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ラブ・ロマンスは永遠に(痴れ者)



 リュカはその日、珍しくも予定があったのだ。

 昔の知識を確認するように日がな一日中魔術書やらの書物を探しまわり読み漁り。時たまエレーヌやカズマ経由で下りてくるどうしてもと頼み込まれる依頼をこなしつつ、リュカは日々を過ごしていた。更には家族からのお誘いや元同僚や旅の仲間達からの相談を受けたりと、本人が考えていたよりも日常は随分と忙しい。

 本当の所、リュカは魔術研究やらに日々没頭したかった所だったのだが、数日置きに誰かしらから邪魔(という名の誘い)が入るものだから、気質故に無碍にもできずにずるずると、それが常態化していたりする。
 それもこれも全部、元、大魔術師エレーヌ=デュカスの差金ではないかとリュカは疑ったりする事もあるのだが、きっと指摘したところではぐらかされるに決まっている。恋人の癖に相変わらず意地の悪い男の性質を、最早仕方がないとリュカはとうに諦めていた。

「リュカ、お前はもう少しちゃんとした生活を送れ」
「大丈夫です、ちゃんと生活してます」
「パンのみで一日中生活したり、していないだろうな……?」
「………………………いえ」

 指摘されて思わず返事が遅くなれば、この程度の嘘はあっという間に見抜かれてしまうのだ。それを覚悟しながらリュカはエレーヌからそっぽを向く。

「その沈黙の長さは肯定と同じだ馬鹿者。そんなだからお前、騎士だった癖に身体がそんなに小さーー」
「騎士だった時はちゃんと身体も作ろうとしてました!寮でしっかり食事はとってましたし、この体格は魔力量のせいです!!変な言い掛かりはよしてください!」
「……ならばその頃と同じように過ごせ。その内研究もまともに出来なくなる程衰えるぞ」
「今も朝のトレーニングは欠かしていません」
「……同じように食事もせんと意味ないわ」
「…………」

 エレーヌとの仲も、旅の頃と変わったんだか変わって無いんだか、本人にもよく分からない形で進んでいた。けれどそれなりに恋人らしい事はするし、ほのぼのとした甘い雰囲気にだってなったりもするのだが、日常はといえばこんなものだ。
 エレーヌに対して感じていた想いだって、本音は後々羞恥に震える程にはぶちまけてしまったし、リュカには最早隠す事なんて何もない。だから好き勝手に色々とやらかす事だってできてしまえるのだ。
 一日置き程でリュカの隠れ家を訪れるエレーヌを出迎えたり出迎えなかったり、勝手に入ってきたのすら気付かずに半日程放置してしまったり。
 居たんですか、なんていうリュカのポカンとした顔を見て、不機嫌なんだか呆れたのだか、どっち付かずな笑顔で言葉を掛けてくるそんなエレーヌに、リュカはいいなぁと思ったりするのだ。エレーヌのその顔が見たくて、リュカが行動を一向に変えようとしないというのは彼だけの秘密であって。
 変化なんて望まない。ただいつも通り、延々と傍に居たいだけなのだ。

 そんな願っても無い日常の中にあっても、リュカには特段楽しみにしている事があった。
 言わずもがな、ベランジェとの逢瀬である。血の契約の所為だとか何とか、他の誰に何を言われようが、リュカにとっては心踊る日なのである。
 かつては異常な程離れ難かったベランジェだが、あの旅を終えた今では、一番の親友、あるいは家族、と言える程までには落ち着いた自覚があった。何があっても裏切らない人が居るという安心感は、やはり遠く離れた今でも心の支えにはなってくれるのだ。
 だがやはり、そういうリュカとベランジェの逢瀬を余り良く思っていない人は居るもので。

「頻繁に行き過ぎではないのか……」

 いつもの小屋でいつものようにテーブルに着き、お茶でもとリュカが席を立った時の事だ。そう、ブスッとした顔で言ってくるのはエレーヌだった。

「頻繁って……そんなにですか?ひと月に一度程度でしょう?」
「先日行ったばかりだ」
「ああ、先日は貴方が渡すものが手に入ったとおっしゃっていたので一緒に……あれはノーカウントでは?」
「アレも含めて考えろ」
「でも、ベランジェがまた次の時にと……あまり話も出来ませんでしたし」
「…………」

