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08.城塞都市


 ジョシュアとミライアは、王都に程近い北の城塞都市へとやって来ていた。件の失踪事件が発覚した、最初の都市である。
 分厚い城門に阻まれたこの都市は、モンスターからも人間からも街を守る分厚い城壁と、魔法使いによる結界によって護られている。如何なる者とて、城門以外から侵入する事は敵わない。ミライアのような特殊な例を除き、一般的に魔族と呼ばれる類いの者達ですら阻む、堅牢な都市だ。
 そんな都市へとやって来た二人は、夜も近い頃、門番を惑わし堂々と入城する。

『ここは、大分厳重だな』
『城塞都市なぞどこもこんなもんよ。入るのも出るのも面倒な軍事拠点。人々は不便を被る代わりに、安心し暢気に暮らすという権利を得ている街だ』
『軍事拠点……』
『そうだ。王都レンツォよりかは幾分易いが、普通の街よりやり難いのは変わらん。レンツォへ入るための演習とでも思え。あまり下手は打つなよ。捕縛されれば、我らとてそう易々と出しては貰えん』
『ああ、分かった』

 互いにテレパシーを使いながら話を進める。テレパシーは、吸血鬼同士、繋がりの深い者達にのみ許される特殊な技である。ここ最近、ジョシュアが教わった覚えたてほやほやの能力だった。以前訪れた街よりも数段警備が厳重であるが故、リスクを避ける為にテレパシーを使うと事前に示し合わせておいたものだ。通常の魔法は、結界内で使用すればすぐに警邏が飛んで来る事になっているのだが、吸血鬼のそれは魔法とは違う種類のもの。例え王都だろうが城塞内であろうが、結界内で使っても問題はないのである。他にも幾つか、人間の探知に引っ掛からない技術はある。それ故に、吸血鬼は他の魔族達とは一歩離されて語られる。格が違うのだと。

 2人は適当に店やら酒場やらを見繕うと、宿屋で部屋を借りた。そうして完全なる夜を待ち、二手に別れて情報収集を行う。いつもの流れだ。
 ジョシュアは都市の南側から西を回って一周し、ミライアは北側から東を回る事となった。何でもない、いつもと変わらぬ隠密行動である。
 ただ一つ、今回はいつもとは違う事があった。

 それにジョシュアが気付いたのは、酒場の隅でしばし酒をあおっていた時の事だった。程良く酔っ払った客達の話を、ジョシュアは遠耳から必要なものを正確に聞き分けて居た。そんな時、違和感に気付いたのだ。それほんの些細なものだった。だが、ジョシュアは気が付いてしまったのだ。匂いが違うと。
 人間は、ジョシュアからすれば形容し難い様々な匂いがする。濃い匂いの者もいれば、薄い微かな匂いの者もいる。強い森の匂いや川の匂い、時には獣やらの匂いをまとっている者も居た。それでも彼らの匂いはどれも似通って居て、ああ、これは人間特有の匂いなのだなとジョシュアは理解するようになった。
 反対に、自分の匂いはあまり良くは分からなかった。ミライアのようなそれでいてちょっと人間臭いような、そんなような匂いだ。ミライアのそれは人間のものとは違う。しかし、ジョシュア自身のそれは人間にも近しい。
 という事はつまり、やはりジョシュアは未だ吸血鬼としては半端者に過ぎないのだと、そう感じてしまう。あれ程飲めと言われている血を、大して飲んでいない事が影響しているのだろう。ここまできたら、とっとと正真正銘の吸血鬼になってしまいたいという気もするのだが、どうしても血を飲むという行為が受け入れ難く思うのだ。
 何度かお遣いで、ミライアの分を連れて来た事はあった。だがそれでも、ミライアが食事をする場面は未だどうしても慣れないのだ。長らくハンター生活を送っていた所為か、守るはずの人間を食事にする、というのは罪悪感が湧く。
 頭では分かっているのだ。生きる為に仕方ないと。しかし、身体がどうしてもそれを拒絶するのだ。

