の生き物の生きにくさを今日ほど感じた事はなかった。
 こんなに人に溢れ、それぞれが楽しそうに笑って歩く中で、自分はひとり夜の闇を歩かなければならない。
 隣にかつての仲間がいたとしても、共に歩く事すら最早叶わない。それが少し、堪えた。

(いや、でも、望む望まざるに関わらず、ここまで堂々と来れたのはミライアのお陰だ。以前なら、絶対に来れなかった。会えなかった──エレナとも会えるなんて思ってなかった)

 なってしまったものは変えられない。代わりに自分は、彼等と並び立つチャンスを得たのだ。悪運だと言えなくもないが。
 世の中はそれほど甘くはない。何の代償もなく、簡単に力を得られるはずないのだ。自分の場合のその代償が、普通の人間としての生活だっただけ。
 あのまま各地を追い出されるように転々としながら、一人寂しく生きるよりも、今の方が何倍もマシなのだ。

(臆病なのは変わらないし変えられない。でも、それ以外ならちゃんと変われるとは思う)

 もし、“ミライアに殺された”あの日を変えられるとしても、ジョシュアはきっと今を選ぶはず。
 悪い事ばかりではなかったのだ。心の何処かで欲していた力に加え、新たな出会いも確かにあった。寂しがり屋だと言ってしょっ中布団の中にまで忍び込んできたあの男の事を思い出しながら、ジョシュアは少しの間だけその場で蹲った。

 ほんの数分、その間で何とか気持ちの整理をつけたジョシュアは立ち上がる。

(無いものねだりがどうしようもなく無駄な事なんて、身に染みて解ってる。虫の良い話なんてない)

 だから、と薄暗がりを再び歩み始めながら、ジョシュアは前を向いた。
 苦しいのなんて慣れている。この程度、苦しみの内にも入らない。ジョシュアは欲張りになっているだけなのだ。

 大声で話す二人の会話に耳を澄ませて時折笑みを浮かべながら、彼は再びいつものジョシュアへと戻っていった。



* * *



 時折ギルドから漏れ聞こえる話にも耳を澄ませながら、ジョシュアは周囲を探っていた。相手は恐らく、彼と同じような者だ。昼間とはいえ気配を漏らさぬよう、姿を見られぬよう、影に隠れながら全てに注意を傾けていた。
 歩いている人々の気配、匂い、音、そして魔力の気配。人間と少しでも違うものを感じれば、ジョシュアは目視で探した。
 王都は国中の物資が集まる場所。そこいら中に人間以外の種族の者達も闊歩していた。獣人やドワーフ、エルフ達は、それぞれ独特の気配を纏っている。
 この日初めて感じたそれらの気配にも、時間が経てば自然と追えるようになっていた。ジョシュアはひたすら、特異な者の気配を探った。
 しかし当然ながら、魔族に属するような闇の生き物達は、そう簡単には見つからない。陽の光の出る昼間は、表になんて出てくるはずもないのだ。
 それらは人々が苦手とする闇に紛れ、人々の寝静まった頃、それと気付かぬ内に生命を攫っていく。人にとってはまさに死そのものだ。
 それを人並み以上に理解しているジョシュアは、この事件には危機感を抱いていた。これはジョシュアにも他人事ではない。
 今はミライアのような吸血鬼が傍に居るから良いものの、エレナ達も当然、危険に晒されているのだ。

 エレナやセナといったハンター達は、この国でも最高峰の武力と見做されているところがある。
 しかしそれでも、彼等がデーモンやサキュバスのような魔族と遭遇するのは稀で、いくらハンターとはいえども魔族を相手にした場合の危険度は一気に跳ね上がる。それが吸血鬼相手ならば尚更だ。
 ジョシュアはそれを身に沁みて知っている。ミライアは当然として、赤毛のイライアス程の者が万が一にも敵として現れれば、エレナとて危険だ。
 だからこそ、この件は早急に片付けてしまいたかった。

