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057.知に溺れた魚



『ルカ』

 しばらく続いた沈黙を最初に破ったのは、ベランジェだった。だが不意に声を掛けられたものだから、リュカは驚きバランスを崩してしまう。未だ慣れない左脚から、リュカは倒れ込んだ。

「ッ」

 その身体をベランジェは難なく受け止めると、己の方へと引き寄せた。その流れは極々自然に行われ、二人の間でそのやりとりが既に何度も行われたであろう事は想像にも難くなかった。
 リュカはそうして、抱きかかえた頭上のベランジェを見上げて問う。

「どうしました?」
『これは、終わった、と言う事で良いのか?』
「ええ……そう、ですね。後は、王に任せてアレを破壊すればもう、終わりです。全部、終わります」
『もう、街を歩いても、良いのか?』
「ええ、それは約束させましたので。外、見たいんですか?」
『ん』
「そうですね。ではーーーー」

 そのまま二人は、まるでそれが日常の一部であるかのように、のほほんと話し出した。ここが何処だか忘れているのか、それとも疲れが祟ってボケてでもいるのか。カズマ達三人には皆目検討もつかなかった。
 ただ一つ、三人にもハッキリと判るのは、リュカとベランジェの間には、他の者が介入を憚る程の強い繋がりがあると言う事。そこだけは確かだった。
 それを何処か寂しく思っているのは、きっと三人の共通認識であるに違いない。例え一時でも、命を賭けて共に戦った仲間なのだから。
 そんな二人の様子を、彼等が少し遠くから眺めていた時。突然ラウルが言った。

「カズマ」
「ん?」
「俺は、リュカと話をしておきたい。良い、だろうか?」
「…………そう。分かった。俺、ベランジェを引き受ける」
「それに私も……、便乗して構わんだろうか」

 ラウルの申し出に続きエレーヌまでそのように言い出してきて、カズマは一瞬驚いた表情になる。しかしそれも次の瞬間には、柔らかな笑みに取って変わった。二人の意図を、正確に汲み取ったのかもしれなかった。

「エレーヌも、だね。分かったよ。正直、俺も時間取りたいけど……それなら、ベランジェは俺が引き受けるよ。それに、あの二人、少し距離を置かせた方が良い」

 カズマが返答しながらそのようなことを告げれば、ラウルは少し驚いた表情になる。

「ん?ただ二人の仲が良い、と言うだけでは……ないのか?」
「血の契約の話、聞いてるっけ?」

 ラウルだけではない。エレーヌにも視線を遣りながらカズマが問えば、二人は一度、目を見合わせた。その問いに対する返答は、エレーヌが行った。

「私も少し聞き齧った程度だ。あのノーマとやらが話していたのでな。互いの血液を交換する事で成る契約だと。聞いた事のなかった話だ」
「うん、それだね。互いを縛り合う契約。元々は吸血種が良くやるモノだったから、多分ノーマが二人に教えたんだろうね。決して違えぬ鉄の誓い、ってヤツ。ーー要は、裏切ったら共に死ぬよという、そんな契約だよ」

 そうカズマが説明し終えると、二人は渋い表情になった。あれだけの事を成し遂げた二人が、何故不要とも思えるそのような契約を結ぶ事になったのか。理解出来なかったのだ。ラウルが呟くように言った。

「……なぜそんなものを……」
「流石にそこまでは……ただ、二人共、精神的に危うい時期があったのは確かだろうから。その時かなとは思う。二人共、王国から酷い裏切りを経験したという点では同じだから、共感が行き過ぎたのかも……」
「「…………」」

 カズマから語られる当事の様子は、ラウルにもエレーヌにも想像のつかない事だろう。それでも、少しでも理解したいと思うのは、恐らく彼等の共通の認識だった。だから、知ろうとする。

「あの塔の中でベランジェが死ねば、違いに解放された筈だった。ベランジェも、ルーカス=ライツになら殺されても良いと言った。けれど、本人はそれを拒否したんだ。だからこそここまで拗れた、というのはあるんだけど……まぁ、あのまま殺されて死ねと、ベランジェに言うのも確かにあんまりな話ではあったよ。……死んだ方がマシだったかもしれないけれど」
「成る、程……」
「うん。だからそういうのもあって、互いにちょっと依存し過ぎてる。二人は少し離れた方が良いよ。この世界の為にもね」

 少しだけ声のトーンを低くして、カズマは言う。その言葉の中には、カズマ自身の実感すらも含まれている気配がして、エレーヌもラウルも、それ以上の追及は行えなかった。
 だが、カズマの口は止まらない。全て終わった今だからこそ言える事を、二人に託すのだ。

「リュカはきっと、決してベランジェを裏切らないだろうし、ベランジェも同じ。万が一、二人共が相手になってしまったら、精霊王でも抑え切れるか分からない。そういう次元での話。無いとは思うけど」