 そのようなやり取りの後で黙り込んでしまったエレーヌに、リュカはお茶を手にしながらどうしたものか、と思案する。エレーヌが言いたい事が分からない訳では無い。先日エレーヌには言って聞かされた所だ。
 エレーヌが頻繁に他の人間に会っていたらどう思うのだ、と。しかもそれが、自分と同じかそれ以上にできる魔術師で、とても仲が良く、自分よりもそちらを選ばれたら……、そんな心配がある相手と頻繁に会っていたらどうなのだと。
 確かに、そのように考えればエレーヌの気持ちも分からないでもない。けれど、リュカにとってそれとこれとは別の話なのだ。リュカは知っている。ベランジェとの関係は、今以上になりっこないと。まぁ色々な事情があって身体を重ねたりはしてしまったけれども、アレはあの時っきりだ。そもそも、ベランジェとは最初からそんな関係に発展させる気などは更々無かったのだと。そうでなければあの時、リュカはあそこから逃げ出していない。

「エレーヌ」

 リュカはエレーヌの前と自分の席にそれぞれカップを置きながら、耳打ちするように顔を近付けて言った。

「私とベランジェは、何と言うか……家族?みたいなものです。ですからーー、戻ったらひとつ、何でもお願いを聞きます。ここで、私の帰りを待っていてくれませんか」

 ね?と言いながら、エレーヌの髪へと口付けを落とす。そうして自然な動作でエレーヌの目の前の席へと腰掛けると、自分のカップを手にとったのだ。
 そんなリュカの一連の動作を目撃してしまったエレーヌは、先程とはまた違った種類の物言いたげな表情をしたかと思うと。はぁ、とひとつ溜息をついた。

「……分かった。大人しく待っていよう」
「それは良かった」

 にっこりと笑ったリュカに絆されるように、エレーヌはそれ以上何も言わ、出されたカップに口を付けたのだった。





* * *





 気分良くアレクセイへと戻ってきたリュカは、今回のベランジェの行動に少しばかり首を傾げながら、早足で小屋へと向かう道を歩いていた。
 懐には珍しくエレーヌ宛の手紙を携えて、リュカは何が書いてあるのだろうと想像を膨らます。そして早く早く、会いたくて歩くスピードを速める。気付けばベランジェの時よりも何倍も、リュカはエレーヌに会える事を楽しみにしているのだ。エレーヌが待ってくれていると思うと、リュカは早る気持ちを抑え切れなかった。

「戻りました」

 軽く上がった息もそのままに、リュカは声を掛けながら小屋へと駆け込む。しかし、その声に返す声は聞こえなかった。あれ、と思いながら広くは無い部屋を見渡すと。窓際に、エレーヌの姿があった。
 そこは日中からずっと心地好い光が差し込む場所で、リュカも良く本を片手に眠り込んでしまう所だった。何度かそれをエレーヌ起こされた事もある。
 それが今回、いつもとはまるっきり逆のように、その場所でエレーヌがうたた寝をしている。リュカはそれに、何故だか軽く衝撃を受けた。あの、何事にも厳しく振る舞うエレーヌが、リュカがいつも居る場所で眠っている。ただそれだけの事なのに何故だか、リュカはそわそわとした。
 走ってきたからか、エレーヌの無防備なその姿のせいか、ドキドキする心を落ち着かせるようにゆっくりと深呼吸をした後で。リュカはこっそりと静かにエレーヌへと近寄った。
 窓から降り注ぐ茜色の夕陽に照らされて、自分よりも幾分か薄い色をした金の髪がオレンジがかった色でキラキラと光る。窓枠に肘を付き、その手に顎を乗せながら眠る白いローブ服のその姿は、それだけで芸術作品のように思えた。ほんのりと薄暗い室内で、彼だけが後光を受けて光り輝いているよう。その姿から伸びる長い影や、全体的に白っぽい色をしたエレーヌに落ちる黒い影すらも、どこか妖しく厳かな雰囲気を醸し出していて、リュカはほぅっと見惚れてしまった。
 眠っている所為で見えない、そのスカイブルーが現れたら一体どんな色になるのだろうか。それが少しだけ残念で、けれども彼が眠りから覚めた時が楽しみで、リュカは何とも言えない気分を味わう。
 早く起きてその瞳に自分を映して欲しい。けれどもっとその無防備な姿を見ていたい。相反する願望は、リュカの中で不思議に混ざり合った。
 そして気の赴くまま、リュカは更にエレーヌにこっそりと近寄ると、彼の眠る横顔が見える位置にしゃがみこみ、膝を抱えてその場で座り込んだ。
 その姿をずっと見ていられる。そんな気分で、リュカはその場でジィッといつまでも、眠るエレーヌの姿を見ていたのだった。