(早いとこ、ミライアに排除してもらわないと。エレナも──そして俺が危ない)

 エレナにも劣る自分が対処できるだなんて、彼は思ってもいない。己の力を傲る事すらも出来ず、ジョシュアはただ、ミライアに頼るだけである。

 ハンターギルドの建物を監視する中で、ジョシュアがふと異変を感じたのは、エレナとセナがとある一室に入った所からだ。
 急に、二人の声がジョシュアの耳が届かなくなったのだ。そして微かに感じる人では無いものによる魔力の気配。
 この時、彼は確信した。

(居る、な。魔術による結界を張るだなんてよっぽどだ)

 それらが何を考えているのかは分からない。けれどもどうせ碌な事ではない。人が消えている。
 ジョシュアはピリリと気を引き締めると、神経をそちらへと集中しだした。
 相手は、それと解らぬように結界を張りながら警戒している。今、気付かれてはならない。
 再びあの扉が開くその瞬間。その一瞬に、彼は全神経を集中させた。
 少しでも良い、何か手掛かりを掴めれば。自分の利用価値を自分でも認められるのではないか。
 これができるのは己だけ。そう、ミライアに散々口煩く言われてきた。それをどうにか無理にでも信じ込ませながら、ジョシュアはその瞬間に賭けた。

 数分後。扉が開く音がする。
 エレナとセナが連れ立って、部屋から出る所だ。そこでふと、二人は誰かに呼ばれたのか、その場で立ち止まる。何らかの返事を返した後で、エレナがゆっくりと扉を閉める。
 その間、約数十秒たらず。
 それを終えてジョシュアは、そこでようやく気を緩める事が出来た。疲労からか少し、目眩がした。

(成る程……分かった。あれは────魔族の類いだ。吸血鬼とは違う)

 ジョシュアは、その場でしばし俯きながら考える。
 あれは吸血鬼では無かった。けれども人とは違う何か。それが人に化けて紛れている。魔術で結界を張るような、臆病で紛れる事の得意な種族。
 いくつかの候補を頭に羅列しながら、彼はその場で少し、身体を休めたのだった。

 ほんの数分程だったろう。ある程度休んだところで、ジョシュアは屋根からするすると飛び降りていく。そしてそのまま、二人の声のする方へと足を向けた。
 日陰のある場所を選びながら気配を絶って素早く歩く。そうすれば誰も、ジョシュアの事を気に留める者は居なかった。
 以前と何も変わらない、誰も気に留めない存在。時折奇妙な程にマイナスの思考に囚われながらも、ジョシュアはひとり、屋敷の方へと足を運んだのだった。


「──ギルド内部にいるのはその辺の魔族で、吸血鬼では、ないのね?」

 時々寄り道を挟みながら屋敷に戻り、結界を張った部屋へと戻った所で。ジョシュアはすかさず彼等に分かった事を話して聞かせた。
 エレナもある程度覚悟していたのか、最初程驚いた様子は見せなかった。吸血鬼では無い事が不幸中の幸い、と言ったところだろうか。険しい表情になりながらも、どこかホッとしている様子だった。

「多分な。吸血鬼、ではないだろうな。気配は僅かだったが、魔族の類いだと思う。ただ、ハンター達が居る中でも巧妙に人に化けられる奴だ。危険には変わりない。あの部屋で、誰と会ったんだ?」

 ジョシュアが、フード付きの外套やら顔を覆っていた布やらを脱ぎ去りながら応えれば、エレナは少し顔を顰めながら言った。

「幹部クラスが数名と、ギルド長、中央所長も居たわね。上手く、話は誤魔化せたと思うけれど……。今日居なかった人間は、今回の件、容疑者からは外して問題ないわよね。協力を仰げるかもしれない」
「……いや、それも止めた方が良いんじゃないか?」

