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26.行動開始




 吸血鬼ジョシュアに掴み掛かられたまま、セナは大層混乱していた。

 疲れの余り、目の前の吸血鬼はすっかり眠ってしまったものと思っていたのだが。敵に襲われたのだと寝惚けて勘違いでもしてしまったのか、目の前の男が自分を掴んで離さないのだ。
 顔の厳つい野郎とこんな至近距離から見つめ合っても、良い事なんて何ひとつ無い。セナの気分はあっという間にどん底だ。

「────は?」

 そして、ようやくそんなセナの気持ちが伝わったのか、目の前の吸血鬼野郎は眉間に皺を寄せながら、素っ頓狂な声を上げた。
 その声は随分と気の抜けたもので、男が未だ寝ぼけているらしいことは、セナにもすぐに分かった。
 セナもまた同様に眉をひそめた。一体、この男は何だと言うのだ。人の顔をジロジロと見た挙句にふざけた声を上げて。いい加減、セナの我慢も限界に達しようとしていた。
 だがその時だ。男は再び口を開いた。

「赤毛じゃ、ない……?」
「は?」

 今度はセナが声を上げる番だった。
 突然何を、と一瞬思ったが、すぐに赤毛、という単語に聞き覚えがあることを思い出したのだ。つい数刻前に聞いた呼び名だ。本名でない事は確かだが、そいつはこの男の師匠らしい、という事も覚えがある。
 セナはこの時気付いた。この吸血鬼ジョシュアは、自分とその男とを見間違えたのだと。
 男は更に、セナから手を離しながら眠そうに顔を両手で覆って言った。まるで愚痴るかのような、そして何を言っているのか本人にも分かっていなさそうな、どこか夢見心地な声音だった。

「はぁー……いや、ちがうんだ……アイツ、寝てたらおそってくるし、ようしゃないし、毛布の中にはもぐりこんでくるし……気付くといろいろすわれてるし……アイツのせいで──」
「んんん!?」

 セナは耳を疑った。一体、何の話をしているのか。すぐには理解しかねた。否、理解したくもなかったのだ。
 目の前の男は何の話をしているのか、きっと本人にも分かっていないに違いない。だからそんな、プライベートらしき事まで口走ってしまっているのだろう。いや、もしかしたら自分の耳がおかしくなってしまっただけなのかもしれないが。
 セナは酷く混乱しながら、しかし考えてしまった。

 寝ていたら襲ってくる、というのは一体どう言う事であろうか。いやさ吸血鬼ならば相手の血を狙って、眠りこけている所を襲うのかもしれない。もしセナがそうであったなら、同じ野郎相手なんて御免ではあるのだが。
 そもそもだ、いい歳した野郎が同じベッドに一緒に潜り込んでくる時点で、それが健全なはずがない。
 中には本当に純粋に人間にくっ付きたいというだけの、そういう一風変わった男も居るんだろうが。セナの知る常識からは大きく外れている。少なくとも、彼はそんな人物を見た事も聞いた事もなかった。
 もしかしたら自分が知らないだけでそんな世界があるのだろうけれども。知りたくなどは無い。いっそ気付かれぬ内に済まして貰いたい。気付かせて欲しくもない。
 セナだって聞いたことくらいはあったのだ。吸血鬼という連中は、魅了の力で相手を好きに出来るのだと。
 そこで考えてしまうのは、もしやそれは話に聞き及んだ異性だけではなく、同性相手にも効いてしまって好き勝手にイロイロやっちゃってるんだろうか、なんて考えてしまって。
 セナも珍しく、ひどく混乱しているようだった。

 そうやって現実逃避気味に考えながらセナが固まっている間も、目の前の吸血鬼ジョシュアの口は次々と滑っていった。
 疲れているせいなのか、その言い訳がましい訴えの数々は止まらない。
 一方で、そんな話の相手をさせられているセナの方はと言えば。知りたくもないのにそんな事を聞かされて溜まったものではなかった。

「いや別にいやだといっているわけでは、なく、て……ここまでめんどうをみてくれたのも、あるし、でも、あんなのにつきあわされてへんに──」
「ちょ、待って、ねぇヤメテ! さっきからアンタ何話してるかわかってないだろ!」

 焦ったセナはとうとう、大声で叫んだ。悲鳴のような声だ。
 途端、ビックリと肩を震わせたかと思うと、目の前の男は両手の中からようやく顔を上げた。眉尻が下がり、眉間に皺を寄せて酷く情け無い顔をしている。そんな男を多少は憐れに思ったセナだったが、手心を加えてやるつもりは微塵も無かった。