 そう言ったカズマは少し疲れたようにも見えた。一度でも人として生きてしまった所為なのか、その感情を面に出す事が染み付いてしまった。精霊王として見ればあまり褒められたものでは無いのだが、エレーヌやラウル達からすればヴィクトルとしての彼よりも余程好ましい。
 そして、その話題を逸らすかのように、更なる疑問がエレーヌの口から飛び出した。

「……先程の、塔の話だが」
「ん?」
「塔の中に人が捕らえられた状態で塔を破壊した場合は、一体捕らえられた者はどうなるのだ?」
「それは……捕らえた者ごと、掛けられた術は消滅する。この場合、術が掛かっている者魂までもが消えて、……存在自体が無かったことに成る。誰もが、その存在を忘れる」
「!」
「元々は、誰の手にも負えない、そんな、存在を消すべき化け物を封じる為のものだった。だから、そうであるならば、封じた上で塔を破壊すれば良かったはずだったんだけど……それが、積極的に悪用された」

 そこが、精霊王としてかの国王らにしてやられた所だった。人間の悪意と、集団における恐怖のコントロール力を甘く見ていた。侮っていた。精霊族と彼等の違いを理解出来なかったが故、彼は見誤ってしまったのだ。

「必要に迫られたとは言っても、アレらに塔を与えてしまったのは俺の落ち度だ。だから何が何でも元に戻す必要があった。多少の干渉も危険も、厭わなかった。本来ならば、精霊王は特定の種に積極的には関わる訳にはいかないから、結構ギリギリだったよ」

 顔を顰めながらそう言ったカズマは、本気でそのように思っているように見えた。その責任もまた、感じているのだろう。

「だから、自分の甘さのせいでリュカ達をとんでもない事に巻き込んでしまったと反省してる。償いもしてくつもり。ベランジェは俺が預かるし、リュカにももちろんね」
「そうだったのか……成る程、大体、理解した」
「うん。エレーヌ達にも、迷惑かけたね……」

 申し訳無さそうに彼等に向かって言う彼は、やはり今までのカズマのままだ。ほとんど人であった時と変わらず、人を惹き付けてやまない、優しいその心根は消える事なくそのまま残された。この騒動の中で、人の心を理解出来なかった精霊王が、ようやく獲得出来たそれは、彼の終わる事のない義務に、僅かばかりの彩りを添えることになるだろう。今は気付いてすら居ないかもしれないが、確かにそれは、彼に変化を与えた。
 そのようなカズマの言葉に苦笑したエレーヌは、ふと、優しげに言う。

「カズマ」
「ん?」
「お前も自愛しろ」
「!」

 きっとそれは、精霊王が初めて耳にする言葉だったのかもしれない。力を持って生まれた者は、生まれながらに頂に立つ事を望まれる。頼られはすれども、気遣う言葉を投げ掛けられる事は余りにも少ない。感情などに頼らぬ精霊族ならば尚更に。

「私から見れば、お前もリュカ=ベルジュも似た者同士だ。力を持つが故に、一人で何でも完結しようとする……いつか決壊しそうで恐ろしい」
「…………」
「お前の正体を知らなかったとは言え、一時的にでも師であったのだ。……その、何だ、若輩者の言葉だと思うかもしれんが……耳を傾けてはくれんか」

 言ってみてから少し気恥ずかしくなったのか、エレーヌは途中で言いながらフイとそっぽを向いてしまった。カズマは、それを何とも言えない表情で見やった。これが、人間の醍醐味。
 カズマはしみじみ思った。人間として生きるチャンスがあって良かったと。精霊王に戻ってしまって全部理解してしまって、だからこそ心の底から、そう思うのだった。

「うん、ありがとう。それはもう、肝に銘じるよ」

 そこから少し、カズマは黙り込む。少しだけ、気持ちを整理したかったのだ。エレーヌ達のせいで乱れた心を、落ち着かせたかった。
 だが、これから先もまだまだカズマがやらなければならない事は多く、余り時間をかけていられないのも事実。
 カズマ達から少し離れた所で話すリュカとベランジェは、未だ街の様子を見る話で盛り上がっているようで、時折リュカからは笑みが漏れている。その様子をチラリと盗み見た所で。カズマはようやく話を再開した。

「……そうだ。今回はさ、実は幸運にも、俺の役目の道連れを得る事が出来たみたいでね。少し、期待してる」
「それは……あのベランジェの事か?」
「うん。多分、あの人はもう死のうと思っても死ねないだろうから、俺と同じだ。人の理をとっくに外れてる。きっと、俺と同じ役目もできる」
「それは……リュカは、それとは違うのか?」

 カズマの話に、今度はラウルが疑問を投げかける。それに少し悩みつつ、カズマは手短に説明を加えた。

「うーん……それがね、多分まだ大丈夫だとは思うんだけど……もう、リュカは精霊族と同じような魔術も使えちゃってるからさ。……例えるなら、人族として片足は残したまま半身はベランジェと同じ、ってなところ?」
「非常に微妙なラインだな……」
「そ。だからなるべく、リュカには人族の地に居てほしい。契約については正直、ベランジェを貸してもらえれば十分。あの時はああ言ったけど、リュカはあんまり気にしなくても大丈夫なんだよ」

