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059.戯れ



 エレーヌの叫び声のような独白は、リュカの中で呑み込まれるまでにかなりの時間を要した。『ルーカス=ライツを目標に』などと言われるなぞ予想だにしていなかったのだ。疲弊しきったリュカの頭は、突然の事に付いて行けなかったのである。

 だが、その意味をじっくり噛み砕いてようやく理解したその瞬間。リュカは思わず顔を両手で覆い、上体を腿にくっつけるほど折り曲げ込み上げて来るものに耐えた。己の顔が、みるみる赤くなっていくのを自覚した。

 そのような事を面と向かって言われたのは一体いつぶりだったろう。リュカが覚えている限り、大魔術師号を得てからは一度も無かったような気がする。

 魔術師に成った最初の頃は兎も角、魔術師としてのルーカス=ライツが名を上げるにつれ、周囲の者達はその男を隔絶した存在として位置づけた。
 その力に慣れ切ってしまった者達は、それを遠巻きにして格が違う、違う世界の人間だ、などとのたまうのである。どれ程努力しているか、どれ程苦労しているか、それは忘却の彼方へと追いやられ意識される事は無い。そして果ては、それは妬み嫉(そね)みにすら変化していくのだ。
 だからまさか、自分を嫌っているのではないのかとかつて疑っていたエレーヌが、そのような事を言うなど微塵も予想もしていなかった。

 ムッスリと不機嫌顔を崩さないラウルの目の前で、リュカもエレーヌも、互いに顔を背け合う。

「まさかこのような事になるとは予想だにせん……」

 利き腕で顔を隠しながら、くぐもった小さな声でエレーヌが言う。リュカは相変わらずで、言葉を返す事などは出来なかった。それから丸々三分程は悶えていたリュカだったが、ある程度気持ちが落ち着いてくると、ようやく上体を上げる決心がつく。
 両手は鼻から下を覆ったまま、リュカがそっと上体を起こすと。ラウルもエレーヌも、リュカを見つめているのだった。エレーヌは未だ頬に微かに赤みが差していたが、普段の調子をすっかり取り戻している様子だった。

「魔術師同士、仲が良いな」

 ラウルがその時ふと、呟くように言った。その言葉尻にはやはり隠し切れない不機嫌さが滲んでいて、リュカは思わずクスリと笑ってしまう。コロコロと変わっていく彼の表情がまるで子供のようで、可笑しくなってしまったのだ。無表情だと思っていた彼は、思っていた以上に様々な顔を見せてくれる。

「お前もそう変わらんだろう。そういじけるな」
「別にいじけてーー……」
「ーーはーーてもーーーーだぞ……だから、ーーーー」

 呆れたようなエレーヌの声が聞こえて来る。その辺りまで来ると、リュカはどうしてだか段々とまぶたが重くなって来る事に気が付いた。自分の意思に反して、聞こえて来る声を理解することも、意識を保っている事も難しくなって来る。
 そうしてすぐ、リュカは肩の力が抜けるようにゆっくりと、その場で意識を飛ばしてしまうのだった。上体が椅子から落ちる瞬間、焦ったように手を伸ばしてくるエレーヌのその表情が、やけにリュカの頭に残った。





「ラウル、そう膨れるな……あれはその、何だ、……偶然だ」
「俺が先だった」
「それは仕方なかろう。それに、あれはお前がああやって安心させたから出た言葉だと思うがな」
「…………」
「思い通りに行かなかった位で子供のような反応をするな、みっともない」

 部屋の窓際で、床にベッタリと並んで座りながら話をする2人は、幾分か気安い調子で会話をする。何せもう1人の男は気が緩んだのか、先程から糸が切れたようにラウルの膝枕を添えられグッスリと眠ってしまっていて。今の二人にはする事がなかった。
 眠りについたリュカは、それこそ死んだ様にそこに丸まっていて、起きる気配は全く無い。時々、ちゃんと生きているのかどうか不安に駆られ、ラウルとエレーヌが交互にその息を確認したりなどしていた。その息遣いを確認する度、彼等はホッと胸を撫で下ろすのである。
 その辺にでも放っておいてしまったら、本当にいつの間にか消えてしまいそうで、二人は気が気ではなかった。死ぬ事も厭わない彼の姿勢は変わる事は無くて、むしろ悪化したと言える。目的をやり遂げてしまった男の先に、更なる道を示す事は出来るのか。それが出来なければきっと、男は消えてしまうのだろう。それは、二人の確信にも近い予感だった。


