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058.剥き出しの輪郭



 二人から視線を逸らすと、リュカはポツリポツリと話し出した。二人の知るリュカだとは思えないほど、不安定で静かな声音だった。

「それはまだ……」
「国には戻らないつもりか?」
「…………分かりません」
「何故だ?」
「さぁ……まだ、どうすれば良いのか分からないのかも知れません。ベランジェに着いて行くつもりでしたけれどーー」

 一度そこで言葉を切ると、リュカは少しだけ顔を強張らせた。あの短いやり取りだけで、彼は察してしまっていたようだった。

「精霊王が何か、言いました?あの方はベランジェを、どうするつもりですか?」

 言いながら、軽く睨み付けるように顔を上げたリュカは、ほんの少しだけ生気を取り戻している。そのようなリュカの様子に、やはりラウルとエレーヌは互いにチラリと顔を見合わせる。
 そしてラウルは、リュカの視線に合わせてしゃがみこみながら言った。今度は、ラウルの方が少しだけ見上げるような位置だった。

「リュカ、精霊王はーーカズマは、ベランジェの面倒を見ると言っていた。自分が引き起こした事の責任をとると。だから、心配要らない」
「え……」
「リュカは、リュカの人生を歩まないといけない」
「それ、は」
「リュカも薄々分かっているんじゃないのか」
「、……」
「お前達は近すぎる」

 ラウルの言葉にリュカはたじろぐ。きっと、本当は分かっていたのかもしれない。重々承知の上で、喜んで依存した。それが一番楽だから、傷付かずに済むから。

「互いに離れられなくなっているのではないかと思う。依存し過ぎている。少し、離れる練習をした方が良いと感じた」
「練習……」
「そうだ。会えない訳ではないのだから、会いたければいつでも会いに行けば良い。だが、依存し過ぎてはいけない。周りが見えなくなる」

 そう一旦言葉を切ったラウルは、リュカの様子をしっかりと見据えながら再び話し出す。大切なものを愛でるかのように、微かな笑みが口許には浮かんでいた。

「リュカは覚えているか?俺達と共に、旅をした時の事を」
「.………」
「大変で、辛い事もあったが、俺は楽しかった。リュカは嫌だったか?」
「そん、な、」

 問われてリュカは、直ぐに首を横に振った。リュカにとってあの旅が、嫌だった筈がない。心の奥底で、ずっと終わらなければ良いと何度思った事か。全部を投げ出して彼等と共に過ごす事を選んでしまおうかと、何度思った事か。気付かぬ内に、ベランジェと離れている内に、彼等はすっかりリュカの内側に入り込んでしまっていた。リュカ自身が、離れ難いと思ってしまう程に。

「ライカ帝国やフィリオ公国と少なからず交流もできた。彼等とも共に戦った。リュカは、彼等は嫌いか?」
「そんな、事はーー」
「そのような事が、見えなくなっているのではないか?」

 ラウルの言葉にリュカは両手を握り締める。リュカは周りが見えなくなっていたのではない。彼は自ら、見ないようにしていたのだ。一度でも振り返ってしまえば、ベランジェに背を向けるような気がして。あの男を裏切るような気がして、出来なかったのだ。だから無視をした。
 今やその覚悟も不要のものとなってしまったが、それが今尚その尾を引いている。どちらに対するものかは分からなかったが、微かな罪悪感を覚えている。それが余計にリュカを臆病にしていた。

「もし、リュカが嫌でなければ旅の続きをしよう。隊長やジャン達も待っている。ここを出た時と同じように、皆でまた此処へ無事に戻る」
「っでも……私はあなた方に襲い掛かっているんですよ……?今更、どんな顔をして……」

 リュカは縋るように言った。それが、何の飾り気も無い本心だった。何の説明も無しにあれ程の事を仕出かしておきながら、のうのうと戻れる程リュカの神経は図太く無い。例え討伐隊の者達が、精霊王から何かしらを聞かされていたとしても、リュカは恐いのだ。拒絶が、恐ろしくて仕方ない。
 以前だって、多少なりとも信頼を置いていた者達に尽く背信されて、あれほど傷付いたというのに。
 今また同じような事があれば、リュカは耐えられる気がしない。彼等に対してリュカが抱く気持ちはきっと、あの時の比では無いから。無条件に信じたくなってしまえる程には、大切に思ってしまう程には、彼等を知り過ぎているから。

 ふと、そのようなざまのリュカを、宥めるようにラウルは言う。微かに震えるその手を、包み込むように手を重ねて、ラウルはリュカを真っ直ぐに見上げた。

「リュカが本気では無かった事くらい皆分かってる。事情があった事も知っている」
「でも……」
「大丈夫だ。俺が知っている。例え隊長達がそうであったとしても、俺はリュカを助ける。他を信じられなくても、俺がーー俺とエレーヌが居る」