 そこでカズマは一旦言葉を切る。そうして、話し出した時とはまるきり違う、迷いを払拭したかのような清々しい表情で、カズマは言う。

「だから二人ともさ、リュカの事、頼んだ」

 そんな事を言いながら、とても晴れやかな笑みで、カズマはニコニコと二人に笑いかけた。何やらその言葉の裏に含むものを感じたりするのだが、最早カズマを共犯だと認識する二人もまた、好い笑顔でカズマのそれを受け止めたのだった。

「頼まれた」
「仕方ない」

 きっと、そう言った二人の笑顔は、まるで水を得た魚のように大変生き生きと輝いていただろう。それはその場の三人だけが知る、秘密の約束だった。


 それからすぐに、彼等は行動に移った。未だ街の情景をのほほんと語っているリュカに三人は近付き、ラウルがその名を呼ぶ。

「リュカ」
「!……ラウル、殿?」

 らしくもなく、そんな彼等の行動に気付いても居なかったリュカは、突然の事に肩をビクリと揺らした。やはり、そんな様子がいつもとは違うように思えて、ラウルは殊更に優しい声音で続ける。

「話をしたいんだが」
「ベランジェは、俺が街を案内するよ。少し、リュカをーールカを借りるからね」

 ラウルの誘いに間髪入れず、カズマがリュカに回されていたベランジェの腕を取る。その瞬間、二人共が不安な表情を見せながら互いに目を合わせるように動いたのだが、ラウルもカズマも、何かを言われる前に手早く引き剥がした。彼等も多少の罪悪感を覚えはしたが、これも本人達の為と、彼等は結託して心を鬼にする。

 カズマはベランジェとほとんど同じ位の位置から顔を覗き込むように矢継ぎ早に話しかけたし、ラウルはリュカの前に立ち塞がりベランジェの姿が見えないように心を砕いた。
 そして準備が整うと、カズマはあっという間にベランジェを連れ、その場から消え去ってしまった。流石精霊王、目にも留まらぬ早技だった。

 転移の瞬間、リュカはハッと目を見開いたのだが、ベランジェが連れて行かれてしまったと分かると、リュカはその瞳を大きく揺らした。本人にその自覚は無かったの知れなかったが、ラウルもエレーヌも、その異変には気付ける程だった。
 以前のような、折れない強気の姿勢が今や消え去っている。二人はその時、まるで心臓を不意に鷲掴みにされるような、薄ら寒い気分を味わった。それはもしかしたら、恐怖にも近かったのかも知れない。
 そして、慌てたようにラウルは言った。

「……場所を変えよう。エレーヌ、そっちをーー」

 その場でエレーヌには、リュカの腕の片方を持つように指示をして、それから、二人はそのままリュカをその場で持ち上げたのだった。つまり、両方の二の腕をそれぞれラウルとエレーヌに掴まれた状態で、持ち上げられているのだ。今のリュカは地に脚が着いておらず宙ぶらりん。これには流石のリュカも驚いた様子で、焦りを滲ませながらも二人をしっかりと見て言った。

「はっ、ちょっーー、何ですかこの持ち方」
「左脚、未だ慣れていないのだろう?」
「だからって……」
「大人しくしていろ。私も身体強化は覚えたてで慣れん。暴れれば落としてしまうぞ」
「いえ、そもそも持ち上げる必要なんてどこにも……」
「静かに」
「…………」

 そのようなやりとりで、いつものようなリュカの様子を確認できたことに少しだけホッとしながら、二人は不服そうな面をしたリュカをそのまま連行して行ったのだった。


 二人がリュカを連れて来たのは、件の控え室の一つだった。相変わらず薄暗く、そしてがらんとしている。
 二人はそこに並ぶ重厚な椅子の一つにリュカを座らせると、その部屋の扉をバタンと閉め切った。そこにエレーヌが魔術で結界を張れば、最早邪魔が入る事もない。
 締め切られていたカーテンをラウルが半分も開け放てば、微かに部屋に光が差した。あの暗い森とは違い、キラキラとした日光がレースカーテンを透けて直接部屋の中へと入ってくる。それは随分と懐かしい光景のような気がして、リュカは一瞬、窓の外に見入った。

「リュカ」

 静かな呼び声が、リュカの耳に心地良い響きで入ってくる。つられるように声の主を見上げれば、そこには変わりなく真っ直ぐにリュカを見詰めるシルバーグレーの眼とかち合った。こうして正面から見るのは、随分と久しぶりのようにリュカには感じられた。
 そしてすぐに、そんなラウルの隣にはエレーヌが並ぶように立つ。彼もまた、スカイブルーを瞬かせながら真っ直ぐリュカに目を向けていた。

「話はカズマから粗方聞いた。目的は成った、というが……これから、リュカはどうするんだ?」

 首を傾げながら言ったラウルの目は、逃さぬとばかりにリュカの一挙一動を見守っていた。





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