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052.とらわれびと



 塔に掛けられた魔術は、危険だと判断される者を捕える為のものだった。国や世界の危機において、その元凶たる者を封じるのだ。封じられる者は生涯逃げられる事もできず、寿命が尽きるまで生かされる事となる。
 それにベランジェが囚われる事となった経緯は、世界の危機でも何でもない。ただ、人がその力を恐れたが故にだった。その膨大な魔力が故に、死ぬ事も出来ずにずっとずっと、訪れる人を待ち続けた。

 塔が捕える者の基準は明確だった。人を超える力を持ち、他者に危害を加える者。そしてーー多くの人が恐れを抱く者だ。
 特に前者の基準は、後者に比べて緊急性が高く、塔は優先してその者を捕らえようと動くのであるーーーー


「ベランジェは、逃れられた、でしょうか」

 ノーマに抱え上げられてすぐの事だった。逃げ回っている最中だと言うのに、リュカは特に焦る様子もなくただぼんやりと呟いた。

「アンタ馬ッッ鹿じゃないの!?状況見て言ってくれる!?」

 それをすかさず咎めたのは、リュカを肩に担ぎ上げ必死に走るノーマだった。何百もの鎖に追われる中、決して触れぬように回避しながら走るが故、その進みは遅い。出口は近いはずであるのに随分と遠く感じられる。
 身体能力にも魔力の扱いにも長けたノーマは、魔術による自動追尾にも臆する事なく、何とかギリギリの所で逃げ続けているのだ。

 それを、リュカは無駄な行動だ、などとまるで他人事のように考えている。そして同時に、自分よりも必死な様子で逃げ回ってきるノーマを憐れに思った。自分達に付き合わされてこんな事にまでなってしまって。とても可哀想。

 魔術による追尾はしつこくてそして正確だ。それが精霊族製だとすれば尚更。それを分かっているからこそ、リュカは早くから諦めがついた。

 塔はベランジェよりも、リュカをーールーカス=ライツを危険な者だと判断した。彼は、塔に危害を加えたのは勿論、次々と人を戦闘不能にしていった。おまけに、その心の奥底には人へのーー王国への反抗心が眠っている。いつ、人に仇を成すかも判らない。そんな者を塔は野放しにはしておかないのだ。例えその為に、ベランジェを拘束から解放する事になったとしても、危険は優先的に排除されるのである。

 予想もしていなかった展開ではあるが、ベランジェを解放するというその一点においては、成功したのかもしれない。リュカにもこの時点での確信はなかった。ただ、あの鎖が自分目掛けて来るのであれば、それはそう言う事なのだろう。ノーマの肩で激しく揺られながら、リュカは自然、肩の力を抜いた。


 襲い来る鎖を次々に避け弾きながら、ノーマは出口目掛けて走る。リュカがその鎖に一瞬でも触れたらそれだけで終わりだと、ノーマは本能的に理解していた。時折緩急をつけながら蛇行して進む。例え遠回りになろうとも、確実な回避を選択した。一本でも、擦りでもしたら。その時にどうなるかは、考えなかった。考えたくもなかった。ただ本能のままに、ノーマは突っ走った。
 出口まであとほんの少しだった。扉の外へ、二人の身体が半分も吸い込まれたその時だった。希望の光を目前に、ほんの僅かに気が弛んだのかもしれない。

「ッ!」
「うぐッ」

 鎖は獲物を捕まえた。リュカの左足に絡み付いた鎖が、次々と新たな鎖を呼ぶ。たちまち左脚から駆け上がってくる感覚に、リュカの背筋が凍る。

「あ」

 身体中を探られるようなその気配に、力が抜けた。辛うじてノーマの肩に引っ掛けていたリュカの手がずるりと落ちる。そのまま引き摺られるように、ずるりとノーマの腋下から上半身が落ちていった。

「クッソ!」

 それを、辛うじて反応したノーマの腕が掴む。力が抜け、ぐにゃりとする胴体を慌てて腕で抱え込み、咄嗟にノーマは地にしがみついた。それでもリュカの脚は、鎖に従うようにズルズルと術の内側へと引き摺り込まれていく。それにどうにか抵抗するも、引っ張り上げる事は叶わない。力の抜け切ったリュカの身体は、ピクリとも動かせなかった。
 もう、こうなってしまってはどうしようもない。リュカはノーマに向かって静かに言った。

「ノルマン、離しなさい」
「アホな事言うな!ッここで盗られたらマジで死ぬしか無くなる!」
「離せ。無駄です、ノルマン」
「言うな!アンタら一族郎等、全部居なくなるまで続くんだろ!?クッソ腹立つ!反吐が出る!ーーここで絶対、ぶっ壊してやるッ」

 優しく諫めるような口調で、諦めるような口調で、リュカはノーマに言った。自分と他人とを重ねて好き勝手するこの男の必死さが、どうしてだかひどく似つかわしく無いと思えた。どんなに頑張っても、絶対にどうする事もできないだろうに。そこまでする必要は無いのだと。精霊族の操る人智を超えた魔術なぞに到底敵うはずもない。

