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10.吸血の夜(強制)



「え、めんどくさぁい」

 赤毛の男とジョシュアが行動を共にする手始めに、ジョシュアが端的に欲しい情報を告げた時の話だ。赤毛の男は、その背をだらしなく丸めながら悪びれもせずにそう言ってのけたのだ。ミライアの前では随分と聞き分けの良かった男であったが、格下だとハッキリ分かっているジョシュアに対してはこんななのである。

「……アイツに言われてたろ。アンタ、ここで手伝えば前の借りもチャラだって。ここで投げ出すのか?」

 ミライアと別れた途端にこのような調子の赤毛に顔を引き攣らせながら、ジョシュアは何とか手伝わせようと頭を捻る。

「投げ出しはしないよ。それはそれ、コレはコレで」
「…………」
「だってさぁ、姐さんおっかないから嘘でもうんて言っとかないとガチで殺されるし。姐さんも俺がこんなだって解ってるから“下僕”に監視させようとしてるんだろうけどねぇ……ま、気が向いたらちゃんとやるからさぁ。ーーしばらく俺に付き合ってよ、時間はたーっぷりあるっしょ?“影の”」

 赤毛が言った“影の”とは、ジョシュアの事である。ジョシュアがハンターだった頃、一時期そのように呼ばれていた事があるのだ。闇に紛れて行動する、斥候や隠密を得意とするジョシュアにちなんで付けられたものだ。そう呼んでいたのはほんの僅かな人間達だけで、おまけに駆け出しの頃の僅かな間だけだったが、ジョシュアは案外それを気に入っていたのだ。
 ミライアと別れる間際、何と呼べば良いかを赤毛に聞かれてジョシュアは咄嗟にそう応えていたのだ。十年以上も前の話、覚えている人間も僅かであろうし、ついさっきまでジョシュア自身も忘れていたような呼び方だった。それでもそう言ったのは、きっと自分でも似合いの渾名だと何処かでそう思っていたのだろう。
 誰かの後ろに付いていないと消えてしまうような、その程度の人。影の薄い、居ても居なくても同じ人。
 その名を最初に呼んだ人は、きっとそのような意味を込めて言った訳では無いだろう。けれどもどうしたって、ジョシュアは何処かでそう、自分で自分を蔑んでしまうのだ。

 にっこりとマイペースに笑う目の前の男をどうやって焚き付けるか、ジョシュアは引き攣る顔を隠しもせずに、考えを必死で巡らせた。


「ーーーーんでさぁ、俺がその時そう言ったらーー……あ!あのこ美味そうだ。ねぇねぇ、あそこに空き家もあるから引っ張り込んでご飯とついでにしっぽりやろうよ、ねぇねぇ“影の”!」

 赤毛と連み出して早小一時間。ジョシュアは喋りまくる赤毛に翻弄されながら、情報収集もままならないまま既にクタクタに疲れ果てていた。体力の話ではない。精神的に、ごっそりと気力を奪われていた。
 性格的にベラベラと喋る方ではないし、知り合いですらこのような人物が近くに居なかったジョシュアからすれば、赤毛は未知の生物だ。黙っていればーーと言われるような類いの男で、口を開けば話題は大抵どんな味が好みだとか、人の美醜がどうだとか(赤毛はどうやらそれ程美男美女にこだわりがある訳では無いらしい)、そんなようなものばかりでジョシュアは食傷気味だ。元々は人との関わりをなるべく避ける方であるのだから、余計に。

「ほらほらぁ、そんな仏頂面だと恐さに磨きがかかるよぉ」
「五月っ蝿い……ある程度は付き合うから、それが終わったらとっとと情報にあったその屋敷へ連れていってくれ……」

 時折傷口を酷く抉られながら、ジョシュアは何とか男を働かせようと四苦八苦していた。
 けれどもどうしたって、ジョシュアは赤毛のペースに乗らざるを得ない。何せジョシュアはあくまで吸血鬼ミライアの眷属に過ぎず、生きている年月もミライアどころか赤毛と比べても倍以上に違う。独り立ちにはまだまだだ。
 故に知らず知らず、赤毛の巧みな誘導に乗ってしまうのである。

