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044.飼い犬に手を咬まれる(前)



 それから数日も経たない内の事だった。

 リュカはここ最近、昔を思い出すかのように魔術をあれこれと試し打ちをして塔の周囲を破壊したりなどしてしまっていた。そんな時、北の方から漂ってくる尋常ではない気配を察知してしまったのだ。例え自分の魔力を使っていようとも、外からの魔力に対する感覚は敏感だ。それも、今まで全く力の感じられなかった北の果ての地から、人知を超えた魔力の気配が突然発生すれば直ぐに気付く。例えそれが一瞬で収束しようとも、リュカにはそれが何だかは直ぐに分かった。
 居ても立っても居られず、塔の壁伝いを駆け上がり屋根に登って見えもしない北の果てに目を凝らす。例え己の目では見えずとも、感覚的では何処からその気配がするのか察する事ができた。今やすっかり隠れてしまったとはいえ、昔散々目の前にした気配だ。ちょっとやそっとで、リュカから完全に隠れおおせる事なんて出来やしない。


「なに……今の」

 尋常ではないその力の気配に、クロードが屋根の上に姿を現して言った。あの日リュカに殺されかけて以来、影に入ったきりなのか姿を一度も見せては居なかったのだが、流石の彼も我慢ならずに出てきたらしい。リュカ同様、塔の屋根から北の地を熱心に見つめている。
 全部承知しているリュカとは違って、クロードはきっとその気配の正体を考えては恐れ慄く事だろう。まだまだ純粋さを残す彼の考えが手に取るように解って、リュカはこっそりと嗤う。

「ね、ねぇ……あのさ、ーーあれって、何?知ってるんでしょ」

 恐る恐る、戦々恐々、そんな言葉が似合う程に萎縮しながら、しかし普段の話し方を変える事なくクロードは聞いてきた。両手をもじもじと弄りながら、上目遣いで不安気に見上げてくるその様子は、普通の子供のようだった。
 そんな反応はリュカも予想してすらいなかったもので、取り繕う暇もなく素直に驚いてしまう。だがすぐに気を取り直して、リュカは普段通りの口調で言った。

「ええまぁ。……気になります?」
「っ、そりゃあ、さぁ、こんなに大きな気配、あの人以外に居るなんて、僕思っても居なかったから」

 クロードがやらかしてくれた事を許すつもりなんてリュカには毛頭ない。けれど、彼の心情も解らないでもなかった。彼もまた、この騒動に巻き込まれてしまった一人には違いないのだから。
 物心つく頃には、彼は既にこの森に居たのだという。人かも獣かも判らない者によって両親から引き離され、この森へと連れて来られてしまった。それを憐れには思えども、同情はしない。そんなモノは何の役にも立たないから。
 だからこそリュカは、誰にでもするように、単なる親切心で言った。

「でしょうね……あれが伝説に聞く精霊王です」
「!」

 それっきり、2人に会話は無かった。リュカは今更気を使う気などないし、ただジッと北の方を眺めているだけだ。
 クロードもクロードで、チラチラとリュカを見たり北の方を気にしたりと忙しない。それでもリュカは気にも留めず、ただただぼんやりと物想いに耽った。
 綺麗さっぱり忘れ去って誰に成ろうがどんな人生を送ろうが、根本を解決しなければ心に巣食う気持ちが晴れる事はない。逃げて逃げ続けて結局、リュカが得たのはそんな結論だった。
 あの時精霊王の手を取らなければ、一体自分はどうなっていたのか、そう思う事もあった。今更自分の選択に後悔などしてはいないのだが、何も為す事もなく、しかしあっさりと楽に死ねていたのでは無いのか。そう思うと、少しだけ勿体無い事をしたと思わないでも無い。
 だが、今の生が無かった方が良かったかと言われれば、それはノーだった。人生を捧げてきた魔術こそ使えはしなかったが、得たものは確かにあった。

 ここ最近では無かった程、随分と長い時間そんな物思いに耽ってしまったようで。考え込み過ぎると周囲が見えなくなる。それはリュカの悪癖でもあって、彼がそれ程の魔術師に慣れた要因の一つでもある。

 リュカが次に我に返ったのは、予想だにしなかった悲鳴のような叫び声のお陰だった。

「ねぇってば!後ろーー!」

 気付いた時にはもう遅かった。リュカが振り返るのと同時、空中から不気味に伸びてきた手がリュカの二の腕を掴んだ所だった。それが何だかリュカが判断する暇も無く、その腕は強くリュカを引き寄せた。不意打ちにバランスを崩したリュカは打つ手もなく、腕の伸びてきたその空間へと頭から突っ込む事になった。
 其処を潜った瞬間、ゾワリと覚えのある感覚が全身を包む。それと同時にリュカは確信する。こんなとんでもない魔術を使って、リュカを何処かも解らぬ空間に引っ張り込んだ者の正体。ベランジェ以外でそんな事が出来る存在なぞ、リュカは一人しか知らない。

