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062.ベルナールの手記



 ここのところ感じている違和感に、エレーヌは首を傾げていた。自分という人間が昔からこうだったのかどうか、てんで分からなくなってしまったのだ。

『エレーヌは、リュカの事をどう思っているんだーー?』

 そう聞かれたのはもう数日も前の事だというのに、未だその答えは出せずにいる。自身の心が理解出来ない。


 ルーカス=ライツは昔から、エレーヌにとって目標であり、越えるべき大きな壁だった。その不名誉な伝説を除けば、彼は確かに同じ性質ーーつまり雷の属性を持つ魔術師の中で、エレーヌの知る限り最も優れた魔術師であった。
 長い長いアレクセイ王国の歴史において、炎の属性以外の大魔術師として名の知られた者は二人。一人は、ユーグ=ヴィエラという、魔術師でありながら宰相を務めた人間だ。非常に優れた魔術師であり、その上で国を支え続けた。その知名度は高く、炎の属性を持たぬ多くの者が彼を手本にその技量を研くというのは有名な話だった。

 そしてもう一人が、件のルーカス=ライツーー現在のリュカ=ベルジュであった。彼はいくつもの魔術の開発に関わった研究者であり、多くの術を編み出した。その功績の割に余り知られていないのは、彼の話にあったようないくつもの嫌疑の所為だ。大罪人にこそされなかったものの、彼は様々な容疑と不思議な逸話を残し、ある時忽然と姿を消した。
 どこぞで死んだとも、魔の者の国に引き摺り込まれただのと散々噂された挙句、彼の名前はある種タブーのように扱われた。彼が本来、ベルジュ家の者であったという事実は、今や記録にも無いどころか、誰も知らない。
 彼はまさしく、歴史に葬られた人物だった。

 エレーヌがその男に興味を示したのは必然だった。
 宮廷魔術師として様々な分野の魔術を学ぶ内、エレーヌは気付いてしまったのだ。その原案の多くに、そのルーカス=ライツという男の名前が刻まれている事に。しかもそれは、この王国で使用されている高等魔術の開発の殆どに見られた名前だった。ほんの些細な切っ掛けで知ったその名前が、二度も三度も、難解な魔術書の様々なところに刻まれている事に気付いてしまえば、その男の膨大な数の功績に辿り着くのはすぐだった。
 己の目指す高みに向かって邁進した男の軌跡を、エレーヌは辿った。そのお陰か否か、魔術に関する知識は膨大なものとなり、エレーヌは気付けば大魔術師の名をすら得ていたのだ。
 家人に比べれば、大魔術師の名にそれほど執着がある訳では無かったが、かのルーカス=ライツと同じ名を拝命したと思えば、それ程悪い気はしなかった。
 表立って言う事は出来なかったが、エレーヌは確かに、ルーカス=ライツを目指したのだ。自分と同じで誰かの目に留まり有名になるようなこともなく、しかしその力量は他の追随を許さず。技量と物量で圧倒するようなそんな魔術師に、エレーヌは焦がれたのだ。
 家名にとらわれることなく、己の信じる事にのみ邁進する姿を、エレーヌは追いかけていた。
 自分を家名の呪いから解き放ってくれる事を信じて。

 それがいつしか、間違った方向へ進んでいたのだと気付けたのは、その家名にとらわれたかの男のお陰だったーー


「エレーヌ」

 己の名前を呼ばれている事に気付いて、エレーヌはハッとする。弾かれたように顔を上げれば、そこにはここ数ヶ月で最も話を交わしただろう男が、背筋をピンと伸ばしながら立っていた。
 自分よりも大分上にある顔には、いつものように読み取りにくい表情が貼り付いている。読み取りにくいとはいえ、付き合いを続ける内にその微妙な変化すら読み取れるようになってしまったエレーヌは、その男が今、何を考えているのかが手に取るように分かった。

「何だ」
「カズマが、呼んでいる。これから数刻の内には始めるそうだ」
「相分かった。ーーいよいよだな」

 国ではかなりの浮名を流していた優男は、今や一人の人物ーーそれも男に執心している。その男に信頼され、依存される程の“黒い魔法使い”を嫉視する程には、ラウルは心奪われている。