「ここで待っててー、今連れてくるから!」
「は!?何だその連れてくるってーーッ!」

 何を、とジョシュアが言う間も無く。人の居ない家屋に侵入し、赤毛はジョシュアの目の前から忽ち姿を消してしまった。赤毛の背に向かって伸ばされたはずの手は、行き場を無くして宙を漂っている。
 一人で取り残された室内で、ジョシュアは手を引っ込めながらはぁ、と大きな溜息を吐いた。始終赤毛に振り回され続け、気が付けば他人の家屋にぽつんと取り残されてしまったのだ。どうしたって自分の力不足を考えずにはいられなかった。
 スパルタなミライアの試練をどうにか乗り越えようとしてはいるのだが、まだまだ、今回は今まで以上にジョシュアにとっては早すぎる気がするのだ。自分の腕を買ってくれているのは純粋に嬉しいのだが、これはまだ到底できる気がしない、とジョシュアは独りごちる。申し訳ないやら不安やら、取り残されたリビングの中で、動く訳にもいかず外に出る訳にもいかず、ジョシュアはソワソワと彼方此方を行ったり来たりするのだった。

(そもそもアレを一人で行かせて良かったのか?このまま逃げる気じゃないのか?……ーーいや、でも流石にミライアとの契約?を破って逃げ果せるとは思えないし……)

 等、ブツブツと時折独り言を吐きながら、ジョシュアは半刻ほどウロウロした。

 そして、ジョシュアが待ちに待った赤毛の男が戻ってきたその時。

「やったよー、さっきのコほんと当たりだったわ!」

 ニッコニコな赤毛の腕の中には、傍目から判る程グラマラスなボディをした、一般的町民のドレスに身を包んだお姉様が、ぐったりとした様子で抱えられていた。予想通りのそんな光景に、ジョシュアは思わず、遠い目をしてしまった。この後起こるであろう行為に、どうしたって戸惑いを隠せない。

「うっは、本当聞いた通りだしッ!俺らの三大欲求もなしに“影の”は本当、よく吸血鬼やってられんねぇ」
「……っ大きなお世話だ」

 ミライアから未だ吸血に慣れないジョシュアの話を聞いたのだろう。赤毛は肩を揺らしながら、そんな事を言った。少しだけムッとしたジョシュアがつっけんどんに言葉を返すも、赤毛は大して意にも介していないのか、腕の中の女を近くにあった大ぶりのソファへとやさしく寝かせた。
 よっぽど『好きで吸血鬼になった訳では無い』、とでも言い返してやりたかったのだが、今の生活も悪くないと思ってしまっている自分も確かに存在して、ジョシュアは馬鹿正直にもその言葉を言ってしまう事が出来なかったのである。
 人生、狡賢い方が、嘘吐きの方がどれほど生きやすかったろう。しかし、生来の性質はどうしたって変える事が出来なかった。ジョシュアは今までよっぽど苦労をして、それなりに何とか適応して生きながらえてきたのである(既に一度死んでしまってはいるが)。
 もっと別の道もあっただろう。もっと楽な道もあっただろう。けれど何処か諦めきれない頑固な部分があって、ジョシュアはズルズルと今の今まで来てしまったのである。後悔をする暇もない程必死に、毎日を生きたのである。その結果がコレである。今ですら後悔する暇もない程、ジョシュアは必死なのだった。

 そんな事をジョシュアが柄にもなく考えていると。不意に赤毛が言った。

「まぁ、世の中意外と狭いけど、俺ら意外と沢山居るしー?世の中そんな吸血鬼が居ても可笑しくは無いのかねぇ……?」
「…………」
「本当、この世界って面白いよねぇ。色んなのが居て、飽きがないわ」

 そんな、随分とご機嫌な様子で女の衣服をゴソゴソとやっている赤毛に、ジョシュアは思わずポカンとしてしまう。
 かなり軽い調子ではあったが、今し方赤毛のは、現在のジョシュアの性質や生き方を肯定してみせた。ミライア程色々と世話を焼いてくれる訳では無いが、赤毛は一度だってジョシュアの事を否定してはいなかった。
 揶揄ったり自分の要求を通そうとする我儘を言ったりはしたが、弱っちいジョシュアの事を蔑んだり、馬鹿にするような言動は無かった。弱い事を理由に、力づくで従わせるような事もしなかった。言動は随分とアレだが、ちゃんと大事な所では、ジョシュアの話を聞いてはいるのだ。

 今更こんな時にそんな事に気付かされてしまって、ジョシュアは状況も忘れて思考が停止する。ミライアとはまた違った形で、ジョシュアをそういう個として認める。ちゃんと人間だった頃、そうしてくれた人は、一体どれ程の数居ただろうか。
 ジョシュアは余りの衝撃に、しばらくその場から動く事が出来なかった。

