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19.王都レンツォ


「お前一人か?」

 翌日の夜半頃。
 件の家の玄関ホールで佇んでいたジョシュアに、ミライアが声をかけた。ジョシュアが顔を上げると、いつもの男装のような格好をした美女がそこには立っていた。先日少し顔を合わせたとはいえ、ほとんど一ヶ月ぶりになる彼女の落ち着いた雰囲気に、ジョシュアは妙な懐かしさを覚える。

「ああ、俺だけだ。起きたら、屋敷に赤毛の気配がなかった」
「全く、奴は相変わらず――、好いさ。奴は見送りなど一度もした事がない」

 ミライアはそう言うとため息を吐いた。その眉間には皺が寄っている。ジョシュアはその言葉で成る程、と合点がいった。ジョシュアもどちらかといえば見送るのは苦手な方だから、赤毛のイライアスの気持ちも少しは理解できた。

(置いていかれる側の気持ちは良く分かる。それに、寝ていたから気付かなかったけれども、もしかしたら――)

 いやまさか、と頭を振りながら、ジョシュアは久々に着たローブのフードを深く被り直す。そのまま、既に歩き出し始めているミライアの後を慌てて追った。

「行くぞ」

 扉を潜ったその瞬間、そんな掛け声と共に姿を消すミライアに合わせてジョシュアもまた、その場からフッと消えてしまった。扉がバタン、と音を立てて閉まる頃にはもう、そこに誰もいない。
 かすかに赤みがかった満月の輝く、静かな好い夜だった。


 それからふたりは、がらんとした夜の世界を駆けていった。月明かりに照らされた闇夜がどこか悲しげに映り、ジョシュアは少しだけ己の気分の落ち込みを自覚する。ミライアと共にする旅路も落ち着いていて悪くは無いのだが、あの男の騒がしさを知った今ではほんの少しだけ寂しさを感じる。
 何せ今だって、ミライアの走る速度に難なく付いていけるのも、あの男とのひと月があったおかげであって。ジョシュアは何とも言えない、奇妙な気分になるのだった。

(ひと月分の成果が出た、という訳か……むしろ出てくれていなかったら困るところたが)

 待ちに待った確固たる己の成長具合を嬉しく思うのと同時、やはり別れ際のアレがどうしたって気にかかる。イライアスに伝える事は伝えたが、ジョシュアは結局彼と碌に話も出来ぬまま、こうしてあの屋敷を出てきてしまっている訳なのだから。
 あのイライアスの事、最初からジョシュアに会わずに済まそうとしていたのだろうとは思うが。それでもやはり、気に掛かるのだ。
 ジョシュアがこんな事でうじうじと悩んでしまうタチだからこそ、様々な場面で騙されしてやられる。元来の性質などそうそう変えられるはずもないのである。

 闇の中を風のように走り抜けながら、ふたりの吸血鬼は己らの目的の為に進んで行った。
 それから休み休み、2日程は駆け抜けただろうか。ミライアの携帯していた血液(食料)がそろそろ尽きるだろう頃に、彼らはいよいよ目的地手前の森へと辿り着いてしまったのだった。


 彼等が目的とするこの国の王都レンツォには、数多くの人間達が集まる。王都だからこそ数多くの物資が集まり、それが故、一流どころの商人や軍やハンターがこぞって集う。
 特にハンターに関して言えば、他所では中々お目にかかる事のない【A】ランクや、それに近い者、そして国王ですら遣わすという【S】ランクのハンターにさえお目に掛かる事もあるのだ。
 彼等ハンター達は王都を護る事が責務ではない。そもそも、国を守護する王国軍や騎士団はきちんと存在する。ハンター達はあくまでも化け物退治の専門家としての位置付けであって、国を守護する国直属の部隊とは異なる任を負っている。
 そんな者達が、軍や騎士団と同じ程の規模でここレンツォには滞在するのだ。故に、王都に好き好んで潜伏する魔族など普通、居るはずがない。死ぬるに値するリスクなど同然、避けるべきでなのである。普通ならば。
 しかし、ミライアとジョシュアは、ここ最近中央部周辺を騒がせている件の人攫いがここに居ると踏んでいるのだ。それらしき証拠も掴んでいる。ミライアの負った役目とやらもあるし、そんな吸血鬼が居れば他の同胞にも迷惑がかかるのだから、早々に片付けるべきであるからして。
 そんな訳で今回、彼らはそこへ突っ込もうという話なのである。