 エレナの提案をすかさずジョシュアが止めに入れば、彼女はポカンとした表情で彼を見返しながら言う。

「え……何で? ここまで事態が大きくなってるんだもの、他に協力者居た方が無難じゃない?」
「吸血鬼の話、この前聞いたろう? 催眠術なんてかけられていたら、敵も味方も情報はダダ漏れだ。魔族も一人だと決まった訳でも無いし……いっそその場に居た全員がクロの可能性もある。俺と彼女の事もある、コトが終わるまで知らないでいてもらった方が都合が良いと思う」

 ジョシュアのそんな言葉に、エレナはぐ、と言葉に詰まったようだ。
 二人は昔からそうだった。
 ジョシュアは臆病であるが故、慎重に物事を進めたい性質だ。何でも即座に物事を進めるエレナと、慎重を期すジョシュア。
 二人はうまくバランスをとりながら、幼い頃も二人でやってきたのだ。それは今も尚、変わらない。

「……分かった。その方が良さそうね。──じゃぁこれからどうする? 一度ミッシャさんに報告する? まだあれから23日しか経ってないけど」
「ああ、俺もその方が良いと思う。ギルド内部で魔族が絡んでいる事が、ほぼ確定した。それは知らせた方が、良いかもしれない。彼女も動いてくれるんじゃないのか」
「ええ、じゃあそうしましょ。『ツェペシュ』だっけ? 夕方には飛び始めるだろうから、コウモリを探さないと」

 そう言って外を見たエレナにつられ、ジョシュアも窓の外を見る。
 青々としていた空はすっかり陰り、心なしか茜色が混じるようになっていた。もうしばらくすれば陽も落ち、闇夜が空を覆うようになるだろう。そうすればたちまち、そこは化け物達の世界へと早変わりする。

 王都では、ここ最近の失踪事件を鑑み、夜間の外出禁止令が出されていた。夜になれば、人っ子一人出歩かない。
 王都で消えた者は未だにいないというのが表向きの通説ではあるがしかし、影では人は消えていると、もっぱらの噂だった。
 人が集まる反面、平和から溢れる人はどうしても出てしまう。
 路地裏に転がっている人々は、行き場を無くしてただ浮浪する者達だ。そのような者達が、この都市から消え失せているのかどうか。実際のところは分からない。
 彼等は皆、死んだような目をして他人の事など見向きもしない。会話すらも応じない。
 一体、彼等の人生に何があったのか。それを突き止めようとする者などどこにも居なかった。
 国の栄える所には闇も栄える。それが良いのか悪いのかは別として、より深い闇はいつしか、新たな争いの火種を生む──。

「まだ少し、時間が早いかな。──ゲオルグ、セナも、少し休みましょう。お茶を持って来てもらうわ」

 外の様子を見たエレナは小ざっぱりと二人に告げると、ジョシュアとセナをその場に残し、部屋を出て行ってしまった。
 お茶を頼む、と言いつつも、彼女はきっと手ずから持って来てしまうのだろう。菓子を添えて召し上がれ、と一般人には中々手の出せぬ代物を易々とジョシュア達に振る舞ってみせる。
 それを想像して微かに苦笑してから、ジョシュアは部屋の隅に置かれた椅子へと腰掛けた。ここ数日で定位置と化している、彼専用の椅子である。
 ソファには負けるものの、それなりの造りで、ゆったりとリラックスするには十分である。
 ふぅと溜息を吐きながら、上まできっちりと留められていたボタンを外していった。手首のボタンも同様に、外しては腕を捲っていった。
 その時だった。ジョシュアは不意に声をかけられた。

「なぁ、アンタさぁ」

 呼ばれて振り向けば、少しばかり難しい顔をしたセナの姿があった。ジョシュアは警戒する。
 一体、自分は何をしでかしてしまったのか。その自信のなさが、ジョシュアを悲観的な思考へと導いていく。

