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5.追い求めるは月光



 どんよりと曇った空の下、雄大に聳え立つ渓谷の中腹にその小さな城は建っていた。崖を背に、谷を正面に、僅かに突き出た平らな地の上に建てられたその城は、まるで砦の如き武骨さを匂わせている。
 決して落とされる事のない難攻不落の砦。そう言われれば誰でも信じてしまう、そんな所に建てられた小さな城には、その土地の領主が住んでいた。

 渓谷側に向いた最も眺めの好い部屋の真ん中で、二人の男が片や愉快そうに、片や不機嫌そうに向かい合って座っている。

「おい、テメェ早速してやられてんじゃねぇか」

 浅黒い肌に金色の短髪の男が、目の前に座る男に向かって揶揄うようにそう言った。
 そう言われた銀色の長髪の男は、大層不機嫌そうだ。

「煩い。あのヘビ野郎にしてやられたんだよ。あの性格だ、ヤツなら絶対城に残ると思ってたってのに……それを、野郎に無理矢理外に連れ出された」

 吐き捨てるように言った男は、髪を掻き上げると苛立ちを露わに、椅子の肘掛けにガンッと拳を叩き付けた。石造りの広々とした部屋では、そんな些細な音すらも反響して大きく響く。

「はははっ、何だ、ソッチはもう能力ほとんど覚醒してんじゃねぇのか」
「笑い事じゃねぇぞ。この国にとったら厄介以外の何でもない。またしても、南部の手に渡ってしまうとは……おまけに野郎、自分の為に真っ先に能力を使っちまってる。以前のヤツの主人とは似ても似つかない」
「んなもん、普通は誰だってそうすんだろうよ。唯のお人好しが、いつの間にか腹黒に取って変わられてたってんじゃぁ、そりゃ傑作じゃねぇか」

 ケラケラと笑う男は、愉快そうに両手をパンパンと打ち鳴らした。余程ツボに入ったのか、鋭い金色の目付きの中に涙すら浮かべている。

「テメェ、他人事だと思って……」

 銀髪の男の機嫌は最早地に落ち切っていて、額に青筋すら浮かべながら藍玉のような色を覗かせ目を細める。
 だが、金髪の男は飾り気も無い率直な言葉で、目の前のやられっぱなしの男を嘲笑う。

「おう、そりゃ他人事だぜ?テメェのような冷血漢が、百年も前にくたばった筈の人間追っかけて右往左往してるってんだからよ。こりゃ笑うしかねぇ」

 そう言うととうとう、銀髪の男はブスッと明後日の方向を向いてしまった。そして、不貞腐れた子供のようにボソリと言い放つ。

「…………あの男は、まだ死んじゃいねぇよ。でなきゃ、アレがいまだこの世に残ってる理由の説明が出来ない」

 不機嫌そうに遠くを見る銀髪は、しかし少しだけ寂しそうに見える。この土地を護る為にありとあらゆる残虐な行為を行っていた、この地の領主が見る影もない。
 先陣を切って、北部の人間達を狩り尽くしてきた男が、だ。金髪は何やら不思議そうな表情でもって、男のその様子をしばし眺めていた。

「そんなに、強かったのか? あの人間が? 南部の連中に主人と一緒に取っ捕まったって聞いたけどよ」

 ふと思い出したかのように金髪の男がそう問いかけると、銀髪の男は再び視線を目の前の男の方へと戻した。

「強かったさ。ヤツは俺すらも殺さんと渡り合って来やがったんだ。人間の癖に、一人で。この俺ですら何をしたってやり返されちまったんだよ。あの、目がーーーー」

 そう言うとそれっきり、銀髪の男はしばらく黙り込んでしまった。ヤツと呼ぶ存在との、数多にも及ぶ戦いの光景を思い出していたのだ。
 たった一人、絶望的な状況においてもその目から光が失われることは無かった。何十回、何百回と相見えようとも変わらなかった。男は、その眼差しに魅せられてしまったのだ。
 不思議に光る、何もかも見透かしているかのような目。アレはきっと普通の目ではない。それは男の直感だった。

「あの目が欲しい」

 あの目に、あの失われぬ強い眼差しに、再び射抜かれたい。もっと近くで、もっと傍で。自分だけを映すものとして傍に置きたい。そう思ったらもう、彼は駄目だったのだ。
 そんな、どこか遠い目をする男をしばし眺めた後で。金髪の男はどこか呆れたような声音で言った。