「寝ろ! 俺そんなん聞きたくないしッ、腹に巻いたベルトを取れ、寄越せ! そして寝ろ!」

 叫びながらシャツを摘み上げ、下の黒いソレを指さして言えば。ジョシュアは一瞬遅れながらも理解したようで、彼に言われた通り、巻かれた紐やホックを外してナイフごとそれらを取り去ってみせた。
 セナはそれを乱暴に掴み取ると、顰めっ面のまま指を突き出して、ジョシュアへと強く命じる。

「そこで横になって寝てろ!」

 ここまで言われれば流石に怒るか、なんて少しは思っていたセナだったのだが。
 何とこの男は、特に何か文句を言うでもなく。セナの言った通りにその場で横になると、しばらくしてゆっくりと目を閉じてしまったのだった。
 そうして数分もすれば、先程のような静かな寝息が聞こえて来る。
 セナはそんな男の様子を、半ば呆然と見下ろしたのだった。
 今のは一体、何だったのか。ただ自分が疲れのあまりに幻覚でも見ていたのか。
 なんてそんな事を思ったりもしたのだが。自分の左手に握られたナイフ入りのホルダーの重さや、頭に巡る思考がそれを否定する。
 今し方暴露された話を興味本位にうっかり反復しながら、知りたくなかった吸血鬼達の事情というやつをまざまざと理解する。
 セナはその場で脱力した。何て一日だ。運が無いにも程がある。今日は厄日だ。
 そんな事を思いながら、奪い取ったホルダーを男の枕元に無造作に置くと、セナはとぼとぼとその場を後にした。
 先程の情けない顔は見ものだったとか、自分の命令に従うその素直さは褒めてやってもいいだとか、うっかりこの先の任務を楽しみに思ってしまって。あてがわれた部屋でセナがしばらく頭を抱えたというのは、また別の話。

「どうしたのセナ、真剣な顔して……病気?」
「や、何でもないっすよ……この先の事が思いやられて」

 昼食時に出くわしたエレナと、そんな言葉を交わしてからもしばらく、セナの気分が良くなる事はなかったという。
 あんなので絆されるなんて余りにも単純過ぎる、なんて、彼は自室で大きく溜息を吐いたのだった。


* * *


 ジョシュアが目を覚ましたのは、夜もすっかり深まった夜半頃の事だった。
 身体は随分と休息を欲していたのか、いつもより遅い起床である。
 彼には早朝、ベッドまで戻った記憶がなかった。客間のスペースで何やら聞かれていた事は覚えていたが、その時からフツリと記憶が途切れてしまっている。
 きっとあの場で眠ってしまい、あの二人にここまで運ばせてしまったのだろう。そう思うと、ひどく申し訳ない事をした気分になった。
 髪をかき上げながら床に立てば、枕元に己の装備品が置かれていた事に気付く。流石、こんな暗器のように身に着けていた事にも、あのハンター達には気付かれてしまっていたのか。
 それをほんの少しだけ恐ろしく思いながら、サイドテーブルに置かれていた水差しより水を汲んだ。一口喉を潤し、装備品を再び身につけると、ジョシュアは部屋を後にした。
 屋敷の中は自由に使ってもらって構わない、とエレナには事前に言われてはいるので、散策がてら彼女を探す事にする。
 各部屋の気配を探りながら人の気配を探した。夜中とあって、人の動く気配はほとんど感じられなかった。
 管理の責任者だろう人物が何かの書き物をしているらしき部屋が一つ。そして、それ以外は階下の談話室に集中していた。
 成る程、恐らくそれらがエレナ達に違いない。
 ジョシュアはあたりを付けると、静かに音を立てずにそちらの部屋へと向かった。

「あら、ジ──ゲオルグおはよう、起きたのね」

 部屋に入ってすぐ、大ぶりのソファに腰掛けたエレナに振り返って声をかけられた。その隣に座ったセナは、チラリと目を寄越したかと思うと、すぐに前を向いてしまった。一瞬、ギョッとされたような気もしたが、気のせいだったろうか。
 ジョシュアは大して気にも留めず、エレナへと言葉を返した。

「おはよう。すまない、昨日は寝室まで運ばせたか?」
「大丈夫よ。疲れてたのに最後まで付き合わせて悪かったわね。運ぶのはセナにも手伝わせたし、あれくらい何でもないわ」

 そうか、と彼女に相槌を打ったところで、正面のソファへと座るように促される。誘われるがまま、ジョシュアはエレナ達の正面へと腰掛けた。
 それと同時に、エレナによってセンターテーブルに置かれたポットから、琥珀色に色付いた紅茶がカップへと注がれた。
 「今淹れたばかりだから」と、そう言って差し出された花柄の描かれたティーカップからは、かぐわしい果実のような茶の香りと共に湯気が立ち上っていた。
 礼を言って遠慮なくその場で口に含めば、鼻腔に香りが広がった。味など良くは分からなかったが、こんな高級そうな茶を自分のような者にも軽々出せるとは。
 彼女は自分には手の届かない、大した人物になってしまったものだ。そんな感想を覚えた。ジョシュアはそんな考えを振り払うかのように、続けて何気なく質問を口にした。