「昨日の夜、寝室で何喋ってたか覚えてる?」

 だが、覚悟していたものとは違う内容に、ジョシュアは一瞬反応が遅れてしまう。

「い、や……昨日の夜は、ここで話していた事しか……何か話したのか?」
「ふうん? じゃ、ぶっちゃけて聞くけどさぁ──」

 そこで一度言葉を切ったセナに、ジョシュアはゴクリと生唾を呑み込んだ。

「アンタ、姐さんの事狙ってんの?」
「…………は?」

 素っ頓狂な声が出たのは仕方のない事だろう。ジョシュアは口をあんぐりと開けたまま、セナの反応を伺った。

「は、じゃねぇよ! 気になってしょうがない。姐さんは何も教えてくれないしさぁ、ぶっちゃけ、アンタら付き合ってたとかじゃないの? そこんとこどうなのよ?」

 不躾な質問といい、ふてぶてしい態度といい、若者らしい聞き方だ。ジョシュアは少しばかり怯んでしまいながらも、何とか言葉を絞り出した。

「い、や……だから兄妹のようなものだって、」
「えー? マジ、これで? 無意識? 無いわぁーー」

 思いっきり顰めっ面をしながらそんな事を言ってのけたセナに、ジョシュアはグサリと心に傷を負った。
 奥手な事は自覚しているが、こんなにもハッキリと見破られるだなんて思ってもいなかったのだ。
 セナは随分とそういう方面に明るいらしい。人は見かけに寄らない、とはよく言ったものである。
 昔も今も、ジョシュアは自分が彼女に相応しい人間だとは思ってもいないし、それを重々承知している。だから何も行動は起こさない。忘れ去られた過去のものとして、それを捨て去ろうというのだ。
 だが、そんなジョシュアの覚悟など知るはずもなく。セナの口から告げられた内容に、ジョシュアはとんでもない事に気付かされる事になるのだ。

「んで、何? アンタはさ、昨日言ってた赤毛と、姐さんと、どっちを取んの?」
「…………は?」
「え、何すっとぼけてんの? だって、赤毛ってオトコなのに寝床に忍び込んでくるんでしょ? 吸われたとかも言ってたし────」
「ま、待て……なんでそんな事を知ってるんだ……!」

 セナの口から語られる事が信じられなくて、ジョシュアは羞恥にプルプルと震えながら、セナに問うた。分かりきった事を聞いてしまうのは、その現実から少しでも目を逸らしたいせいだろう。
 だがしかし、セナは無情にも、ジョシュアが見たくもない現実を目の前に叩きつけてくるのである。

「え? だからさっき聞いたじゃん、『昨日の夜、寝室で何喋ってたか覚えてるか』って」
「……俺は、アンタに何を言ったんだ」
「だから、赤毛が布団の中に忍び込んでくるし色々吸われたし、頭が変に、って──」
「お待たせ、お茶持ってき────」
「ッわあああああああ!」
「!?」
「ええ!? なにっ、何事!?」

 余りに突然の暴露とエレナの声に驚いたジョシュアは、耐えきれずに悲鳴を上げた。
 そんな彼に驚いたらしいエレナもまた、ガシャガシャと食器を揺らしながら悲鳴を上げる。
 しばらくの間、部屋の中は大混乱の様相を呈した。ジョシュアもエレナも悲鳴混じりに言葉を交わし、事件性が何も無い事を少しずつ確認していく。
 しかし、意図的にではなくともそのような事態を引き起こしてしまったセナはといえば。そうやって慌てる二人を横目に、素知らぬ顔で口笛を吹いている。
 そして、先程の悲鳴の理由がバレた途端。セナはエレナに大目玉を食らう事になるのだ。

「セナ! お前またやったな!? あれ程詮索するなといつも言ってるでしょうが!?」
「ちっがうし! 俺はただ──」
「問答無用!」

 騒がしくも、ハンター達の賑やかな一日はそうやって過ぎていくのだった。





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