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20.既知との遭遇


 かれこれ小一時間ほど、次々と繰り出される鬼のような攻撃を避け続けながら、ジョシュアは彼等から何とか逃れようと苦心していた。
 距離を取ろうと撹乱を試みるのだが、そうそう上手くはいってくれなかった。流石は、ハンター達の中でも上位層に位置するような連中だ。簡単に逃がしてはくれないか、なんて思いながらもジョシュアは内心では悲鳴を上げ続けていた。
 逃れるための陽動にはうまく引っかかってもくれず、走って引き離そうにも上手く逃げ道をふさがれる。そんな中で冷や汗をめいいっぱい背中にかきながら、ナイフを片手にしかし、致命傷だけはうまく避けるなどした。
 ここまでの間、ジョシュアは避けるばかりで一度も反撃をしていない。間違って下手に反撃などして傷つけてしまう事を、ジョシュアは恐れていたのだ。しかしそんな彼の思惑など知りもしない彼らは決して、反撃の手を緩めることはない。何せ相手は正体不明の魔族なのだから。気合の入り方だって違うにきまっている。
 悲しいかな、ジョシュアの優しさなど彼らには微塵も伝わっていない。いっそ、それを訝しく思う警戒心はより一層、増すばかりだった。
 だが一方で良いこともあった。ジョシュアの反撃がない事をいよいよ不審に思ったのだろう、彼等の攻撃は段々と集中を欠くものへと変化していった。怪我の功名、あるいは棚から牡丹餅であろうか。
 そんなほほえましいすれ違いを知りもせず、虎視眈々と機会を伺いながらジョシュアは耐えるばかりだった。王都へやって来て早々、赤毛との戦闘があって良かっただなんて思う事になろうとは。ジョシュアは嘆いた。

 けれども当然、そんなジョシュアにだって限界はある。4人の猛攻を、反撃も碌にせず一人で受け流しているのだ。例え吸血鬼だろうとも身体は疲弊する。上がり始めた己の呼吸に、ジョシュアは理解してしまった。もうじき、ジョシュアの体力が尽きるだろうと。その後の事は今、考えたくもなかった。
 ただ同時に、疲弊するのは相手も同じ事だ。動きの鈍り始めている彼等の隙を窺い、新たなハンターの応援が現れるその前に、ジョシュアは一刻も早くここを立ち去らなければならない。
 ジョシュアが先か、ハンター達が先か、それともミライアが戻るのが先か。
 ミライアさえ、彼女さえ戻れば、それまで耐え続ければジョシュアの勝ちだ。彼女ならばこの手勢、即効でケリをつけるに違いない。
 そして何よりも、彼女ならば彼等の記憶を消すすべも持っている。全部、無かった事に出来るのだ。それまで保てばと、思考をすら放棄しだした中でも何とか、ジョシュアが希望を捻り出したその時の事。
 声が聞こえた。

「その美味しそうな獲物、俺にも分けてくれよ」

 それを耳にした途端、ジョシュアの背筋にゾクリと冷たいものが走った。気付くと、己の目の前にまで刃の切っ先が迫っていて。
 咄嗟に身体を捻り方向を変えるが、しかし間に合わず。こなくそ、とジョシュアは折れるのすら覚悟で、ナイフの平でギリギリ受け止めた。けれども余りの突きの重さに堪え切れず、ジョシュアは勢い良くその場から吹っ飛ばされてしまったのだった。
 勢いを殺す事も出来ずにまともに食らってしまったジョシュアは、木に叩きつけられる事になった。自分の骨なのかそれとも木の幹なのか、ミシッと軋む音がジョシュアの耳にも届いた。胴と背中と、衝撃がジョシュアを立て続けに襲い息が詰まる。
 だがしかし、この程度の攻撃は何度も身に受けた覚えのあるジョシュアは、地面に落ちて着地する頃にはもう、すっかり体勢を立て直しているのだった。地には片手を着き、ナイフを握りしめ、いつどこから襲われても良いように身構える。
 この段階で、更に猛追を食らわすのが鬼畜な赤毛の十八番ではあったのだが。新たに現れたハンターがそこまでする気配は見られず、それにジョシュアは無意識にホッと胸を撫で下ろすのだった。
 ここでそんな風に安心してしまう時点でもう既に、ジョシュアの戦闘における感覚は赤毛のイライアス並みに狂っているのであるのだが。それに本人が気付くのは、もう少し先の事である。

