Main | ナノ

045.飼い犬に手を咬まれる(後)



 シィンと静まり返った洞窟内では、相変わらず2人以外の者達の声は聞こえない。誰も彼も、その様子を固唾を呑んで見守っていた。

「当人だ」

 先のリュカの質問に対して、精霊王ーーヴィクトルは即座に肯定した。それをリュカは無表情で見つめるのだが、その目は雄弁にモノを語る。

「それは……気持ち悪い、ですね」

 まるで幽霊でも見たかのような眼差しだった。
 そこまで言われれば、いかに精霊王とて黙ってはいなかったようだ。まるで人族のようにゴホン、と咳払いをすると、ヴィクトルは言った。

「我の、と言うよりはカズマという人間としての人格のものだ。…………おい、そのような目で見るで無い」
「…………」

 表情にこそ現れてはいないものの、リュカの心の内はヴィクトルにダダ漏れであった。リュカが半歩後ろにずり下がったのも実によろしくなかった。ヴィクトルは少々機嫌を害したようで、口調に棘が入る。それすらも人族のようで、リュカは人知れず鳥肌を立てた。
 だが、そのような雰囲気は長くは続かない。ヴィクトルが精霊王たる所以。どんな状況に於いても、些細な感情で目的を忘れる事はないーー

「確かにそうと決めたのは我であるが……実に心外。話さなければならない事もあったのは確かなのだ。ここでハッキリとさせねばならない」
「話さなければならない事?」
「お前の去就だ」

 バッサリと切り込んでくるヴィクトルに、リュカはやはりと気を引き締め直す。最初からそのつもりだったのだろう。ヴィクトルの声には一切の迷いが無かった。

「お前は言った。今も昔も、次を探せと。ーーならば次を探した所で、お前は一体どうするつもりだ?」

 ここで、こんな皆前で、それを聞くのか。リュカは目を細めて、いつの時代も変わらぬ薄情な精霊王の目を真っ直ぐに見つめ返した。例え人族の感情を得たとて、この王は変わらない。人族のように、自分のように、一時の感情に左右され目的を見失う事はない。それが何とも頼もしくてーー憎らしい。
 リュカは自覚した。
 自覚したのと同時に、素早く両手で顔を覆った。いつかのように、歪んだ笑みが漏れるのを、其れを見られるのを危惧した。優しい彼等はきっと、未だに正常なリュカ=ベルジュの幻想を抱いているに違いないから。

「それを此処で、聞くのですか?」
「…………」
「貴殿の方がこちらへいらっしゃれば良かったのではありませんか……以前のように」
「それでは意味がない。解らせる必要もある」

 解らせる。
 その言葉の意味を、リュカは正確に理解した。今し方リュカが顔を手で覆ったように、本来の姿を隠す意味を、元から無くしてしまおうと言う訳だ。実に精霊王らしい、率直なやり方である。人族の心情などお構い無しに、言葉では信じ難いそれを、実際に見せて事実を突き付ける。呑み込めるか否かは問題ではない。どうせ心が追い付かなくとも、結果は後から付いてくるから。精霊王は、実に人族を正確に理解している。
 今、目の前に居る男は、リュカ=ベルジュであってそうではない。これが男の本来の姿であると、それをぬるま湯に浸る連中に突き付けるのだ。
 ヴィクトルが変わったと思ったのは、上辺だけであった。人族のような精霊王がリュカにとって不気味である事は違い無かったが、これできっと精霊王も多少は人族に配慮が出来るようになるだろうーーと。だがそれは唯の願望に過ぎなかった。リュカはそれを安堵するのと同時に、少しだけ残念に思った。

「本当に貴殿らしい物言いです。……ではひとつ、例え話をしましょうか」

 努めて明るい声を出しながら、リュカは言った。多分きっと、誰にもーーノーマですら知らない彼の心の内の話を。両手で髪を横から掻き上げながら真下を向く。顔の表情が分かるか分からないか、そんな絶妙な角度だ。見られている、それを感じながら、リュカは自分を叱咤した。

「私はベランジェ程に優しくはありません。ベランジェには出来なくても、私には出来てしまう事があるーー」

 言葉尻、その声が何処か夢見心地のように響いたのには、何人が気付いただろうか。

「余分な事を考えて居ないと、ついつい、考えてしまうのですーーーーどうしたら根絶やしに出来るか……」
「!」
「考えれば考える程、計画は完璧に近付いてしまう……私はベランジェとは違ってもう、今は自由に森を動けます……多分、無理をすれば抜けられる。後はベランジェの同意さえ得られれば……城の内部構造も、一族郎党……何処に居るか……危機が迫った時、彼等は何処へ逃げる事にーー」
「その話はもう好い」