 だのに。
 それなのに。

「!お前ーー」
「胴を持つ。脚を」

 突然、リュカとノーマに近づいたその気配は、手短にノーマと言葉を交わすと、宣言通りリュカの腋下に腕を回した。それが誰だか気付いた瞬間、リュカの目は大きく見開かれる事になった。

「ラウル、殿」

 辛うじて顔を向ければ、そこには顔を顰めながらもノーマに加勢する半獣人の男が居た。ノーマといい彼といい、何をそんなに必死になっているのか。信じられない気分で、リュカは同じように告げた。声に滲む焦燥を隠す事は、流石のリュカにも出来なかった。

「無駄です。あなた方も巻き込まれないとも限りません、離れていなさい」

 何度目かも分からないリュカの台詞は、やはり彼らは聞き入れなかった。ラウルもまた、リュカの言葉にフルフルと首を横に振っただけで、止めようとはしなかった。苦しそうにリュカの身体を引っ張り上げようとする。
 そして、極め付けは。

「高圧縮の魔力による拘束魔術、最早人智を超えてるがーー分解さえ出来れば」
「儀式魔術でどうにか試してみようッ、急げ!」
「ってめぇ、グダグダ高説垂れる前にブッちぎれや!おい、人狼のアンタ、剣借りんぞ!」
「ユリアン!鎖ひきちぎってよ!」
「えっこれ何十本もあるじゃ……ってマジで引き千切るつもりか!?」

 わらわらと集まって来たかと思えば、彼らはいつものように騒ぎ立てながら算段を話し合っている。その顔に焦りが滲んではいるものの、まるでいつも通りの光景のように見えて、リュカは混乱する。彼等はただ、利用されただけだというのに。
 
「なん、で……事情も知りもしない癖に」

 零れ落ちたリュカの言葉に返す者は居なかったが、彼らは手を止める事もなく無我夢中でコトに当たった。
 この時の己の心をどう表現したら良いのか。リュカは分からず、苦しくも一杯になった胸から大きく息を吐き出した。


 そしてその後すぐ、リュカは更に目を見開く事になる。同時に、心臓が大きく震えた。


「ベ、ランジェーー!」

 きっとそれは、今迄で一番弾んだ声であったに違いない。リュカの目は、空から降ってきた男に釘付けになる。真っ黒で長い髪を緩やかに靡かせながら、真っ黒いローブに身を包み。そんな出立ちにも関わらず、まるで御伽噺に出てくる精霊のような圧倒的な気配を纏って降りてくるその男、ベランジェに。
 音もなくそっと地に足を着けたその男だけを、リュカの目は真っ直ぐに見上げたのだった。その場の誰もが驚くような歓喜に溢れた表情で、リュカは言った。それはどこか、熱に浮かされたような声音だった。

「ようやく……ようやくこの時が……この時の、為にどれ程ーー」

 自分の置かれた状況など気にもせず、震える声で言葉を続けようとするリュカに。ベランジェはそっと人差し指をリュカの唇に当てた。そして不思議な声でーー皆にも聞こえる音のない声で、彼は言った。

『まず私の代わりに受けたその鎖を、どうにかしなければ』

 男の表情は、まるで人形のように表情の変化が見られない。けれども、優し気な声音で男は言った。
 急に降ってきた希望、ノーマが真っ先に反応する。彼の声音は、先程とは別の意味でしっかりと力強かった。

『切るのは其方では駄目だ。……大丈夫、脚の代わりなどいくらでも作れる』
「それって、つまり……」
『ノルマン、そこを縛りなさい』
「……ベランジェが、そう言うならーー!」

 その後すぐ、ノーマは服を裂いて作った布をリュカの脚の付け根に強く巻き付ける。その行動の意味を、リュカもその他の者達も直ぐに察する。相変わらずリュカを引き摺りこもうとするその鎖から手を離して、彼等は数歩分場所を離れた。男が何者なのかは半信半疑ではあったが、只者では無い事は彼等にも理解出来ていた。
 無意識にだろう、表情を堅くしてしまったリュカに、ベランジェが顔を近付ける。そしてベランジェは、己の額をリュカの額にコツンと当てて言った。

『私が居る。ルカの傍にはベランジェが居る』

 その言葉にどうしてだか、少しばかりの安堵を覚えたリュカは、大きく息を吐き出した。その時のリュカの表情は、ベランジェの長い髪に遮られて他の者には見えない。ただ、安心したかのように、全身から力を抜いたのだけは確かだった。