「速えな……けどまぁ、反撃はナシと。もしかしてこいつらとやって疲れてんの? ……ねぇちょっと! お前らさぁ、どんだけ仕留め損なってんのよ? 4人がかりで高々魔族の一匹――」

 目の前で交わされる会話に耳を傾けながら、ジョシュアは男の様子を探る。気配もなく突然現れたあの男。先の4人とは明らかにレベルが違った。
 まぁ、先の4人も、今のジョシュアを追い詰めている時点で十分やり手ではあるのだが。最後に現れたこの男は何と言い表せば良いか、他のハンター達とは何かが違った。
 まるで、あのイライアスと対峙した時のような、底知れぬ力の気配を感じる。また腕をもがれるのは勘弁したいものだ、なんて、予想だにしない事態にすっかり頭がバカになっているジョシュアは、そんな事を思うのだった。
 男のどこかで感じた覚えのあるような、無邪気に邪悪な雰囲気に思わず身震いをする。金髪碧眼で、纏う色もその小柄な体格すらも全く違うのにどうしてだか、あの男と姿が重なった。
 その気配には血臭がべっとりと張り付いていて、きっとモンスターも魔族も、そして人ですら、この男は殺す事を躊躇しないのだろう。そう思わせる何かが、この男にはあった。
 先程の不意打ちの事もあり、この男相手に下手は打てない。ジョシュアはしばし、そのまま好機を窺う事になった。


「は? もう一時間になる? お前らバッカじゃないの? そんな時間かけて仕留め損なって、何であんたら一人も死んでないのさ?」

 そんな声をあげた男もそれ以外のハンター達も、ジョシュアからは目を離していたのだが。この場においてジョシュアは、あの男からは全くと言っていい程逃げられる気がしなかった。
 フェイントをかけても真っ直ぐ逃げても追いつかれる、と、イライアスとやり合った時の事がどうしても思い出される。目の前の男が彼と同じだとは思いたくもなかったが、残念ながら気のせいではなさそうだ。フードローブの中で二本目の武器を取り出しながら、ジョシュアはその時に備えた。

「ふぅん、一度も攻撃なし、って? 何それあんたら舐められてんの? それとも――アレがこっちに攻撃できない、とか?」

 言葉と同時、男にニヤリと横目で見られて肌の粟立つような感覚を覚える。まるでヤバい生物にでもロックオンされたかのような気分で、獲物を痛ぶる前の獣といった想像を駆り立てた。
 ひえっ、と内心では悲鳴を上げながら、ジョシュアはそれと気付かれぬように魔力を身体中に巡らす。少しでも時間を稼げれば良いのだ。ミライアと合流するその時まで。希望は捨てなかった。

「ねぇアンタ、何で? なんで殺さないの?」

 そう問われるも口は開かない。ジョシュアはほんの数ヶ月程前まで人間だったのだ。影の薄い、けれども確かにハンターだった男を知る人間が、この中にも居ないとも限らない。
 ミライアと合流さえできればこの邂逅は、この戦闘は無かった事になる。無駄な事をして要らぬリスクを抱えるつもりはなかった。どこか冷静な部分でそんな事を考えつつ、ジョシュアはただ黙って逃げ道を探した。

「悪魔憑きの人間だったりする? おーいってば……ねぇ、お前、ちょっと、何で喋んねぇの……?」

 怪訝そうに聞かれても、変わらずジッと黙ったまま、ジョシュアが男から視線を逸らさないでいると。再び男が笑った。

「もしかして、そうやってれば俺から逃げられるとか、甘い事考えちゃってんのか?」

 恐ろしげにニタリと笑い、男はジョシュアをジッと見た。顔は隠せているはずなのに、まるで自分の正体を見透かされているかのように思えて額に汗がにじむ。ジョシュアは務めて自分を落ち着けるように、深く深く息を吐いた。

