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047.事故



「はああー?」

 ノーマは森の中でその光景を見て、限りなく呆れたような声を漏らした。散々探し回った人が、木に身体を預けて眠りこけているのだから、どうしたってその感情は抑え切れない。ホッとすると同時に、脱力した。


 半日ほど前だったろうか。ノーマの元に、慌てた様子のクロードがやって来たのだ。よくよく話を聞いてみれば精霊王らしき者に連れ去られたのだという。
 その時、ノーマは思い出した。随分と昔、同じように精霊王に連れられて行ってしまうあの男の姿を。

 気付けば体が動いていた。森の中は熟知している。それに、精霊王が居るであろう場所も検討がつく。だから、影も使わずに走り回って、その姿を探した。
 別段、あの男が精霊王にどうにかされるとは考えてはいない。鬼のように強いのは知っているし、精霊族が直接関われない事は知っている。だから何かが起こるという事は無いと思うのだが。
 それでも、自分の預かり知らぬ所で何かが動いているのは許せなかった。あの男は自分達のものだ。やっと戻って来たのだ。二度と離すものか。ようやく見つけた、自分と同じ時を過ごすことの出来る、すぐに死なない相棒ーー相棒と言うには執着し過ぎている気もするがーー。
 子供の頃に植え付けられたトラウマじみたそれは、何百年と経った今でも彼の中で燻っているのだった。


 発見した男は、自分の足で(或いは魔術で)帰れるにも関わらず、焚き火を燃やしたまま、木に体を預けて呑気に寝息を立てている。ノーマそれにそっと近寄って、苛立ち紛れに頬を引っ張ってみる。随分とぐっすり熟睡しているのか、眉根を寄せただけで起きることは無かった。
 何て危機感のない……とノーマは一瞬思うも、すぐにかぶりを振る。この男は油断などしているのでは無い。攻撃されたとて、殺されずにすぐに殺し返すだけの自信があるのだ。昔から散々戦ってきたノーマには分かる。この男は、本気で戦った自分すらも殺し得る男だと。一度剣士となった事で、唯一の弱点であった体術までも会得したこの男に果たして、勝てる者など、自分とベランジェ以外で存在するだろうかと。
 そこまで考えた所で、ノーマは呆れる。自分にも、この男にも。こんなにも自分と男は似ているのに、考え方はいつだってすれ違うのだ。この男は、目的を果たした上でいっそ誰も殺さずに自分が死ぬ事を望んでいる。ノーマは、壮絶な戦いの上でこの男に殺されるのを望んでいる。こんな愉快なすれ違いなどない。彼は少しだけ自嘲して、泣いた。
 大きな溜息が漏れると同時に、彼は行動に移る。恨みがましく口を尖らせながら、ーーリュカの腕に手をかけた。




* * *




 リュカはその時、パチリと目を開けた。
 こんな森の中なのに、グッスリと眠れた。きっと、リュカの魔力に畏れをなして何も近付かなかったおかげだろう。自身で隠せはするものの、それには限界もあるもので、漏れ出る魔力は抑え切れない。
 こういう時ばかりは助かる、だなんて思いながらリュカが身体を起こそうと力を入れると。ここで初めて、リュカは自分の身体が動かない事に気が付く。一体何が、と焦りつつ己の身を確認した所で。リュカは呆気に取られる事になった。
 自分の身体は何と、何故だか自分を抱き抱えている男によって拘束されているのだ。道理で暖かいと思った、だなんてリュカは現実逃避気味に思う。そして、リュカに抱き付きながら身体も頭も木に預けてどこか満足気に眠っている男ーーノーマの顔にほんのり苛立ちを覚えた。誰の許可を得てこんな事しているのか、と。
 だがそれと同時に、突然消えた自分を探しに来てくれたのだと思うと、怒るに怒れないような複雑な気分を味わう事となる。人肌は安心する。リュカがベランジェの隣に居て居心地が良いと思うのは、ソレのせいかも知れない。そう思うと、リュカは少しだけ妙な気分になって、その場で大きく溜息を吐いたのだった。


「ンガッ」

 リュカを背後から抱き込みながら眠りこけているノーマの鼻を摘み、起こす。眉根を寄せながら目を開けたその姿に、リュカは少しだけ胸がスッとした。

「おはようございます。貴方まで何でこんなところに?」
「へ?んん、?」

 寝起きでさっぱり頭が回っていないのか、ノーマは目をゴシゴシと擦った後でパチパチと目を瞬かせた。

「あれぇ、何だっけか。僕、何でこんなとこ居るんだっけ……」
「ーーああそうでした、貴方は大層寝汚いんでしたっけね」

 大あくびをするノーマをジト目で見上げて、リュカは次に周囲を見回す事にする。昨日は余裕が無く確認すらしていなかったが、上空に見える塔の見え方から、随分と遠い所に居るらしい事は分かった。
 まぁそれでも、魔術やら影やらであっという間に帰れるのは分かっているので、リュカは急ぎはしない。やはりと言うか、元来普通の人よりも力のあるノーマに抱き抱えられては無理に逃れることも出来ないので、この男が覚醒するのを待つしか無いのだ。相変わらず、あーだのうーだのと呻いている男に向かって、リュカはピシャリと言う。

「ほら、クソガキ、とっとと退きなさい、この、腕」
「いでっ……、んー……、お腹空いた」

 べチンッと強めに頬を引っ叩くと、ノーマは分かりやすく声を上げる。だがそれと同時に、本当に子供のような事を言うものだから、リュカは耐え切れずに噴き出してしまう。ニヤニヤとする口を片手で覆いながら俯く。