「ーーうん、まぁ合格だね。今度また声かけるかなぁ……、ねぇ“影の”も飲む?」

 ジョシュアの硬直が解けたのは、赤毛からそんな言葉をかけられた時だった。ビクッと体を震わせてから赤毛に顔を向けると、口元に血を滲ませながらコテン、と首を傾げる男の姿が目に入った。
 顔だけは抜群に良い彼のそんな仕草に、ジョシュアはああ、だとかいや、だとか、そんなような返事を返す。咄嗟の事に、ジョシュアは未だ頭が切り替えられないでいたのだ。先の赤毛の言動の所為なのか何なのか、ジョシュアは彼の顔を見る事が出来なかった。そしてそんな調子のジョシュアに、赤毛はすかさず反応する。

「ええ?なにその微妙な返事……、実は姐さんからはさぁ、機会があれば飲み方教える位はしてやれーって言われてんだよね」
「え”ッ……」
「俺、同族でもお気に入りには優しいからぁ、そん位はやったげてもいいよ!」
「いっ、いや、お構いなく……別に、今のところ問題なーー」
「えっ、でもホントちゃんと食べないと殺されちゃうよ?」
「…………」
「俺ら結構敵多いし、姐さんに付いてくんなら同族に追われるかもしれないし……」
「う……だ、けども、……それは自分でも分かってるから、その内にとは思ってる」

 まさにミライアにも耳がタコ程に言われた事を赤毛にも言われ、ジョシュアはやはり今までと同じような反応を返す。ずーっとそうしていれば、相手(ミライア)も諦めて渋々引き下がってくれるのをジョシュアは知っているし、どうせ後々には確実にそうなるのだから、と先延ばしにしているのである。
 だからこれまでと同様に、ジョシュアは思い切り赤毛から目を逸らし、諦めるのを待つのである。

 だがこの時ジョシュアは、大きな思い違いをしている。ミライアは一応、ジョシュアの好きなようにさせて、手助けは極力しないような吸血鬼なのである。
 だがしかし。今回の相手、赤毛のはと言えば。

「まったまたー、俺優しいから手取り腰取り教えてあげるよぉ」

 ジョシュアの話を、平時まともに聞かないのである。そして、冒頭でも自称したように、彼は逐一教えてあげる程には“優しい”のである。

「ちょ……“赤毛の”っ、待っーー!?」

 突然背後に立たれ、脇の下に両手を差し込まれ持ち上げられる。ぎゃあっと小さく悲鳴を上げて暴れるも、赤毛は意に介さず。そうしてジョシュアは、件の女の目の前へと連れて来られたのである。

「シィッ、静かにしないと起きちゃうよ!それに家主もいつ帰ってくるか分かんないし!」
「ッーー」

 そんな事を言って、赤毛はジョシュアの抵抗を封じる。
 だが実のところ、赤毛の催眠術で眠っている女は赤毛が術を解かない限り起きやしないし、まさにその家主が、目の前にいる女その人だったりするのだが。そんな事実を知らないジョシュアは、まんまと赤毛に騙されるのである。

「そうそう、いい子。ほら、俺が飲んだとこまだ治りかけでやぁらかいから、少し押せばすぐ血が出てくる」
「お、ちょっ、待って俺ホントにーー」

 グズグズとそんな事を言いながら抵抗にもならない抵抗を続けるジョシュアだったが、ニコニコと笑みを崩さない赤毛は。無情にもジョシュアの頭を引っ掴むと、問答無用で女の首筋、赤毛が飲んだその傷跡へと、ジョシュアの口を押し付けたのだった。
 まさかそこまで強引にやられるとは思っていなかったジョシュアは、不意打ちにまんまとそこへ牙を突き立ててしまった。流石のジョシュアでさえ、口の中に血液が流れ込んで来ればそれ以上欲求に抵抗する事などは出来ない。急激に襲ってくる空腹に負け、それでも多少は加減しながら血液をちまちまと舐め取っていったのだった。
 だがしかし。そんなところまでさせた赤毛張本人は、どこか不満気だ。

「えー?何それ、傷口舐めてるだけじゃーん。ちゃんと口ん中、入ってる?」

 目の前でそんな事を言われるも、臆病なジョシュアにはその程度しか恐ろしくて出来ないのである。まだまだ吸血には抵抗感があるし、現時点でそれほど血液の量を必要としない。故に、赤毛の言葉に不服を示すように、眉根を寄せて見つめてジョシュアは赤毛に抗議する。
 だが、それで終わらないのが、赤毛がミライア曰く『普通ではない』所以なのである。

「全くもうー、……ほら、こうするんだよ!」

 ジョシュアの隣でそう言うが早いか。赤毛は突然女の二の腕を掴んだかと思うと、ジョシュアが止める間も無く、ガブリと牙を突き立てたのだ。隣でそんな事をされて、驚いたジョシュアは女の首筋から口を離してしまう。
 けれども、赤毛はそれを気にも留めず、ジョシュアの目の前でニヤリと獰猛そうな笑みを浮かべると。ジュルジュルと音を立てて、血液を吸い上げ始めたのだった。余りの事にジョシュアは声も出せず。自分もまた吸血鬼であるが故なのか、ジョシュアはどうしてだかその光景から目を逸らす事が出来なかった。