「少しは、ヤル気になったか? 化け物?」

 そこで先に動いたのは男の方だった。先程そうしたように、構えるジョシュアの胸元にするりと入り込む。だが、ここで二度も同じ手を食うようでは、あのイライアスからお墨付きを貰えるはずもない。
 ジョシュアは身体を傾けるのと同時、胸元で向けられた刃先を受け流した。攻撃が軽い。先の攻撃はきっと、男の全力にも近いものだったのだろう。一撃目でそれが確認できて、ジョシュアは何故だかホッと胸を撫で下ろしたのだった。
 自分も素手で戦えるようにすべきか、なんてそんな事すら考えながら、ジョシュアはナイフの柄で男の米神を狙った。これならばまかり間違って死なせることもあるまい、と。いくらやり手だろうが、不意打ちで急所を鈍器で殴られれば気絶するはず。そう、思っていたのだが。

「っ!」

 それを仰け反りながら避けてしまったのがこの男の凄い所で。楽はさせてくれないか、と多少なりともがっかりしながら、今度はガラ空きとなった男の胴体に目掛け、膝蹴りを食らわせた。息が詰まるような音を聞いたが、不安定な体勢が故に入りが浅い。しかし確実には入ったので、そのまま真横へ蹴り飛ばしてしまう。

「グッ、う、このヤロ……ッ!」

 男は地面に激突――はせず、片手で受け身を取って綺麗に着地してみせた。だが、そのお陰で男との距離が開き、ジョシュアはここで、しめたとばかりに逃走するのだ。ジョシュアの狙いはこの場から逃げ続ける事。戦い続けなければならない理由などどこにもないのだ。

「コラ! おい逃げんなテメェ!」

 背後からは男の怒声が聞こえる。こんな状況、逃げるに決まってるだろう、と内心で思いながら、ジョシュアは再び逃走を始めた。スピードにさえ乗ってしまえば、こちらのものだ。半端者とは言え、吸血鬼の疾走に彼らが追いつけるはずもない。5人がかりの攻撃を交わしながらのらりくらり。
 ジョシュアはがむしゃらに周囲を逃げ続けた。彼等から逃げ切る事を諦め、でたらめに時間を稼ぐ事が、この場において、ジョシュアに残された唯一の道なのである。
 唯一の心配事は、ジョシュアの方の体力が保つか、の一点には違いなかったのだが。

「こいつバカにしてんのか? ――ブッ殺してやる」

 一人、ブチギレたようなそんな呟きするその声をうっかり聞いてしまって、ジョシュアは再度ひぇっ、と悲鳴を漏らしたのだった。


 だがそんな、数十分にも及ぶ彼等の追いかけっこは、唐突に終わりを告げた。ハッと何かに気付いたジョシュアは突如、その場から猛スピードで真横に飛び退く。
 それとほぼ同時、ジョシュアを狙いすましたかのように、地面から剣が、生えてきたのだ。

(んなッ――! ここにきて転送!?)

 受ける事すら間に合わず、微かに切っ先がジョシュアの脇腹を掠った。自身の鮮血が飛ぶのを目にしながら、ジョシュアは慌ててそれから距離を取った。あっという間に5人に逃げ道を塞がれ、警戒しながらもその場に現れた陣から目を離さなかった。
 転送魔術の類い、咄嗟に頭にそう思い浮かべたジョシュアはしかし、片時も油断する事など出来はしなかった。その場で低く構えながら様子を窺う。幸いにも、そこからの更なる追撃は無かった。
 ジョシュアを狙った剣に続いて、あっという間に姿を現したその者の殺気は、他の者達とは比べようも無い。着地と同時に片膝を付きながら、俯き加減に射抜くような強い瞳で下から睨め付けてくる。その眼光はまるで、ジョシュアを射殺さんばかりだ。
 先ほどの攻撃の鋭さといい、剣を扱いながら転送魔術まで自己で行使するその器用さといい、その力の程は尋常ではない。5人目の男も相当だが、この6人目はその中でも明らかに突出していた。
 これは到底、ジョシュアの手に負える相手では無い。ジョシュアは嫌な予感に再びゾクリと背筋を震わした。
 唯一の救いは、ジョシュアを追っていたハンター達もまた、突然の乱入に驚いて動きを止めていた事だろうか。次から次へと現れる戦力に、ジョシュアは絶望感にも似た焦りを覚える。すぐさま、腿に括りつけられたホルダーへと手を掛けた。
 人間だった頃、ジョシュアが最後に手に入れたとっておき。ここで使わなければ確実に死ぬ。そう、思ってしまったのだ。
 ローブの中で素早く武器を入れ替え、その手に固く握り締めながらジョシュアは魔力を使った。強化と回復と。最早その場で隠す事もしない。
 ゆっくりと身体を起こす目の前のハンターから、一時も目を離さず覚悟を決め、その小柄なハンターと、目を合わせた――その瞬間。
 ジョシュアは大いに動揺した。