 それに気付くと同時に、リュカは最後までその場に残った左手で、目的の純精霊をかき集めつつとある魔術を準備する。そして、全身が其処に飛び出てしまうと同時に、リュカはそれを相手の顔面目掛けて打っ放したのだった。突然引っ張り込むなんて無作法、そろそろ灸を据えてやりたいだなんて下心もあって。遠慮もなく、怒りさえ滲ませながらブチ込んだ。
 放った魔術はバキバキと不気味な音を立てながらしかし、その男には当たる事はなく背後にあった壁を抉りながら凍り付いた。男目掛けて伸ばされたリュカの腕は、男のよってその軌道が逸らされている。予想通りだとは言え、やはり簡単に避けられると少しだけ傷付く。

「出会い頭とは物騒な」
「相手に確認も取らず、当然のように引っ張り込む方に言われる筋合いはございません。風穴を開けられた方が宜しかったので?」
「それは遠慮願いたいな」

 至近距離で目を合わせる両者は、どちらにも表情がない。だが交わされる言葉には何処か妙な緊張がある。他者の介在する余地は、なかった。
 髪も眼も白銀の輝きを纏ったその男には、依代となった彼の面影が残っていた。依代、と言うのも不適格ではあるが、リュカはそれ以上、相応しい言葉を知らない。男の体格はリュカの知るその少年に比べ随分と大きくなっていたし、黒から白銀へと変化した髪は、男の腰程にまで伸びていた。彼からは、以前纏っていた気安い少年の雰囲気はほとんど見られなくなっていた。少年だった者が、まるで老成した立派な大人へと成長したような、そのような雰囲気が垣間見える。

「第一、私は以前貴方様に申し上げたはずです。「次をお探し下さい』と。お忘れですか」
「承諾した覚えが無い」
「こちらも同じ事。これ以上、貴方に手を貸す等と申してはおりません」
「…………」
「…………」

 そのまましばらく、2人の無言の睨み合いは続くも、それもすぐに解かれる事となった。どちらからともなく構えを解いた瞬間、周囲の緊張が一気に緩んだ。ゆっくりと一歩、互いに距離を取る。
 がしかし、リュカ本人はと言えば、それだけで緊張が完全に解ける程楽天的ではない。連れて来られた此処が何処だか、リュカは理解している。ベランジェの力を阻む人外の結界となれば、結果の外からだけでは無く、当然内から出る事も儘ならない。結界を張った張本人がそれを許さない限り、リュカは此処から出る事が出来ないのだ。それを酷く不快に思うのは、縛られる事を嫌悪する彼の性質故か。

 リュカはぐるりと周囲を探る。だが当然、魔術そのものを操る精霊王の結界に綻びなんてある筈もなく。ただ逃げられない事が分かっただけだった。
 苛立ち紛れの当て付けのように魔術を放てば、先程とは比べ物にならない轟音が洞窟内に響き渡り壁を抉った。土煙を上げながら大規模に崩落した壁はしかし、一定の範囲まで達した所で不自然に崩落が食い止められている。無論、其処が件の精霊王の結界面である。
 先程の魔術には、洞窟に風穴を開けられる程、普通の結界ならば貫通する程の威力が確かにあったはずなのだが。その先の壁どころか、結界面には傷一つ付ける事は出来なかった。
 きっと、自身の持つ魔術において最強の威力を持つ【ケラウノス】ですら、そこに風穴を開ける事は不可能だろう。たった一撃で、リュカは自身にはどうにも出来ない強度だと解ってしまった。
 微かに壁に残されたまんまと閉じ込められた事実に、リュカは大きく溜息を吐いたのだった。

「そう、怒るな」
「別に怒ってなどおりません。唯の八つ当たりです」
「それを人は怒ると言うんじゃないのか……」

 精霊族らしからぬ人族じみた言い草が奇妙に思えて、リュカは少しだけ怒気を収める。長い期間人と接して来た事で、それを少しは理解出来るようになったのだろう。それはとても奇妙で、そして少しだけ胸の内がゾワゾワとした。
 其れを誤魔化すように、リュカは別の事を考える。ベランジェはきっと、リュカが己の範囲の外へ出てしまった事にすぐ気が付くだろう。ここ数日は精神も安定していたというのに。リュカが戻った時に彼がどうなるか、それだけが少し気掛かりだった。

「……それで、一体何故このような事を?ヴィクトル王殿?」

 ベランジェの動きが予測出来ない以上、無駄話をとっとと終わらせる事が最善だと判断したリュカは。回りくどい話など一切させず、さっさと本題を切り出した。リュカの視線の隅、暗がりの方で何やら話したそうにソワソワしている連中に下手な動きをさせないつもりもあったのだが。こういう、場の状況を自分の方へと手繰り寄せるリュカの手腕はいつも通りだった。

「……会いたかったから?」
「…………は?」

 瞬間、リュカは思考が止まった。
 まさか精霊王ともあろう者が、余りにも人間臭い事を言うものだから、素で、本気で、愕然と驚いてしまったのだ。驚愕のあまりに言葉が出てこない。
 しばらくの間、奇妙な沈黙がその場を支配した。


「……貴方、ヴィクトルですか?」

 リュカがようやく絞り出した言葉は、そんなものだった。





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