「ああ。カズマは、何が起こっても好いように心しておけと言っていた」
「……カズマめ、今更それを言うか」
「それと、今回は手を出すな、とも」

 最早苦笑する事しか出来なかったエレーヌは、大きく溜息を吐く。それから、ぐっと腹に力を込めると腰掛けていた倒木の幹から立ち上がったのだった。エレーヌとラウルの向かう先は決まっている。最早その存在を許される事の無い、壊される運命の塔の元へと。

 ラウルの事を散々囃し立てておきながら実の所、エレーヌにもラウルの気持ちが分かってしまう。いくら先に出会っていようが、あの男と共にここまで来たのは、あくまで自分達なのだ。闇の縁ギリギリの所、辛うじて人として保って居たをあの男を引っ張り上げてきたのは、自分達なのだ。
『ーー嬉しくて。ーーーー』
 でなければ、あの他者を拒絶していた男から、あのような吐露を聞き出せるはずもなかった。
『ーー尊敬、していたのですーー』
 あの言葉を引き出したのは、紛れも無く、自分達だ。
『ずっとずっと、あなた方と共にとあの森を彷徨い続けられないかとーー』
 他の者には決して出来なかった事を、自分達はやってのけたのだと。他の、誰でも無い。カズマでもベランジェでも無い。エレーヌ達は、それを信じて疑わない。


「来たね、二人共。他にも……何か皆ついて来ちゃってるけど」

 言われてエレーヌが振り返れば、そこにはジャンとアンリ、ロベールにマティルドまで揃っている。てっきりラウルとエレーヌだけが立ち会うのかと思っていたのだが、それはただの思い違いだったようだった。

「旅の終わり位、皆で見届けたいだろう?」

 いつもの笑みで言ったアンリに、エレーヌもラウルも何とも言えない表情で顔を見合わせる。色々と疑わしい隊長達を関わらせるのは少しばかり憚られたが、ここまで来れば彼等に出来きる事は何も無いだろうと、エレーヌはいつも通りを装った。

 そして、そんな立会人は同国の人間だけではなかった。ライカ帝国の四人、カミル、ユリアン、エアハルト、ゲルベルトの姿があって、驚く事にフィリオ公国の者も一人、加えて一頭の姿が見られた。
 ライカ帝国はともかく、自国の教義を重んじるフィリオ公国の者が、ここまで異端とされる魔術師達の事に関わるとは、思ってもいなかった。
 エレーヌが思わず目を向けると、不意に相手と目が合う。すると彼ーーレオデガル=バイヤールは、ゆっくりとした動作で、両手を胸元で組みながら膝を曲げて行う神殿式のお辞儀をしてみせた。それにエレーヌが深くお辞儀を返すと、彼の視線はあっという間にエレーヌから外れてしまった。
 アレクセイ王国の魔術師を、フィリオ公国の者達が認める事は決して無いだろう。しかし、レオデガルもまた、この事の結末を見届ける気なのだ。問題は解決したのだから、とっととお国へ帰れば好いものを。この場にのこのこ現れたという事はつまりそう言う事だ。
 今迄見向きもしなかっただろうに、ライカ帝国もフィリオ公国も何と現金な事だろう。

 そのどちらとも、少なからずリュカ=ベルジュが影響しているのだと思うと、エレーヌは何故だかあまり気分は良くなかった。
 彼はアレクセイ王国の者なのだ。他国がどう関わってこようとも、自分達が一番良く知っているに決まっている。他所の者などは、お呼びでは無いのだ。

 精霊王カズマの後ろで、顔を至近距離で突き合わせながら仲睦まじく何事かを話すリュカとベランジェ。それを目の端に捉えながら、エレーヌは自身を落ち着かせるように大きく息を吐き出したのだった。