 吸血ーーつまり食事は性行為のそれと高い相関性があると言われる。長らくその様な事に関わる機会の無かったジョシュアに、当然そのような知識はない。けれども、それ(吸血)が何処か見てはいけないものであるかのような背徳感を、ジョシュアはいつだって感じている。
 そして今この時もまた、ふと我に返ったジョシュアは、咄嗟に赤毛のから目を逸らしてしまうのだ。だがそれが、ジョシュアの致命的な隙になってしまうのは、言うまでもなかった。ある種の油断である。

 ふ、とジョシュアの視線が逸らされたその一瞬。赤毛は素早く動いた。

「ぐッ」

 無防備なジョシュアの身体を床に押し倒し、馬乗りに乗り上げたかと思うと。ジョシュアの両腕を器用に足と左手で封じ、右手で顎を掴み口を開かせた。そんなあっという間の出来事に驚きに目を見開いたジョシュアに、赤毛は更にその口を、自分のソレで塞いだのだった。
 ハッと息を呑んだジョシュアの口内に、先程まで口にしていた血液がごぼりと注がれる。赤毛が口にしていたものを、口移しでジョシュアの口の中へ流し込んで来たのだ。だが余りの出来事に反応も出来なかったジョシュアは、反射的にそれをゴクリと飲み込んでしまう。人間の血の、鉄臭い匂いであるはずなのに、今のジョシュアにはそれが途轍もなく芳しい甘い香りであるかのように思えた。
 今まで自分が飲んできた量よりも随分と多い量を一度に飲まされて、ジョシュアはクラリと自分の頭が揺れるのを感じた。あの時、初めて血液を口にしたあの時のようだった。今までに感じた事のない恍惚感に、ジョシュアは一瞬酔いしれてしまう。
 そんなジョシュアの微かな異変に目敏く気付いた赤毛は、口付けたまま満足気にニンマリと笑うと、残しておいた口内の血液の全てを再び流し込んだ。それもまた、何の抵抗感もなく飲み込んだジョシュアは、無意識に目を細めながら満足気にはぁ、と息を漏らす。

 そしてそれを見計らったかのように、赤毛は何と、そのまま口付けを深めたのだった。体勢的にも、そして精神的にも碌に抵抗も出来ない状態であるジョシュアは、まさに据え膳。その場で赤毛は、満足するまで遊ぶ事にしたのである。狙っていたセックスこそ出来なさそうではあっても、相手を陥落させるテクを、赤毛は山程存じているのである。

 舌の裏を擦り合わせるように押し付けながら、上喉の奥の方にまで狙いを定めて舌先で刺激する。時折その舌を捕まえて吸い上げたり、歯列の内側を舐め上げたり、赤毛は手練手管を駆使して追い詰めていった。
 そんな口内への責め苦すら、ジョシュアが慣れている筈は無かった。どちらのものとも分からない唾液が口端から零れ落ちても、嬌声のようなか細い声すら漏れ出てしまっても、もう何が何だか分からない。
 たまに自分から赤毛の舌を追いかけてしまったり、触れやすいように角度を変えてしまったりと、無意識に赤毛を煽ったりなどしてしまっていたのだが、本人にその自覚はない。快感に貪欲になってしまうのは、元々はほとんど無欲なジョシュアですら同じ事なのだろう。
 人間ーー特に女性は匂いで相手を決める事が多いと言うのだが、果たしてそれは吸血鬼にも当て嵌まるものなのか。赤毛は公言している通り、ジョシュアの匂いに釣られて出てきたクチであるのだが、ジョシュアも実のところ、赤毛の匂いが嫌いでは無かったりしていて。果たしてそれは、ジョシュアの口から赤毛に今後語られるのかどうか。それは二人の気分次第になるだろう。

 そうやって随分と長い間口付けていた赤毛がジョシュアから口を離した時には、二人とも息が上がっていた。ジョシュアは最早ぐったりとしていて、赤毛はどちらかと言えば随分と元気になってしまった様子であった。ジョシュアは呆然としながらも上がってしまった息を整え、そして赤毛はジョシュアの首筋に鼻を埋めながら、一層息を荒くする。

「あぁーー、ヤバい、これ失敗したかも……無理、こんなん知っちゃったらもう無理無理ぃ……」

 興奮からなのか、ブツブツと何やら呟き出した赤毛と、意識があっちの方へと飛んでいってしまっているジョシュアが正気に戻るまで、あと数分。






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