 語っていたリュカを遮るように、ヴィクトルの声がピシャリと言った。彼の声は不思議と、その場の雰囲気を引き締めるに至った。それはリュカにとっては救いの一手でもあって、声を掛けられた事でようやく話そうとしていた内容の不味さに気付く事になる。こんな、アレクセイばかりでなく、他国の内部に食い込んでいる人間達すら居る中で何という話を、と。
 決して本気では無いのだ。だが、どうやっても拭い去る事の出来ない願望というものが心の内にはあって。これ以上踏み込んでくれるな、という脅しの意味で話し出しただけ。ただそれが、考えていた以上を話し過ぎてしまった、と言うだけの事。脅しと言う意味では、それは実に効果的であった。

「我の質問には応えていない」
「ああ、そうでしたね。私の、去就でしたか?……それならもう、とうに気付いていらっしゃるでしょうにーー」

 パッと手を髪から離し顔を上げ、リュカは冷ややかな目で精霊王を見返す。

「それだけは許しませんよ、ベランジェの命は、貴方がたには勿体無い」

 瞬間、場の空気が凍ったのをリュカはありありと感じ取った。精霊王の眦が一瞬、ヒクリと震えたのは見逃さなかった。
 だが次の瞬間には、リュカは精霊王の厄介さを身にしみて思い知る事となる。この王は、そう上手い事騙されてはくれないのだ。

「ならば、今どうして殺してしまわない。護るような行動をとる?お前は此奴らの目的を知っているだろうに」

 きっと精霊王ヴィクトルの事、リュカが本当に目的としている事も、ワザと敵対するような行動を取っている事も総てお見通しなのだろう。だから皆前でこんな茶番を演じさせている。そして、それを目の前で暴こうとしている。完膚なきまでに。
 当人が其れを望もうが望むまいが、ヴィクトルはいつだって真実だけを突き付けていく。以前のルーカス=ライツとしての彼ならばいざ知らず、今のリュカにとってそれが、唯のありがた迷惑だとしても。
 それでもリュカは、務めて冷静にそれを拒絶する。彼がようやく気付けた、ヴィクトルの弱点を突いて。

「その問いには応えられませんよ。いくら貴殿とて……出来ない事があるのを私は存じております。私が応えなければ、導く者である貴殿は話す事が出来ない。明かす事が出来ない。だから私を此処へと呼んだ。ーー見くびらないで頂きたい」

 そうリュカが言いはしたが、確かに討伐隊の人間達がヴィクトルの言葉を皮切りに、リュカの話に早くも疑問符を浮かべている事に気付いている。だから一刻も早く、露見する前に此処から立ち去らなければならない。有耶無耶に進めなければならない。そう思うのに、此処から逃げ去る方法がリュカには思い付かなかった。焦りは禁物、そう思うのに、リュカの焦燥は強くなるばかりだった。

 その場の沈黙は、1人の厄介な男によって破られた。リュカにとって最も騙し辛く、そして最も多く腹を探り合った相手によって。

「……確かにアンタは、隊を離れても一度も僕らに牙を向ける事はなかった。あの吸血種野郎を取り押さえに来てた。二度も」

 思いもしない方向から声が聞こえて、リュカは自分の心臓がドクリと嫌な音を立てるのを感じた。男にしては高めのアルトの声。見た目に反し、随分と苛烈な|性質《タチ》の男は、リュカが厭う程に勘が鋭い。

「ーーリュカは、口ではそう言っていても、いつも思っていない事を言うだろう」

 聞き心地の良い低めのテノールは、いつかのように優しくリュカを咎める。リュカの性質を理解した上で語られるそこには、純粋な好意しかない。人間族とは少しだけ違う彼等の素直な心根は、いつだって変わらずリュカの柔らかい所を抉る。

「お前の手口は理解した。ーーそう、易々と利用されるとは思うなよ?私とて大魔術師の端くれ、敵わずとも私にも出来てしまえるくらいはある」

 そんな事まで言われてしまってもう、リュカは耐えられなかった。耳を塞ぐように髪をくしゃりと握り締めると、少しだけ腰を折って目も塞ぐ。そうすれば、何も見えず聞こえずに済む。この気持ちの奔流が過ぎ去ってしまうまで、塞いで仕舞える。