 まるで見透かされているようだと、リュカは思った。無防備に剥き出しになってしまった柔らかいところに、ラウルの言葉がするりと入り込んでくる。

「駄目か?」

 そうやって顔を覗き込まれれば、ラウルの透き通るような眼差しと目が合った。リュカを疑ってすらいない、真っ直ぐな心根。リュカも良く知る獣人族の素直な性質は、半獣人であるラウルにもしっかりと受け継がれていた。
 そんな事を言われてしまって、リュカはもう駄目だった。そこまでされたら、性懲りも無く信じたくなってしまう。信じられない根拠も、ラウルの所為で無くなってしまった。逃げ道はもう、ない。
 ラウルの視線に耐えきれず。リュカはとうとう口を開く。

「駄目じゃ……、ない、です」
「なら決まりだ。リュカがまだ決められないなら、俺達が決めても構わないだろう?嫌な事はしない」

 そう言って真剣に顔を覗き込むラウルに、リュカは戸惑いながらもゆっくりと、しかしはっきりと首を縦に振った。

 その視線がしっかりとラウルと交わる事は無かったけれども、確かにリュカの気持ちは自分達にも向いている。ラウルはそれが分かっただけで、十分に満足していた。選択肢が無かったと言われればそれまでだが、ベランジェでもノーマでも無い、自分達こそがリュカに選ばれたのだ。

 そう思うと最早、ラウルはその喜びを抑え切れなかった。ラウルはその時不意に、花が咲いたように笑みを浮かべたのだった。なまじ美しいだとか端正だとか、ラウルは王国で散々賞賛されてきた。その反面、表情が読み難く、ラウルに寄ってくる者達が彼の本心に触れる事は少なかった。
 彼の生い立ちにも起因しているのだろうが、それ故に来る者拒まず去る者追わず、その浮名を好いままにしたその男が、本当の意味で表情を表に出す事は、かつて無かった。
 そのようなラウルが、表情を崩しながら見た事もないような満面の笑みを浮かべたのだ。それはもう、凄まじい威力を発揮した。

 エレーヌはギョッとして目を見開いて固まってしまったし、目は合わせられなくともそんなものを目の前にしてしまったリュカなどは、口を半開きにしたまま見惚れてしまう。美しいものは誰しも惹かれるもので、一度目にしたが最後。
その場は最早、ラウルの独壇場だった。
 そして、そのような場にあっても、ラウルはやはりラウルだ。己の欲望にも素直なのは、彼等獣人族に共通する性質だった。
 ラウルは二人が動きを止めたのを好い事に、浮つく心もそのままに身体を乗り出す。そうして丁度目の前にやってきたリュカの頭を、両手で包み込むように捕らえる。

「え」

 それに何事かと、ハッと我に返ったリュカに、ラウルは構わず行動を起こす。それにギョッと目を見開くリュカが、ラウルの思惑に思い当たった時にはもう、遅かった。

 リュカの唇にラウルのそれが触れる。百戦錬磨と名高いラウルの事。リュカが全く予期していなかった事も重なって、無防備なその口内へラウルが舌を挿し入れるのはそう難しい事では無かった。舌を舐られ上顎の窪みを擦られ、リュカの身体が跳ねる。傍にエレーヌも居ると云うのに、それを全く意に介さないその強引さは、ラウルがラウルたる所以である。

「ッーー!」

 駆け上がってくるものに背筋を震わせながらも、リュカは自分の頭を押さえ付けるラウルの手を引き剥がそうと自分の手を重ねる。だが、碌に力の入らないその手が、ラウルに敵うはずも無い。カリカリとその指を引っ掻きながらも、リュカはされるがままだった。


 そんな時、エレーヌはどうしていたのかと言うと。
 彼は何とも言えない顔で、二人を見ていた。一体この二人は何をしているのかと。つい先程まで、あのような真剣な話をしていたはずでは無かったのかと。
 エレーヌは半ば途方に暮れていたのだ。そういうのを咎めるのは保護者であるロベールの役目であって、エレーヌはことそちらの方面に感じてはてんで門外漢だ。恋愛やら性的な事の話題となると、途端にどうして良いか分からなくなる。

 どうせ己は何処かの優秀な魔術師の家門の女を充てがわれ、血統を繋ぐことになるに決まっている。今目の前でラウルに喰われている男とは反対に、エレーヌは今後もずっと、家に縛り付けられるのである。それが違う事など、彼は想像もしていない。
 だからこそ、市井におけるそういった恋愛ごとに関する話題には全くもって興味を持たなかった。例えそのような恋愛の経験を積んだとしても、待っているのは泣く泣く引き離される悲しい未来だけだ。そのような無駄な事に使う時間も心の余裕も、エレーヌには無かった。
 一族の名を穢さぬよう、頂に立つベルジュを引き摺り落とす為の布石として、彼はその役目を期待されたのだ。自由など当然、許される筈もなかった。
 例え、その比較されるべきかのベルジュ家の長子が、魔術師としての資質を持っていなかったとしても。そのような男が何故だか騎士となったと聞いても。自由にならない気持ちが暴走するのは、自分でもどうにも出来なかった。

 そのような事情もあったのであるが。今、エレーヌは、目の前の自由で縛られない者達の行動が少々ーー否、かなり理解が及ばないでいる。特に、跳ね馬の如く予想以上の行動をとる、ラウルのような男などは尚の事。
 ラウルが何を思ってこのような暴挙に出ているのか、エレーヌはさっぱり分からない。このような人前で、見せ付けるかのように口付けを交わすなど、エレーヌの信じる常識からは大きく外れていた。早く止めねばとは思うのだが、唐突に与えられた衝撃に体が動いてはくれなかった。
 それからすぐ、ラウルがこのような暴挙に走った原因を一通り列挙した後で。エレーヌはようやく覚悟を決めた。いつもの調子で、己のやり方でラウルを叱るのだ。

「おいこらラウル、お前は一体何を考えているのだ……!」

 立ったままで勢いを付けながら、エレーヌはガシリとラウルの頭を両手で鷲掴みにする。強引にでもそうしないと、自身の心が怖気付いてしまいそうで、エレーヌは何も考えない事にした。
 そのまま勢いを付けて力を込めれば、力づくでラウルの顔を上に向かせる事に成功する。そんな風にリュカの唇から引き剥がされて上を向かされたラウルは、大層不服そうに眉根を寄せていた。

「痛い……」
「当たり前だ、お前の馬鹿力にも負けんようにした。全く……突然何をしているのだ。ロベールの苦労が偲ばれるわ」

 呆れてそのようには言ってはいたが、内心では全く別の事を考えていた。突然襲われたこの目の前の男は、ラウルに唇を奪われ一体どのような事を思うのか。それが少し、気にはなった。

「……おい、お前……ベルジュの。平気か」

 絞り出したのは、そんないつものような言葉だった。リュカに対して声をかける事に少しだけ戸惑いを覚えたのは、先のラウルの暴挙のせいか。それとも、リュカ=ベルジュがルーカス=ライツと同一人物である事を知ってしまったせいか。エレーヌ本人にも良くは分からなかった。ただ、以前とは少しばかり違う印象を抱いている事だけは確かだった。
 ベルジュ家に纏わりつく闇は、想像より何倍も深いものだった。それは、自分が勝手に抱いていたイメージを恥じる程に大きなもので。リュカに対しても、罪悪感を抱いている。

「……ええ、……助かりました」

 彼もまた、いつもの調子を崩さず端的に応えた。俯いたまま、口許をゴシゴシと拭っている。それが終わると、リュカは何事も無かったかのように顔を上げた。
 その時見えたその表情は、エレーヌが思っていたよりも普通の、何でもなかったかのような顔付きをしていて。多少頬に赤みが差している以外、特に恥ずかしがるだとか嫌そうだとか、そう言った様子も見られなくて。
 逆に、エレーヌは内心ギョッとした。こういう時、無理矢理に唇を奪われた者がこうも平然とできるものなのか。エレーヌは何故だか、そんな余計な事が妙に気になってしまった。
 それを誤魔化すように、エレーヌはラウルに説教を開始する。その眉間には、微かに皺が寄った。

「ラウル、お前はいつもこうなのか?」
「こう、とは?」
「……人前で堂々と口付けたりをいつもしているのかと、そういう意味だ」
「人前で……しない」
「は……?っでは、今のは一体何なのだ!」
「我慢出来なかった。したいと思ったからそうした」
「…………」

 そのようなラウルの応えに、エレーヌは怪訝そうに眉根を寄せた。ラウルはどうやらエレーヌの考え方とは随分違う感覚を持っているようで、すぐに理解が追いつかないのだ。
 そして続けられたラウルの問いに、エレーヌは苦々しい思いで自分についてを告白する事になる。

「エレーヌは、そのように感じる事は無いのか?」
「……ある訳無かろう。無駄なものはしない主義だ」
「無駄な?エレーヌは、そう思うのか?」

 不思議そうに問うラウルに対して、エレーヌの表情は、苦虫を噛み潰したようなものだった。

「……私の未来などは決まっている。お家の為に妻を充てがわれ、家の発展のみに頭を悩ませ生きていくのだ。……私が勝手をしようものなら全て取り上げられるに決まっている。魔術師の旧家とはどこもそのようなものだ。だから、無駄な事などしない。……互いに不幸なだけだ」
「……逃げようと、思った事は?」
「できる訳無かろう。一族は私を逃すはずもない。ベルジュやその他を差し置いて大魔術師号を拝命したのだ。どのような形でも、家に置いておくだろう。……大魔術師とは言えたかが魔術師一人、動きを封じる手はいくらでもあるのだ」
「そうか……」

 少しだけ声のトーンを落として言ったエレーヌに、ラウルもまた静かに返事をした。自分とは全く違う生き方をする人間に触れて、ラウルも思う所があったのだろう。それ以上に、何かを追及する事は無かった。
 だがエレーヌの話は、そこで終わらなかった。勢いに任せ思い切るように、その口を開く。

「ーーそのような、事情はあるのだがな……ベルジュの、リュカ」
「!」

 唐突に名前を呼ばれ、リュカはハッとするように勢い良く顔を上げた。エレーヌから下の名前で呼ばれるのは、初めてだったかも知れない。そのまま互いに目を合わせて、エレーヌは告白する。

「その、何だ……私も、どうかしていたのだ。お前に対する当たりだけが強い事は薄々自分でも気付いていた。今思えば、現状に対する不満や他家への嫉みをお前にぶつけて解消していたのだ……自分に与えられた称号を傘に着ながら……私は、とんだ卑怯者だ」

 多少言い澱みながら言ったエレーヌは、とても真剣な眼差しをしていた。いつになく真っ直ぐに、リュカを見ている。

「すまなかった」

 そう言って、エレーヌは頭を深々と下げた。リュカがルーカス=ライツだからではない。過去の自分の態度を悔い改め、恥じている。だからこそ今この場で、しっかりとリュカ=ベルジュに態度で示すのだ。

「家から離されて初めて、私は自分を理解できた。……今更何をと思うやもしれんがーー」

 言いながら頭を元に戻した所で、エレーヌは言葉を切った。続けられなかった。
 目の前で、リュカ=ベルジュがハラハラと涙を零している姿を、見てしまったからだ。
 エレーヌは衝撃を受ける。この、いつだって強気だったこの目の前の男が泣く姿など、想像すらしていなかった。
 どんな者の前にあっても竦む事なく、時に冷酷に任務を全うできる強い男。エレーヌ=デュカスの知るリュカ=ベルジュという者は、確かにそのような者のはずだった。だからエレーヌは、酷く動揺した。

「な、なっーー、待て、そんなにか!?」

 そんな二人の間に挟まれたラウルから、批難するような視線を感じる。エレーヌは一体どうしてこうなったのか、そしてどうしたら良いのか、さっぱり分からなかった。
 そんなエレーヌが、一人オロオロする中で、リュカは次々と零れ落ちてくる涙を拭いながら、口を開く。

「いえ、その、すみません……何だか、嬉しくて」
「お、おおお……」
「魔術の使えなかった頃。あのような裏を持ったベルジュ以外の者が、大魔術師になる事がどれ程凄い事なのか、きちんと理解しているつもりでした。だから、憧憬の念も抱いていたのでしょう。尊敬、していたのです」
「っ……!」
「旅が始まって、魔力持ちだと知られてしまって……それでも、魔術の使えない私にも貴方は教えを授けようとしてくれた。あんな些細なものでも、私は嬉しかったのです。きちんと同じ扱いをしようとしてくれた事が。……まぁ最初の頃はアレでしたけれど」
「ぐ」
「だから、そういう事もあって……ベランジェに連れ戻される時、私はあなた方と離れる事をとても口惜しく思ったものです。もう二度と、あのようなやり取りが出来なくなると思うと、寂しかった」
「…………」
「ずっとずっと、あなた方と共にとあの森を彷徨い続けられないかとーー」
「も、もう良い!お前の気持ちは分かった!小っ恥ずかしい事をそれ以上言うなっ……私の方こそ、大魔術師としてルーカス=ライツを目標にしてここまでやって来たと言うのにーーお前がその本人だと知った私の気持ちを考えてもみろッ、どう接したら良いか分からんではないか!」

 突然話を遮り、顔を真っ赤にしながらそのような事を口走ったエレーヌに、リュカは一瞬何を言われたのか解らずにポカンと口を開ける。まさかそのような反応が返ってくるなど、思いも寄らなかったのだろう。ただ、見つめる事しか出来ないでいた。
 そしてラウルはと言えば、椅子に座るリュカの前にしゃがみ込みつつ、背後に立つエレーヌを見上げている。そんなラウルの顔には何故だか不満がありありと見えて、その口をブスっと尖らせている。

 唐突に開始された告白合戦に、その場には何とも言えない微妙な空気が流れたのだった。





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