「……ん、」

 それからエレーヌが目を覚ましたのは、茜色の光がすっかり消え、青みがかった空色へと変化して周囲がほとんど暗くなりかけた頃の事だった。
 閉じていたその目を、リュカが眺めるその目の前で、エレーヌはゆっくりと開いていった。
 青空の下では清々しくも輝くその目も同じようなブルーだったが、今は少し違う。部屋が暗いせいか、日の光が無いせいか、その色はすっかりなりを潜めて透き通るような目の輝きだけがリュカには見えた。その様が美しくも残念だ、なんて思いながら、リュカはエレーヌの覚醒を待った。
 自分が居る事に気付いた時、彼は一体どんな反応を見せてくれるか。リュカは少しだけワクワクとしながら息を潜めてその時を待った。

 目を開けたエレーヌはといえば、窓際に居た事もあってか、外の様子を一度チラリと目にしてから、視線を部屋の中へと戻した。そして、そこであからさまにエレーヌは反応を返す。

「んんッ!?」

 気付いた途端、エレーヌが身体をビクリと震わせながら悲鳴を上げたのは、仕方の無い事だろう。何せ起きた途端、自分の座る椅子の前には何故だかリュカがいて、灯りも付けぬまま息を潜めて床にしゃがみ込み、エレーヌをジッと見つめているのだから。

「おはようございます。戻りました」

 エレーヌが起きたその姿を見て、リュカは満足気に笑う。何せ、待ちに待った人の目覚めだ。その喜びは隠しようがない。

「あ、ああ……お前、戻ったのか……声を掛ければ良かっただろうが」
「いえ、余りにも気持ち良さそうに眠ってらしたので、つい」

 リュカはサラリと嘘を吐きながらエレーヌに言うと、そこでようやく腰を上げた。
 それまで何もせずにただジッとエレーヌを見ていただけだったリュカは、テキパキと動き出す。エレーヌの目の前で、何事も無かったかのように部屋の灯りを灯す。魔術のおかげで一瞬の内にランプに火が灯り、部屋全体がオレンジがかった色に照らされた。
 着たままだった外套を入り口に掛けると、リュカは今度はお決まりの茶を沸かし始める。キッチンの薪に火を焚べ、水瓶から汲んだ水をポットへと入れて火にかける。火力を調整してやれば、お湯に変わるのはあっと言う間だ。

「どうだったのだ?」

 沈黙に耐えきれなかったのか、椅子から立ち上がり伸びをしたエレーヌが、キッチンへと立ったリュカに近寄りながら言う。

「ベランジェですか?……いつも通り、元気そうでした。大分、人間らしくなってました」
「そうか。カズマの影響だろうか」

 リュカのすぐ後ろに立ちながら、エレーヌは手持ち無沙汰にその手元を覗き込む。入れようと準備してある紅茶の包みを確認してからそっと戻したりして、エレーヌはいつもよりそわそわと落ち着かない様子だった。
 一体どうしたのだろうか、なんてリュカが思っていると。そこでようやく、リュカはベランジェから手紙を預かった事を思い出した。

「エレーヌ、そういえば貴方宛に手紙を預かっています」

 言いながらすぐ正面にある外套の方へと移動して、その懐のポケットから手紙を取り出す。すぐにキッチンへと戻り、リュカは封筒に入れられているその手紙をエレーヌへと差し出した。

「私にか?」

 驚いたような不思議そうな顔をしながら、エレーヌは差し出された手紙をおずおずと手に取る。

「ええ。ベランジェが、貴方に渡して欲しいと」
「一体、何だって私に……」
「私も、彼が手紙なんて出すのを初めて目にしました」
「……あの手記についてか……?」

 ぼそりと独り言のように口にしながら、エレーヌはすぐ傍のダイニングへ腰掛けると、いつもの位置でリュカを正面に構えながら、手紙を開いた。
 エレーヌに背を向けたままキッチンに居るリュカからは当然、その手紙は見えない。そうしてしばらくの沈黙の後で。エレーヌはボソリと言った。