 流石のミライアも、王都が目の前にあるという事もあり、慎重に歩みを進めていったのだ。ジョシュアもここからは、他の事を考える余裕などあるはずも無かった。

「あちこち嫌な臭いや反応だらけで読み切れないんだが」
「そりゃ国の王都だ。襲う馬鹿者もそれなりに多いのだろうよ、いつも以上にヘマはするなよ。空気を読め下僕」
「善処、する」

 王都へ向かう街道の手前、少々手狭な森林地帯が広がっている。都市が近い割には自然豊かで、王都の貴族が稀に狩りをする事もあるような、そんな場所だ。狭いとは言え、人間が馬車で抜けるのに10分はかかるような規模である。夜遅くともなれば、当然人の姿はない。
 そんな森にはしかし、厳重に幾重もの罠が張り巡らされている。唯の人間ならば発動しないそれらは、人外にこそ効果を発揮するよう、巧妙に仕組まれているのだ。人外の中でも高ランクに位置する吸血鬼でさえ、慎重さを求められる程に。
 一つ一つの罠は単純なものである。しかし、数だけでいえば尋常ではない。多くは低級や中級のモンスターを始末するようなソレだが、中には人型の魔族相手に高い効果を発揮する罠も紛れる。一つでも発動すれば、恐らくは退治人たるハンターが駆けつけるに違いない。だからこそ、二人は些細な罠すら避けて進まねばならなかった。
 道を先導するのはジョシュアだった。ミライアが罠を見抜けないはずが無いのだが、ジョシュアの察知能力は非常に常人――吸血鬼離れしている。ミライアすら凌駕する精度だ。それをミライアは分かった上で、修行だ何だのとジョシュアに任せているのだった。
 他にも、より対処の難しい後方からの襲撃に備え、といった理由も含んでいるのだが。ミライアはそういった事をジョシュアに伝えるような吸血鬼ではない。
 そんな理由で、ジョシュアは大層ビクビクしながら、そしてミライアはそれをせっつきながらも、罠にまみれた道を効率良く進んでいくのだった。

「なぁ、」
『黙って進め、そう何度も声は出すな』

 思わず声を上げてしまったジョシュアに、ミライアからピシャリと注意の声がかかった。確かにそうだ、と慌てて声の出ない方へと切り替えると、ジョシュアは問うた。

『いや、だって、俺にはまだ荷が重い。先導なんて……、下手したらふたりとも蜂の巣だ』
『蜂の巣になるのはお前だけだ未熟者。私ならば全て避けた上で、駆け付けた馬鹿者ですら仕留めてみせるだろうよ』

 それもそうか、なんて妙に納得してしまいながらも、ジョシュアは細心の注意を払って見せた。まるでイライアスと戦った時のようだと、こんな所でフッと自然に赤毛との事を思い出してしまって、妙な苛立ちを覚えた。
 そして同時に、黙り込んでしまったそれをジョシュアの弱気と取ったのか、ミライアが叱咤するように少し強めに“声”を張り上げる。

『そこで納得するな馬鹿タレが。死にたくなくば探知精度を全開にしろ』
『今、やってる。さすがにこんな……、街着いたら動けなくなるぞこれ』
『これも鍛錬だ。魔力を探知でカラにでもしてみろ、繰り返しやれば魔力量も増えるだろうよ』

 そんな中でもミライアはいつものように鼻で笑い、そしてジョシュアはヒイヒイ言いながら。夜に紛れ、罠を避けながら進んでいったのだった。それでもやはり、ジョシュアの弱気はそう簡単に治るものでもない。自信というものは、周囲の評価があってこそつくものであるには違いないのだから。
 ミライアに泣き言を言うようにジョシュアは言った。