「動くのは、明日の昼間か?」

 昨晩のミライアとの打ち合わせでは、ジョシュアとハンター達二人の体力回復を待ち、ギルドへと報告に出向く事になっていた。
 第一報は既に、文で昨日中に届いているはずではあった。エレナの【S】ランクとしての義務と、不審に思われていないかの確認の意味もあった。

「ええ、その通りよ。召喚の手紙は来ていないけれど、念の為に行くつもり」
「それなら、俺も行こうか?」

 念の為だ、とジョシュアがそのように申し出れば、エレナはポカンとしたような顔で聞く。

「え? ……でも、昼間よ?」
「昼間に出歩けない訳じゃない。多少苦労はするが、いつもやってる事だ」
「そう……一緒に来てもらえるのはありがたいけども。犯人も、昼間は動かないんじゃない?」
「それもそうだが──少し、周辺を見ておきたいというのもある」

 只人には分からない何かがあるかも、とジョシュアは端的に説明した。

「成る程ね、貴方がそれなら、いいけど。──じゃあセナ、アンタも来なさいね」
「え、俺も?」
「あったり前じゃない。チビ助」

 揶揄うように言ったらしいエレナのその一言に、セナはすぐに反応した。余程嫌なのか、眉間に皺を寄せながら不快そうに声を張り上げる。

「その呼び方ほんっとヤメテ! 姐さん性格わるい!」
「アンタが言う事聞かないから──」

 そうして始まってしまった二人の姉弟喧嘩のようなやり取りに、ジョシュアはただ、その場では笑みを浮かべるだけだった。
 セナにお株を盗られてしまったような気がして、少しばかり寂しく思ったというのはジョシュアだけの秘密である。
 そんな愉快な話し合いは、しばらくの間続いた。


「じゃあ、いいかしら? 私とセナは真っ直ぐにギルドへ向かう。ゲオルグも私達の後に続いて向かいつつ、ギルド手前で路地に入る。──さっき見せた地図は覚えたでしょ?」

 エレナとセナがジョシュアの前に立ちながら、玄関口で最後の確認を行った。
 エレナの慣れたような口調にどことなく懐かしさを覚えながら、ジョシュアもまた端的に応えていく。

「問題ない」
「その、三番街方面は小道が多くて隠れやすい造りになってるから、タイミングを見計らって屋根上に登る。それから、周囲を観察してちょうだい」
「分かった」
「極力、魔力は使わずにね。敏感な人も多いから」
「探るだけに留める」
「うん、よろしく。で、セナ、アンタはギルドの方でゴネて文句言い続けてなさいよ」
「はいはい……俺、こんな役回りばっかじゃん、最近」
「人望の違いよ。【S】ランクに上がらないのは、アンタのその性格のせいだといい加減解れ? ただそれが、今は利用しやすいから助かるって話なんだけど……」
「世知辛い」

 そんな確認を終えると、彼等は早速王都の市街の方へと歩き出して行くのだった。
 ジョシュアにとっては初めての王都だ。人の多さや様々なものの匂いに面食らいはしたものの、あちこちで掲げられた看板や施設はどれももの珍しく映った。
 もし、未だにジョシュアが人間だったならば、キョロキョロと見回し、さぞ田舎者感も丸出しに歩いて回ったに違いない。
 しかし、今やジョシュアは吸血鬼だ。陽の光や騒がしさに、歩いて寸刻とせず辟易してしまった。
 感覚が強過ぎるというのも考えものなのである。というのも、ジョシュアのそれは吸血鬼の中でも鋭い部類に入る。
 ただでさえ人の多い所が苦手な吸血鬼が多いというのに、平均以上である彼が、昼間人混みに出てきてしまっては、耐えるのも難しかった。
 彼は結局、半刻とせぬ内に、彼等との別行動を申し出るのだった。

「覚悟はしていたが……これは無理だ、屋根を伝って向かう」
「大丈夫? 顔色が悪い」
「姐さん、そいつ相手に顔色って、それジョークか何か?」
「黙れチビ」

 エレナは余程チビ助というあだ名が気に入ったようだ。相変わらず騒ぎ出した彼等のやり取りを背に、ジョシュアは気配を消しながら暗い路地の方へと向かったのだった。
 目的の三番街へは、少し遠回りになりそうだ。身を屈め極力下からも見えぬように行動し、騒ぐ二人の声を頼りにジョシュアは目的地へと向かった。






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