 と言う訳で、酒場で飲んでいたジョシュアは、人間達の匂いを嗅いでいる内、違和感のある匂いがある事に気付いたのだ。ただ、その匂いに気付いたとはいえ、それが何処から香ってくるのかも、誰から発せられているのかも、ジョシュアにはさっぱり検討が付かない。ただ、それは今迄嗅いだことのない匂いである事は確かだった。
 少しだけ考えた後、ジョシュアはこの場を離れる事にする。この匂いの主が、ジョシュアよりも鼻が効くとも限らないし、ジョシュアよりも強いとも限らない。そういう、訳の分からないものからは、さっさと逃げるに限る。
 それからのジョシュアの行動は早かった。出来るだけ気配を断って、飲みかけのそれを放って静かに酒場を後にする。酒場のある大通りを抜け、小道を通って出来るだけ匂いから遠ざかる。たまに道の先からその残り香が漂ってきて、避けるように道を引き返したりした事もあった。そんな回り道、遠回りをしながら、ジョシュアは彼らが滞在する事になった宿の近く、人通りの無い裏道に入った所で、木箱の後ろに身を隠した。
 木箱の影になるように壁を背に立ち止まり、神経を張り詰めて匂いの主や怪しい気配が無いかを確認する。30秒程、不審なものがない事を確認してそこで漸く、ジョシュアは気を緩める事ができた。

(あれは一体、何だったんだ。多分、人じゃない)

 ホッと息を吐いたジョシュアは、未だにバクバクと鳴る心臓の音を耳にしながら、ズルズルと壁伝いにしゃがみ蹲った。何も無かったはずなのに、心臓が嫌な音を立てていて、誰かに聞こえやしないかと不要な心配をしてしまう。しばらくは、この動揺を収めるまでその場から動けそうになかった。

「君、大丈夫?体調でも悪いの?」
「!!?」

 そんな時、突然姿を表した気配に、ジョシュアは度肝を抜かれる事になる。先程、周囲には人の気配もない事をジョシュアは確認したばかり。それだと言うのに、突然湧いて出た男の声に、ジョシュアの頭は真っ白で、心臓は口から飛び出そうな程大きく脈打っていた。

「ねぇ」

 優しい口調で問われるも、ジョシュアは全く声が出なかった。突如現れた衝撃と、先程酒場で感じた匂いと同じ存在である事に真っ先に気が付いてしまったからだ。恐れていた事が起こった。ジョシュアは必死でこの後をどう逃げるかを考えるも、さっぱり良い考えは浮かばない。下手に刺激したら、相手がどう出るかも分からない。過去にこんな経験をした事は無かったから、どうして良いのか全く分からないのである。宿に入らなかったのだけは正解だった、とどうでも良い事で自分を鼓舞しながらも、ジョシュアは固まり続けた。
 元ハンターの癖に、と言われそうだが、ジョシュアという男は案外臆病なのである。因みにあの、ミライアを追いかけた一件は完全に別口である、というのはジョシュアの主張だ。他人の命が掛かっていたからと。

「君、人じゃないっしょ?俺とおんなじ」

 俯き、一言も声を発する事の出来ないジョシュアを他所に、男は確信に触れるような言葉を口にする。その声は弾んでいた。きっと、この場にジョシュアと男しか居ない事を既に確認しているのだろう。だから、堂々とそんな事を言える。
 次に男は、ジョシュアの顔を覗き込むようにしゃがんだ。そんな状況下で、ジョシュアは得も言われぬ。恐怖だか驚愕だかで、ポンコツな頭はまともに動いてもくれない。
 ゆっくりと、ジョシュアの最後の砦であるフードが、取り除かれる。真っ暗から一転、目に映った男は、どこかミライアの雰囲気を思わせる赤毛の長髪の男だった。肩甲骨に届きそうな程の髪を、後ろで括っているらしい。それでいて、体格のガッチリとした、大柄な男だった。男もまた、ジョシュア達と同じようにフードローブを身に纏ってはいたが、油断しているのか、そのフードは外されている状態だった。

「あれ?男?」

 そんな男から、どこか素っ頓狂な声が出る。何をどう間違ったのか、察するに、男は追い掛けている間、ジョシュアを女だと思い込んでいたらしい。だから、顔を露わにしたジョシュアに驚いていると。ジョシュアはこんな状況下で、どいつもこいつも女も、自分よりもでかい事を嘆いた。

「おっかしいなぁ……俺が間違うなんて。ーーま、いっか。ねぇ君、俺と遊ばね?」

 そんな言葉が聞こえた途端、ジョシュアが別の意味で凍り付いた。いやまさか、ソッチのーー性的な意味なのかそれとも戦えと言う意味なのか、はたまた初対面で酒でも酌み交わせという意味なのか。どれも御免被りたかったものの、せめて最後であってくれ、そんな事を思いつつ、ジョシュアは思いっきり顔を顰めた。無意識だった。