 しかしこの時、リュカは失念していた。ノーマにとっての『お腹すいた』、というのはつまり、血が飲みたいと言う事に他ならなくて。
 そしてリュカは知らない。毎夜共寝をするノーマとアマンダが朝、どんなやり取りをしているかだなんて。だから寝惚けるノーマの真意に気付けない。完全なる、油断であった。

「ん」
「は?」

 声を上げた時にはもう遅かった。
 ギュウと片腕で一層強く引き寄せられたかと思えば、眠るのに緩めていた襟首を慣れた手付きでズリ下げられて。ガブリと、何の躊躇いも無く、噛みつかれたのだった。

「ひぃっ!ーーちょッ、止めッ!」

 痛いのは一瞬だった。いつかのように、抵抗する間もなくズルズルと血を吸われる。きっと、以前ラウルに説明された、かの吸血種の魅了の魔力の効果もあるのだろうが。段々とその行為が気持ち良くなって来てしまう。だが、こんな所でそんな気分になるだなんて、青姦も好い所だ。リュカにはそんな趣味はない。それに、長い間魅了の魔力に晒されれば流石のリュカとて拙い。
 ふざけんな、とリュカは力を振り絞って、腕を一本、拘束から外す。そして、夢中で食事をとるノーマの鼻を、思いっきり摘んでやった。

「んぐ」
「離しなさいッ!」
「んううう」

 痛い上に息が出来ず、ノーマは観念して口を離す。嫌そうにリュカの指を鼻から外して、その犯人、リュカを見返した。するとようやく、ノーマがあれ、といった顔になる。

「あれ?味が違う」
「味…………?」

 人の顔を見返しておいて、その味が違うと言い放つこの男に、リュカが怒りを抱くのは当然の事だろう。

「ん?んん?あれ、アンタ何でいんの?」
「何でじゃないです、こっちが聞きたいんですけど。朝っぱらから人の事襲っておいて……」

 ポカンとしながらも、ようやく正常な思考をするようになったノーマに、リュカは恨みがましい目つきで睨み上げる。すると、ノーマは流石に事態を把握したのか、目を見開いて顔を引き攣らせる。

「あっ、ゴメッ、ーーアマンダかと思った」
「アナタ達、朝っぱらからいつも何してんですか……」

 いけしゃあしゃあと言ってのけるノーマにリュカは大きく溜息を吐く。未だ首の辺りが、ノーマの魔力で熱を持ち燻っているが、それも今の内だけだ。その内、リュカの体内を巡る魔力によって掻き消されてしまうだろう。だから、リュカはその点は大して気にしてはいない。

「何ってーー、そりゃあね?3大欲求には逆らえないっしょ」
「ああ……、そうですか」
「アンタだって人の事言えないっしょ」

 言いながら、ノーマは先程まで噛み付いていた其処に口を寄せる。そして、そこをベロリと舐め上げたのだ。吸血種の唾液には、傷を治す作用がある。アマンダのような毒は勿論のこと、大穴や欠損でなければ多少の傷は治してしまえるのだからその効果は大したものである。そういう彼等の能力があったからこそ、吸血種が一部捕らえられて好き勝手使われていた、というのはリュカも知る所であった。
 そんな事を思い出しながらも2、3回程舐め上げられた所で、ようやく穴が塞がったのかノーマが口を離す。血液の混じった唾液がツ、とノーマの舌から糸を引き、切れる。なまじ顔が整っているノーマの事、その様は見る者が見れば生唾を呑み込むような状況なのだろうが。

 リュカはそれが終わったのを確認すると、とっととその腕から抜け出し、ノーマと向き合うような状態になって早速本題に入った。首筋を袖で拭き取るのも忘れなかった。

「で?もう一度聞きますけれど。アナタはどうして此処へ?」

 きっとそれも分かりきった事なのだろうけれど。その本意を図りかねたのは事実なので、端的に聞く。

「んー……あの時クロードがさ、僕のところに来てアンタが攫われたって言うからさ、探してた」
「私がそんなヤワで無い事、アナタも知ってるでしょうに」
「まぁ、ね」

 歯切れ悪く言うノーマに、リュカは何とも言えない気持ちを味わう。きっとこの男は、これ以上は言わないつもりだ。それを分かっているから、リュカもそれ以上は聞かなかった。

「まぁいいでしょう」

 そう呟くと、リュカは立ち上がって身支度を整える。焚き火に再び火を灯し、乱れた衣服をキッチリと着直す。先程の事件で血が滲んでしまっているが、黒のケープは目立たないのが救いだ。
 この男に噛まれるのはこれで一体何度目になるか。昔を入れれば数え切れなくて。何度油断した事かと、段々自分が情けなくなってくるリュカは、それを誤魔化すように次の話題を切り出す。

「討伐隊が精霊王を得ました。あの男ならば塔へ迷わず来れる。すぐにやって来るでしょう」

 ノーマに向き直り見下ろしながら言えば、彼は表情を変える事なく無言で見返してきた。

「アナタに頼みたい事があります」

 そう言ったリュカの中には既に、迷いなど無かった。ここからが正念場。何もかも投げ打って、満足のいく結果を何が何でも手繰り寄せる。例え失敗に終わったとて、後悔はしたくない。それはリュカの、心からの願いであった。





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