「へぃへぃ……、それを俺にも手伝えってんだろ? 借金の肩代わりの約束、忘れんじゃねぇぞ」
「ちゃんと見張っておけよ。チャンスは逃すな」
「…………お前、コレが出来んのは俺だけだって事、忘れんなよ?」
「だからお前に頼んでんだよ、クソが。自分で出来てたら誰の助けも借りてねぇ」
「そぉですかぃぃ」
「分かったならとっとと失せろ」
「…………」

 例えぞんざいに扱われたとして、それを拒否する事が出来ない金髪は、少しだけ悲しそうな顔をした後で。はぁーっと大きくため息を吐くと、フッとその場から姿を消してしまったのだった。
 この世ではない別の何処か、そんな世界の狭間に滑り込む能力。それはあの金髪の男だけに許された特殊な珍しい能力で、誰にも真似する事は出来ない。
 例え、この地で最強を謳われるこの魔族の領主ですら、天地がひっくり返ったとて真似する事など叶わない。特異な能力は、生まれた時には既に決まっているのだから。

 男の気配がすっかり消えてしまった事を確認してから、領主の男はその場から立ち上がった。書斎としても使われる部屋の窓際には、男の机が配置されている。
 そこから大きな窓の外を見れば、ベランダ越しに足がすくむ程に深い谷底と、轟音を立てて流れ落ちる巨大な滝を、城内に居ながらにして眺める事ができた。
 そんな窓際、机の奥側に音もなく移動した彼は、重厚なマホガニーの机の引き出しをそっと開ける。その引き出しの奥の方には、小さな黒い箱が置かれていた。銀細工で彩られたその箱は、男の掌にもすっぽりと収まってしまうような小さなもの。
 それを自分の手元に取り出すと、男はその箱をそっと開いていく。すると同時に、鍵となっていた術がパチンッと音を立てて弾けた。
 その箱の中には、薔薇の葉を思わせる銀細工に、長石が嵌め込まれたペンダントが、入れられていた。
 別名、ムーンストーン。七色のごとく光を帯びたその石は、かの男の目を思い出させた。
 平時はアンバーのようなヘリオドールのような、極々平凡な色なのに。戦いの最中にだけ、その目は七色に光り輝いた。

 ペンダントを手に取り、男は外の光に当て、時折角度を変えながらその石を眺めた。七色余りにも変化するその石の様を眺めながら、百余年も前になるあの戦いの場面の数々を思い浮かべる。
 血湧き肉躍る命のやり取りの最中。その光り輝く目に見詰められるだけで、彼は言葉にならない程の興奮を覚えた。
 時々酷い興奮の余り、執拗に痛め付けすぎたりしてしまって。それを反省した次の戦闘時には、彼は逆にボロボロになるまで攻め立てられるなどした。そんな事ですら、今となっては彼の好い思い出である。
 あれはいっそ逆に興奮した、なんて、そんな事を一言でも口にすれば、ヤツだけではない、部下にも先ほどの金髪の男にも、変態だ何だと罵倒されるに決まっている。彼にもそれ位の自覚はあった。
 だがそれでも構わず、男は焦がれて止まないのだ。

(ああ、早く……早く、再びあの目に見つめられたいーーーー)

 誰もいないその部屋で。うっとりとペンダントを眺める男は一人、熱い熱い吐息を洩らしたのだった。






* * *






「ーーーー何、宝物庫が荒らされた?」
「ええ。パレードの最中、警備が手薄の時を狙われました。すぐに警報が発動しましたので盗られた物は何もありません。魔道具を収納していた台が、幾つか壊された位で」
「ふむ……犯人の目的や目星は?」
「不明です。今のところ目撃証言はありませんし、衛兵は不審な人物は見ていないと」
「…………成る程、それは厄介だな。内部に手引きした者がいる可能性もある、と」

 第一師団の団長たるアウジリオは、書面を片手に執務室で唸った。目の前で先の報告をしたセルジョもまた、少しばかり深刻そうな表情をしている。
 その小さな事件は、神子たるハルキの帰還を祝したパレードの最中に起こった。第一師団やその他の師団、近衛兵など、神子の護衛に多くの兵が駆り出されたその日だ。
 主力である部隊が出払ってしまうが故、それなりの準備をして、パレードには臨んでいた筈だったのだが。まさか、神子でも異世界人でもなく、宝物庫をピンポイントで狙われるとは。さしものアウジリオも、予想を裏切られた形である。
 深く息を吐いたアウジリオはしかし、感情を表に出す事なく淡々と続ける。

「内部調査には時間がかかる……得意な者を至急回せ。信用できる者をな」
「承知しました」

 具体的な対処法をその場で詰め、アウジリオはテキパキとセルジョへ命令を下す。そうして一通り、その件での確認を終えた後で。アウジリオはふと、静かに問うた。

「それと、もう一つ。セルジョ、何故今宝物庫なのか……神子様ーーハルキ様の忠告と、何か関係があると思うか?」

 両手を顔の前で組みながら、アウジリオはジッとセルジョの顔を見つめる。『カイトをあの扉に絶対に近付けないで』
 そうハルキに言われたのはつい最近の事。忠告通り衛兵も増やし、いくつか手順を踏まねば宝物庫へと辿り着けないようにもした。しかしそれでも、何者かによってそこは狙われた。
 カイトは近付いてすらいないが、宝物庫を狙った何者かの侵入は神子による預言の一部、ととっても差し支えないだろう。アウジリオはそれを深刻な状況と捉え、セルジョに問うたのである。

「そう、ですね。私個人としては、貴方様が考えていらっしゃるのと同じように、その忠告の主因こそが原因ではないかと」

 声を落とし、その場に居ても二人だけにしか聞こえないような声音でセルジョは言った。

「お前も、そう思うか」
「ええ。ーーーーカイト殿、でしょうか。あの方、恐らくは唯の人間ではないのでしょう。でなければ、神子様があそこまでお気になさる筈がありません」
「…………それが我々の勘違いで、ただハルキ様が身内だと思われ心配されているから、などではなく?」
「ーーならば、『絶対に扉に近付けるな』、などと命じたりはしないでしょう」
「成る程。それは道理。ーーーーハルキ様はその理由を教えては下さらなかった」
「ええ。我々の知らない何かがカイト殿にはあって、神子様はそれを感じて案じていらっしゃる。忠告の通りにした方が我々にも利益があるのでしょうが……」
「気にはなるな。あの方は教えてはくれんだろうがな……」
「もしかしたら、神子様もそこまでご存知ではないのでは?」
「……そうなら良いが。神子様と言えど、全てを見通せる訳ではないが。我々もまだ、信用されきっている訳ではないだろうからな」

 そんな二人の会話は、その他の誰にも聞かれる事なくーーーー誰にも聞かれていないと思える程、静かに、そして秘密裏に行われたのだった。

 その会談が終了すると、セルジョは足早に部屋から出る。さっさと長い廊下を渡り切ってしまい、上階へと登っていった。何人もの衛兵に慣れたように挨拶をしつつ、セルジョは目的の部屋へと向かう。
 城の最上階にある廊下の中程、目的の部屋の前でひとつ大きく深呼吸をしてから、セルジョは扉をコンコン、とノックした。
 くぐもった声と共に、ガチャリと扉が開かれる。そこから覗いた顔は、ここ最近で見慣れたプラチナブロンドヘアの美しい男だった。昨日宣言した通り、彼は神子専用の白いローブをその身に纏っているようだった。

「はーい、って、あれ、セルジョ? 珍しいね、こんな時間に」
「お休みのところ突然申し訳ありません、ハルキ様。少し、中でお話よろしいですか?」
「うん、大丈夫だよ。カイト居るけどいい?」
「ええ、もちろん。お二人とも知っておくべき事だと思いましたので」
「ーーーーそう。どうぞ」

 ハルキが少しばかり妙な間を置いた後で。セルジョは部屋へと招き入れられた。
 今の間は一体何なのだろう、とほんの少しだけ違和感を覚えるも、セルジョはただ微笑みを浮かべてその言葉に従うだけだった。
 神子専用の部屋は本来、彼の為だけにあるものだ。けれども、神子本人たっての希望により、ハルキとカイトは同じ部屋で過ごす事になっている。
 元々広い造りをした部屋であって、この国の基準で言えば小柄な二人が共に暮らすのであっても十分な余裕があった。

