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060.あなたはだあれ



 リュカは夢うつつに微睡んでいた。
 そこはとても居心地の好いところで、辛い事も苦しみも何もかも忘れて、何も知らず笑っていれば良かったあの頃の夢を見、繰り返し繰り返し彷徨っていた。

 リュカは齢3歳程で、弟のテオドールなどは産まれたばかり。兄になるのだからしっかり弟の面倒を見るのよ、そう言って優しく頭を撫でる美しい母の言葉に、リュカは何度も首を縦に振って応えたのだ。
 まだ言葉も碌に喋れない弟が、一生懸命に立ち、歩き、リュカの元へ笑顔でやって来る。リュカはそれが嬉しくて嬉しくて、満面の笑みを浮かべて弟を抱き締めるのだ。そんな事を毎日飽きもせずに何度も繰り返し、リュカはその時に一番の幸福感を得ていた。

 ただ、今思うとはっきりとリュカにも判る事がある。その頃から、彼らの両親はリュカの先を憂いていた。それは間違いなかった。時折、何処か切なそうな表情を浮かべて二人が寄り添っていた事を、リュカは記憶の片隅に覚えている。
 それは、一家を除いた他の者達から浴びせられるであろう彼に対する仕打ちを予想しての事か、それとも古い魔術師の家系に於ける彼の行く末を心配しての事なのか、リュカには判らない。
 しかし、彼ら家族から向けられていたリュカに対する愛情は、確かに本物であったとそう、リュカは願うばかりだ。

 それから何度も何度も、その頃の夢をリュカは見た。その記憶から離れたくないという思いもあったかもしれない。その頃でずっとずっと過ごしていたい、という願望もあったかもしれない。それでもやはり、いつかは現実に帰らなければならない時がくると分かっていた。だから何度も何度も、終わらない毎日を夢想するのだ。



 そして夢の終わりはいつだって突然、やってくる。
 リュカはそっと目を開けて、目の前の毛並みをジッと見つめた。彼のシルバーグレーに混じり、己の薄汚れた金色が紛れこんいる。
 それがまるで、普通の人生を生きる彼等に自分という穢れた異物が纏わり付いているかのように見えてしまって、リュカは何だかとても遣る瀬無い気分になる。自分も、ごく普通の何でもない魔術師になりたかった。家名など、求めなければ良かった。そんな、今更考えてもどうしようも無い事を、リュカはしみじみと思った。

 そうやって気が済むまで考えた後で。リュカはようやく、ゆっくりとうつ伏せの状態から身体を起こしたのだった。一度しゃがみ込むような体勢になり、バランスを取る。左脚に付けられた義足の動きを魔力で調整しながら、リュカはその場でゆっくりと、立ち上がったのだった。
 途端、あちこちから息を呑むような声が聞こえて来る。リュカはそれに気を取られる事もなく、その場をぐるりと見回した。

 一度目覚めた時にも分かってはいたのだが、いつの間にかリュカ達は、あの塔から程近い黒い森へと、再び戻って来ていたのだった。
 聳え立つ塔の姿を見付けてから、リュカはそれを見上げる。相変わらず、黒々とした負の魔力とでも言うようなそれが纏わりついていて、相変わらず気味が悪い。
 その塔ももう、時期破壊される。それが待ち遠しいような、残念なような、リュカは不思議な気分だった。

「起きたか」

 不意に足元から声がした。もちろん、それは狼となっていたラウルのものだ。リュカがそちらに顔を向けた時には、ラウルは既に人の姿へと変化し、リュカの目の前で立ち上がる所だった。

「ベランジェは?」

 開口一番でそのように言ったリュカに、ラウルは言い澱んだ。未だ一番に優先される事がそれであるのに、リュカはすっかり慣れ切ってしまっているのだ。彼の名前が出たのは、殆ど無意識の事だった。

「……前も言ったろう、カズマの所だ。安心しろ」

 言われて一瞬、リュカの瞳が揺れる。それを認めたラウルは、続け様に言葉を紡ぐ。

「まずは休め。この短期間では、まだリュカも回復してはいない筈だ」

 言われて、リュカは何も言葉を返さない。こんな、大勢が居る場所で話すつもりが無い所為なのか、それとも必要が無いから話さないのか。ラウルはその場で軽く溜息を吐いたかと思えば、リュカの頭をおもむろにクシャクシャにかき混ぜる。

