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16.年甲斐もなく*



 『イライアス』だと、赤毛は言った。
 その名を告げ、真っ直ぐに己を見つめる赤毛の姿にジョシュアはどうしてだか悔しくなる。
 最初から逃げ続けるばかり、恐れるばかりの己と違って、この男はちゃんと己を見ている。それがどうしようもなく、我慢ならなくなってしまったのだ。だからこそ意を決して、ジョシュアは思い切って言ってしまうーー信頼されている事が妙に照れ臭くて、そしてフェアでない事に、妙な苛立ちを覚えてしまったのだーー。

「『ジョシュア』だ」
「え」
「『ジョシュア』。アンタが教えたのに、俺が教えない理由はない。彼女に聞いているかは知らないが、元々はキールという街で数年ハンターをしていた。彼女と出会ってしまったのは、偶然の成り行きだ。彼女に喰われそうだった女性を、助けようとしてしまった。今覚えば何の問題も無かったのだろうが……運良く彼女に気付かれずに近付けてしまって、彼女から女性を逃がしてしまった。それで、何故だかこんな事になった」

 こんなに赤毛の目の前で長々と自分の事を話したのは、きっと初めてだったろう。ミライアの前でも、ジョシュアはこんなに饒舌に自分の事を話した事は無かった。
 それでもこうやって、何かつかえでも取れ去ったかのように話し続ける彼は、止まらなかった。止められなかった。きっと今でなければ、今後こうやって伝える機会なんてきっと、無いだろうから。
 止まらないその勢いのまま、ジョシュアは話し続けたのだ。己の満足のいくままに。誠意には誠意を。

「ーー彼女も、何を好き好んで俺なんかを引き入れたのかは知らないが……、俺の得意分野が彼女には役に立つと判断されたらしい。長年ハンターとしても大した仕事はしてこなかったが、こうやって連れ回されている事、悪くはないと思ってる。アンタにもこうして戦い方をーー、」

 そこで一旦、ジョシュアがイライアスの反応を見ようと顔を上げたところで。ジョシュアは思わず言葉を止めた。
 彼は何故だかポカンと口を開けたまま、ジョシュアをただ凝視していたのだ。今までの話を聞いていたのか聞いていないのか。ジョシュアは急に不安になった。

「お、おい? 何だ、なに、黙ってーー?」

 確認するように言ってからしばらく反応を窺っていると。イライアスは、じわじわと震え出したかと思うと、喉の中で押し殺すようにクックと笑い出したのだった。
 一体何がおかしかったのか。訳も分からず困惑してしまう。そのまましばらくジョシュアが固まっていると、イライアスはおかしそうに顔を緩めたまま、彼に向かって言い放ったのだった。

「ご、ごめん、聞いてたよ、ちゃんとっ……! でもさ、一つ、教えとくねッ! あのね、俺らん中では、互いに真名教え合うのってぇ、『命を互いに預け合います』って事だから……つまり、その、一種の婚姻みたいな扱いになっててーー……相手が教えても、普通、もう一方はその場では教えないんだよッ……!」

 そんなイライアスの話を聞いて、ジョシュアはその場であんぐりと口を開けたまま硬直してしまう。そしてすぐ後に、しでかしてしまったというその羞恥心が、じわじわと頭をもたげ始める。なんて事をしてしまったのだ、と。
 ジョシュアは何故だか昔からいつもこうだ。知らず知らず、相手の琴線に触れて激怒されたり目を付けられたり。碌な事がなかった。
 だがそれにしても、ここまで酷いのは初めての事だった。知らなかったとは言え、まさか知らぬ間に男相手に結婚の誓約のようなソレを交わしてしまっていたとは。
 救いなのは、相手に激怒されたり、包丁を持って追いかけ回されたりはしない、という点に尽きるだろう。ジョシュアは中々に、興味深い人生を歩んできているのだ。
 そんなジョシュアの経験を知ってか知らずか、イライアスは楽しげな様子を崩す事なく、何も知らないジョシュアに教えを授ける。

「まぁそれも公式なものではないんだけどね。女吸血鬼が好んで良くやる、ある意味『誓い』みたいなものだよ。俺ら吸血鬼って子供作れないから、結婚とか婚姻ってあんまり意味のないものだし」
「そう、なのか……」
「うん、そう。ーーでもね、もし女性の吸血鬼に会ったら、この事黙っておいた方がいいね。絶対突っ込んで興味津々に聞かれる」

 いまだ顔の熱は冷めなかったが、唐突に出たまだ見ぬ同族達の話に興味を引かれる。女性の吸血鬼と聞くと、未だミライアしか思い浮かばない彼にとっては、貴重な情報だ。
 だがしかし、残念ながらイライアスは今、完全に揶揄いモードであって。吸血鬼の世界について聞くには、随分と落ち着きの無い雰囲気だった。