「あの野郎……」
「ーーえ?」

 聞き間違いかと思う程に、エレーヌに似つかわしく無い言葉を聞いた気がしてリュカは思わずその場で振り返った。しかしエレーヌは、目にも留まらぬ素早さで手紙を封筒へと戻しており、リュカはその紙面ですら目にする事が出来なかった。そのまま、その手紙はエレーヌの懐に大事そうに仕舞われ、リュカは内容の一切を目にすることは叶わなかった。

「何が書かれていたんです?と、言うよりもさっき、野郎とか貴方が言ったのは私の聞き間違いですか?」
「…………いや、お前は知らない方が良いだろうな」
「?」

 そこからしばらく、エレーヌから手紙について語られる事は無かった。
 そしてリュカがお茶の準備を終えてテーブルに着き、しばらく話をしたところでようやく、エレーヌから話を振られる事になった。

「ーー先日、言ってた事だが」
「先日?」
「ああ。……ひとつ、お前が何でも願いを聞くと言ったものだ」
「ああ……、あれですか。貴方の事ですから、意地でも要求されないかと……、思っていたのですが……」
「気が変わった」
「そちらの、手紙で?」
「…………そうかもしれん」
「はあ……、では、何をご希望で?」

 そう言って手にカップを2つ持ったリュカは、それをエレーヌの目の前と、己の指定席へと置いてダイニングの席へと座る。一体何を要求されるのだろうかと、多少ワクワクしながらエレーヌの行動を待つ。この、意地で出来た堅物が、リュカにお願いをするなんて、と。
 そしてエレーヌはといえば、目の前に置かれたカップに一度、手をつけた後で立ち上がった。一体、何だろうと思う間も無く、エレーヌがリュカのすぐ背後に立ったかと思うと。不意に、目の前が真っ暗になった。

「は?」
「少し、このままでいろ」

 後頭部で、その真っ暗になった原因であるらしい布地が結ばれるのを感じながら、リュカは不意打ちに何故だか少しだけ不安になる。一体、何をするつもりか。何かのサプライズなのだろうか。
 目元を覆うその何かに手を触れながら、リュカはエレーヌの行動を待った。
 真っ暗な視界の中でも、音や気配等がやけに敏感に拾える。衣服の擦れる音、食器の鳴る音、二人分の息遣い、人のーーエレーヌの動く気配。それらの一挙一動に集中しながら、リュカは待った。

 それでもしばらく、中々次の行動に移らないエレーヌに、リュカは焦れる。

「あの、エレーヌ?」
「ーー何だ」
「一体、何のつもりで、こんな……」
「……そうだな。少しばかり趣向を変えようと思ってな」
「は?」
「……ベランジェは余程の手練れだな」
「へ?」
「つまりは相当な変態だ」
「…………」
「それで?お前、どこまでされた?」

 リュカはその瞬間、絶句した。手紙か。あの手紙のせいか。ベランジェは一体、あの手紙でどこまで何を喋ったのか。ヒヤリと背中を寒いものが駆け巡った気がした。
 そのまま、耳元にエレーヌの顔が近付けられたのが気配で分かる。この時どうしてだか、リュカは身動ぐ事すら憚られた。ボソリと耳元で言葉をかけられ、微かに身体が震えた。

「何回だ?」
「ッーー、」
「人を慰めるのにはそうするのが正解だと思っていたらしいな。ーーあの男は、無駄に容姿は好いものな」
「いえ、あの……それは……、」
「知らなかったぞ?家族のようなものだと言ったのはお前だからな?」
「ええと……、」
「まさか、リュカ=ベルジュがそこまで受容れる事に慣れていたなど」
「…………」
「知らなかったぞ?」

 あのエレーヌが、静かに怒っている。
 それを肌で感じてしまって、リュカはどうしてだか別の意味でどきどきしてしまっていた。
 まるでそんな気等ないはずなのに、自分の所為では無いはずなのに、浮気がバレた彼氏のような気分で。リュカはエレーヌのすぐ傍で、だらだらと冷や汗を垂らしていた。

「ご、めんなさい……黙っていて……」

 もう、リュカはそれしか言えなかった。下手に言い訳をすれば、それはそれで怪しく見える。だから大人しく、しおらしく、謝るのだ。
 どうにかして、エレーヌの怒りを収めたかった。エレーヌの本気の怒りには敵わないと、リュカは今迄散々、思い知らされているのだから。
 素直に謝って、怒りの矛先を収めるのを待つ。それが一番、平和だと思った。
 だからこそ、リュカは驚愕する。