 だから特に何も考えずに足を踏み入れたセルジョだったのだが。部屋に入って早々、少しだけ怯んでしまった。
 何故ならば入った途端、その部屋からは女性の部屋と似たような、花のような柔らかな好い香りが漂ってきたからだ。表にはおくびにも出さなかったが、彼はとても妙な気分になった。
 まるで、二人で共寝する女性方の部屋に、うっかり踏み込んでしまったような。そんな気分であった。なまじ顔立ちの整った二人が揃っているのだから、余計に錯覚してしまう。
 セルジョの知る男二人の部屋とは、どんなに小柄でももっとこう、それなりの匂いのするもので。こんな、好い香りのする男の部屋というのは初めての事だった。
 男娼、なんて言葉をうっかり思い浮かべてしまうが、セルジョは慌てて首を振って打ち消したのだった。
 そもそも、ハルキに招かれるがまま入ってきてしまったが、やはりいつものように戸口で要件を済ませるべきだった。そんな後悔をしつつも、セルジョはハルキに導かれるがまま、部屋の中程、ベッドが見える位置にまで足を進めた。
 すると今度は、ベッドの方を目にしてしまって、セルジョはまたしてもギョッとした。

 何とそこには、昨日はキッチリとその身に纏っていた神子の従者服を大いにはだけさせ、ほとんど半裸で眠るカイトが横たわっていたのだ。
 ローブを結える紐はそもそも外れてしまっていて前は全開で、下肢などは捲れ上がって下着が完全に見えてしまっている。
 備え付けの布団は熱いのか何なのか、ほとんど身体に掛けられておらず。まるで抱き枕のように丸まって、横になって眠るカイトの両手足の間に挟まれていたのである。
 普段、ブスッとした顔をしている事の多い彼の安らかな寝顔は、その見た目の幼さをより一層際立たせるものだった。
 部屋の空気といい、この状態といい、セルジョは自分の知っている男達とは違う目の前の二人に、柄にも無く酷く動揺してしまったのだった。

「カイトー、セルジョ来たから起きなね? 話あるんだってさ」

 その声にハッと目を向けると、ハルキがその巨大なベッドに乗り上げ、カイトを起こす所だった。ゆっくりと顔を近づけて、肩を揺すりながら至近距離で何度も声をかける。
 ハルキの髪でその様子は見えないが、まるでハルキがカイトに口付けをしているかのようにも見えて。セルジョはまたしても動揺した。

(ここはそういうプレイを見る娼館か何かーー、いやいやいやいや、私は一体何を考えているのやら……!)

 最早動揺を隠す事も出来ずにそんな事すら考えながら、セルジョは唖然、と二人の様子を眺めていたのだった。
 そして、ようやく起きたらしいカイトがゆっくり状態を持ち上げると。最早肩に引っ掛かっているだけの服がずり落ちて、上半身の全てが顕になる。

「あーあー、カイトほんと寝起きだらしない! セルジョ来てるんだってば!」
「ーーーーあ? なんで」
「俺らに用事があるんからに決まってんでしょ! ほら、ちゃんと服着てよ!」
「は、めんどくさ……俺昨日ので頑張り過ぎたからめっちゃ疲れてんの。別に、このままでもいいじゃんかぁ、女子じゃあるまいし」
「ええっ……、いやでもさすがに失礼…………セルジョ、どうなのコレ? もうとっくに不敬罪とかになってるんじゃないかと思う位には失礼な気がしてるんだけど」
「え……」

 よっぽどこちらに話を振るな、服を着ろ、だなんて言いたかったセルジョは、何とかそれらを呑み込むと。神子様に失礼の無いように、と自身に言い聞かせながら、引き攣る笑顔で言うのだった。

「ああ、いえ、その……私は騎士の中でも、元の身分自体高くない方なので気にはしませんがーー他の方々の前、特に王族の方々の前ではきちんとなさるようにしてくださいね」
「そりゃそうですよねー。カイト良かったね、今日は良いってさ、裸族で」
「裸族言うな、こんくらいで!」
「んなら寝る時も服着なよっ、郷に行けば郷に従え! 一応、ここお城だからね!?」

 信用されているのか軽んじられているのか。ヒクつく顔を何とか押し込めながら、セルジョは耐えた。ここ数年で一番、言いたい事を全てその場で呑み込んだのだった。





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