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2.記憶の底に蘇る盲信



 カイトはまたしてもぼんやりと腰掛けながら、目の前で繰り広げられる穏やかにも鬱陶しいやり取りを眺めていた。好い大人が飽きもせずに良くやる、と。

「いやいや、神子殿は我々近衛騎士団がーー」
「何を今更。我等神殿の者が責任持ってお仕えするのだと決まってーー」
「国王陛下の直属の部隊だぞ。神殿の意向とはいえ我々のーー」

 くわり、と何度目になるか分からない欠伸をしながらカイトはふらふらと頭を揺らした。
 昔から何一つ変わらず、己の利益の為ならば同胞すらも蹴落とすような連中。敵がいつ襲って来るかも解らぬようなこの場所で、神子の取り合いを味方同士で行うなんて。いつの時代もこの世界の人間達は変わらない。何たる不遜、何たる傲慢。そんな事に従わされる方の身など考えもしない。そういう連中だから、気付けば足元を掬われるのだ。

 カイトは頭の中ではそうやって彼等を心底馬鹿にしながら、そして同時に自分の不調を嘆いていた。ここ数日、眠くて眠くて仕方ない。考えられる原因なんてひとつなのだけれども、今の自分ではどうする事も出来ない。これが終わればきっと、自分は色々なものから解放される。それだけを頼みに、眠気にだって耐えられるのだ。
 そのような調子でうつらうつらとしていると。そんなカイトを心配する声が、すぐ傍から飛んできた。

「ねぇカイト……ほんと、最近大丈夫?この前も馬から落ちかけてたし……」
「んーー?」

 ハルキである。ずっと昔から一緒に居るからこそ、ここのところずっと眠気を訴えているカイトの様子を心配しているのである。意識も途切れ途切れで、夜も昼も寝ているのか起きているのか分からないような状態で。そのような不調を訴えるカイトの事を放っては置けない。ハルキはそういう人間なのだ。

「あー、うん、眠い、だけ……聞こえてる……」
「ほんとかなぁ……」
「ん」

 辛うじて言葉を返しながら、カイトは再び目を瞑る。そうしていると、いくらか楽になるのだ。
 一日中何かを詰め込まれているかのように頭も身体も重いし、現実世界に意識を保っているのも難しい。少しでも意識が遠のけば、カイトはたちまち別の誰かになってその世界を生きている。
 彼は、そんな妙な症状を誰かにーーハルキにですら話す事はしなかった。言った所で信じる筈もないし、それをハルキには知られたくないと思ったのだ。
 辛うじて意識をこちらに留めている間、彼は見ているもの、聞いているもの、感じているもの全てを理解している。反応が億劫であるだけで、ちゃんと解っているのだ。
 そんな時だった。ハルキの声を聞いて少なからず安心してしまったのか。意識が一瞬、途切れてしまう。その途端、一気に感覚を失い、カイトは己の身体が重力に従って傾いていくのを感じた。身体に力を入れようにも、酷く重く感じられてもう、そこから立て直しは出来ないように思われた。
 ゆっくりと、己の上半身が地面の方へと落ちてゆくのを感じながら、カイトはアッと心中で叫び声を上げた。

「あ!」

 同様に、横からハルキの声も聞こえたけれども、その時にはもう既に遅かったろう。反対側にいるハルキの手はもう、届かないところまで身体が傾いてしまっていた。地面に激突したら痛そうだなぁと、カイトは覚悟を決めて微かに身体を強ばらせた。
 だが、予想に反して待てども待てども彼の覚悟していた痛みはやって来ない。よくよく感覚を探ってみると、誰かがすんでのところでカイトの身体を支えたらしかった。胸元に食い込む誰かの腕の感覚が、微かに感じられる。森と土の匂いのする、柔らかな魔力を持った人間だと、彼は思った。
 それが誰かは、ハルキのお陰ですぐに知れた。

「っ、と、今のは危なかったね」
「セルジョ……ああー、良かった。ありがとう」
「いえいえ。大事にならず私もーー」

 セルジョーー神殿からの護衛の騎士の一人が、そのような名前だったか。カイトはそんな思考を最後に、再び眠りの世界へと旅立って行ったのだった。
 哀しみと絶望渦巻く、どうしようもない、欲にまみれた世界へと。

『貴方と私が出会ったのも、何かの縁ーー』
『犬は黙って従え。貴様のようなーーにその眼がーー』
『ーー蛮族風情が我等に楯突こうなどとーー』
『必ず、再びーーーー』
『ーーーー幸せにーー』

 呆れ返る程に他を省みない人間達。唯一の救いは、優しいたった一人の記憶。それだけだった。
 憶えなど無い筈なのに懐かしい感覚を覚えてしまって、カイトは混乱しながらも少しずつ、記憶の中へと溶けていった。





「あー、また眠っちゃったのかな、カイト……」
「ええ、そのようですね」

 ゆっくりとした寝息が聞こえ出した所で、ハルキは少しばかり寂しそうに呟いた。
 ここに来てからというもの、カイトはほとんど眠ってばかりいる。しっかりと意識を保っていられたのなんて、最初の1日や2日程だ。最近なんて、眠っているのか起きているのかも判らないような有り様で、起き上がってはいても見る度にこっくりこっくりと舟を漕いでいる。
 本人は大丈夫だと言うのだけれども、ここまで酷い様子を見ていると、流石のハルキも心配になる。そもそも、ここに連れて来られる筈だったのは自分だけで、カイトは誤って連れて来てしまったと言うのだから。余計に責任を感じてしまう。
 ただその反面、ハルキはカイトが一緒で良かったと心から思うのである。自分一人だったら、ちゃんと自分を保てていたかも分からない。例えそれがカイトにとっての不幸だったとしても、ハルキにとっては幸運であったには違いなかったのだ。
 だからせめて。自分に引っ張られる形で運命を共にしてくれているカイトだけは、最後まで、ずっとずっと離したくないとそう思うのである。

「彼も、この世界に適応しようとしているのでしょう」

 ハルキの不安そうな顔を見て、きっと彼はせめてもの慰みにと、励まそうとしているのだろう。その優しさをありがたく思いながらも、ハルキは少しだけ恨みがましく思う。
 カイトと二人だけで、放っておいてくれたら良いのにと。

「……俺は、何事も無いけど」
「元々この世界に対する耐性があったのですよ。貴方様は正真正銘、この国の神子で間違い無いのですから」
「…………」
「そう、気を落とさず。神子様のご友人ですから、我々も精一杯の援助は致します。ご安心なさってください」
「……うん」
「私も今のような事がまた無いよう、傍に着いておりますので」
「そう……それなら、うん」

 深く深く、眠り込んでしまったカイトの頭をくしゃくしゃと撫でてから、ハルキはジッと、その様子を見守ったのだった。
 よくよく思い返してみれば、カイトは最初にここへ辿り着いた時から既におかしかった。あの時のカイトも同じだった。ハルキの事も、自分自身の事ですら全く憶えておらずにボンヤリとしていた。思い出話をしても、しばらくの間はハルキの事どころか、自身が誰かすら分かって居なくて。あの時ハルキはまさしく、全身からサアッと血の気が引いていく感覚を覚えたのだ。

 一瞬、ハルキ自身ですら、目の前に居るカイトという人間は初めから居なかったのではないかと疑ってしまう程に。あの時の彼は、まるで別人だった。
 今、ハルキはその時と同じような不安に駆られている。また次にカイトが起きた時。カイトが別の誰かになっていたらどうしよう。ハルキの事を憶えていなかったらどうしよう。ハルキはただ、願うしかなかった。カイトが隣に居るからこそ、こんな訳の分からない状況でも自分は冷静でいられるのだ。早く、戻って来てくれよーー。
 神子の願いは表に出される事はなく、ただ当人の頭の中に浮かんでは消えていくだけだった。







* * *






 パチリと目を開けると、彼は誰かに抱えられながら馬に乗っていた。子守りのようにゆらゆらと揺すられ、パカリパカリと子気味の良い馬の蹄の音がする。目を何回か瞬かせ、寝惚け眼に顔を後ろへと向けると。上の方に、少しだけ見覚えのある顔が見えた。

「おや、カイト殿、起きられたので?珍しいですね」

 目の前の顔、にっこりと微笑みながらそう言った男は、銀色の髪を風に靡かせ、同じ色の目を輝かせた正真正銘の騎士様だった。とても面倒な役目を押し付けられただろうに、その当人を目の前にした笑顔は完璧なものだった。嫌味な所は一切見られず、陽の光に当たったせいなのか、その髪がキラキラと輝いて見えた。
 自分も日本人としては色素は薄い方だけれども、ホンモノの輝きというのは全く違うのだなぁ、とカイトは馬鹿のように思った。寝惚け眼な上に突然の顔面の暴力に見舞われ、カイトは微かにたじろいだ。

「あ……はい。突然、目が覚めて……」
「成る程。ーーまだ不調はありますか?」
「いや。ーーここ最近では一番、スッキリとしてマス……」
「そうですか。それは良かった。上手く、こちらの環境に適応されたのかと思いますよ」
「適応……」
「ええ」

 似合わないとハルキには散々揶揄われた敬語を使いながら、カイトは彼ーーセルジョと会話を交わした。その間も彼のガッチリとした身体は馬上で全く揺るぎもしなかった。

 先日からの身体の不調が嘘のよう消え去っていた。それどころか、思考はすっかりと晴れ渡っている。まるでこの世界の姿がすっかり変わってしまったかのように。カイトがそんな事を考えたところでふと、気が付いた。今見えている範囲に、ハルキの姿が無い。

「ハルキは?」

 カイトはほんの少しだけ焦燥感を覚えながら、キョロキョロと周囲を見渡した。ここに来てからしばらくは自分自身の事で手一杯で、自分の何よりも大切な筈のハルキの事を考える暇も無かったけれど。こうして復活したのならば、真っ先に考えなければならないのは、彼にとってハルキの事なのだ。自分の何よりも優先しなければならない。染み付いたようなその考え方を当たり前のように受け入れながら、カイトは行動するのである。
 これだけの戦力が揃っていながら、何かが起こるはずも無かったが、万が一という事もある。今の己の戦闘能力を導き出しながら、彼は一心にハルキの姿を探した。

「ああ、ハルキ殿は、我々の後ろですよ」

 セルジョより教えられてすぐ、身体を捻って身を乗り出せば。少しだけ困ったような顔をしつつ、他の連中の相手をしているハルキの様子を見る事が出来た。
 そこでやっと、カイトは力を抜く事が出来たのだった。成る程、自分が居なくても確かにハルキは安全なようだ。彼の国が思っていた程ポンコツではなくて本当に良かった。カイトは当たり前のように、そんな事を思ったのだった。

「ちょっ、貴方馬上で危ないですよっ!」

 乗り出していた身体をセルジョの腕に支えられて引き寄せられる。中々どうして、騎士の力というのは高校生ごときではどうにもならない。カイトの身体はセルジョによって力づくで元の位置に戻され、今度は腕を腹に回され拘束されてしまった。そこでカイトは、思わずブスッとした表情になってしまったのだった。
 馬上での身体の動かし方なぞは心得ているのに、と。けれどもそんな文句を言う訳にもいかず、カイトは大人しくされるがまま。全てを隠し通し、高校生の自分を見せて周囲を欺き続けるのだ。

「危ないですからね……馬上では大人しくしていて下さーー」
「ッカイトーー?起きたの!?」

 セルジョとカイトのやり取りに気付いたのか、突然後方からハルキの声が飛んできたのだ。そのたったの一言で、カイトの不機嫌はあっという間に吹き飛んでしまった。手だけでも見えるようにと頭上に腕を伸ばし、ヒラヒラとさせながらカイトは叫んだ。

「おー、今日は平気そうだぜー」
「っ、バカァァーー!心配させやがってぇぇ!」
「泣くな泣き虫!大丈夫っつったろ」
「泣いてないし!カイト後でシバく!」

 ぎゃあぎゃあとしたいつものやり取りをして存分に笑った後で。カイトは前を向いて考えた。これから自分はどう動き、何をすべきなのか。
 先程まで続いた長い長い眠りの中で、カイトはとうとう思い出してしまったのだ。

 昔々、カイトはかつてこの地で生きた人間だった。それがどうしてだか、かつてこの地に在った神子と共に、異世界であるあの日本で生を受けたのだ。そして運命の導くまま、彼等の召喚の儀式だかでこの地へ一緒に連れ戻されて、現在に至る。
 かつての己が死ぬ原因となったその愚行を思い出そうとも、カイトはちっとも後悔などしてはいなかった。あの時はあれが最適だったのだ。
 例え、自分の行ったその事で誰かが不幸な目に遭ったとしても、それはお前の運が悪かったのだと、彼はそう考えるだけだ。最初に自分達に牙を剥き、あまつさえあの地に縛り付けたのは向こうなのだから。
 自由を好み、主人の命を忠実に守るのが彼のサガだった。彼はただ、大切な主人の願いを叶えただけ。だから、それで命を落としたとて後悔などしていなかった。
 それで、良かったのだ。
 彼の世界の全ては、主人は、かの人ただ一人だったから。

 死ぬ前にはそんな人間だったからこそ、カイトがハルキの願いを叶えるのは第一だとして。今の自分に何処まで出来るのだろうかと彼は思う。
 かの地で、自分はただの高校生で、魔法だの剣だの戦だのとは無縁の世界で生きてきた。こちらへある意味で帰ってきたとしても、以前程自由に動ける訳ではない。前に備わっていたものは、何処かへ失くしてしまったようだから。自分はただ、己の知識を秘匿しながら、ハルキを良い方へと導くだけ。それくらいは何でもない。
 いざとなれば彼等を見捨て、ハルキを連れて逃げる位の事はして見せるつもりなのだ。以前だってそうしたように。
 だからこそ、せいぜい上手く利用してやろう。
 そんな呟きを胸の中にしまい、カイトはほんの少しだけわくわくしながら、ただの少年として彼等の庇護下で悠々振る舞うのであった。





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