「そうか。ーーなら、教えろ。全部」
「はッ!?」

 リュカは思わず声を上げるが、視界を塞がれ体勢も中途半端で、準備万端たるエレーヌに反抗出来るはずも無かった。
 思わず声を上げたリュカの背後から、エレーヌは素早くリュカの両腕を縛り上げた。もしかしたら、何かの道具でも使ったのかもしれない。
 内心では、この変態共が!だの、このムッツリが!だのととてもとてもエレーヌを罵倒しながら、口では何とか宥めようとリュカは奮闘している。

「ちょ、エレーヌッ、あの、まって!」
「何がだ?」
「何がってーーッ!」
「仕置きだ」

 エレーヌは一向に行動を止めない。リュカの首をするりと撫で上げながら、耳元でボソリと呟くのだ。途端、リュカの背筋がぞわぞわとしてぶるりと震えた。
 そして、そんなリュカの様子をエレーヌはきっとニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら観察しているのだ。趣味が悪い、とリュカは思う。思うが勿論口には出さない。流石のリュカでも、こんな状況で火に油を注ぐような真似はしない。

「ッ私が悪いんですか!?」
「黙っていたろうが」
「ーーそ、それは」
「素直に言っておけば良かろうに」
「……だって」
「だっても何もない。私が信じられんのか」
「……そういう訳ではなくて」
「じゃあ何だ?」
「だって……そんなの、……忘れたいじゃないですかーー。せっかく、一緒に居られるのに」

 その途端、エレーヌはピタリと動きを止める。リュカはただ、思っていた事を言っただけ。けれどもそれは、どうやら成功だったらしい。ようやく止まったエレーヌの動きに、リュカは少しだけホッとする。

「あの……、エレーヌ?これ、外してくれません?」
「…………」

 動きを止めたエレーヌにリュカはすかさず要求する。少しばかり甘い言葉をかけて、怒れる男を籠絡する為に。

「私も貴方を抱きーー」
「……駄目だ」
「へ」

 しかし、エレーヌは容易く誤魔化されてはくれなかった。

「お前、言っただろう?願いを“何でも”聞くと。使わせてもらおう」

 リュカは愕然とした。
 まさか、こんなにもこの男が、古い魔術師の家系の真面目そうなこの男が、こんなにも普通の下世話な人間だったとはーー。
 たちまち背後からエレーヌにガッチリと抱き寄せられてしまって、リュカは椅子に共に座らされる。丁度、椅子を跨いだ状態のエレーヌの股の間に挟まれるような体勢だ。
 そのまま腕の使えない、そして逃げる事もできないリュカは、エレーヌに好き勝手に弄られた。



「う、んんーーッ!」
「駄目だ、噛み締めると血が出る」

 背後から手を回され、身体のあちこちを弄られ煽られている。時折耳元で嫌らしく囁かれるものだから、たまったものでは無い。五感のひとつを塞がれただけで、それ以外がこんなにも鋭くなるなんて。声にも、その暖かな手にもいつも以上に反応しながら、リュカは悶えた。
 無理矢理に口の中に指を捩じ込まれて、口を閉じる事が出来ない。呑み込みきれない唾液が、だらだらと口端から零れ落ちた。ぐちぐちと乱れ切った服の下から聞こえて来る水音と、させられているだろう格好と、体位と、それら全てに余計に背徳感を覚える。

「ふっ、うーーッ、」

 服も乱されて、上半身などはほとんど肩に引っかかっているだけでほとんど露出しているし、下肢だってリュカの性器はエレーヌの手の中にある。次に何をされるか見えないだけで、些細な刺激が強烈な快感になってしまって。
 こんな状況が少しだけ悔しくて眉間に皺が寄るも、リュカにはどうしたって逃げ道は無い。自分の首を自分で締めてしまった、こんなバカらしい状況にもう涙しか出なかった。