『元々俺の魔力は少ない。そう簡単に、増えないと思うぞ』
『馬鹿言え、我等は長生きする程に力は増すのだ。人間と同じと思うなよ。使えば使う程に、そして【食事】をすればする程に力は増す。だからお前も、もう少し増やせ。赤毛のに飲まされたんだろうが。奴から離れても同じ程には飲んで貰わねば体力は落ちるに決まっている』
『いや、だからそれは、人の血だと……』
『言い訳は聞かんぞ貴様。いい加減諦めろ』
『…………』
『お前は最早普通ではないのだよ。変化ははっきりとしているだろうが。いい加減、子供のように駄々を捏ねるのは止めろ。見苦しい』
『駄々……』
『そうだ。そろそろ現状を受け入れろ。何度も言うが、首を突っ込んできたのはお前の方だ。人より違和に気付きやすい性質なのは仕方ないとして、一人でコトを起こすのなら常日頃準備をしろと言っている。実力が無いまま突っ込んでも、それは勇気等ではない。唯の無駄死にだ。お前はあの日あの時、実力差を知りながらも目を爛爛と輝かせ、嬉々として首を突っ込んできたのだ。お前も十分、異常だ』

 突如始まったミライアの説教に、ジョシュアはゲッソリとする。彼女の言葉は核心を突き、そして本人が気付かずにいる傲慢を的確に抉ってくる。他人に気付かされてしまうからこそ、余計に精神が擦り減るのだ。
 こんな、神経を使っている作業の時に精神を抉るような真似は是非ともやめてもらいたいのはやまやまだったが、これも自分の為、と何とか割り切り歯を食いしばって耐えた。今まで自分が逃げて来た結果である、という事には確かに違いないから。

『力が無いなら無いなりに足掻けと言うに。何をしてでも要求を通して見せろ、使えるものは何でも使え、現状に胡座をかくな。このまま力に縋り付き我儘を通すなら私はお前を捨てるからな』

 ぐうの音も出ない。ミライアには今までも繰り返し散々言われている事であったから。ジョシュアは何度も何度もミライアに言い聞かされる。
 自分がこんな事になってしまったのはそう、どこかで変わりたいと、何かを終わらせたいと願っていたからに他ならないのであるから。

 そうして二人は、ほとんど人が歩くようなペースで罠を避けながら、「地雷」地帯を抜けていくのであった。


 だがそんなミライア達ですら、防げぬ罠というものは存在する。起こるべくしてそれは、起こってしまったのである。ジョシュアは全く気配に気付けなかった。ミライアですらも、それを踏み発動するまで、疑う事が出来なかったのだ――。

「ッ――!」
『なっ、おいッ、ミラ――!』

 ジョシュアには発動しなかったその魔法陣は、気付かずに踏み込んだミライアの全身を瞬く間に包み込んだのだった。咄嗟にミライアの腕を掴もうと伸ばしたジョシュアの手は、空を切った。淡く円柱状に、紫色の光を帯びたそれが、ミライアの姿をその場からいとも簡単に消し去ってしまったのだった。

(トラップか――ッ!)

 トラップの転送魔術、そんな知識で己を納得させるよりも先に、ジョシュアの身体が動いた。背後から襲いくる気配に反応したのだ。咄嗟に、本気のイライアスよりは遅い、だなんて考える余裕くらいはあるらしかった。

「っマジか!」

 テノールの男の声と共に、ジョシュアが先程までいた場所から轟音が轟く。地面は、ハンマーを叩き込まれたそこを中心に放射状にひび割れ、巨大な足跡のような凹みを作り出した。ジョシュアこそ避けてみせたが、人にとってのそれは、一撃必殺の攻撃にも等しいもの。地面に残った攻撃の痕を眺め、そこで妙に冷静になったジョシュアは咄嗟に理解する。

(狙いは俺か!弱そうだからこっちから先に潰そうって……ミライアだけが呑まれた、ということは一定以上の魔力を持たないと発動しないトラップ? 相手は確実に【A】か【S】……下手を打てば本気で狩られるんじゃないのか、コレッ――!)