* * *




 カズマの保有する膨大な魔力が、周囲一帯を覆う。そのすぐ後ろで控えているベランジェやリュカのそれをも凌駕するであろう魔力の奔流は、荒々しくも洗練されていた。死の概念すらも無い、彼にのみ許された神にも等しい力は、人間の理解など遠く及ばない。
 見た事も聞いた事もない言葉を呟きながら、精霊王たるカズマは地面に手を付き真剣な眼差しで塔を睥睨する。まるで塔が勝手に動き出す事を警戒するかのようなその鋭い視線は、それを直視しただけで人を殺せるのではないか、そう思ってしまえる程に凄まじいものだった。

 エレーヌは耐えきれず背筋を震わす。目の前で繰り広げられる理解の及ばぬその存在の恐ろしさを、改めて噛み締めていたのだ。
 自分達は何という存在と行動を共にしていたのだろう、そう思うと最早、自分の呑気さに呆れてしまう程。それと同時に、歴史に残るような大事に立ち会っている事に、エレーヌは奇妙な感慨を覚えた。
 あれ程、何をしても壊れなかった禍々しいあの塔が、目の前でボロボロと少しずつ崩れ落ちて行く。見た事も聞いた事の無い言葉を断末魔のように不快な金属音をそこら中に撒き散らしながら、少しずつ消えていく。このまま何事もなく終われるのではないか、エレーヌがそう、思い始めた時だ。
 その時、エレーヌは異変に気付く。
 

 彼の、リュカ=ベルジュの様子がおかしい。先程まで平然と立っていたはずのその男が、真っ青な顔で苦しそうに歯を食いしばっている。何事かと、自分の心臓を鷲掴まれたかのようにドキリとする。
 何分、エレーヌにも経験の無い事象であるせいで、リュカの身に何が起こっているのか分からない。混乱する頭でリュカの方を凝視しながら、エレーヌは必死で考えた。駆け寄りたくなるその衝動を抑え込み、考える。
 そしてひとつ、エレーヌの中で可能性を導き出すのと同時、隣に居たラウルが駆け出してしまった。

「っ待て!お前ではどうにもーーッ!」
「大人しくしてろやワンコロ」
「ッぐ!」

 咄嗟に引き止めようと差し出されたエレーヌの手をすり抜け、ラウルが数歩も行かぬ内に。その身体は、目にも止まらぬ速さで地面に叩き付けられた。衝撃に耐え切れなかったラウルの呻き声が漏れ、地面が微かに凹む。
 獣人の血を引くラウル相手に、軽々とこのような事が出来る者は限られている。それをやってのけた男は、いつもの薄情そうな顔で、口端をニヒルに引き上げながら嫌味たらしく言った。

「お前程度の者が出る幕じゃあない。僕にも劣るお前には何も出来ないんだから大人しくしろよクソイヌ。……まぁ、僕も今回は役に立たないってだけなんだけども」

 そう、少しばかり拗ねたようにノーマは言った。ラウルの頭を素手で抑え込み、その身体の上に腰掛けている所を除けば、子供の八つ当たりのようだとエレーヌは思った。

「ッ、リュカに、一体何が起こって……?」
「うん?……ああ、あれね。ベランジェ居るから大丈夫っしょ」
「ぐぅ……」

 苦しそうに言ったラウルに、ノーマは全く答える気が無いらしい。ノーマもまた、ベランジェを信頼しているが故の言葉なのだろうが、ラウルにとっては不親切極まりない。
 ラウルの堪え性の無さは確かに問題ではあるのだが、その素直さに救われる者も確かに存在する訳で。流石にそれを不憫に思ったエレーヌは、代わりに己の推測を話してやる。

「切り捨てられた脚も、リュカ=ベルジュの肉体の一部だ。アレも魂の一部と考えると、切り分けられた魂の一部が、この塔と共に消滅する事になる。……あの苦しみ様がそうだとするならば、我々にはどうにも出来ん」
「ケッ、魔術屋が一丁前に……」
「……それに、今はカズマが力を使っている。下手にあの近くへ寄れば、気が触れるか、身体に障るだろう。あの域に到達した者でなければ、あの場には居る事すら叶わん。その男の言うように、大人しくしていろ、ラウル」