「だってやっぱり女吸血鬼っつっても、性質は人間の女性と大して変わんないしね。ああーー、ホント、おかしい」
「ッ知らなかったんだから仕方ないだろう」
「うん、うん、そうだねッ……、ジョシュアは、妙な所に首突っ込んで色々引き起こすタイプだね」

 笑い混じりに揶揄うように言われ、ジョシュアは顔を赤らめつつ反論するも、図星をつかれ揶揄われ、すっかり機嫌を損ねてしまう。調子に乗りやがって、と心の中で悪態をつきながら、不貞腐れたようにゴロリと横になる。イライアスに背を向けるも、暫くの間、彼の声は止まる事がなかった。

「ごめッ、ごめんって、ね、ジョシュア?」

 最早笑いを噛み殺しながら声をかけてくるイライアスはすっかり元通りだ。真剣そのものの雰囲気も、眉尻の下がった困り顔も、最初から無かったかのようにきっといつも通り。
 ジョシュアは羞恥に震えながらも、内心ではホッとしていたのだ。いつもの彼の方が、この男には似合いだと。何故そのような事を思うのかは分からなかったが、イライアスは確かに、ジョシュアの中で特別な存在であるには違いなかった。
 こんな気持ちは随分と久々の事で、むずむずする心の奥底が無性に気持ち悪かった。ジョシュアは内心でぞわぞわとするその気持ちを整理する為、不貞寝を決め込む事に決めたのだった。

「煩いッ……もう、アンタに付き合って疲れた。朝も来るし、寝る」
「あ、うん、そだね、ごめんねッ!」

 不機嫌そうな声もそのままに、まるで子供のように言えば、イライアスも止めはしなかった。
 しかし、背後から気配は去らない。その場から動かずにただ、ジッとジョシュアを見つめているようだった。
 何となく気まずさを覚え、早く去ってくれる事を祈るものの、イライアスはそう甘くはなかった。耳聡く、彼は気付いてしまうのだ。

「ねぇ、ジョシュア。そういえば君、俺の名前まだ呼んでないね?」

 耳元で、イライアスの声がした。
 先程名前を告げられた時のように、低く、色気を伴ったような声音だ。途端、ザワザワと首筋が粟立つのを感じ、咄嗟に耳を手で押さえる。
 どうやら誤魔化されてはくれないらしい、とジョシュアは、背を向けたままどうしようかと思案する。別に名前くらい、とは思えども、今更呼ぶのも気恥ずかしい。そんなジョシュアの男心を、この男は理解できているのか。
 そんな事をぐずぐずと考えていると。ジョシュアを囲うようにしてイライアスの手が、顔の目の前に置かれた。背後で、彼が更に顔を近付けてくる気配がする。

「呼ばないとずーっとこのままだよ」

 宣言通り、何も言わないジョシュアの傍からイライアスは離れなかった。奇妙な沈黙がその場に漂い、互いの息遣いだけが耳に入る。
 ぐるぐると思案するジョシュアと、それをじっと視姦して待ち続けるイライアス。二人の意地の張り合いはしばし続いた。

 ジョシュアは、背後より謎のプレッシャーを受けながらながらも必死で考えた。
 議題はもちろん、真名についてだ。そんな、命程に大切なものをそう軽々しく呼ぶようなものでないと、どうしても思えてならない。
 しかしけれども、確かに持ち主に呼んで欲しいと要求されるのであれば、それを無理に突っぱねるのも何か違う気がして。名前をちゃんと呼ばれた時の喜びというのは、彼も理解しているつもりだ。
 ジョシュアは少しだけ迷っていたのだ。本当にそう呼んでしまったら、何故だか後戻りできないような気がして。けれども、それが悪いものではないような気もして。
 そんな、らしくもない自分の思考に驚きつつ、ジョシュアは散々に悩んだ後で決める。後悔はしたくない。
 以前よりも幾分か、前向きになりつつある己の心に従うように。戻れないだろう事を承知で、ジョシュアは決断するのだ。
 深い深い溜息を吐ききつつ振り返りもせず、ジョシュアはぶっきらぼうに言い放った。顔を見て、だなんて到底できそうにない。けれども呼ばれた時の気持ちを想像しながら、ハッキリと口にするのだ。自分は貴方をしっかりと認識しているのだ、と。

「ねぇってばーー」
「おやすみ、イライアス」

 それからしばしイライアスは黙り込んだ。名前を呼ばれた事を噛み締めるのに時間がかかっているのか、奇妙な程に、部屋の中はシーンと静まり返った。
 きっとこれで満足したのだろう、とジョシュアは若干の気恥ずかしさを覚えながら瞼を閉じる。すると余程疲れていたのか、あっという間に意識が遠のいていくのを感じる。
 無理もない。血液を与えられたとはいえ、この“赤毛のイライアス”に本気で吸血されたのだ。身体は戦闘での疲労とま相まって、ジョシュアに休息の必要性を訴えている。
 それに抗う事なく、眠りの縁でしばし微睡んでいると。