「ううッ、ん」
「何を考えている?ちゃんと、思い出しているのか?」
「ううぅーーッ!」
「全部言うまでやめんぞ」

 そんな、意地悪だとしか思えない事を言ってくるエレーヌを睨み上げたい気分のリュカだったが、布地で塞がれた視界の中、当然そんな事が出来る筈もない。

「まぁ、それなら余裕の無くなるまで追い詰めるだけだがーー」
「は、ああ、イッ……イ、ーーんんッ!」

 そうしてエレーヌは途端、リュカの性器を擦る手の動きを早めた。ぐちゅぐちゅぐちゅと派手な音を立てながら激しくもエレーヌに追い上げられて、リュカは呆気なく果てた。強すぎる快楽の解放に全身が震え、口から零れ落ちる唾液もそのままに背が仰反る。はぁはぁと荒く熱い息を吐き出しながら、心地好い絶頂の余韻に、何もかも忘れてしばらく浸る。
 いつもよりもあっという間に昇りつめてしまった事にも気が付かず、リュカは身体を後ろに預けて息を整えた。一体なぜこんな目に遭わされているのか、それを考えるのすら面倒になってしまって、リュカはただ浸った。けれども、これを仕置きだと称するこの男が、これだけで終わる筈も無かった。

「早いな。ーーこんなので絶頂していては、身が持たないぞ……?」
「ッーー、はっ……」

 相変わらず耳元でボソボソと言葉を零しながら、エレーヌはその手を動かす。
 右手はリュカの口の中にある。ふとすると噛み締めようとするその口に入り込み、顎上や歯列をするすると撫でている。特に奥の方を擦られると、普段触れる事の少ないところを刺激されてリュカの背筋が震えた。ほんの少しの刺激が、たちまち快楽に変化してしまう。
 左手は、吐き出された精やら先走りやらを拭い取って、未だ震えている性器を優しく撫でつけていた。けれどもその内、その手は更に奥の窄まりに辿り着き。ゆっくりとそこを拡げるように、一本、また一本と挿入されていった。敏感な口の中を擦っている手の方と相まって、リュカは堪らず後ろを締め付けながら声を上げてしまう。あちこちを刺激されてもう、全身が快楽を拾っていた。

「は、あ、あああッーー!」
「期待していたのか?易々と呑み込んだな」

 上の口の中も、下のクチも同時に攻め立てられて、リュカは大きく震えた。目は見えないし感覚は敏感になるし、腕も自由にならない。時折イイところに指が掠めて快感に酔いそうになるし、おまけに耳元で嫌らしい声で煽られて羞恥に己の顔が赤くなっていくのが分かる。

「……慣れれば、後ろだけで絶頂する事が出来るらしいな。ーーリュカも、やってみるか?」

 おまけにそんな意地悪な事まで言われてしまって、リュカは与えられる快感に段々と訳が分からなくなって来る。一体、何だって自分ばっかりこんなに攻め立てられなければならないのかと。半分くらいは自分の所為ではないのに。そう思えば、無意識に涙が溢れ出てきた。
 布地の上からでも分かるほど、次々と涙が出てきて視界を塞ぐ布を濡らしていく。すると、流石に面食らったのか、一瞬、エレーヌの動きが止まった。

「ぅ……ふぅっ、」
「流石にもう、引っ掛かりはせんぞ……泣いたって、お前……」

 エレーヌがそこで動揺したのかどうなのか。リュカには本当のところはどうだか分からなかったが、このまま我に返ってこの行為自体を辞めてはくれまいかと。リュカは心の底から願ったのだった。けれども現実は、そうそう上手くはいかないもので。

「騙されないからな」
「ひっ」

 一瞬止まっていたその手は、すぐに動きを再開するとリュカのイイ所を中心に、更にしつこく動き出したのだった。

「ん、ん、んんッ、ふぁあーーッ!」

 相変わらず敏感に快感を拾ってしまい、リュカは背後からエレーヌに抱き込まれながらビクビクと震わす。前立腺ばかりを狙って捏ねくり回すよう動かされ、意図せずに身体が跳ねた。
 時折首筋にかかるエレーヌの吐息が心なしか荒くなっている気がして、リュカは何故だかそれに一層煽られた。自分の痴態でこの男が興奮している事に、どうしてだか自分も興奮した。頭がバカになりそうな程、リュカはすっかりこの雰囲気に酔ってしまっていた。

「後ろが、イイのか?前は触ってないぞ。後ろだけで、感じているのか?」
「ふっ、あ、んんんーッ!」
「ーーお前、やはり、いい具合に後ろだけでイけるのではないか?慣れているようだしな。リュカ」
「ッ、は、はッ、ん、ああッ!」

 名前を呼ばれながら問われて、リュカはすかさずブルブルと首を横に振る。けれどエレーヌは、そんなリュカの様子が可笑しかったのか、機嫌の良さそうな声音で言葉を続けるだけだった。

「嘘吐け。お前、ココ好きだろう?」
「ンンッ、う、ーーッ!」

 言われながら強く前立腺を押し潰される。すると、リュカは余りの快感に仰反る。ビクビクと制御できない震えに頭が更にバカになる。

「そう意固地になるな。時に素直になる事も大事だぞ」

 何度も同じ事を言われてリュカが否定する。けれどもエレーヌはそれを優しい声で否定して、更に左手でイイ所ばかりを捏ねくり回してくる。
 それが何度か続けられると、エレーヌの言う通り、リュカは本当にナカで感じてイッてしまうのではないかという錯覚をするようになってしまう。
 そうなってしまってもう、リュカは何に興奮しているのか、どうしてこんなにも感じているのか、訳が分からなくなってしまった。
 耳を犯してくる言葉と、ナカへの刺激のそれだけでリュカはどうしてだか、存分に高められてしまう。自分で、後ろを締め付けてしまっているのが分かる。閉じられない口からも、触れられていない性器からも、だらだと体液を垂れ流してただ訳も分からず喘ぐ。
 自分でも何を言っているのか、リュカは何も分からないままに言葉を溢した。もう、何も考える事などできなかった。

「あ、あ、ヤら、は、ううッ!」
「ん、イきそうか?ーーなら折角だ、このまま後ろだけでイってしまえ」
「は、ッ、あ、あっ、あえら、そこはーーッ」
「何も、怖くないだろう?ただ快楽を追っているだけだ。絶頂するのは当然だ。……だからとっとと、イってしまえ」
「ッう」

 そう、言い終わるや否や。エレーヌは殊更激しくナカを攻め立ててきて、そうして耐え切れずにリュカは。

「ヒッ、あっ、ああ、ッんんんーーッ!」

 本当に後ろの刺激だけで、絶頂を迎えてしまった。ビクビクと、後ろも前も震えて身体が言う事を聞かない。腹の中がまるで性器になってしまったかのようで、鋭く長い快感に身悶えた。
 そしてその長い余韻に震えながら。リュカは自分を支えるその腕の中で、くたりと弛緩する。
 すると今度は、背後のエレーヌがリュカをぐいと抱き寄せてきて、そのままリュカの頬に唇を当ててきたのが分かった。見えない中でも何をされたのかは感覚で理解出来て、リュカはほとんど無意識に、振り返るような体勢でその顔に自分の頬を擦り寄せた。甘えるように、エレーヌの温もりを欲したのだ。
 そんなリュカの咄嗟の行動について行けなかったのか、口の中を掻き回していたエレーヌの指が、ひっそりと抜け出てしまう。けれども今は、そんな事は些細な事で、リュカはただ、エレーヌにくっ付いていたかったのだ。
 人の温もりがこんなにも心地好いと感じられるのは、リュカにとっては初めての事なのだ。だから無意識に、身体を寄せた。今がどんな状況かも忘れてしまったように、ただ、その温もりを欲していた。

「お、前ーーッ」

 背後から、何かを耐えるようなエレーヌの声が聞こえる。けれどもリュカはそれを無視して、今度は感覚だけを頼りにそのエレーヌの頬に、口付けた。それは何とも可愛らしいもので、微かなリップ音と共に離れると、リュカは再びエレーヌに、自分の頬を擦り寄せたのだった。

 それが、我慢に我慢を重ねているエレーヌを煽りに煽って、この後どんな目に合わされるかなんて想像もせずに。

 それからすぐ、エレーヌはリュカの後ろを掻き回していた手を抜き取った。突然の事に微かに震えたリュカだったが、その後すぐ、下服を全部取り払われ右脚を持ち上げられて身体を微かに浮かされて、尻の奥まったところに熱いものが触れる。たったのそれだけで、リュカは期待してしまった。ヒクリとナカがうねるのが自分でも分かってしまって、リュカは興奮と期待と羞恥に、自然と息を呑んだ。

「は、あああああーーッ!」
「ッ」
「あ、ああっ、深ッぃ……」

 一気に奥の方まで挿入ってきたそれの衝撃に身悶える。けれど、それを突き入れてきたエレーヌの方には待つだけの余裕が無かったらしい。直ぐに律動が開始された。
 いつもとまるで違う体位と状況に、リュカは身悶え喘いだ。縛られて浮かされ、身体の自由が効かない。快感を逃す手段もない。ただただ、与えられる突き上げとどうしようもない快楽に、リュカはあられもない声を上げる。