「ッ」

 突然の行動に、さしものリュカもビクリと体を震わせた。そのままラウルは、待っていろとひとこと言い残すと、討伐隊員達の集まる方へと歩いて行ったのだった。

それを、髪を手櫛で軽く整えながら見送った後で、リュカは先程と同じように塔を見上げた。自分を観察するように見る視線がある事は分かってはいたが、それ以上にリュカは何故だか気になって仕方がなかった。壊されるべきその塔に操られるかのように、魅入られるかのように、目を離す事が出来なかった。
 結局そのまま、戻ってきたラウルに声をかけられるまで、リュカはその場で佇んでいた。




* * *





 リュカが違和感を感じ始めたのは、ラウル達と共に食事を取っている時だった。

 あの後、リュカの元へ戻ってきたラウルによって強制的に焚き火を囲む輪の中に座らされ、彼等の作ったらしいスープを手の中に押し付けられた。断る隙も与えては貰えず、リュカはそのまま彼等と共に、アレクセイ王国の者達と火を囲む。

 チラリと様子を伺うような視線を感じてはいたが、直接リュカに話しかける者は居ない。リュカの外見が違い過ぎるからか、以前の面影のカケラもないからか。
 それを少しだけ幸運に思いながら、リュカは随分と久しぶりの食事を、味わうように腹に納めていった。
 そして、リュカがそれを感じたのはその最中だった。
 じっとりと、眺めるような粘着質の視線を感じる。彼等アレクセイ王国の者達ではない。それはもっと遠くから、リュカだけを狙って観察しているようなのだ。気付いてしまったリュカは、口に運ぼうと手にしていたスプーンをそっと皿に戻した。
 一度気になってしまうと、とても食事に集中なぞ出来なかった。

「どうした?」

 そのようなリュカの様子に気付いたのだろう、すぐ隣からラウルの声がかかった。リュカはそれに、気もそぞろに応える。

「いえ。……少し、気になる事が」

 だが、リュカがそう言った次の瞬間。

「中々戻って来ないと思ったら……随分と珍しい事してんねぇ」

 突然、リュカのすぐ背後から声がした。

「「!!?」」
 
 そこら中から驚いたような声が聞こえてくるものの、リュカはひとり冷静だ。リュカが後ろを振り向けば、想像した通りの男がそこに座り込んでいたのだった。

「アンタ食事なんて必要ないのにね」
「急に現れるなと何度言えば分かるんですかね、ノルマン」

 呆れたように、男ーーノーマに向かってリュカが小声で言えば、周囲が奇妙な緊張感に包まれた。武器を手繰る者、立ち上がる者と様々だ。だがそれも皆、取り越し苦労に終わる事になる。
 次にノーマが、リュカの肩口から食事の内容を見ようと首を伸ばしてきた所で。

「何それスープ?肉入っもがッ」
「ちょっと邪魔しないでもらえます」

 背後から伸びてきた生っ白いノーマの顔面は、素早く伸びてきたリュカの手により鷲掴みにされる。

「い、痛い痛い痛い痛いマジで痛い!ミシミシ言ってるッ!潰れる!潰れる!」
「躾」

 突然現れた男に討伐隊の彼等が驚くのは勿論の事なのだが、それ以上に、リュカの男に対する扱いがひどい事に結構な衝撃を受けている。
 彼等の知るリュカ=ベルジュは、紳士的で誰に対しても粗雑な扱いをする事のない、口達者で勇敢な男だ。国を愛し、国の為になら喜んで命すら捧げそうな、そのような人間だったのだ。
 しかし、目の前に居る男は一体どうだろうか。姿はすっかり変わってしまい、元々敵だったとは言え旧知の仲らしい男を躾だと言って痛め付けている。口数も少なく、合流してからすぐだとは言え、他者と交流するような姿は全く見られなかった。
 本当に彼は、リュカ=ベルジュであるのか。それを信じられない者が居ても仕方がないのかもしれない。そしてそれは、リュカの側からしても同じ事。本当の意味で信じられる者など、何処にも居ないのだ。

「ぅえ……」
「ノルマン」

 しばらくして、ラウルの助言もありノーマを解放したリュカは、蹲って呻くノーマへと尋ねる。
 その頃には、ノーマに対する討伐隊の警戒も大分薄まっているようだった。

「クロード、来ているでしょう?一緒では無かったのですか」
「えっ、クロード?……気付かなかった。あの子隠れるのも盗み聞きするのも上手いから、僕も気付けないんだよね」
「成る程……」