 エレーヌがそう、淡々と声を絞り出せば納得したのか、ラウルから漏れる声も、もがき地面を削るような音無くなる。その場に聞こえる声はもう、無い。
 張られた結界の向こう側で、リュカが苦しむその声すら聞こえて来る事はない。彼等はただ、見ている事しか出来なかった。ベランジェのように傍に寄り添い、その苦しみを和らげる事も出来ない。

「私もだよ。私も、今は何も出来んよ」

 彼等は等しく無力感に苛まれながら、ただ見守る事しか出来なかった。
 戦う力を持たぬ者達が戦へ出た大切な者達の帰りを待つその辛さが、今ならば分かる。共に戦ってきた自分達がこうであるのだから、この男を本当の家族だと信じて疑わなかった家人達が、どれ程心を痛めてきた事か。きっと、戦う者達よりも辛い気分を味わっていたに違いない。それを、この男は分かっているのだろうか。

 エレーヌはそのような事を考えながら、早く終わってしまえと、この時ばかりは只ひたすらに祈るのだった。




 儀式のようなそれが終わり、カズマによる強固な結界が解除された途端、リュカ=ベルジュは崩れ落ちるようにその場に蹲った。息も荒く、全力疾走した直後のようなその様は、魂を削られる事の辛さを表しているようで筆舌に尽くし難い。
 慌てて駆け寄ったノーマやラウル達の目の前で、顔を見せないその背中を、ベランジェが撫でながら耳元でそっと言った。

『よく、耐えた。このまま眠ってしまうと好い、ルカ』

 口から発せられているものではないのだから、耳元へ顔を寄せる必要はない。それでもそうするのはきっと、二人だけが分かる合図なのだろう。エレーヌは、何かが胸にチクリと刺さるのを自覚した。
 そしてリュカは、その声を聞いた途端。蹲ったその体勢のまま、その場で静かに身体から力を抜いた。穏やか過ぎて寝息すら聞こえては来ないが、きっと、本当に眠ってしまったのだろう。まさに、鶴の一声だ。
 先程からそのような様を見せつけられて、心がざわざわとして落ち着かない。エレーヌはそんな気分を落ち着けるように深呼吸をしてから、少しだけ目を瞑った。どうにかして、騒がしい心を落ち着かせたかった。

 エレーヌは考える。
 何故だかは分からないけれどーー否、分かってはいるのだけれど、認められずにズルズルときてしまっている自分の心にエレーヌは翻弄されている。けれど最早、それが誤魔化しの効かない所まで来てしまっている。認めたらどうなるのか。怖くて踏み出せなかった一歩を踏み出してしまったら、自分は一体どうなってしまうのか。
 だが、エレーヌはもう、耐え切れそうになかった。他所に取られてしまう位ならば、何が何でも自分のものにしてしまいたい。手元に置いておきたい。他所に目を向けないように、自分だけを見ていてほしい。自分の事だけを考えていて欲しい。そう、素直に自覚してしまうと、その考えはストンと自然に心に収まってしまった。

 エレーヌはゆっくりと目を開けながら、眠ってしまっている目の前のリュカを見て、そしてその心の中で呟く。成る程、これが恋というものなのかと。自分には激しく似つかわしくない可愛らしい言葉。けれど、この身の内に巣食うこのドロドロとしたこの独占欲は、恋というには余りにも醜く見えて。しかし成る程、偏屈な自分には似合いな感情だと笑えてくる。
 自覚すれば何と単純で、そして幼稚な心かと。エレーヌは溜息を吐き出しながら、これからどうしたら良いだろうかと、困り果てて途方に暮れる。

 だが、その後すぐ、再び頭に響くようなその声がした。

『カズマ、疲れたか?』
「少しだけね。久々にこんな術使った」

 リュカのすぐ傍に座り込みながら、ベランジェはカズマに声をかけていた。呆然と立ち竦む人々を置いて、呑気な口調で彼は問う。

『休もう。ルカもカズマも』
「そうだね。……ベランジェ、約束覚えてる?」
『…………ああ』
「よし。じゃあ君は僕と行く、しばらくは俺等と過ごしてもらう」
『……ルカは、コイツらと行く。………私よりも頼りにならないのに……』
「!」