 突然、グイと肩を掴まれてゴロンと仰向けに転がされるのを感じた。犯人は言わずもがな、イライアス。一体何事だとパチッと目を開けると。
 目の前には余裕の無い、何とも言えない切ない表情をしたイライアスの顔が、目の前にあった。それに驚く暇もなく、ジョシュアは、彼の口に塞がれた。
 口を、その唇で、噛み付くように奪われた。吐息さえ奪うような、奥まで呑み込むようなキスだった。
 食べられてしまう。背筋が震えるような本気の口付けに、ジョシュアは咄嗟にそんな事を思った。
 余りに突然の事で、目を白黒させるジョシュアに、イライアスは容赦をしてはくれなかった。彼が我に返る頃にはもう、四肢は思うように動かず、酸欠気味の頭は碌な思考をしない。
 時折、角度を変えるたびに漏れるどちらのものとも分からない吐息は、まるで情熱的に燃え上がる炎のようだった。

「う、ん、んんッーー!」

 上顎や歯列を舌でなぞられると、ジョシュアの背筋が震えた。舌を強めに噛まれたり吸われたりすると、唾液と共に一層いやらしい音がする。口の中を散々に弄られながら、イライアスの手がジョシュアの耳や首筋、顎下を擽る。そうすると一層、ジョシュアの身体は震えて力が抜けた。
 形ばかりの抵抗、とでも言うようにイライアスの手に掴みかかったはずのジョシュアの手は、まるで役に立つ気配を見せなかった。
 目、耳、肌、口、と五感のあらゆる所からもたらされる官能を煽る刺激に、ジョシュアは為すすべもない。イライアスの口淫は、彼が満足するまで続けられた。

 そうして口を離す頃には、ジョシュアは覚えのある快楽の余韻にすっかり酔いしれてしまっていた。目を瞑れば即座に眠りに落ちてしまえる程には疲弊した身体だ。すっかり弛緩し切ってしまった今、最早抵抗する気力も無い。
 それどころか、確たる目的をもって刺激されたジョシュアの身体は、先を求めてすっかり火照り出してしまっていた。
 これではとてもとても、眠る気になどなれまい。最早考える事すらも億劫で、後先考えずに先を求める。

 すっかり力の抜け切ったジョシュアを、イライアスは優しく愛撫していった。ジョシュアには最早抵抗する気が無い事にも、目敏く気付いているようだった。
 舌舐めずりをしながら、とろんとしたいやらしい表情で、イライアスはジョシュアを見つめていた。

「う、ふぅ……ッ」

 イライアスの左手がジョシュアの口のナカへと挿し入れられた。2本の指で、口のナカをぬるぬると擦る。じっとりと唾液に濡れた柔らかい舌を挟み込んだり、上顎をぬるぬると擦ったり、気遣うようにゆっくりと動く。
 無意識なのか、縋り付くようにイライアスの腕にはジョシュアの手が絡み付いている。イイ所に当たるたびビクビクと震え、それが更にイライアスの興奮を誘っているだなんて事、本人は考えもしない。
 閉じられない口から溢れ出た唾液が、顎やイライアスの手を濡らす。時折反射によるものなのか、喉が鳴る度に唾液を啜るような音が聞こえて、その場のいやらしい雰囲気をより一層盛り上げている。
 もう一方の右手はといえば、あちこちに押し付けられるイライアスの唇と共に、ジョシュアの上半身をするすると愛撫していた。最早その上服は胸の辺りまでたくし上げられ、程良く鍛えられた青白い肌が晒されている。
 胸の飾りや肌の弱いところに手が触れると、仰反るように身体が震えた。薄暗い室内の中、その光景が僅かにぼうっと光るように見え、イライアス自身は更に張り詰めていった。
 ベロリと、先刻己の牙を突き立てた左の肩口にイライアスが舌を這わす。己のやらかした不始末のせめてもの慰みにとでも言うように、すっかり塞がりかけているその傷跡をなぞった。きっとこの傷は間も無く、跡が残る事もなく消えてしまうのだろうが、イライアスはそれを惜しむかのように、何度も執拗に舌を沿わせた。
 それに満足した後で、今度は首筋を通って耳の後ろの方へと舌を這わせる。すると途端、ジョシュアの震える左手がそれを妨害するように素早く割って入った。耳をその手で塞がれ拒否される。
 これまでの反応からも分かる通り、ジョシュアは耳が弱かった。触られるとゾワゾワとするし、耳元で話されるのも擽ったくて仕方ない。特に、先刻のイライアスのように美声で囁かれると正直、腰にクるものがあった。
 それは元々人間だった頃からそうなのだが、無駄に彼の五感が良過ぎる所為だ。吸血鬼になった事でそれらも更に強化されている。当人からすれば堪ったものではない。
 それをジョシュアは、今まで何とか押し隠してきたつもりなのであるが、それももう、イライアス相手では手遅れのようにも思われる。
 それでもジョシュアは、何とか最後の抵抗を試みるのである。それが一層相手を煽るとは想像もせず、蛇に睨まれた蛙よろしくぶるぶると震えながら。