「いやいや、俺さ、これでも男にも女にもモテんのよ!あ、人間にもだけど同族にもね!ハジメテでも天国見せたげるからさぁ、ね?ね?」

 ね?じゃねえ、とその言葉を耳にした瞬間、ジョシュアの全身が別の意味で泡立った。なぜこんな強面の自分に夜の誘いをかけるのか、甚だ理解不能である。男は何をそんなに必死になっているのか、座り込んでしまっているジョシュアに上から覆い被さる程身体を乗り出してきていた。
 思わずのけ反り顔を逸らすジョシュアに対して、男は後ろの壁にドンと手をつけ、まるで逃がさないとでも言うように距離を縮めてくる。一方は男の腕、もう一方は男の顔で、しゃがみこんでしまっている為に下も塞がれている。上に逃げようにも、こんな大きな男の力にジョシュアが敵う訳も無い。此処でようやく、ジョシュアは己の失敗を自覚する。

(に、逃げ場がねぇ!)

 こう言う肝心な所で、ジョシュアはてんでポンコツであった。油断するなよ、というミライアの言葉をあっさりと反故にしたが故、こんな、ある意味ピンチを迎えている。

「大丈夫大丈夫、そう怯えないで……ちゃんとヨくする……あー、良い匂い、」
(ひっ、ヒィイイイイ!)

 その男が何故だか、段々と目付きが怪しくなってくるのがジョシュアには分かった。何かに浮かされたような、何処か焦点の合わない目。そんな状態で、益々顔を近付けてくる男に、ジョシュアは内心で悲鳴を上げた。
 そしてそれと同時に、ジョシュアは我慢の限界を迎える。衝動のままに、力の限り握りしめた拳を男の顔面に思いっきりぶち込んだのだった。鈍い音を鳴らし、男はくぐもった声を上げながら、後頭部から地面にめり込んだ。地面には、男の頭を起点として放線状にヒビが入っていた。
 そこでジョシュアはハッとするも、やらかした後では完全に手遅れだった。恐る恐る拳を引っ込めると、男はその一撃で完全に昏倒してしまっていた。
 ジョシュアはどうしよう、とその場で尻餅をつきしばし固まる。幸いにも、先程の音に気付いた者は居ないようで、この事件現場にやって来る気配は居なかった。

「何やっとるんだお前……」

 おろおろするばかりのジョシュアに、呆れたような聴き慣れた声が上から降ってきて、ホッとした余りジョシュアは涙ぐむ等してしまう。助けを乞うように見上げれば、酷く顔を顰めたミライアが屋根の上にビシッと立っているのが目に映った。

「襲われでもしたのか」

 言うや否や、屋根からふわりと飛び降り音もなく着地する。首をこくこくと縦に振るジョシュアに構う事もなく。そのままミライアは、昏倒している男を見下ろした。

「ん?コイツ……お前、よっぽど引きが強いんだな」
「は」
「コレは相当な変人だ。お前程度に逃げ場はない、諦めて一回喰われろ」
「!!?なッ、んなーー!?」
「吸血鬼の中でも何クセもある輩よ。闘争よりも色事に興味を持つタチで有名でな。“魅了”を使い男も女も入れ食いだと聞いている。まぁ、今回は不意打ちで助かったのかもしれんがーー、こんなんでも、コイツに同じ手は二度と通じんぞ」

 ミライアの言葉に、ジョシュアは絶句した。

「それが嫌なら文句を言わず人の血を飲め馬鹿者」

 付け足すように言ったミライアの言葉に、ジョシュアは本気で考える。生理的に無理だとはしても、ここまで切羽詰まった状況では飲まざるを得ない。いくら嫌だとしても、いつかは飲む事になるし、今飲んでも後に飲んでも変わらない訳で。追い詰められたジョシュアは、そこまで真剣に考えた。

「ま、血を飲んだとてお前ごときが勝てるとは思えんがな」

 まさに上げて落とす。希望の光に縋ろうとした矢先、ジョシュアは再び地獄へと突き落とされる事となった。ミライアは人を貶める天才ではないだろうかと。地味に傷付きながら、ジョシュアはビクビクとミライアの後を追った。

 結局その日、些細な事で飛び上がる程にビビりまくるジョシュアが使い物になるはずも無く。結局、
『お前、邪魔だ。10秒で宿に戻れ、できなくば奴に喰われろこのうつけが』
 だなんてミライアには投げやりにそう言われ、死ぬ気で走り宿まで数秒で戻ったジョシュア。その後ずっと、ジョシュアはミライアが戻るまでの間、ナイフを握りしめ部屋の隅で震えていたのだという。





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