 突然告げられたその男の本心らしき言葉に、エレーヌ達は皆呆然とする。ようやく自分達について男が口を開いたかと思えば、何たる暴言。エレーヌですら、開いた口が塞がらなかった。

「そう言う事言わない!なに喧嘩売ってんの!?」
『だって……』
「だってじゃない!」
『ルカを捨てたのは向こうだ。なのに今更、預けるなんて……』

 再度、エレーヌ達は別の意味で息を呑んだ。この男は自分ではない、リュカの事を思ってそう言ったのだ。その言葉には何の飾り気もない、ベランジェの本心。それだけは、すぐに分かった。

「ベランジェ、だから彼等は、あの時とは違う人間達だ。君を閉じ込めた者達でも、ルーカスを陥れたそれらとも違う」
『信用ならない。人間なんて皆同じだ』
「それは、君の見てきた者達だ。君達は果てしなく運が悪かった。味方も居なかった。そう思ってしまうのも当然だけれど、もう、そんな事は二度と起こり得ない。今俺が、人間の武器をひとつ取り上げてしまった。もう、そんなのは決してさせない。だからベランジェ、もうそんな事は言わないで」
『…………ルカに何かあったら、私が全部壊す』
「ッ……うん、分かったよ、今はそれでいいから」
『カズマ、邪魔はするな』
「うん。俺は、邪魔しないよ」

 何処までも真っ直ぐなその男、ベランジェは、まるで純粋無垢な少年のよう。何処までも純粋で単純で、一片も偽りがない。だからこそ男は、人間でありながら神にも匹敵する力を得たのだろう。
 そう思うと、エレーヌは自分の中でもやもやとしていた何かがひとつ、コロリと抜け落ちたような気がした。

 そしてエレーヌはその時、何故だかそうしなければならないような気がして。ベランジェの目の前に躍り出ると、その場で膝立ちをしながら同じように座り込んだ。カズマから、その他の者達から、驚くような音が聞こえた気がした。

「ベランジェ殿」
『魔術師』
「エレーヌという」
『何だ』

 男を目の前にしただけで分かる、その魔力に圧倒されながらも、エレーヌは穏やかな気持ちで言葉を続けた。胸のつかえが取れたように、スッキリとした気分だった。

「ひとつ、お話しておきたい事が」
『…………』
「私が以前読んだ手記の中に、興味深い話があった。とある男の記録だ。その男は宮廷魔術師だったそうだが……彼には子供の頃、秘密の友人がいたらしい」
『!』
「実際には、その友人とは男の父方の親戚だったらしいが、誰もが、絶対に近付くなと言付ける程、彼は特異な子供だったそうだ。子供にして膨大な魔力を持ち、魔人だ悪魔だのと忌み嫌われ、小さな頃から、森の中の小さな小屋に閉じ込められていたという。だが、男はそれと知っていても、その友人に会いに行くのをやめなかったそうだ」
『…………ベルナール』
「その通り。ベルナール=ベルジュ、初代の記録だ。城の奥深く、禁書のひとつとして収められていた所蔵だ」
「!?」

 ベランジェからだけではなく、その場に居る者達からも驚きの声が上がる。しかしエレーヌは、止める事なく続ける。
 その時エレーヌには、ベランジェの表情が少しだけ崩れたように見えた。

「ベルナールは何年も友人とは密かに会っていたのだが、ある時、それがベルナールの父親に知られてしまった。ベルナールはしばらく軟禁され、そしてその間に、その子は何処かへと連れて行かれてしまった。何処を探しても彼は見つからず、誰も居所を教えてくれない。それでも密かに十数年間、彼は探し続けたが、ある時、ベルナールはパッタリとそれを止めてしまう。それからは随分、大人しく静かに過ごしたという。
 ……そして時が立ち、彼が子供を持ち、家の名代として家長になった時。彼は家名をベルジュへと変更したのだ。周囲の反対を押し切って、一族で最も力のあり、最も優秀な魔術師の名前から取ったとそう言って聞かずに。それに少なからず賛同する勢力もあったというのも伝わっている」
『ッそれを、信ずる証拠は……?』