 暇を持て余している彼等には出来る事がない。仲間の元へ帰ろうにも、移動手段が無いのである。二人は精霊王カズマに連れられて此処へやって来たのだし、もう一人、その手段を持つリュカには意識が無い。疲労による強制的な昏睡に他ならないだろうからして、それを起こすのはひどく憚られた。
 だから彼等には、精霊王であるカズマの帰りを待つしか無いのだ。待ちぼうけを食らった様な気分になる中で、2人はひたすらにとりとめのない事を話す。沈黙が嫌な訳ではなかったが、自然と言葉が口からついて出た。

「ーー、あのベランジェという男」
「ん」
「何年生きたのだと思う?」
「……それはエレーヌの方が詳しいと思うが」
「そうかもしれんが……ベルジュ家の歴代は私でも辿れん。あの家は、当代で二十数代目程になるとは聞いた事がある。少なくとも、本当に一千年以上は経っているのかもしれん」
「想像も出来ない話だ」
「全く……それで正気を保っていられるのであれば、それこそ正気ではない。我ら人間族には到底、手に負えん」

 そこでエレーヌは、一度言葉を切った。まるで、自分達の無力さを噛み締めるかのようだ。そして今度は、ラウルが口を開く。

「リュカはーー」
「ん?」
「リュカは、大丈夫だろうか」
「さあな。ーーだが、カズマがそう判断したから、我々に預けられたのだろうよ」
「ああ」
「異世界とやらがどのような所かは未だに想像はつかんが……何百年と一つの目的の為に生き永らえた者が、唯の人間で居られるのかどうか」
「…………」
「成るようにしか成らん」
「エレーヌは、リュカをーーーー」

 そうして二人は、カズマ達がこの場に現れるまでの凡そ数時間、じっくりと話し合ったのだった。それは、二人がこれから森を抜ける間どのように行動していくか、国へ戻った後の身の振り方をどうするか、それらを決めるには十分すぎる時間だった。

「ーーそれじゃあ、戻ろうか。あの場所へ」

 優しく告げたカズマに、彼等は一斉に頷いたのだった。現実のような夢から、夢のような現実へ、彼等は再び帰っていった。壊す為に、終わらせる為に、前に進む為に。



* * *




 リュカが意識を取り戻した時、そこは既に森の中だった。
 鬱蒼と茂った木々の隙間から、わずかに日の光が差し込む。その位置から察するに、それはもう昼近い頃だった。

 リュカはしばらく、その仰向けの状態でぼんやりと上を見上げていた。そしてふと、自分の枕元に違和感を感じる事に気が付いた。このような森の中なのだから、当然硬い土の地面に転がされているはずなのだが。そうではなかった。
 ふわふわと肌触りの良い感覚と暖かさ。そしてこれは、呼吸による振動だろうか。それは覚えのある感覚で、リュカは暖かいそれの体温を意識しながら、顔を右に向けた。
 すると予想通り、シルバーグレーの艶やかな毛並みが目に飛び込んできて、リュカは微かに顔を綻ばせた。それは他人には殆ど気付かれない程度の微かな変化だったけれども、確かにその表情は変化した。
 そして何を思ったのか、リュカはその場でぐるりと身体を反転させると、その毛並みに無遠慮に顔を埋めた。ふわふわな愛玩動物に比べるとやや硬めの毛並みは、日の光を吸ったような香と、微かに森の香が香った。ついでとばかりに右手で撫でさすれば、リュカのすぐ左手の方から僅かに息を呑む様な声が聞こえた。

 そうやってしばらく、相手から静止の声がかからなかったのを好い事に、リュカは気が済むまで堪能した。その終わりの頃には、リュカの右手が体表を掻くリズムに合わせて、その脚が地面を掻いていたのだった。
 リュカはどうやら、獣、特に狼の扱いには随分と手慣れているようだった。例えそれが、人の姿をとれる獣人族だったとしても。

 そして、その光景の一部始終を少なくない者達が目撃してしまっていた。見てしまった者達は、口許を覆ったりあんぐりと口を開け放ったりと、随分と挙動不審な行動をとった。それも、体格の良い軍人達がこぞって人と狼の戯れに目が釘付けになるなど、それはもう奇妙な事だった。
 そしてそれは、ようやくその状況に気付いたエレーヌによって声を掛けられるまで、しばらくの間続いたのだった。