「いうぅッ、あ、駄目、ンンッ、無理、いぃッ!」
「何が、駄目なものか……気持ち良さそう、じゃないか」
「あ、うぅッ、だ、って、いつも、より気持ちーーッ」

 いつもよりも切羽詰まったエレーヌの声を耳元で聞かされて、リュカはぶるりと身体を震わせた。その声が更に、リュカを追い立てる。こんな自分に興奮して、こんにもいやらしい事をしてくるエレーヌにも、それをいっそ喜んで受け入れてよがっている自分にも、興奮する。

「ッ……、そんな、煽ってお前ーー、」
「だ、ってッ、ンンッ」

 最早自分でも何を言っているのか分からずにただ、喘いだ。
 そうして、しばらく揺すられて噛み付くように口付けられて奥を抉られてとうとう。

「あ、ああッ、はっ、ん、イッちゃ、」
「ーーッ、私も、そろそろだな。これで、終わるとは思うなよ?」
「う、んあああああッーー!」
「ッーーくッ!」

 リュカは後ろを締め付けてながら背筋を震わせて、声を上げながら絶頂した。それに倣うように、エレーヌの方もリュカのナカで果てた。奥へ奥へ精を何度も吐き出すようにして突き上げながら。
 リュカの性器はまた、触れられていない。後ろの刺激だけでリュカは再び、イッてしまったのだ。

「は、はッ……」

 今まで感じた事の無い程の快感とその長い余韻に、荒い息を整えるように息を吐く。未だヒクヒクと締め付けてしまう腹の中がいやらしい。
 激しい絶頂に、最早かけらも動ける気のしなかったリュカは、再びくたりと弛緩した。

 けれどもそんな、息も絶え絶えなリュカに対して、エレーヌは容赦が無かった。

「……これで、まずは一つか?他にも、あるだろう?ーーまだまだ夜は長い」

 ぼんやりとする頭でも、エレーヌがとんでもない事を考えているだろう事が分かって、リュカはひぇ、と内心で悲鳴を上げる。けれども逆に、それをどこか悦んでいる自分もいて、リュカは何とも不可解な自分の内心を不思議に思う。けれどもこんなエレーヌもまぁ、偶にはいいか、だなんてリュカは甘っちょろくも思ってしまう。

 絆されている自覚はあった。あんなぐずぐずになっていた自分を、エレーヌも、そしてラウルも見捨てずにちゃんと引っ張り上げてくれた。だからこの先きっと何があっても、彼らは多分、見捨てないでいてくれる。それが今、リュカがきちんと生きられているその理由だから。



「でも、それとこれとは別です」
「ん?」

 結局それから。
 エレーヌは本当にベランジェにされた事を事細かに聞き、リュカが泣きながら全部暴露するまで解放されなかったのだ。その、あんまりにもなエレーヌの所業に当然、リュカは不機嫌になった。

「鬼畜。変態」
「そ、んな風に言うなっ!お前だって悪い」
「それは……そうですけど、それにしたってやり過ぎです。動けないんですけど。縛った跡だって、これ残ったらどうしてくれるんです」

 寝室のベッドにうつ伏せになりながら恨みがましくリュカがそう言えば、隣に寝転んだエレーヌも多少は狼狽える。やり過ぎた、という自覚はあるのだろう。顔を伏せて上げもしないリュカの頭を、ポンポンと優しく撫でながら声をかける。

「……別に、良かろう。私が面倒を見てやる」
「……もしかして、最初からこのつもりで……」
「さぁな。私の家から持ってきたものがある。お前のこの家にまともな食料が無いのは予想がつく」
「ッ、食べるものくらいーー」
「パンならある、とか言うまいな。それだけでなく、料理ができる材料くらい揃えてから言え」
「…………だって、そんな時間あったら読んでいたいですし、ひとりで食べても味気ないですし……」
「…………なら、私を呼べばいいだろう」
「なんで……」
「…………お前という奴は本当、」
「?」

 少しばかり関係こそ変わったけれども、いつも通り普段通り、少しでも長く彼の隣に居られる事が、リュカにとってはこの上ない幸福なのだ。例え無自覚にもそれに気付いていなかっとしても、周囲はきっとそれをリュカに気付かせてくれる。
 分からないリュカが分かるようになるまでずっと、何度でも。





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