 そう聞いた声は震えていたように思う。固まったように動かなかったベランジェの無表情が、この時ばかりは崩れた。ベランジェは、眉根を寄せ、口許を震わす。

「『力及ばずとも一矢報いれば良し』その言葉と共に、手記には呪いが掛けられていた。破壊しようとすれば、それが己に跳ね返る呪いだ。私も当初は、このような伝記になぜここまで強力なものが掛けられているのかと思っていたが……全ては、国に一矢報いる為、国に対する怨嗟の念だったようだ。彼には貴殿を救えないと、気付いてしまったのだろう。だからこうして、一生消えない呪いとして後世に遺した」
『……一矢報いれば良し、さもなくば呪え……』
「そうして、貴殿の名は、別の形として国で口々に語られるようになった。国は、徹底的にこの事実を隠したかったようだが……そうでない人間も、この世にはいる事は、知っておくべきだろう」
『ベルナール……』
「それと、同じだ。私達は国には屈しない。迎合するだけの人間ではない。ベランジェ殿」

 ベランジェはそこで耐え切れなくなったのか、いつかのリュカがそうしたように両手で顔を覆い、静かに震えながら俯いた。長い髪がその顔を覆い、表情は全く見えない。彼は泣いているのかもしれない。
 もしそうなら、自分は他人を泣かせる天才なのかもしれないなぁと、そんな場違いな事をぼんやりと思いながら、エレーヌはゆっくりと先を続けた。まるで小さな子供に言い聞かせるように、自分でも信じられない程、柔らかい声音だった。

「私はエレーヌ=デュカスだ。あの国の、同じ宮廷大魔術師として、納得してはくれまいか?心配ならばいつでも国へ来れば好い。貴殿を拒む者は、もう居ない」

 そのまましばらく、エレーヌは彼の応えを待った。
 普段の彼の性格からすれば、まるで信じられない程、じっくりと待った。
 この役目は誰でもない、大魔術師のエレーヌ=デュカスだからこそ出来たことだと思えば、待つ事も苦痛ではない。他の誰でもない、リュカ=ベルジュを、何の憂いも無く彼の騎士(ナイト)たるベランジェから引き離す為ならば、これくらい安いものだと、エレーヌにはそう思えたのだ。


『……分かった』

 それから数分程して。ベランジェが再び、エレーヌに向かって口を開いた。ゆっくりと顔を上げながら、ベランジェはエレーヌをジットリと睨め付ける。途端、背筋が凍るような感覚を味わうも、それはほんの一瞬の事だった。

『エレーヌ=デュカスに、預ける。何かあったら、お前を消す』
「ベランジェ!」
『チッ……何かあったら、覚えておけ』

 途端、カズマのお叱りを受けたベランジェが、口を尖らせながらエレーヌから自然を外す。まるで子供が拗ねたような態度で、エレーヌは脱力すると同時に笑ってしまった。
 何と素直な男だろうか。この男も、かつてのリュカ=ベルジュと同じで、ただ人が信用出来なかっただけなのだ。

「恩に着る」
『いや……こちらこそ、好いものを聞かせてもらった……』
「伝記は未だ書庫に保管されている。貴殿が好ければ、持って行って構わないと思うが……」
『好い、のか……?』
「国は、誰にも読ませるつもりなどなかったろう。私が偶然、封印を破ってしまってな……どうせ、これからも誰にも読まれる事の無いものだ。ならば、貴殿が持つにこそ相応しい。その位、許されるだろう」
『あり、がとう……』
「……いや、礼などはいらん。私も、今回色々知れてスッキリした所だ」

 そう、自然に彼と話をしながら、エレーヌは未だ眠りの中にあるリュカをしばし眺める。ベランジェの膝下へ寄りかかるように眠る男は、心底安らいだような顔をしている。
 そのような顔を自分達がさせる事が出来るだろうか、いや、させてみせると、エレーヌは何事かを決心しながら再びベランジェとの話に興じるのだった。

 エレーヌに必要なのは情報だ。知りたい事をすべて知り、目的の為ならば何でもする。虎視眈々と狙いを定め、囲み、追い詰める為に。この場にこそ、材料は全て揃っているのだから。





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