「お前達は一体何をやっているんだ……」

 呆れた様な彼の言葉によって金縛りの解けた者達は、ハッとするとそそくさと自分のシマへと戻って行く。顔が俯き気味だったとか、お喋りな者が無言になったとか、そのような些細な異変はあったが、誰かが公に何かを聞く様な事は無かった。
 アンリやジャンと話をしていたエレーヌが、話し合いを終えてゆっくりとその当事者に近付くと。泣き言の様な珍しい声が、寝そべっていた狼から上がった。

「違う、これは俺の所為では……」
「…………」
「リュカが勝手に」
「……おい、ベルーー、リュカ、何をしてーー」

 言いながらリュカの方へ近寄り、肩を揺する。だが、それに対する反応は無かった。それどころか、眠りに入ったような息づかいが聞こえてきて、エレーヌは脱力した。

「また、寝たのか……おい、ラウル」
「何だ」
「少し退いておれ。三度寝されては敵わん。此奴にはまだやる事が残っているだろうに。まだ、塔は壊されていないのだからな」
「そうか……俺が居ると安心するのだろうか……」
「……ラウル、お前私の話を聞いていたのか?」
「聞いてはいる。別に、急ぐ旅でも無くなった。存分に俺の元で寝てからで良いだろう」
「お前……、本来の此奴なら、一刻も早く破壊するように動くと私は思うがな」
「急ぐ必要はないと言った。あれからまだ二日、十分に力を回復してからで良いと俺は思う。睡眠を欲しているのは身体がまだそれを求めているからだ。無理は、良くない。エレーヌも言っていた」
「「…………」」

 二人はその様な軽い言い合いをしてから、しばらくの間無言になる。そして、再びその口を開いたのは、エレーヌの方だった。

「分かった。お前の好きなようにすると好い」
「うん」

 溜息を吐きながら言ったエレーヌは、再び元いた輪の中に帰っていく。だが、その途中の事。

「なあ、おい。魔術師」

 エレーヌは、不躾な声に呼び止められる。振り返れば、そこにはライカ帝国の男が立っていた。

「何だ」
「アイツ、アレ、大丈夫なのか?あんなの……別人じゃねぇか」

 頬を掻きながらそう言ったのは、帝国屈指の槍使い、ゲルベルト=オストホフだった。エレーヌは、自分よりもかなり上背のある男を見上げながら、とても奇妙な気分になった。
この男が自分に絡みにくるのは、いつだってあの男について。それがどうも、エレーヌには鼻について仕方なかった。
 エレーヌは、狼の背に顔を埋める金髪をチラリと見てから、ゲルベルトの問いに答えるように口を開いた。

「まぁ……大丈夫ではないだろうな」
「なっ」
「だから我らに託されたというだけの話。まだ、あやつの目的は終わっとらん。最後の仕上げが残っている」
「アンタ……何を、知ってるってんだ」
「粗方は聞いた。ーー奴は私と同じ、大魔術師だ。それも、何百年も前のな。お前達には理解出来んかもしれんが」
「は……何百年なんて、んな事、あり得るのかよ」
「魔力が人を超えているのであれば、可能なのだろう。実際現実にそれは起きたし、精霊王などは元々死の概念すら無い。その上、人の使えん魔術を使う。ーーあの男、リュカ=ベルジュもそうだ」
「!」
「正直、私でも手に負えるかは解らんのだ、その程度も解らんお前達では役不足だ。そもそも他国の事情でもあるのだしな。下手に突っ込まれて余計な事をされてはかなわん、大人しくしていて貰おうか」
「お、おい……!」

 エレーヌは、まだ自分に伸ばされようとする手から逃れるように、素早く踵を返す。少し、キツく言い過ぎたような気もしていたのだが、あのような手合いは諦めが悪い。完膚無きまでに叩き潰さなければしつこく付き纏ってくるに決まっている。だからこそ必要以上に、エレーヌは突き放した。実際に、首を突っ込まれては困るというのもある。
 しかし、それ以上に。エレーヌは、この男が気に食わなかった。ただの剣士であった頃のリュカを知る一人。自分の知らぬリュカ=ベルジュを知る男。それがどうしてだか、エレーヌには不快に思えてならなかった。





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