 一言呟いて何かを考える素振りを見せた後で。リュカは突然、皿を片手にその場で立ち上がった。皆が驚く中、自分の右方、森の奥の方をジッと見つめる。

「一体どうしたんだ、リュカ」
「クロードが?」

 ラウルとノーマがそのような呟きを口にするのとほぼ同時に。突然、リュカは右手を左方へスライドするように振り上げた。まるで塩でもばら撒くかのように、周囲一帯に魔力が迸る。
 突然のリュカの奇行に周囲が呆気に取られる中で。突然、その場から程近い森の奥から、悲鳴が聞こえる。

「ぎゃあああッ、何コレ!」

 明らかにそれは子供の声だった。しかも、妙に聞き覚えのあるそれ。
 何かが地面を這う不気味な音と共に、子供の悲鳴は段々とリュカ達の元へと近付いてきていた。ライカ帝国側では咄嗟に武器を構える者達も居たが、一連の流れから原因を察してしまった者も少なからず。
 そして、すぐに気付いてしまった者達は一同、被害者の少年に同情するのだった。

「うわぁ……鬼畜」

 件の声の主が森の奥から現れた途端、ノーマはそのように呟いた。きっとそう思ったのはノーマだけでは無いはず。
 その少年は何と、植物の蔦のようなものに両脚を何重にも巻き付かれ、逆さ吊りの状態で引っ張られてきたのだから。顔を真っ赤にしながら涙目で睨み付けていて、それが余計に同情を誘う。

「ううっ……」
「結構扱いが難しい魔術ですね、コレ」

 呟きながら、件の少年クロードを自分のすぐ傍の地面にそっと下ろしたリュカは、特に何事もなかったかのようにその場に座り直す。
 かつて、魔術狂いとまで噂された事まであるその研究者魂は未だ健在で、新しい魔術の構想は、リュカの中でも次々と湧き上がってくるのである。

「うわー、子供で魔術の実験してるし」
「うええッ……!」
「子供ではないでしょう。生まれを考えれば、今のこの身体と同い年ですよ」
「ああ……うん、はい、そうデスネ」

 引かれている事に、内心では少々不機嫌になりながらも、リュカはクロードを引っ張り出してきたその理由を問うて見せる。
 あの視線の主が彼だと、リュカはとっくに気付いていたのだ。同じ家の人間だからこそ分かる、その魔力の質を。

「クロード、貴方は何故ここへ?私が恐いのでしょう?」

 顔も向けず、リュカは呟くように言った。
 聞かれたクロードは、立ち上がったノーマの背後に隠れながら一瞬息を呑んだ後で、ゆっくりと話し出した。

「別に悪気があった訳じゃ……ただ、王国がどんな所か気になるから……何か分かるかと思って」
「成る程。それで盗み聞いて、何か分かりましたか?」
「…………」

 淡々と聞いたリュカに、クロードは震えながら下を向く。最早ノーマですら、その会話に口出しをする事は無かった。

「国の事など、実際に行ってみなければ判らないものです」
「え」
「アレクセイ王国、行かないのですか?」
「ッ!」
「アルドとシャーロット。ご存知かもしれませんが、それがお二人の名前です」
「う」
「元々、貴方は一度連れ帰るつもりではありました。お二人はずっと、諦めずに手掛かりを探し続けていましたから……精霊族は、知っていてもそれを告げるような失態を犯しませんし」

 そこで一旦、リュカは話を切った。クロードは最早、俯き顔も上げられない。ノーマの背中に縋り付き、声も上げずに震えている。地面を濡らす水滴は次から次へと地面に染みを作り止まる気配を見せない。それどころか、酷くなるばかりだ。

「手間が省けたので言いますけれどーー貴方、この隊と一緒に、帰ってみてはいかがでしょう?これからどうするのかは、それから決めれば良いと思います」

 相変わらず、彼等の視線は全く交わる事は無かったけれど、同じ運命を辿ってきた同族だからこそ分かるものもある。目の前にある筈なのに、手を伸ばしてもそこに加われない哀しさや虚しさも、彼等は互いに理解している。一度は殺し合ったとは言え、クロードにとってはリュカこそが、一番の理解者である事には違いないのだ。

「うッ、うん、うんッ、……行きたい……会いたい、おと、さんと、おかあさん、に、会いたいッーー!」

 震える声でそう必死に訴えてくる彼に、その場は一時、シーンと静まり返ったのだった。





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