 耳への刺激を拒否されたイライアスは、こんな程度では挫けなかった。いちいち性癖にクる仕草で煽ってくる天然野郎に一層興奮を煽られながらも、優しく、優しく、と理性を総動員して自分に言い聞かせるのだ。さながら自己暗示のようである。
 らしくもない、荒い呼吸が己の余裕のなさを示しているようで、年甲斐もなくみっともない。と、イライアスは自覚しながら、しかしここで止まる気などは更々なかった。
 耳を塞ぐ手に舌を這わせて舐め上げる。ぐちゅりと微かな音を立てながら、指の間を刺激すれば、解りやすく手が震える。口に入れた指の刺激と合わせるように時折指を啜ってやれば、背筋がビクビクと震えて堪え切れない声が溢れ出た。耳元でそんな、いやらしい音を立てられては、いくら耳を塞いだとて聞こえない筈がない。
 背筋が震え悶える様を楽しみながら、イライアスは更に一層、己を昂らせた。

「は、あ、ううッーー!」

 耳が弱い事にはもちろん、イライアスも気が付いていたのだ。耳元に顔を寄せようとするとさり気なく避けられたし、先程のように上手く不意打ちをすると必ず耳を塞がれた。きっと彼の五感が鋭いせいだろう、とイライアスは納得する。
 これはイライアスが戦闘中に気付いた事だが、ジョシュアの勘の鋭さは尋常では無い。そうでなければ、イライアスの攻撃を避けるなんて事が出来るはずもないのだ。
 力も体力も技術も、圧倒的に足りていないはずなのに、上手くタイミングを合わせて避ける。それは尋常ならざる神業だ。並の吸血鬼が、格上相手にそんな芸当をできる筈がないのだ。
 成る程、“彼女”がらしくもなく逃さなかった訳だとイライアスは納得したのだ。これは天性のもの。替えなどはきかない。悔しいかな、その一点に於いては、イライアスも負けを認めざるを得なかったのだ。悔しいからこそ、決して当人には教えてはやらないのだが。

 何度も指の間に舌を這わせ、つつくように、嬲るように刺激すると、段々とその手の力が抜けてくる。その隙を突いて、イライアスは指の間から舌を、ずるりと挿し込んだのだった。まるで秘部に舌を突き入れるかのように。いやらしく周りを刺激しながら。

「ふ、うあぁッーー!」

 そうして到達した目的の耳を舐めるのと同時に、指も口に含んだ。揶揄うように指に歯を立てると、その手はやはり震えた。
 もうすっかり手に力など入っていなくて、イライアスがその手を掴み下ろさせても、ほとんど抵抗される事はなかった。
 そうしてようやく、彼の目的である耳が顕になる。
 別に、普段から表に出ているものなんだから、全くそうではない筈なのに。興奮で頭が馬鹿になってしまったイライアスには、間近で目の前に晒された耳が酷く卑猥なものに見えた。
 堪らず衝動のまま、その匂いを嗅ぎつつ耳の裏に舌を這わす。

「んんッ、ううぅーーッ!」

 震えは今までで一番大きかった。縋るように左腕を掴まれ、それでもどうにか責め苦から逃げるのに、ジョシュアは肩を上げて身を捩り、耳を隠そうとする。それを、クチの中に突っ込んだままの左手で制しながら、イライアスはいっそ自分の元へと引き寄せた。
 そうなればもう、やりたい放題である。時々噛み跡を残すかのように強く噛んだり、吸い付いたりと、顔の左側が濡れそぼってしまう程に責め立てた。
 そんな中で一度、突然ガクンッと力が抜けるようにその身体が震えたりして、この口淫だけでジョシュアが軽く達してしまったように思えて、イライアスは更に一層興奮していた。

 イライアスが一通りやり尽くして満足する頃には、後戻りが難しい程に、二人共が昂ってしまっていた。
 ただジョシュアの方はと言えば、一度僅かながら高みへと昇ってしまったせいか、既にほとんど体力の限界を迎えている。疲れ切り、しかし昂り過ぎてしまった己をどうする事もできず、ただベッドの上に身体を投げ出す事しか出来なかった。





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