「アナタ、魔族よね? 聞きたい事がある。ボロ切れにされたくなければ大人しく捕まりなさい」

 革鎧に身を包み、肩に付く程の栗色髪を一つに結えたその女剣士はジョシュアをギロリと睨み付けると。手にした剣の切っ先を真っ直ぐにジョシュアへと向けたのだった。
 そして同時に、ジョシュアは内心で悲鳴を上げる。

(なっ、んでこんな所に彼女が――!)

 心の乱れは戦いに影響する。駄目だと分かってはいても、ジョシュアにはもう、どうする事も出来なかった。


 昔々の話。
 ジョシュアがまだまだ歳若かった頃。共にパーティを組んだ仲間が居た。その発起人は、エレナと言う女剣士だった。
 エレナやジョシュアを始め、集まった仲間達はとても優しく、勇敢で気の好い人間達だった。あまり人付き合いの得意ではないジョシュアにも、分け隔てなく付き合ってくれるような、そんなメンバー達。
 彼等は共にハンターとなり、幾多の凶悪な化け物達を倒し続け、とうとうその地のヒーローとなったのだ。
『エレナさん達が居れば、世界は平和になりますね!』
 例えそこにジョシュアの活躍など微塵も無かったとしても、彼等は誰一人ジョシュアを貶したりはしなかった。けれども、その優しさは時に残酷で。当時のジョシュアは、自身がそれに耐え切れなくなってしまったのだ。
 仲間達に着いていけない。どう足掻いても、自分では同じレベルには立つ事が出来ない。
 そうしてジョシュアはとうとう、とある街に残った。それから数年余り、ジョシュアは夢の残骸に追い縋って彷徨う事になったのだ。
 その後、誰もジョシュアの事を知らぬ土地を見付け、誰とも会う事もなく、ジョシュアは十数年余りの時を過ごしたのである。そんな、どうしようもなくもみっともない、ジョシュアのむかしの話。


 そんな事を瞬く間に思い出してしまったジョシュアは、その場でハッと我に返った。こんな死地にありながら昔の思い出に浸るなんて、自殺行為もいい所である。
 感傷に浸るな、気を引き締めろ、そう自分を叱咤しながらジョシュアは前を向く。
 幸いにも、件の女剣士『エレナ』は、5人目に現れた金髪の男と言い争いをしているようで、ジョシュアのおかしな様子には気付いてはいないようだった。再び武器を強く握り締め、ジョシュアは己に喝を入れる。


「――何茶々いれてんです? 俺が一騎討ちでブチ殺そうと思ってたのに」
「うるっさい、だまんなさい。自殺紛いに嬉々として突っ込んでくのは勝手だけど、アンタみたいなクソ野郎だってギルドや国にとっては貴重な戦力なんだから。欠けでもしたら困るのよ、その辺いい加減自覚しなさい」
「べっつに迷惑かけてないし、これからって時だったんだけど……!? なんでいつもしゃしゃり出てくるんすか!」
「アンタがいっつもやらかすから、仕方なく私が御守りしてやってんの! ありがたく思いなさいよ。私がいなきゃ、あんたなんてとっっくにギルド首んなってるんだから」
「…………」
「ほら、揚げ足取りのネタ切れたんならとっとと連携に動く! セナ!」
「しょうがないなぁ……わかりましたよ、エレナ。取り分は俺が7割で!」
「調子乗んなゲス野郎!」

 その掛け声が聞こえた途端、二人の厄介な剣士達は動き出したのだった。





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