 まるで本気のイライアスと対峙した時のような緊張感の中、素早く四つん這いに地面に着地したジョシュアは。休む間も無く、相手を見る事すらせず、右肩を下にしながらその場から身を引いた。避けた途端、今度は鋭い剣の刃がそこには突き立てられていた。翻ったローブの裾が、僅かに剣先を掠る。

「チッ、これもかよ!」

 先程よりは低い男の声。だが、それすらも終わりではなかった。身体を捻った体勢のままもうひとつ、左の背後より迫る刃に意識を向けていた。今度はそれを、スピードに合わせて足裏で蹴りつけ軌道を逸らして回避する。その瞬間、息を呑む声と共に驚愕の表情をした男の顔がジョシュアの目に映り込んできたのだった。
 幸いにも、ジョシュアの顔はフードによって隠されており、顔を見られるような事態にはなっていない。しかし、一瞬の内に殺気の篭る奇襲を立て続けに3度も受けたジョシュアには、全くと言っていい程に余裕がなかった。なにせ、まだ奇襲は終わっていなかったのだから。
 翻ったその着地地点、今度はそこを狙い定めたように放たれた業火が、ジョシュアの目前に迫っていた。ならばどうするか。構えていたジョシュアは、こなくそ、とローブを身体を捻る事により力一杯振り回し、それを掻き消すような動きを繰り出したのだった。結果として狙い通り、ローブに微かに残る残火を残し、炎は風圧と衝撃により消えてしまった。

「っ消え――!?」

 今度は女性の声。甲高いと言うよりは、落ち着きを持った女性の声だった。
 それを耳にしながら、漸くしっかりと地に足をつけることのできたジョシュアは。勢いは殺さぬまま、その場から、王都から離れつつも森は抜けぬよう、全速力で駆け出したのだった。
 多少のトラップなぞ、吸血鬼の全速力でもって駆け抜けて仕舞えば当たる事もない。幸い血液の補給は十分だ。ジョシュアは構わず踏んでしまいながら、遮二無二に駆け抜ける。背後でトラップに当たってしまった者の悲鳴と、己のすぐ側を掠る攻撃の音を聞きながら逃げ続けた。
 これはいつになれば終わるのだろうか。考えないようにしながら、ジョシュアはひたすら森を駆け抜けた。

「暗闇に紛れて逃げられるぞ!おい、第二弾とっとと行け!」
「んなこた分かってる、指図すんなぁ!」

 襲撃の1人目と、耳慣れない4人目らしき男の声が耳に入る。敵も中々の手練れで、完全にとは言えぬものの、足止めで魔術を放ちながらジョシュアの速さにも食らい付いてきていた。
 第二、第三の攻撃がその後も立て続けに行われ、ジョシュアはこれを時に余裕をもって、時にスレスレになりながらも全身をバネのように動かし躱していく。
 何せ4人がかりな上、遠隔からの魔術攻撃は想像以上に堪えた。何せ、触れたらそれでお終いなのだ。物理攻撃なんかよりも何倍も気を使った。

(ミライア――の心配してる場合じゃない。ホント、これ、下手に連携取られたら……それに、こちらが手を出したら逆に殺してしまうかもしれない。ミライアは、一体どこへ――)

 彼らとジョシュアとの間には、然程戦力差は無いだろう。寧ろ攻撃力の点で言えばジョシュアの方が劣っているのかもしれない。しかしだからこそ、ここでジョシュアが反撃なぞしてしまえば、相手を葬ってしまう恐れがあるのだ。ジョシュアが恐れているのはそこだった。
 自分ならばある程度耐えられる。腕をもがれ風穴を開けられても平気だったのだから。だからこそ、とジョシュアは耐えてしまう。
 全力で殺しに来る相手に対し、殺さずに無力化を図りたいのであれば、それなりの完璧な戦略か、或いは一定の戦力差が必要であるが。それも満たせずに殺さずに済まそうだなんて、今のジョシュアには大層虫の良すぎる話だ。しかし、そんなであるから、ジョシュアはジョシュアたり得る。
 結局そこから小一時間程、まるでイライアスとそうした時のように、ジョシュアはひたすら避け続ける事しかしなかった。頼みの綱はミライアの帰還。それを一心に待ち望みながら、ジョシュアはただ、耐えるのみだった。





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