 そしてリュカの脚にベランジェの手がかざされた次の瞬間。ブツンッと何かを断ち切る音と共に襲ってきたその苦痛に、リュカは耐え切れずに意識を失う事となった。

 しかし、その瞬間に見えたベランジェの目がいつもとは違ってとても穏やかな光を湛えていて、リュカは心底ホッとしたのだった。

 苦しいのは確かなのに、リュカは安らぐように真っ暗い闇の中へと意識を沈めていった。






* * *






 流れてきたむせ返るような血の匂いに、ノーマは思わず鼻を腕で覆った。


 嫌な音と共に千切れ飛んでいったその脚は、瞬く間に鎖に覆われ塔の内部へと高速で引き込まれていった。不快な音と共に、段々と小さくなっていく。そしてしばらくすると、パッタリと音は消えた。
 耳を澄まし、気配を研ぎ澄まし、塔の挙動を探る。
 しかしそれっきり、何かが起こる事はなかった。ノーマは少しだけ脱力する。目の前に倒れた人は、流石の衝撃に意識を失っている。その原因となった傷口は、ベランジェによって塞がれている所だ。
 きっともう、これ以上悪い事も起こるまい。そう、思ってはいたのだが。ノーマは少し、血に酔ってしまった。
 元々は、血を飲む事が得意ではなかったノーマは、血に対する吸血衝動が他の者に比べて薄いはずだった。

 しかし、ここ数年の自堕落生活と、目の前にぶら下げられた極上の血臭に思わず衝動を覚えそうになったのである。
 こんな時に、と文句を言いたくもなったが、種族の欲求には逆らい難いものがある。唯でさえ血液に対する嫌悪感が薄らいだ上に、目の前に香る血臭はずっとずっと帰りを待っていた人のものだ。人に対する好意が味の好みに反映されるのであれば即ち、今目の前で意識を失っている人の血は、それはもう美味な食料に違いないのだった。
 こんな時に不味ったなぁと、危機の去った中で喜び慌ただしくも騒ぎ立てる中で一人、ノーマは苦痛に顔を歪めていた。


『ノルマン?』

 そんな彼の様子に真っ先に気付いたのは、ベランジェだった。彼はこの中で、ノーマとの付き合いが最も長い。それこそリュカよりもだ。最も最初にあの塔を訪れた人が、少年だった頃のノルマンだったから、彼の生い立ちも人生も犯した罪も種族の事も何もかも、ベランジェは最初から全部知っている。

 ノーマはベランジェの問いに、眉根を寄せながらも首を横に振って応えた。声を出そうと血臭を鼻にしてしまったが最後、衝動を抑えられそうに無かったからだ。それすらも分かった上で、ベランジェはリュカ越しにノーマへと顔を近付ける。

『ノルマン、我慢もよくない』

 反射的に仰け反ろうとするノーマの裏首を捕まえて、ベランジェは顔を寄せた。
 驚きに目を見開くノーマの腕を外させると、戸惑いもなく、ベランジェはその口に自分の口を寄せる。合わされたそこからは、確かに血の味がした。

「「「!?」」」

 目の前でそれを見せられている周囲は、驚きに声も出ない様子なのだが。飢餓状態を誘発されてしまったノーマにそれを構う余裕なんて無い。いつだったか、リュカにそうしたように夢中でその舌に牙を立てて、舐めるように血を啜った。
 普段から十分に血を飲む今のノーマにとって、今のそれは時間外のおやつのようなものだ。時間はかかったが、少量でも満足した彼は牙を抜くと、いつものように、擦り合わせるように軽く愛撫して、与えられたその口内を少しだけ楽しむ。
 それにようやく満たされて口を離す頃には、ノーマの手はベランジェの首筋に添えられているのだった。

『衝動は、落ち着いた、か?』
「!」

 満足感からくる余韻に浸っていたノーマは、ベランジェのその言葉にようやく我に返る。一体自分は何処で何をしていたのだったか。それを必死に思い出しながら、彼の言葉にブンブンと首を縦に振る。
 そして恐る恐る、ベランジェから顔を外していくと。すぐ隣から、すぐ真下から、真上から、自分を凝視する幾つもの視線がある事に気が付く。
 普段から親譲りで貞操観念も薄くって、別に見られる事に対して抵抗があるわけでは無かったが。流石にここまで多勢に凝視されるとさしものノーマもたじろいでしまう。その中に、いつの間にか目を開けていたリュカや、いけすかない精霊王までもが含まれているとなると尚の事。

「ノルマン、アナタ……拙僧無いんですね」
「うるっさい」

 誰の所為だと思ってるだなんて言葉を呑み込みながら、ノーマはようやく肩の力を抜いた。

「……僕が今までずっと、誰から血を貰ってたと思ってたのさ。流石に口移しは初めてだけど」

 恥ずかし紛れにそんな事を言いながら、ノーマは深く深く息を吐く。やっと気を抜けたのだ。体力も魔力も普通の人族は大違いで、例え丸一日やニ日、戦い続けたって平気でいられるはずのそんな戦闘狂の男が。リュカの身体の上に上半身を倒して、呟くように言った。

「良かった……死んでない。二人とも、大丈夫だった……大丈夫だったよ」

 誰にどこまで聞こえてしまったかは分からない。それでもノーマは、言わずにはいられなかった。やっと見付けた自分と共に時を歩める人達。彼等に殺されるまで、絶対に手放す事なんて出来やしない。
 ポンポン、と己の頭を撫でるその手を、ノーマはその時ばかりは振り払う事が出来なかったのだった。





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