 あれだけ焦がれたベルジュとして生き、魔術こそ使えぬものの確かに家族の姓を名乗れた。ほんの僅かな時とは言え、確かに一員として隊の仲間達と繋がる事が出来た。他者の好意を、確かに心地良いと思えた。ほんの些細な喧嘩が、悪意の無い掛け合いがあんなに気持ちの良いものだとは。第二の人生は、確かにリュカがーーというよりは、ルーカス=ライツが望んでいた人生そのものだった。魔術だけだった以前の人生とは、まるで真逆。それが酷く心地良かった。魔術に焦がれていた過去の自分など、忘れてしまえる程に。
 それが今は、リュカの目的を邪魔している。何もかも捨てて、放り出して、忘れて、このまま彼等と共に永遠に森を彷徨い続けたい。前のように、どうしようもない事から逃げたい、逃げ出したい。叶えば叶う程、願望は膨れ上がっていくばかりーー。
 自分はこのままどうなってしまうのか。浅ましい願いに押し潰されて元の木阿弥と成り果ててしまうのか。自分の下へゆっくりと近付いてくる恐ろしい気配を感じながら、リュカは久々に酷く、強く、動揺していた。

 だがそんな時。突然、リュカへ甘い逃げ道が提示された。

『下だ』

 聞こえる筈のないあの人の声に、リュカはハッとして、理解すると同時にすぐ様行動に移った。

 余程余裕が無かったのか、リュカは無意識に、地面にありったけの魔力をぶつけて周囲の地を抉ったのだ。通常の魔術ではない。ただ本当に、魔力を力任せに放出しただけだった。その力の起こりは、精霊族の使う魔術にこそ等しいものだったが、その異常性に気付くのはやはり、魔術師達のみ。
 地震のような地鳴りと共に地面は崩落し、リュカに近付いていた気配もその場から離れざるを得なかった。
 それは本当にあっという間の出来事で、地面にできた穴にリュカが飛び込んだかと思うと、リュカの姿は瞬く間に消え失せてしまった。洞窟の中、ポッカリと空いた穴の前で、彼等は茫然と立ち竦む。


「……あっちゃー、失敗したかなぁ……邪魔入っちゃったよ。まさか、これ程だなんて」

 地面に出来た穴を前に、ポリポリと頬を掻きながらそう言ったのは、何と精霊王だった。先程の話口調からは明らかに掛け離れた、カズマとしてのそれだ。だが、それに驚く人間は此処には居ない。その内の1人がカズマへとゆっくり近付き、一緒になって地下を見やる。

「まあ、結果がどうであれ、彼が無事なら良いさ……少し、安心したよ、元気そうで……。それよりカズマ、君は一体なぜリュカの前であんな話し方をしたんだい?確かに事前に変な喋り方をすると公言されては居たが……少し、奇妙だったよ」

 変わらぬいつもの調子で、アンリが精霊王ーーカズマへと近付き声をかける。確かに精霊王の姿にはなってしまったが、彼はカズマである事には違いないようだ。

「ああ、うん、それがね……多分隊長達が思った『変な喋り方』が、彼にとっての精霊王そのものなんだよ。今の、カズマとしての喋り方の方が、彼にとっては『変な喋り方』で……って、自分で言ってて訳わかんなくなりそう」

 まるで独り言のように説明しながら、カズマは人間臭く説明する。

「あんまり精霊王が人間臭いって思われると、多分今のリュカ俺の事信じてくれなさそうだし、『精霊王の回し者』程度だと思っちゃいそうだったから」
「そういうものかーー?」
「うん。だって、さっきの反応見たでしょ?本当にヴィクトルか、って」
「それは……」
「まぁどっちにしろ、精霊王の言う事あんまり聞いてくれなさそうだから……あれで、いいんだよ。今の俺に出来る事ってもう、無いから」

 少しだけ寂しげに言ったカズマは、再びポッカリと開いた地面をしばらくの間見つめた。

 リュカにはちゃんと、思い出して欲しかったのだ。彼を思い、彼の身を案じている者達が居る事を。そうすればきっと、思い切った行動を取る事も無いだろうから。真っ直ぐに前しか向いて居ない目を、どうにか少しでも逸らしたかった。
 意思の強さは時に、己を傷付ける刄となる。剣士としてのリュカ=ベルジュの行動を見て、その危惧は正しいものだという確信があった。例えそれが失敗に終わるとしても、今となってはカズマに出来る事はそれ位しか無かったから。


「あ……そういえば返しそびれた」

 ふとそれを思い出したカズマは、懐に仕舞い込んでいた首紐の切れた件の首飾りを手に取り、掲げて光に透かして見る。かの森の中とは違って、分厚い雲のかからないそこには、きちんと太陽の光が通る。ポッカリと穴の開いてしまった壁から微かに漏れ入る光が、ヒビの入ってしまった青瑪瑙に当たる。宝石のようなキラキラとした輝きこそ無かったが、深い青が照らされ、薄ら白く光る。

 炎ではない彼に青は似合わない。雷光の如く光るインペリアルトパーズの方がきっと、彼には相応しいだろう。そんな事を人知れず、カズマは思うのだった。





list
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -